青鮫半島
青鮫半島の守備は村田一平独立大隊長に委ねられている。
四囲を鮫の海に囲まれた本州国にあって、青鮫半島は首都大京の東約30キロメートルに位置している。東南北の三方を危険な海に晒している半島は、いわば本州国の弱点であった。
「このやたらと細長い半島を大隊程度の戦力で守るなんて、どだい無理なんですよ」
暗い声でそう言ったのは、村田の副官の石井茂樹である。
「まあしょうがないじゃないか。本州国全体の戦力が1個師団程度なんだ。大隊員600名がきちんと揃っているだけうちはましだよ。訓練が行き届いた精鋭部隊だしな」
村田の声は対照的に明るい。彼の顔面は鼻と右頬が鮫の歯で削り取られ、石膏で埋められている。第一次鮫大戦における首都防衛戦で負傷したのだ。村田は鮫に顔を齧られても笑顔で最後まで戦い続け、鮫軍を撃退した後に失血甚だしく倒れたという逸話を持っている。
石井は村田の明るさに救われたような気持ちになりながらも、なお暗い話を続けた。
「海がざわついているんですよ。足鮫が半島の北側に集結しています。その数推定1万匹。海の中の魚ですから、その数倍いるかもしれません。やつらは青鮫半島の攻略を狙っています」
「撃退してやればよい。鮫はしょせん鮫だ。鋭い歯を持っているが、火器は持っておらんじゃないか。銃弾をぶち込んで殺してやろう」
「鮫1匹を殺すのに弾何発が必要かご存じないわけじゃないでしょう」
石井は悲観的な性格で、物事の暗い側面を見がちだ。
「1発では鮫は倒せないんですよ。一昨年の本州国軍事統計によると、13発使ってようやく1匹を死傷させ、戦闘不能に追い込んでいます。いいですか、13発ですよ。翻って我が大隊を見るに、歩兵1人につき30発しか弾を持っていません。30発掛ける600人で18000発。18000発割る13発で、1384匹の鮫しか殺せないんです。1万匹の足鮫に襲われたら、半島は守り切れません」
「おまえの計算には機関銃が入ってないじゃないか。12丁掛ける200発」
「わずか2400発増えるだけではないですか」
村田の顔はあくまでも明るく、石井の顔はどうしようもなく暗かった。
「わかったわかった。増援と銃弾の補給を要請しよう」
村田は時計を見た。午後5時になろうとしていた。
「まもなく定時だ。酒を飲もうじゃないか、石井」
「私の仕事はまだまだ終わりそうにありません。失礼します」
石井は大隊長室から出て行った。村田は銀色のスキットルを懐から出し、ウイスキーをぐいと飲んだ。
首都防衛旅団長の伊藤尚文は机の上に本州国の地図を広げていた。
本州国はざっくりと表現すれば南北に長い菱形をしている。首都大京は菱形のほぼ中央にあり、その周辺地域は中央平野と呼ばれている。国の北部は北大半島、南部は南大半島と名付けられ、南北に大きく羽を広げた鳥に見えなくもない。
中央半島の西にはずんぐりと丸い人面半島があって鳥の頭を形成し、東の青鮫半島は細長い尾羽のようである。
「人面半島と青鮫半島、ここは我が国のアキレス腱じゃのう」
伊藤がつぶやくと、参謀の片桐要が応じた。
「青鮫守備大隊が増援をよこせだの、銃弾が不足しているだのと言ってきております。兵隊は常に足りず、銃弾は生産しても生産しても使用量に追いつかないというのに。青鮫を特別扱いはできません」
「ちょっとは兵隊と弾を送ってやったらどうだ」
「無理です」
片桐はきっぱりと答えて、首を横に振った。
「本州国は島国であり、その防衛線は言うまでもなく長大です。敵足鮫は海を回遊し、どこからでも上陸作戦を敢行し得るのです。北旅団と南旅団は兵員定数を満たしておらず、銃弾は慢性的に足りません。そちらの補充が優先事項であり、大本営もそう考えているはずです」
「青鮫の守備が気になるんじゃ。鮫が沖に集結しているという情報が海軍からも寄せられておる。うちの旅団から中隊をひとつ回してやれんか」
