第32話 10月4週目
涼しくて、とても綺麗な秋晴れ。
夏生さんがサイクリングに連れて行ってくれるという。
「私に出来るかしら」
「充分、出来そうな格好してるぞ」
「もうっ」
「近くまで車で行くんだから、大丈夫だ。疲れたら自転車から降りればいい、そのまま、自転車引いて散歩して帰って来たっていいんだ」
「そう思うと、気が楽になるわ」
自転車を2台、ミニバンに積む。
私たちは夫婦二人で、これ以上家族が増える予定はないのだけど、夏生さんの自転車を運搬するため、大きな車に乗っている。
「そう言えば、こういうドライブは初めてだな」
「ええ」
「途中でコンビニに寄るか?」
「そうしましょう」
こうして自転車を意識しながら車に乗っていると、車道には案外多くのロードバイクが走っているんだなと気付く。
コンビニでスポーツドリンクと、ゼリーを買った。
「ホルダー専用の水筒があるから、移しといてくれないか?」
「運転しながら飲めるかしら」
「ははは、やる気満々だな」
「え?」
「止まって飲めばいい」
「そうですよね」
初心者のくせに、夏生さんと同じことが出来ると勘違いしてしまった。
「言い方が悪かったな。ごめん。いい事だと思うよ」
「え?」
「秋子は自信が無さ過ぎだ。大抵のことは出来てるんだから、自信持てよ」
「はい」
ペットボトルの飲み物を水筒に移した。
「今日は、大荷物は無いのか?」
「また、バカにして」
「だって、何があるか分からないだろう?」
「もうっ」
いつから、こうやってからかうようになったのかしら。
「その顔が好きなんだ」
「え?」
「秋子の、その怒ったみたいな、困った顔が、好きで、つい、また見たいと、思ってしま、うん、だ」
「……」
耳が燃えそうです。
「すぐに真っ赤になるところも、好き、だ」
首から上が大炎上です。
「なんで……そんな顔するんだ?そんなに……変か?」
「変です。そんなの言ったこと無かったじゃないですか」
「まあな、ステファンを見習っている」
「ああ」
ステファンは、そういう事よく言ってくれるのよ。
短い草がたくさん生えた駐車場に停め、自転車を降ろした。
「私、何となく、山へ行くのだと思っていたわ」
「ヒルクライムがしたいのか?」
「そういう分けでは……ただ、海沿いを走るってイメージが無くて」
「平坦だけど、風の影響を受けるから、思っている以上に過酷だと思うぞ」
「過酷……」
「怖がらなくていい。だが、甘く見て怪我されるのが一番困るからな、気を引き締めて」
「はい」
夏生さんの靴の裏には、ペダルと接続する金具が付いている。
カチャカチャと音を立てながら歩いている。
「ここから、4,5kmのところに神社がある。そこで続きを考えよう」
「はい」
「ハンドサインは覚えてるか?」
「はい」
「それじゃ、出発!」
これに乗るようになって分かった。
ママチャリはとても重いという事。
ロードバイクはとても軽くて、ちょっと踏むとぐーんと進む。面白い。
流れる景色は圧倒的に早くて、でも夏生さんの背中を見つめて走った。
ずっと憧れていた。ロードバイクに乗る夏生さんの姿。
まさか、後姿を見ながら走る日が来るなんて。
ずっと朝練をしてきてたから、車道を走る恐怖心も克服出来ている。
赤い鳥居が見えてきた。「もう?」そう思いながら、止まった。
「ちゃんと付いて来れてるな」
「余裕だわ」
「おお、いいな!」
「じゃ、もうちょっと走るか。6kmほど行ったところに、海が見えるカフェがあるから、そこでお茶して折り返そう」
「そうしましょう」
カフェはログハウスのような佇まいで、囲まれた木から色付いた葉が落ちてくる。
「テラス席がお勧めです。ストーブとブランケットのご用意がありますので、よろしければ」
そう言われ、テラス席にした。
紅葉と海、なんて贅沢な眺め。
「ステファンから連絡がありました」
「どうするって?」
「引き受けてくださるそうよ」
「それは、よかった」
「ええ。パートナーと一緒にいらっしゃる予定だけど、とりあえず、来週、一人で来られる事になりました」
「一緒に食事をしよう」
私はミルクティーとリンゴのコンポート、夏生さんはカフェラテとカヌレを頼んだ。
「家に招待してもいいかしら?」
「ステファンをか?」
「ええ。ワインでも飲みながら、ゆっくりと話しがしたいわ」
「構わないよ」
暗くなる前に戻ろうと、立ち上がったら、よろけてしまった。
「どうしましょう。足が立たないわ」
「はは。じゃ、君はここに居て、もう少し何か食べて待ってて」
そう言って、夏生さんは自転車を走らせて、車で戻ってきてくれることになった。
こんなに幸せでいいのかしら。
夢が叶ったなんてもんじゃないわ。
だって、こんな素敵なイベント、夢にも想像出来なかったもの。




