表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

第2話 3月2週目

 ドキドキしながら、いつもの通勤路を進む。

 会社の前まで来たところで、いつもの方に背を向けて歩く。


 いつもより1時間早く来た。

 私の勤務先の向かいにある、化学調味料を作っている会社に、私の好きな人がいる。


(どうしても名前が知りたい!)


 どうしたらいいか考えてたら、昨日、ふ、と思い浮かんだんだ。


 会社の入り口には大きな門がある。

 その門の端っこに、守衛さんがいる小屋がある。


「すみませ~ん」


 男物のハンカチを握りしめて、ガラス扉を覗き込む。

 制服を着た、おじいさんが、パイプ椅子に座っていた。


「なにか、ご用ですか?」


 こちらを見て、立ち上がり、ガラス戸を開けてくれた。


「あの……これ、自転車に乗ってる人が……落っことしたみたいで……」

「あ、室田さんかな、ありがとう、まだ来てないから、渡しておきますよ」

「はい。ありがとうございました!」


 ハンカチを手渡し、クルっと振り向いて小走りで去った。


「やった、やった!むろたさん!むろたさん!」




 こんなに早く来たことなんてなかったから、知らなかった。

 私の職場、住宅展示場は10時に開くけれど、出社は9時だ。

 制服に着替えてから、掃除とか、当日の来客予定を確認したりして過ごすのだけど、今はまだ、8時ちょっと過ぎ。


「もう来てんの?」


 冬馬がいたことに、驚く。


「春香、今日は早いんだね」

「うん。ちょっと。冬馬、いつもこんな早くに来てるの?」

「そうだよ」


「暇なの?」って言ってみたくなったけど、なんか笑えない気がしてやめた。


「決算セールだから?」


 3月の決算イベントは、一年で一番盛り上がる大忙しの月なのだ。


「いや。ずっと。普段からこう」


 やっぱ、暇なんだな。


「お前は、どうしたの?セールの準備大変なの?」

「ううん。私は別にノルマとか無いし、いつも通りなんだけど……」


 周りを見渡す。

 まだ、誰も来てない。


「むろたさんって言うの」


 嬉しさ大爆発で教えてあげた。


「あの、オジサン?」

「そう。……って、そうなんだけど、オジサンって言わないでくれる?むろたさん!」

「はいはい。なんで分かったの?」

「守衛さんに聞いてきた」

「は?!」


 冬馬の驚きが見れて、なんだか嬉しさ倍増。


「何やってんの?」

「え?自転車の人がハンカチを落としたって言ったら、むろたさん、かなだって、うっしし~」

「うっしし~、じゃないよ、ストーカーじゃねーか」

「こうでもしないと、進展しないんだもん、しょうがないじゃん」


 冬馬の説教がうるさいから逃げた。


 とりあえず制服に着替えたけど、やることが無い。

 むろたさんの出勤時間は、決まって9:15だ。

 窓拭きは、その時まで取っておかなくちゃ。


「冬馬、なんか手伝うことある?」

「ああ、犬小屋の掃除してくれるか?」

「え!私、犬好きじゃないのに」

「よろしく」


 箒と塵取り、雑巾の3点セットを渡された。


 今年の決算キャンペーンのキャッチフレーズは「ペットと暮らす家」ってことで、イメージしてもらいやすいように、犬のレンタルをしている。もちろん、躾けの行き届いた良い犬たちだ。


 むろたさんは、どんな家に住んでるのかな……なんて、想像してしまう。

 犬とか飼ってそうな気もするし、自転車ばっかりの男の人っぽい部屋のような気もする。


 妄想してたら、アッと言う間に9時が近くなっていた。

 慌てて、布巾と窓拭き用の洗剤を持って、二階のリビングに上がる。

 この戸建ては、向かいの会社がよく見えて、しかもサボってることがバレにくい、特等席なのだ。


 ブッシュと泡を目の前にやってしまうと、見えなくなるから「はぁ~」と息をかける。

 適当に右手をクルクルして、窓を撫でる。


「あ、来た!」


 顔を近付け過ぎて、窓にぶつかってしまった。


 守衛さんに呼び止められて、むろたさんは首を横に振っていた。


「わーい、いつもよりちょっと長く見れた。ふぅ~。ずっと見てたいよぉ」

「お前、心の声がだだ洩れてんぞ」

「はーい、すいませーん」


 行こうとしたら、冬馬に腕を捕まれた。


「おい!」


 そう言って、窓を指さしている。


「あっ」


 私の顔の油が……おでこと鼻の跡がべったりついていた。


「ひゃー!」


 ブッシュ、ブッシュ、キュッ、キュッ。


「よし!」

「……」

「お願いだから、そんな冷たい目で見ないでください、冬馬さん」

「お願いだから、頑張って売上に貢献してくださいね、春香さん」




 花金は居酒屋が混んでいる。


「いらっしゃい。カウンターしか空いてないんですけど、いいっすか?」

「「はい」」


 生ビールで乾杯して、枝豆と出汁巻き卵を食べる。


「売上はいい感じなの?」


 営業職にはノルマがあって、それを超えるとボーナスが出る。

 事務職の私にノルマはないが、冬馬にはノルマが課せられている。


「お陰様で」

「なんか、おごって」

「いいよ」

「言ったな!私は行ってみたい店があるんだぞ」

「言ってみろよ。連れてってやるよ」


 カツオのたたきとチョレギサラダを追加注文した。

 それから、スマホをトコトコやって、見せる。


「エイジングビーフ、食べてみたい」

「エイジングビーフ?」

「寝かせた牛肉は旨味が増すんだって」

「へー、いーよ。ボーナス出るの再来月だから、ちょっと先になるけど」

「楽しみにしてる!」




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