「伊藤少将がそうおっしゃるなら、検討します」
伊藤は長く白い自分の顎鬚を撫でた。
「検討ではなく、明日にでも送ってやれ」
片桐は細面を少しばかり歪ませてから返答した。
「ご命令でしたら、実施します。どの中隊にしましょうか」
「東尾のがよい」
「我が旅団きっての精鋭ではありませんか。それはちょっと」
「いいからやれ」
片桐は「はっ」と答えて敬礼し、東尾吾郎中隊長に会うため、旅団長室の扉を開けて出て行った。
伊藤はまた地図に目を落とした。冷えた茶をずずっと啜り、ため息をつく。
「我が国は農業国だからのう。主産業は米しかないと言っても過言ではない。鮫の海を越えて米を輸出してもたいした金にはならんなあ」
彼の兄は本州国の大蔵大臣伊藤哲明であり、いつも金がない金がないとぼやいている。
青鮫大島は青鮫半島の北方沖10キロメートルほどの海域に浮かぶ島嶼で、海兵隊1個中隊が駐屯し、哨戒艇7隻が停泊または周辺を遊弋している。
半島の北方を航行している哨戒艇いしのまきの艇長黒川大介は甲板に立ち、黒々とした海を見回していた。
「やけに鮫が多いな。多すぎる」
双眼鏡を使っていた機関砲手の山崎智雄が応じた。
「足鮫は知能が高く、コミュニケーション能力を持つという説が有力です。やつらは連携して群れをつくり、青鮫半島を集中攻撃しようとしているのかもしれませんね」
「そう見るべきだろうな。沖から続々とこの海域に集まって来てやがるぜ。総数は2万、いや3万か」
「あいつらの総数なんて数え切れませんよ。ここは鮫の海なんです」
「だが推定はせにゃあならん。上には3万と言っておくか」
「先日は1万とおっしゃられていましたよね」
「情勢は刻々と変わるんだよ」
山崎は双眼鏡を覗き、海面に背びれを出している鮫たちを観察した。
「変な鮫がいる」
彼は艇長に双眼鏡を渡した。
「あの辺りを見てください」
黒川は双眼鏡を受け取り、目を凝らした。
「なんだあ? 腕があるように見えるぞ」
「あれは手足鮫ですよ。本州国近くの海域での生息は報告されていません。南の鮫です」
「いよいよやべえな。青島半島は総攻撃を食らうかもしれん」
黒川がそう言ったとき、いしのまきの船体にドンと衝撃が伝わった。
「鮫がぶつかってきやがった」
衝撃は次々と生じ、哨戒艇は何度も大きく揺れた。跳ねて甲板に飛び乗ろうとする鮫もいた。足鮫に乗艇されるとやっかいなことになる。
黒川は哨戒を切り上げて青鮫大島に戻るべく、操舵手に帰還を命じた。
東小島は青鮫半島の東端にある砂州のわずか1キロメートル沖に位置し、半島守備大隊から1個小隊が分派され駐屯していた。
12月8日午前6時30分頃、日の出とともに足鮫の群れが東小島の北の砂浜に突如として上陸した。彼らは青黒い鮫肌で朝の太陽の光を照り返し、人間の足に似た2本の足で砂浜に立ち、小島の中ほどに建てられた4軒の小屋に向かって突進した。その数およそ1千。
「足鮫が来ましたあ」
警戒に当たっていた一等兵の渡辺健司は小隊長桜田大地がいる小屋の前で叫んだ。渡辺は朝食の粥をかっこんでいるところだった。
「来たか」
村田大隊長が一昨日特別警戒態勢を取れと言っていた。隊員たちにはそのことを伝えてある。桜田の命令を待つことなく、小隊員40名はライフル銃を持って小屋から飛び出した。
「おい、なんか、めちゃくちゃ多くないか、鮫」
砂浜を覆う大口を開けた足鮫の大群を見て、桜田はつぶやいた。
「撃て、とにかく撃って撃って撃ちまくれ!」
桜田小隊の面々はライフル銃を発射した。銃弾のほとんどが鮫に命中したが、1発や2発当たっても鮫は死なず、その勢いは止まらなかった。
足鮫はネズミザメ目ネズミザメ科に属するアオザメに酷似しているが、足が生えているところが異なる。解剖の結果、呼吸器官は鰓だけでなく、肺を持っていることも判明している。水陸両生の人食い鮫なのだ。基本的には海に棲んでいるが、近年になって陸上にも進出し、人間を駆逐して生息域とした陸地も多くなっている。
