第16話 扱われ方が違う
第二王子アレクシスの館は、王城本館から少し離れた場所にあった。
豪奢ではあるが、装飾は抑えられており、全体的に静かな空気を纏っている。
馬車が止まり、扉が開いた。
「こちらです、レティシア様」
声をかけてきたのは、若い女性だった。
年齢は二十代半ばほどだろうか。
落ち着いた物腰で、過度な緊張も、媚びもない。
「私はエマと申します。
本日から、こちらでの身の回りを担当いたします」
「……よろしくお願いします」
レティシアがそう返すと、エマは小さく頷いた。
「お部屋へご案内しますね」
それだけだった。
怯えた様子も、探るような視線もない。
“元・悪役令嬢”に向けられる、あの独特の距離感が、ここには存在しなかった。
――近すぎず、遠すぎず。
その感覚に、レティシアは小さな違和感を覚える。
*
案内された部屋は、想像以上に簡素だった。
必要な家具が整い、机と書棚、窓際には椅子。
飾り立てられた調度品はない。
「こちらが、今後お使いになる執務用の部屋です」
「……執務用?」
思わず聞き返してしまう。
エマは、きょとんとした顔をした。
「はい。
殿下から、“仕事がしやすいように”と」
その言葉に、レティシアは一瞬、言葉を失った。
用意されたのは、
“居場所”ではなく、
“役割を果たすための環境”。
だが、それは――
王城で与えられてきたものとは、決定的に違っていた。
「……ありがとうございます」
そう言うと、エマは少しだけ笑った。
「必要なものがあれば、遠慮なく仰ってください。
ただし」
一拍置いて、続ける。
「無理をなさる必要はありません」
さらりとした言い方だった。
気遣いでも、命令でもない。
それが、胸の奥に引っかかる。
*
荷物を置き終えた頃、扉がノックされた。
「入る」
低い声。
アレクシスだった。
「部屋はどうだ」
「……十分すぎるほどです」
「そうか」
それだけで、会話は終わる。
だが、彼はすぐに踵を返さなかった。
「今日は、何もしなくていい」
唐突な言葉だった。
「え?」
「移動と式典で、消耗している。
今日は休め」
“命令”というより、
“当然の判断”として告げられる。
「ですが、引き継ぎの確認が――」
「明日でいい」
即答だった。
「君が倒れても、代わりはいない。
だからこそ、休むべきだ」
レティシアは、返す言葉を失った。
倒れたら困る。
その理由が、“迷惑”ではなく、
“代替がないから”という前提で語られる。
それは、
これまで一度も向けられたことのない論理だった。
「……承知しました」
そう答えると、アレクシスは一度だけ頷いた。
「夕食は、部屋に運ばせる」
そう言って、彼は出ていった。
*
一人になった部屋で、レティシアは椅子に腰掛けた。
静かだ。
王城よりも、ずっと。
誰かの視線を気にする必要もない。
背筋を張り続ける必要もない。
「……扱われ方が、違う」
ぽつりと、言葉が漏れた。
評価されている、という感覚とも少し違う。
期待されているが、縛られていない。
役に立たなければ意味がない、
という空気も、ここにはない。
代わりにあるのは――
“前提として信頼されている”という感覚。
それが、
これほど落ち着かないものだとは、知らなかった。
その夜。
運ばれてきた夕食を前にしても、
レティシアはすぐには手をつけられなかった。
「……私は、ここにいていいのかしら」
答えは、まだ出ない。
だが少なくとも。
この場所では、
誰も彼女を“追い出そう”とはしていない。
それだけで、
胸の奥が、わずかに緩んだ。
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