8・マリン・ロテシュ(ミシェルSide)
「何だと?マリンがこの屋敷を人目を避けて抜け出しているだって?」
グランバード家で長年働く、執事からそう報告を受ける。
この執事のスミンは、祖父の代よりこの家に仕えてくれている信用のある人物だ。だから言うことに間違いはないだろう。
──だけど…どうして抜け出す必要があるんだ?
外出したいならそう言って、正面から出掛けたらいい。特に外出を禁じた覚えは無いんだが?
『マリン・ロテシュ』
このグランバード公爵家の天敵とも言えるロテシュ伯爵家の令息だ。ある日突然、聞いたことも見たことも無いようなロテシュ家の次男との婚約が決まった。
──青天の霹靂とは、正しくこの事だな?
私は公爵家の嫡男だ。本当ならば自ら選んだ人と結婚出来るのは当たり前。私に選ばれるなど光栄だと人々は思うだろう。なのに…
何故あの家の次男と?おまけに相手は男性。それに王からの勧めでは、どうやっても断わる事も出来ない。おまけにロテシュ家に次男など居ただろうか?そんな疑問が浮かぶ。
それで監視の為にロテシュ家に間者として入り込ませている者に聞いてみると…妾腹の者で最近まで平民として暮らしていたという事実が分かる。
──そのような者を私にだと?バカにするにも程がある!
私は腹立ちを抑え切れずに、こうなったら自分から出て行くようにしてやろう!と画策することに。あからさま過ぎると我が公爵家の威信に関わるけど…そうだ!部屋だけしか与えないのはどうだろう?一切合切を運び出してしまって、ガランとした空の部屋だったとしたら、さぞかし困るだろうな…泣くかも?
どうせ我が家は気に入らないだろうし勝手に用意するだろう。それで自分の置かれた立場を自覚すれば上々だ!
後はそうだなぁ…ずっと無視を決め込めば、その内出ていくんじゃないか?
そう決めた次の週、とうとうマリンがこの家にやって来た。そして現れたマリンを一目見た私は、自分のそんな行動を後悔することになって…
──あれがマリンか…うーん、嫌がらせはやり過ぎだったかもしれない…
実際のマリンは思っていたのとは違って、遠慮がちな大人しい性格だった。どこかオドオドとして、どうして良いのか分からないような…弱々しいタイプ。
元平民という事で健康的な少年をイメージしていた私は、顔は青白くて髪は金髪だが艶がなく、伯爵家で置かれたマリンの酷い扱いが目に見えるようだったことにショックを受けて。それに…
──顔は…まぁ可愛らしいな!
緊張からか目が泳いでいるけど、大きな栗色の瞳がくるくると動いて、小動物のような印象を持つ。それにぷっくりとした小ぶりの唇が可愛らしい。
──ちょっと待て!そんなふうに思ってどうする。無視するって決めただろう?
ヤバい!私は自分を戒めるように叱咤し、マリンに対して決めた通りに冷たい態度で接することに。案の定、部屋を見たマリンは大きなショックを受けたようだった。
だけど流石に私も大人気なかったよな?って、それ以上の嫌がらせはやめる。
世話をする為のメイドも与えてやったし、三度の食事だって…
後は心を鬼にして、徹底的に関わらないようにした。マリンはめげずに何かと私に関わろうとしたけど、期待を持たせる方が悪いだろう?
私はマリンを愛するつもりはないし、出来れば結婚は避けたい!だから期待させちゃいけないんだと自分に言い聞かせる。
そして…それから一年余り経ったあの日、何かが変わった。
あの何事にも遠慮がちだったマリンが、今までとは全く違う…そんな人に変わっていた。