彼らは死を怖れず、ひたすら走ってきて、大きな口で人を食う。頭を狙って噛むことが多い。
桜田小隊は銃弾を足鮫の群れに放ち続けたが、数匹を倒すことしかできなかった。敵は速度を落とすことなく接近してくる。
「て、撤退」と桜田は言った。
「ボートは北の浜に泊めてあるんです。どうやって逃げるんですか」と渡辺は言った。
逃げようがなかった。
「くそっ。渡辺は状況を大隊本部に連絡しろ。俺たちは死ぬまで戦うと伝えろ」
ほどなくして鮫の大群は小隊を飲み込み、東小島を占領した。
「東小島守備小隊は全滅した模様です。足鮫は半島の東砂州からも上陸し始めました」
青鮫半島の防衛を任されている村田独立大隊長は副官の石井からの報告を聞きながら、本部ビルの3階の窓から北の浜を眺めていた。
「砂州だけじゃなさそうだぞ。北からもやってくる」
青鮫半島は東西に細長く延びており、北は砂浜で南は絶壁だ。北の浜の波打ち際に鮫たちが姿を現していた。その数は無数としか言いようがない。鮫は北砂浜の全域で上陸し、すぐに全力疾走し始めた。
「迎撃」と村田は短く命じた。
「げいげーき」と石井は叫びながら血相を変えて階下へ下りていった。
「我が中隊も全力で鮫の排除に当たります」
首都防衛旅団から派遣されてきた中隊長の東尾が生真面目な表情を崩さずに言った。
「頼むよ、東尾少佐。今回の戦いはちょっとばかりやっかいそうだけどな」
やっかいと言いながらも、村田の声は明るかった。
東尾は前線で指揮を執るべく、やはり階段を下りていった。
独立大隊の全兵力は600人で、3個中隊に分かれ、各中隊が5個小隊を有している。全部で15個の小隊があるわけだが、そのうち桜田小隊はすでに全滅した。残りの兵力は560人。東尾中隊の応援を受けているので、総兵力760人が残っている。
その兵力は極東の弱小国である本州国の国力から考えるとけっして少なくはないのだが、青鮫半島の北の浜は長さ17キロメートルに及び、その全面を守備するにはいかにも心細かった。
村田大隊は横に薄く陣を張り、ライフル銃を撃ち、機関銃に火を吹かせる。足鮫はもちろんひるまなかった。走ってくる。止まらない。
村田はスキットルに口をつけてウイスキーを飲み、北の浜を見つめ続けた。
青鮫大島の海兵隊から手足鮫を発見したという連絡が一昨日に届いていた。手足鮫がどう動くのか、村田は気になっていた。
「青鮫半島が攻撃されています」と首都防衛旅団参謀の片桐は報告した。
旅団長の伊藤は白い髭に手をやった。
「青鮫半島の攻撃は鮫にとっては首都攻略の前哨戦なのだろうなあ。旅団を動かさねばならんなあ」
「ただちに即応体制に移行させます」
「体制ではなく、即応せねばならんだろう。半島へ行くぞ」
「首都防衛旅団が大京を離れるわけにはいきません」
「半島を突破されると、人口稠密な中央平野が蹂躙されてしまう。戦場が半島に限定されているうちに火消ししようや」
「では青鮫半島作戦を検討します」
「即応と言っておろうが。検討ではなく、すぐに動くんじゃ」
「はっ。どの部隊を派遣しましょうか」
「旅団全部じゃ」
伊藤は大本営に電話し、首都防衛旅団の全力をもって青鮫半島へ向かう旨を伝え、裁可を求めた。大本営は渋り、結局旅団の半数が動くことになった。指揮は伊藤が直接執ることにした。
戦車、装甲車、兵員移送車が旅団駐屯地から慌ただしく出撃した。
青鮫大島に駐屯している海兵中隊は青鮫半島守備大隊の支援をすることになった。
哨戒艇いしのまきは半島の北へ急行した。
艇長の黒川は青鮫半島の北の浜を眺めて戦慄した。鮫が砂浜いっぱいに上陸し、なおも続々と海から陸へと揚がっている。守備兵は迎撃しているが、いかにも多勢に無勢という感じだった。
