第23話 8月3週目
秋子と出社した。
並んでの徒歩通勤はこれまでに無いことで、妻なのに、とても緊張した。
「ここですか?」
開店前のロードバイク専門店を指さす、秋子。
「ああ」
帰りに一緒にウェアや小物などの装備を買う約束をしている。
「夕飯も済ませて帰ろうか」
「そうしましょう。どこかあてはあるんですか?」
「居酒屋でいいかな」
「いいですね」
日傘の下からちょいちょい覗き見る秋子は、機嫌がよさそうだ。
「暑くて敵わないな」
「私、お風呂の熱いのは苦手ですけど、季節の暑いのは好きなんです」
お、久々の新情報だ。
「室田専務、室田会長、おはようございます」
守衛小屋の横を通って、会社の敷地に入る。
自転車の音がして、振り返ると、原田さんが出社してきていた。
「あの子も同じ自転車ですか?」
「よく分かったな」
見ているだけだったとはいえ、「好きだ」と言うだけのことはある。
「私も自転車通勤してみようかしら」
「お、おぉっ?!」
「何ですか?その反応」
「いやぁ、君の口からその言葉が出てくるとは思ってなくて、驚いたな」
「そうですか?」
きょとんとしている。
「車道を40分も走るんだ、もう少し慣れてからにしたら?」
「そうします」
秋子の買い物はいつもこうなのだろうか。
「どう思います?」のオンパレードで、「いいんじゃないか?」と答えると、全部籠に入れた。手袋とサングラスは、私が選んだ。
大きな袋を持って、居酒屋に向かう。
「実は居酒屋って、あまり行ったことが無くて……」
「だよな、お嬢様」
「ふざけないで」
ケラケラと笑いながら店に入ると、原田さんと林田君が飲んでいた。
タイミング悪かったかな。
林田君が、隣のテーブルを指さした。
「ここ空いてますよ」
「ありがとう、君たちその格好で飲んでるのか?」
ロードバイク用のウェアで飲食店に入ることはあるが、それはあくまでサイクリング途中のカフェとかであって、居酒屋に入る勇気はない。
「ちゃんと自転車は置いてきたんで、大丈夫です。急にこいつが飲んで帰ろうって言い出して。自分だけこの格好だと恥ずかしいからって言い出して……道連れにされました」
林田君が私に言った。
「私もスーツ、会社のロッカーに入れておこうかな」
原田さんが林田君に言った。
「いいですね。私もそうしましょう」
妻が二人に言った。
「奥様ですか?」
「ああ、妻の秋子だ」
何だろう、この緊張感。
「初めまして、林田です。奥様も自転車に乗られるんですか?」
林田君には、先日、自転車に乗らない妻の話をしている。私の行動力のチェックをされているようで緊張が走った。
「ええ少し」
先週買ったばかりなのに……ろくに乗れない姿を知られるのが嫌なのだろうか。秋子の自信たっぷりな返事が可愛くも可笑しかった。が、決して、笑ってはならない。
「こんばんは、原田です。買い物されたんですね」
ショップのロゴが入った袋を二人がじっと見ている。
「ええ、小物をちょっと……」
持っていなかった一式を揃えたというのに、なぜ見栄を張るんだろうか。
「今度、一緒にどこか行きませんか?」
原田さん、林田君、もう勘弁してくれないか。
「いいですね」
秋子、どうしたんだ?
なんとも重苦しい空気……と思っているのは、ひょっとして私だけなのか……とりあえず、ビールを頼み、秋子と乾杯をした。
秋子がテーブルに身を乗り出し、小声で言った。
「お友達なんですか?」
「お友達って、程でもないが、自転車好きな知り合い、かな」
オシャレな物しか食べてるイメージが無かったので、秋子がホッケを食べる姿は新鮮だった。
「いつから?」
「春頃かな」
「つい最近じゃないですか」
あれ?ビールは苦手か?酔っているのか?
「よく会ってるんですか?」
「数えるほどだよ」
「どこで会ってるんですか?」
「こことか……」
「とか?」
「一度、ツーリングに」
目をカッと見開いて、二人を見た。ちょっと、秋子、怖がってるから……
「あの!主人とツ、ツ、ツーリングに行かれたのって……!」
「はい」と原田さんが手を上げた。
秋子はビールジョッキをドンッと置いて、黙々と目の前のホッケを食べだした。
「お、おい」
「……」
無視された。
「すまないね、二人とも。ちょっと、酔ったみたいだ、はは」
秋子のいろんな姿を知りたいと思っていたが、今日は少々、情報過多だ。
「僕たちのことは気にしないでください」
「お気になさらず」
20歳も年下の若い子たちに気を使われてしまった。
「秋子、帰ろうか」
「そうしましょう」
トコトコと行ってしまう。
急ぎ、会計を済ませ、荷物を持ち、二人に「じゃ」と言って店を出た。
「おい、どうしたんだ?」
秋子を追う。少しくらい歩くスピードを落としてくれないか?
「おい!」
やっと追い付いて、秋子の肩に手を置いた。
……え。
なんで泣いてるんだ?
今の、どこに、悲しいところがあったんだ?
秋子のことが全く分からなくなってしまった。




