第28話 9月4週目
私の大人気ない失態に気付かなかったふりをし、夏生さんはいつも通り接してくれた。
朝のトレーニングの距離はだいぶ伸びて、夏生さんの足で40分かかる会社までの半分まで来れるようになった。40分をかけて……
「そろそろ折り返そう」
「はい」
汗を流して、車で出勤する。
「来週、フランスに行きます」
「ステファンの件か?」
「はい。彼の意向を確認してきます」
「戻りは?」
「少し、ゆっくりしてきていいですか?」
「駄目だ」
え?
最近、心の疲れが溜まっているので、休養が欲しかった。
「ステファンとの話しが済んだら、すぐに帰って来い」
「……」
「タイトなスケジュールですまないが、誕生日は日本で過ごせ」
「あ……」
そうでした。
「分かりました」
「それから、寝室の件、考えてくれた?」
「……」
「秋子が出張中にベッドを私の部屋に移していいか?」
「ええ」
なんだか、今日はずいぶんと、強引ですね……
「その、林田君に相談を……受けていて、家に呼ぼうかと思っているんだ。その時に家具の移動をお願いしようかと……」
「それは……」
「原田さんは呼ばない、林田君だけだ」
信じていいんですよね?
「それなら。模様替えをお願いしてもいいかしら」
「よかった」
会社に着くと、デスクにはたくさんの書類が積まれている。
付箋の色で、重要度を見極め、確認し、押印をしていく。
ステファンに期待する仕事は二つ。
まずは、フランスで調合した化学調味料を、日本の食材でどう生かせるかプレゼンし、各種メディアに売り込む。もう一つは、実際の取引が決まった先への安定供給のスケジュール管理。
おそらく前者は問題ない。人当たりのいいキャラだし、日本食への興味や知識がある。必要なら、日本にいるスタッフが応援できる環境も整っている。難しいのは後者。時間にルーズな国民性で、我々日本人スタッフには納期の管理が難しいのだ。フランス人同士なら、あるいは……と思っている。
彼が受けるかどうかは分からないが、話をすることにした。
ウェブでもいいかとも思ったが、私自身が、どうしても彼に会いたかった。
会って、話を聞いてもらいたい。本当なら、今すぐにでも。
ステファンに初めて会ったのは、もう15年程前になる。
私は当時、学生でフランスに留学をしていた。
ふと入ったセーヌ川沿いのカフェで、サイクリングロードを走る夏生さんを見た。
一目惚れをした。
それから毎朝、そのカフェに行き、エスプレッソを飲みながら、夏生さんを目で追った。
ある時、決まった時間に走るはずの彼が姿を表さなかった。
もしかして、と思い、テレビに齧りついて、ツールドフランスを見た。
ほんの一瞬、夏生さんが映った。
私は彼の所属しているチームを調べ、連絡をしてみた。
その電話に応対してくれたのが、ステファンだった。
「何でもいいので、彼について教えていただけませんか?」
「無理を言わないでください。選手についての情報はインターネットに載っていること以外、なにも話せません。公式HPをご確認ください」
電話では埒が明かないと思い、オフィスに行ってみた。
「まさか!来ちゃったのか?!」
そこに居たもステファンだった。
「ボクでラッキーだったと思えよ。他のやつだったら、警察に通報されてるぞ」
「すみません。どうしても、彼について……」
もっとお堅い、怖そうな人かと思っていたが、実際のステファンは華奢で、物腰の柔らかい男性だった。
「君の熱意に胸を打たれたよ。ふたつ、教えてあげよう。NATSUKIは結婚している。奥さんは日本にいる」
目の前が真っ白になり、倒れそうになったのを、ステファンが支えてくれた。
「ショックなのは分かるけど、ここで倒れられると、ボクのおしゃべりがバレるだろう?」
そう言って、私にウィンクをした。
そして、私を近くのカフェに連れて行ってくれた。
「実は、ボクも好きな人がいて……」
ステファンは同性愛者で、その好きな人には、今は別の恋人がいるのだと言った。
「ボクたち、同じだね」
「お互い、頑張りましょう」
「どうやって?」
時間が経つのを忘れて、コイバナに花を咲かせた。
それ以来、彼とは連絡を取り続けている。
もちろん、彼が日本に来てくれたら嬉しい。だけど、フランスでさえも、同性愛者には生き辛いところはある。日本なんて保守的なところで、彼が苦しまないか心配だった。それに、ステファンが一人で来日することになったら、恋人との関係はどうなるの?
あの時のステファンの猛アタックが実り、彼が今、一緒に居るのはその人だ。
ステファンとパートナーの事を考えると、在日の仕事を頼むべきではないと思う。
だけど、仕事のオファーは断られるにしても、今すぐ、会いたかった。
夏生さんの話を聞いて欲しい。
私の原田さんに対する嫉妬を話したい。
そして、いつもみたいに涙ぐみながら、「分かるよ」「辛いね」って言い合いたい。




