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自転車男に恋をした。  作者: あおあん
秋子の愛

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35/48

第35話 11月3週目

 この会社を誇らしく思う。

 父が立ち上げ私が跡を継いだが、業績は好調だ。

 役員室からは向かいの住宅展示場が良く見える。

 高い建物がなく見晴らしがとてもいい。


「お、来た」


 最近、娘の秋子は夏生君と自転車出勤を始めたらしい。


「父さん、あれをご覧になってください」


 毎朝、社長室でコーヒーを一緒に飲む父に声をかける。


「ああ、秋子が楽しそうで何よりだ」


 細い目を更に細めて父が笑った。

 秋子の母親は、彼女が中学校に上がる直前に病気で亡くなった。

 秋子の祖母もすでに他界しており、私たちが男手で育て上げた自慢の娘だ。


 もともと大人しい性格ではあったが、頑固で、自分の世界を持っているようなところがあった。ところが母親の死後、引っ込み思案で何もやりたがらない暗い子になってしまった印象がある。


 趣味や好きなことを始めて欲しいと習い事やイベントなど、いろいろと経験させたが、どれも今一つのようで途方に暮れた。


 彼女が大学生の時、父と相談しフランスへ留学させた。

 秋子は嫌そうではあったが、断るのも面倒くさいといった風に、とりあえず行ったように思う。帰国後はこの会社に勤めるように言ってあったが、それははっきりと断られていた。


「自転車競技の実業団を作ってくださらない?ロードバイクという自転車競技」


 帰国した娘に久しぶりに話しかけれたと思ったら、そんなお願いをされた。


「なんだ、急に。そんなもの作らん」

「お願いします。いい宣伝広告になります」

「どこがだ、そもそも誰も来ないだろう?」

「私が探してきます。いい人を知っています」


 一歩も引きそうにない娘に交換条件を出した。


「役員をやりなさい。そうだな、会長でいいい。そのクラブチームは会長の権限で持たせよう」


 断るだろうと思った。


「そうしましょう!」


 まさかの返事に面食らった。

 それから、フランスで選手をしていたという夏生君を入社面接で通し、彼のつてでチームは良い感じで形を成して行った。


 5年前、娘が発病した。

 亡くなった私の妻と同じ病名を告げられた時は頭が真っ白になった。


「今と昔では技術が違いますもの。私は大丈夫です」


 そう言って秋子は手術を受けた。

 退院した秋子は、またしても驚くことを言った。


「夏生さんとの縁談を設定していただけませんか?」


 昔から口を酸っぱくして何度も結婚しろと言ってきたのに、一度も聞く耳を持たなかったあの子が、今になって、どうして?と不思議でならなかった。


 それに夏生君は秋子よりも10歳も年上だ。

 クラブチームで顔見知りのはずだったが、それ以上の関係があるようには見えなかった。秋子の目が本気だったので、私も力を貸せるならと思ったが……


「お父様からお話したら業務命令みたいに聞こえるから、お爺様からお話してくださいませんか?」

「わしか?」


 父は過去に見たことが無いほど動揺していた。


「はい。決して押しつけがましくも、私の病気に同情を誘うような言い方も、なさらないでね」

「難しいな」


 一肌脱いでやりたい気持ちは父も同じで、私たちはいかなる重要な会議よりも緻密で綿密な計画を練り、プレゼンの時でさえ、これ程の練習はしないと言うほどに、毎朝、練習を重ねた。


「夏生君と縁談の了承を取り付けたと聞いた時の、秋子の表情と言ったら……」

「ああ、思い出すな」


 父も私と同じ事を思い浮かべているのだろう。


「夏生君には本当に感謝しています」

「先日、彼に副社長の話を持ちかけてみたんだがの」

「なんとおっしゃっていましたか?」

「秋子がいいのでは、と」


 夏生君は自分ではどう思っているか分からないが、彼はとても優秀な管理職になれる人材だ。自転車の世界と言うのは、一般人の私にはさっぱり見当も付かないが、独特な価値観の持ち主がやっているのだろうと思っていた。


 ほんの一握りの人間しか日の目を見ない世界で、身体的なリスクは高く、金銭的な負担も大きい。正直、私なら決して選ぶことのない職業だ。


「夏生君は、秋子の下につくと?」

「ああ。秋子が最適な人物で、自分は秋子のサポートに向いている、と言ってたな」

「秋子は?」

「まだ、話しておらんが、夏生君がそう言えば、秋子は断るまい」

「そうですね」


 秋子が夏生君にご執心なのは、今ならわかる。

 彼女はロードバイクのクラブチームを守るため、並々ならぬ努力で業務提携を勝ち取ってきた。


「あの二人、お似合いですね」

「まったくだ」


 孫の顔を見ることはできない。

 だが、孫の顔を見るために、子どもを育てた訳ではない。

 孫が居ても居なくても、娘が幸せなら、私はその分幸せだ。


「今度は何を頼んできますかね」

「想像もつかんな。だが、きっと我々は全力で応援してしまうだろう。だな?」

「ええ。そうですね」


 私と父は静かに笑った。




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