「撃て撃て撃て。海中でできるだけ鮫を減らせ」
いしのまきには30名の海兵が乗っている。全員がライフルを所持しているが、艇長は指揮をし、操舵手は操船しなければならない。操舵手の野村雷太は艇を北の浜に近づけた。海兵たちは海面に湧くようにいる鮫に弾丸を送った。機関砲手の山崎は砲をダダダダダと鳴らして20ミリ弾を連射した。海が血で赤く染まる。だが、足鮫は泳ぎ続け、上陸し続け、砂浜で直立し、走り出すのだった。
「きりがねえな」
黒川はうめいた。
「脳鮫はいねえかな。脳鮫を殺せば、やつらは統制の取れた動きはできなくなるらしい」
人間に似た大きな脳を持つ脳鮫の死体が青鮫大島に流れ着いたことがあった。脳袋を持つ不気味なその姿を黒川は見た。脳鮫はひときわ高い知能を持ち、鮫の群れの司令塔と言われている。
黒川は海面に目を凝らした。足鮫ばかりで、脳鮫は影も形もなかった。
鮫1匹殺すのに必要な銃弾は13発と言われている。
しかしそれは平凡な兵士の平均でしかないと三浦数馬一等兵は思っていた。彼自身は1発1殺を信念としている。鮫の目と目の間に弾を命中させることができれば、脳が破壊されて鮫は1発で死ぬ。
「要はちゃんと撃ててねえんだよ」
ひとり言を言いながら、三浦は引き金を引く。
銃弾は空気を切り裂いて飛び、砂浜を走る足鮫の頭部に吸い込まれるように当たる。鮫の血と脳漿が飛び散り、鮫は足をもつれさせて倒れる。
「せめて3発でしとめようぜ。13発はねえだろう」
三浦のひとり言は続く。彼は撃ち、鮫は死ぬ。だが、周囲の兵士は三浦ほどの射撃技術を持っておらず、何発も撃たなければ1匹の鮫を死に至らしめることができない。平均して13発というところだ。鮫は走り、しだいに小隊に迫ってくる。
どんなに三浦の技術が凄くても、ひとりで殺せる鮫の数はたかが知れている。鮫はあとからあとから湧き出るように海から出現し、どんどん迫ってくる。
もう彼我の距離は50メートルくらいしかない。
「着剣」と小隊長が指示した。
銃の先端にナイフをつけ、銃剣で近接戦闘をせよという命令だ。
「俺は白兵戦は苦手なんだよ」
三浦は命令を無視して、ライフルを撃ち続けようとした。
「三浦」と小隊長が言った。
「へいへい」
三浦はしかたなくナイフを取り出して、銃身の下側にセットし、「まぬけな槍になっちまったぜ」とつぶやいた。鮫が目の前に走り出てきた。三浦は苦手と言いながらも、剣先を正確に鮫の頭に突き刺した。
村田大隊長は北の砂浜に兵力の9割を投入していた。残りの1割は手元に置いて連絡や報告をさせたり、南の岸壁を警戒させたりしている。
北の浜では兵士の半数程度が銃撃をやめ、銃剣を使って近接戦闘を始めている。鮫に食われて死ぬ兵が続出していた。
南の兵を北に回そうかと村田は考えた。そのとき、「南の岸壁に鮫が現れました」と副官の石井が報告した。
「南は絶壁だぞ。どうやって足鮫は上陸したんだ」
「現れたのは手足鮫であります」
手足鮫は2腕2脚を持っているが、南の海に生息し、本州国周辺海域にはいないと言われていた。しかし先日、青鮫大島の海兵隊が哨戒中に手足鮫を発見している。
「鮫が崖を攀じ登ってきやがったのか。ちくしょうやるじゃねえか魚のくせに」
絶望的な言葉を吐いているときでも村田の声は底抜けに明るく、妙にひょうきんに響く。
「首都旅団は早く来ねえのかな。このままじゃ俺たちはやられちまうぜ」
「いま水郷市を通過しているとのことであります」
従卒の民田順一が答えた。水郷市は青鮫半島の付け根に位置する。
「もうすぐじゃねえか。がんばろうぜみんな。来援は近い」
「はい」
民田は銃を構えた。大隊長と麾下は大隊本部ビルの下にいたが、その射程範囲にも鮫はやってきている。
「全滅するう」と石井は取り乱して叫んだ。
「阿呆」
村田は石井の頭を小突いた。
南の岸壁の守備を任されていた第15小隊長の空山四郎は油断しきっていた。
