第19話 7月3週目
パリに戻り、シャンゼリゼ通りで行われた最終ステージのスプリント勝負を観戦した。
「NATSUKI、見てると走りたくなってくるな」
「ああ!」
熱い思いが駆け巡る。
3週間、走り続けた男達の激走は、見ているこちらの血をたぎらせた。
「明日、帰国するんだ。最後の飯に彼を呼んだらどうだ?」
連れ回してしまったステファンは……楽しんだとして、一人留守番をさせてしまったパートナーには悪いことをしてしまった。
「いいのか?」
早速、電話をかけたら、快く誘いに応じてくれ、二人の行きつけだというビストロに連れて行ってくれた。
合流するなり、濃厚なキスをする二人。
いや……ちょっと……そっと秋子を見る……傷ついてないか……?
フランス料理はコースメニューのイメージが強いが、家庭料理は案外、取り分けて食べる料理が多いものだ。
私がとりわけ好きなのは、白い豆の煮込みと、カモのコンフィーだ。
秋子は牛肉のタルタルと、軽く焙っただけのステーキだ。限りなく肉食。
今回の旅行で、秋子について少し詳しくなった。
デカい荷物は見かけ倒しじゃない。
いくら飲んでも、赤ワインでは酔わない。
熱い風呂が苦手、風呂上りのアイスクリームは2つ食う。
いじってるつもりはないが、本心を突かれると、赤くなって、可愛く怒る。
結婚して、5年、一緒に住み、職場も同じであるにも関わらず、実のところあまりよく知らなかったんだなと気が付いた。
そして、好きな人、ステファンには、心からの笑顔を向ける。
やり直せるだろうか。
秋子、見ての通り、ステファンにはもう、パートナーがいるんだよ。
君のパートナーは私だ。
これからは、その笑顔を私に向けて欲しいが、どうしたらいい?
別れ際、「明日は見送りに行けなくてごめん」とステファンが言った。
ずいぶんと仕事を休ませてしまったし、うちの会社だからクビにはならないけど、相当な仕事が溜まってしまっているだろう。
「ありがとう、ステファン、またな」
そう言って、ハグをした。
「ステファン……」
秋子は薄っすら涙を浮かべ、力強いハグを何秒もしていた。
世間の学生が、夏休みに突入した空港は、恐ろしく混んでいた。
ベルトコンベヤーから流れてくる、大型の荷物を小刻みに何往復もして、宅配サービスまで運んだ。
「いったい、なにを買ったんだ」
「そんなに、買っていません」
目を合わせないで答える秋子。
「確実に、増えてるだろ?」
「同じですよ」
口を尖らせて、見え透いた嘘を付いている。
もちろん、怒っているわけじゃない。私はどうやら、秋子のこの表情が好きみたいだ。
笑いを堪えながら、送り状に住所を書いてゆく。
「ほら、一枚くらい自分で書け」
そう言うと、ハッとしたように、住所を書き始めた。
手ぶらで空港から出ると、じめっとした空気に溜め息がこぼれた。
「暑いですねぇ」
「ああ」
フランスで見たレース、景色、味わった料理、秋子への想い、いろいろと振り返りながらリムジンバスに乗った。
「このまま、会社に寄りませんか?」
「そうだな」
よく見たら、秋子は会社への土産をちゃんと持っていた。
「すまない。持つよ」
「ありがとうございます」
会社の経費で、視察と言う名の旅行に行かせてもらい、土産を渡しただけで、こんなにお礼を言われている。どうにも理解は出来ないが、現実に、それは起きている。
「いや、夏生君、秋子を案内してくれてありがとう。自転車は見れたのかな?」
「はい。何カ所か連れて行ってもらったけど、特に山岳が最高でした」
「そうか、そうか」
溺愛されて育った、一人娘の典型なのだろう。
「飛行機は大丈夫だったか?ビジネスクラスで行ってよかったんだぞ」
「いいえ、エコノミーで充分でした」
その後も、ホテルは?食べ物は?と、何から何まで聞かれ、秋子は丁寧に答えていった。
ただ一つを除いては……
「向こうで現地採用したスタッフと会ったか?」
「はい」
「どうだった?頼れそうな人か?」
「はい」
急に、二文字で返事をし始めた。
「例の提案はどうだ?引き受けてくれそうかね?」
「それは……」
例の提案?
「夏生君はどう思うかね?」
「あ、え、と」
秋子が明らかに動揺している。
「秋子さんにお任せしようかと……」
こんな感じでどうだ?辻褄は合うか、秋子?
じっと、こっちを見つめ、小さく頷いた。
なら、よかった。
「秋子、ちゃんと夏生君のアドバイスも聞きなさい」
「はい」
気まずい雰囲気のまま、二人で部屋を出た。
こちらから聞いた方がいいのか?
切り出されるのを待った方がいいのか?
黙ったまま、駅まで歩く。
「たまには電車もいいぞ」
なんの気なしに言ってみる。
「父が……社長がね、ステファンを日本に呼んだらどうかって言ってるの」




