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第3章|砂漠に広がる影と都の変遷


『風と革命のあいだで ― ウマイヤからアッバースへ』



(場面:イラン高原からシリアへ向かう旅の途中。乾いた風に吹かれながら、三人は古代の要塞都市の遺構に腰を下ろす)


リィア「……この辺り、紀元8世紀にはすでにイスラーム帝国の支配下だったのよ。ウマイヤ朝って聞いたことある?」


セイル「うまい屋? お団子の店みたいな名前だな」


エファ「……真顔で言うことじゃないわよ。いい? ウマイヤ朝は661年に成立した、イスラーム最初の“王朝的な政権”。カリフ世襲制を導入したの」


セイル「あれ? もともとカリフって選挙じゃなかったっけ?」


リィア「そう。初代アブー=バクルから第4代アリーまでの“正統カリフ時代”は、選挙や合議によって選ばれてた。でもその後、アリーが暗殺されて……」


エファ「出てくるのが、ムアーウィヤ。シリア総督だった彼がダマスクスを本拠にして、新しいカリフ=“ウマイヤ朝”を開いたのよ」


セイル「シリア!? なんか遠くまで来たな……てか、マディーナはどうしたの?」


リィア「政治の中心がマディーナからダマスクスに移った。それはね、“アラブ人至上主義”を前面に出した体制づくりだったからよ」


エファ「要するに、征服活動を通じて得た広大な支配地――西はイベリア半島から、東はインド西部まで。それをアラブ系の支配者が上から押さえる形にしたの」


セイル「でもなんでそんなに広がったんだ? そんなにみんな改宗したのか?」


リィア「改宗よりも、軍事力と課税制度が大きい。非アラブ人や異教徒に課税したり、アラブ人に特権を与えたり……それで支配が成り立ってた」


エファ「でも当然、不満はたまるわよね。特に“マワーリー”――アラブ人じゃないイスラーム教徒には辛い制度だったから」


セイル「また覚えにくい単語きたー。“マワーリー”? パワー系のマッチョ集団か?」


エファ「違うわよ。“マワーリー”は、非アラブのイスラーム教徒。アラブ人と同じイスラム教徒なのに、差別されてたの。だから……」


リィア「746年、ホラーサーン地方を中心に、彼らが反乱を起こす。これが“アッバース革命”。そして750年、ウマイヤ朝は滅亡する」


エファ「次に出てくるのが“アッバース朝”。新首都はバグダード。ここからはまた新しい文化の時代が始まるのよ」


補足:この会話で扱われた歴史要点


用語解説

ウマイヤ朝(661–750)初の王朝制カリフ政権。首都はダマスクス。アラブ人至上主義を採用。

ムアーウィヤ初代ウマイヤ朝カリフ。シリアの総督から即位。

マワーリー非アラブのイスラーム教徒。差別的待遇を受け、不満が高まる。

アッバース革命(746–750)ホラーサーン地方を中心にマワーリーなどが蜂起、ウマイヤ朝を打倒。

アッバース朝(750–1258)ウマイヤに代わる新王朝。バグダードを首都とし、ペルシア文化と融合した。



◉一問一答が解ける重要事項(会話にすべて含まれています):

1.正統カリフ時代の終了は? → 第4代アリー暗殺後

2.ウマイヤ朝を開いた人物は? → ムアーウィヤ

3.ウマイヤ朝の首都は? → ダマスクス

4.ウマイヤ朝の特徴的な政策は? → アラブ人至上主義・カリフ世襲制

5.イスラーム世界の最初の“王朝”は? → ウマイヤ朝

6.ウマイヤ朝の領土拡大の西端は? → イベリア半島

7.東端は? → インド西部(シンド地方)


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