ここは断崖絶壁で足鮫が上陸できるはずはない。それが常識的な見方であり、事実これまで襲撃されたことはなかった。これまでは。
だが、鮫は現れた。
「空山小隊長殿、鮫が登ってきます」
部下の春日幸弘が崖を見下ろしてそう言うまで、空山は南の守備から北の防衛に回されるのを怖れていた。北は大激戦地となっているらしい。そんなところには行きたくない。南の岸壁を守る体制を取りながら、1発も撃たずに宿舎に戻りたかった。
「なんだとう。よく見てみろ。絶対になんかの見間違いだ」
「ご自身の目で見てください。見間違いなんかではありません」
空山は見た。確かに手足のある四足歩行の鮫が崖を攀じ登ってきていた。ざっと見たところ200匹はいて、なおも海から現れ続けている。
「なんだこの鮫は。見たことも聞いたこともねえ」
「手足鮫ですよ。熱帯の鮫です」
「熱帯の鮫がなぜこんな寒いところに」
「人間と戦うために召集されたんじゃないですかね。俺が九州島から召集されたみたいに」
「ど、どうすればいいんだ。手足鮫が来るなんて聞いてない」
「戦うしかないでしょう」
「で、でも凄い数だぞ」
空山はうろたえている。春日は発砲開始の命令を待たず、ライフルを撃ち始めた。弾は鮫の腹を掠めた。
小隊を圧するほどの手足鮫が崖を登ってくる。隊員は各々の判断で銃を撃った。周章狼狽している小隊長の相手をしている暇はなかった。
空山はとにかく救援を要請しなければと思って、スマートフォンで本部に手足鮫に襲われていることを報告し、助けてくださいと言った。
「馬鹿野郎、こっちは死闘をしているんだ。第15小隊の力でそこは死守しろ。絶対に突破されるなよ」と本部にいる石井茂樹が答えた。
「む、無理です」
「とにかく南を助けるなんてできる状況じゃない。こっちは全滅の危機に瀕しているんだ。ぜ、ぜ、全滅……」
石井の最後の声は誰に向かって言っているのかよくわからなかった。石井が自分以上にてんぱっているのに気づいて、空山は少しばかり冷静になった。彼はライフルを構え、崖に張りついて登ってくる手足鮫の1匹に狙いを絞り、照準を合わせた。部隊を指揮するのは苦手だが、射撃は得意だった。
首都防衛旅団から青鮫半島に派遣された東尾の中隊は、北の浜の西端に配置されていた。そこはやや鮫の上陸数が少なく、敵を寄せつけることなく撃退できていた。
12月8日午後3時頃、首都旅団の車両が陸続と東尾が守っている辺りに到着し始めた。東尾はいち早く到着した旅団長の伊藤に状況を手短に報告した。
「要するに大隊は全面崩壊の危機に陥っているということだな」
「そうであります」
「わかった。東尾中隊長は引き続きこの地域を守れ。村田大隊の危機はなんとかしてわしらが救うとしよう」
「はっ。しかしながら村田大隊と鮫は揉みあい、混ざり合い、敵に砲撃銃撃を加えると、味方にも当たる怖れが濃厚であります」
「そのようじゃのう。困ったもんじゃ」
伊藤は半島の先の方を見ながら言った。
彼は戦車大隊長の夏目千紘を呼んだ。切れ長の目をした四十がらみの女性中佐である。
「戦車隊を一列縦隊にして、鮫の群れの中を突っ切ってくれんか。鮫をまっぷたつに分断し、分断後、海側に向かって砲撃せよ」
「陸側は放置してよろしいのですか。半島守備大隊が少々苦戦しているようですが」
夏目はそう言った。村田大隊は少々どころではなく、大苦戦している。
「戦車隊はそっちの方は気にせんでよろしい。鮫のこれ以上の上陸を阻止せよ」
「はい。鮫の上陸を阻止します」
夏目は敬礼し、ただちに行動した。
「戦車隊縦列前進。私に続け」
夏目はいつものように1号車に乗り、戦車隊の先頭を走った。ハッチから顔を出し、前を見つめる。
「鮫の只中に入ってゆけ。踏みつぶして進むんだ。東の砂州までまっしぐらに」
彼女は颯爽と叫んだ。
伊藤は夏目を見送ってから、歩兵の指揮官たちを集めた。
