第6話 4月2週目
「なんか、ごめん」
「冬馬が謝ることじゃないよ。逆にありがとうね」
朝から窓にへばりつく私に、冬馬が声をかけてくれた。
私の大好きな、片思いの人、室田夏生さん、には、奥さんがいた。
悲しかったけど、年上そうだったし、どこかで覚悟というか、そうなんじゃないかなって思ってた。だけど、予想を超える喪失感に、立ち直れない。
「どんな人だと思う?」
「ん?」
「奥さん」
「やめとけ」
冬馬らしいアドバイスだと思ったけど、私の質問の答えになってない。
「どんな人だと思う?って聞いたんだけど」
「綺麗な人だと思う」
意地悪。
9:15 いつも通り、夏生さんが自転車で前の道を走り抜ける。
咄嗟に携帯を向けて、写真を撮ろうとした。
「やめろよ」
冬馬に邪魔されて腹が立つ。
「これくらい、いーじゃんよ!」
「目を覚ませよ!結婚してるんだって!」
「分かってるよ」
そんなこと、分かってるよ。
でも分からないよ、結婚してたら、なんでいけないの?
私は結婚してないよ?結婚してる人を好きになることはいけないことなの?
仕事をしなくちゃ。
成約済みの受注ファイルの束を手に取る。
営業さんたちの手書きのメモを見ながら、内容を発注書に起こしてゆく。
お客様の要望が詰まったメモだから見落としをしてはならないのだけど、いかんせん、会話を通して話を書き留めていくので、癖がすごい。というか、汚くて読めないのもある……
2、3枚飛ばして、1枚引っぱり出す。
冬馬のメモは読みやすいし、分かりやすい。これを読むであろう、後の人の事を考えた丁寧なメモだ。
自分でも理不尽な事を言ってるって分かってる。
だけど、冬馬は、もしかしたら、私のこんな気持ち、自分でもうまく処理できない気持ちにも付き合ってくれるんじゃないかって思ってしまった。甘えすぎてたか……
「原田さん、林田さんってどこにいますか?」
「ごめん、知らない」
冬馬がどこにいるかなんて考えたこともなかった。
考えなくたって、どこにいるかなんて、分かってたもん。
だけど、今は、たぶん、もう、分からなくなってしまった。
読めないメモを持って、部長のところへ行く。
「確認させていただきたいところがありまして、ここ、なんて書いてあるんですか?」
紙を渡す。
「えっとね、あん?なんて書いてあるんだ?」
紙と首が一緒に傾いてるけど、それで読めんの?やば、笑いそう。
「もっと、早く言ってくれれば、覚えてたかもしれないけど……うーん」
うーん、じゃないよ。私の首もつられて傾いちゃう。
「それって、考えたら分かることなんですか?」
冬馬だ。
「いやぁ、考えてるって言うか……うーん……思い出せないんだよなぁ、それが……うーん」
ちょっと、見せてください。そう言って、冬馬が紙を覗き込む。
「色だと思いますよ、カラーコードが書いてあるんじゃないですか?」
「あ!そうそう!凄いね、林田君、さすがだね!」
部長は冬馬の背中をバンバンと叩くと、もうこれ以上聞かれたくない、と言った風に、私から逃げて行った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「今日はさ、私におごらせてくれない?」
「遠慮なく」
断られなくて、よかった。
危うく残業になりかけたけど、なんとか逃げ切った。
会社の出口まで走ると、冬馬が新入社員の櫻田さんと話していた。
「私も、ご一緒させてくださーい」
と、言われてしまった。
「いや、悪いんだけど」
冬馬が断ろうとしている。
「えっ、お二人って、付き合ってるんですか?」
「いや、そうじゃないけど」
冬馬と二人だと、夏生さんの暗い話しになっちゃいそうだから、たまにはいっかと思った。
「いいよ。一緒に行こうっか」
冬馬が驚いた顔でこっちを見たけど、気付かないふりをした。
「いらっしゃーい、あ、今日は3人?」
「はい、この前、入社した櫻田さんです」
「よろしくお願いします!」
「どうぞごひいきにー」
炭酸は苦手と言う櫻田さんは、ジュースみたいなお酒を頼み、私たちはいつもの生中で、乾杯。
「原田さんと林田さんは、本当に付き合ってないんですよね?」
「うん」
もう何度目だよ、ってくらい聞いてくる。
冬馬のこと好きなんだろうな。
「櫻田さんは彼氏いるの?」
「今はいませーん」
冬馬は口数が少ないし、あんまり食べない。
「焼うどん頼んでもいいですか?」
「うん」
私たちは頼んだことがない。
「はい、林田さんどーぞ」
大根サラダを取り分けてくれて、甲斐甲斐しいな。
「自分でやるから、そういうのしなくていい」
「不愛想」
「思ってることが、口から出ちゃってるぞ」
やっと、いつもの返しがきた。
えっと、えっと、と戸惑っている櫻田さんには申し訳ないけど、慣れてもらうしかない。
職場での「無害」っぽい冬馬の本性は、毒舌なのだから。