「戦車に続いて戦え。陸側に向かって銃撃し、村田大隊を救うのだ」
「大隊は白兵戦をしております。弾が味方に当たる怖れがありますが」
指揮官のひとりが仲間たちを代表して懸念を表明した。
「このままでは彼らは全滅するのだ」と伊藤は言った。
「諸君は村田大隊を全滅から救うため、やれることをやればよろしい。ミスを怖れず、撃て」
「はっ」
歩兵の指揮官たちは走り出した。
伊藤は砂浜を眺めて、「それにしても凄い数の鮫だのう」とつぶやいた。
哨戒艇いしのまきの甲板から、黒川は目を皿のようにして海面を見つめ続けた。
「脳鮫脳鮫」と彼は声に出して言い、「脳鮫脳鮫脳鮫」と言い続けた。
海兵隊員たちもライフルを撃ちながら脳鮫を探し始めた。操舵手の野村も脳鮫はどこにいるのかと考えながら艇を操っていた。「脳鮫はどこだっ」と機関砲手の山崎も叫んだ。
脳鮫は容易には見つからなかったが、東の砂州の沖300メートルほどのところに鮫が異様に集合しているのに黒川は気づいた。その鮫たちは円を形作り、上陸しようとはせず、あたかも空母を守る護衛艦艇群のように緩やかに回遊していた。
黒川は双眼鏡を使って静かなる鮫の群れを観察した。特に円陣の中央を見ようとした。
ぷかりと奇妙な鮫が浮いていた。頭部に白い袋のようなものが付いている。
「脳袋だ、脳鮫だ」
黒川はついに目標の敵を見つけたのだ。鮫の群れの頭脳であり、統括指揮すると考えられている脳鮫を。
「野村、鮫の群れの中心に脳鮫がいる。撃てっ」
「はっ、撃ちますっ」
野村は20ミリ機関砲の砲口を標的に向けた。その砲に火を吹かせた。砲弾が鮫の群れの上に放たれた。
黒川は双眼鏡で脳鮫を見つめ続けていた。
砲弾が海面を割ってしぶきをあげ、脳鮫は海中に消えた。潜ったようにも、沈んだようにも見えた。弾が当たったかどうかはわからなかった。脳鮫の生死は不明。多数の足鮫の死体が浮かび、生きている足鮫は海中に潜っていった。
「爆雷投下。群れが潜った辺りに全弾投下せよ」
全弾と言っても、哨戒艇には4機しか積んでいない。
担当の海兵隊員が爆雷投下装置に駆けつけ、矢継ぎ早に全弾を発射した。爆雷はボーンと発射音を立て弧を描いて飛び、海中に沈んでいった。数秒後に爆発して、海上に大きな水柱を発生させた。4つの爆発が相次いで生じた。水柱が海面に向かって崩れ落ちた後には、さらなる鮫の死骸が浮かびあがっていた。損傷が激しい死体が多く、脳鮫が含まれているのかどうか確認するのは困難だった。
哨戒艇いしのまきが爆雷攻撃を行った後、足鮫の新たな上陸はなくなった。それは夏目戦車大隊のめざましい活躍の成果かもしれず、爆雷で脳鮫が死んだためかもしれなかった。真相は人間側にはわからなかった。
ほどなくして上陸していた鮫たちも海へ向かって退いていった。
「助かったのか……?」と村田大隊長の従卒の民田はつぶやいた。
「はあ、はあ、そのまま海に帰ってくれ。戻ってくるなよ。頼むからそのまま帰って二度と来ないでくれ……」と村田の副官の石井は祈っていた。
「撃退したんだ。俺たちの勝利だよ。また来ても打ち払ってやるさ」
村田の声は底抜けに明るかった。彼はあくまでもポジティブであり、石井はどこまでもネガティブだった。村田は満面の笑顔で、石井の顔にはまだ恐怖が張りついていた。
大隊本部ビルの駐車場に首都防衛旅団長の伊藤を乗せた装甲車が到着した。伊藤は白い髭を撫でながら車を降り、村田がいる方へ歩いていった。
半島の南岸では小隊長の空山が、絶壁を登るのをやめ、海に飛び込んでいく手足鮫たちを見て、ぺたんと尻餅をついた。
青鮫半島の沖は近深の海だった。そこは鮫の海であり、人間の支配の及ばない大海原であった。
脳鮫は生きていた。彼女は深海へ潜りながら思っていた。
アー、ビックリシタ。ニンゲンハコワイナア。イツカホロボシテヤルカラネ。




