第四章|イェニチェリの影と法の詩
『法と剣と祈り ― スレイマニエの丘にて』
――恐れられる力と、敬われる秩序のあいだで。
【舞台】
かつてのオスマン帝国の中心、イスタンブール。
ドームの街を見下ろす丘に建つ荘厳なモスク――スレイマニエ・ジャーミィ。
国家の象徴であり、**法と信仰、軍と民の“均衡”**を体現する空間。
そこに立つのは、立法者スレイマンが遺した、力と秩序の記憶。
(高台から都を見下ろす三人)
セイル「……でかすぎだろ、あのドーム。あれが、王様の“祈りの家”かよ……」
エファ「建築って、権力のかたちでもあるのよ。“どこまで届くか”を、見せるための」
リィア「スレイマン一世は、征服者でありながら、法の整備者でもあった。“法典”によって帝国を縫い合わせた王よ」
(モスクの中庭に入り、幾何学模様の中を歩く)
セイル「でもさ、戦争で国を広げた王が、“法”とか言って、何が変わるんだ?」
エファ「……それ、あなただから言える言葉ね」
セイル「は?」
エファ「本当に“力”を握った人が、なにを一番怖れるか知ってる? “自分が死んだあとの国よ”。だから法を遺すの」
(モスク裏手のマドラサ=学院。子どもたちがコーランと法学を学ぶ)
エファ(声を潜めて)「女の子も学んでる……びっくり」
リィア「オスマン帝国では、イスラム法のもと、スレイマン法典と“シャリーア(宗教法)”が併存していた。
人びとは“法学者ウラマー”のもとで争いを裁かれ、信仰と社会を調和させた」
(兵舎跡へ移動。かつての“イェニチェリ”たちの演習場)
セイル「ここで、あいつら……キリスト教徒の子どもが“国家の剣”に育てられたのか……」
(壁には“剣の誓い”が刻まれた銘文)
“スルタンに命を捧げ、法に背かぬこと”
“神に最も近く、民の声に最も遠い者たれ”
エファ「……近くて、遠い……それって、軍人に向けた言葉?」
リィア「そう。“民を守る者”としては近くに、“政治に口出しせぬ者”としては遠くに」
(セイルが訓練場の土を握る)
セイル「オレには、無理だ。誰の命令かもわからずに、剣だけ振るうなんて」
エファ「でも、彼らはそうすることで、“国家に守られる存在”になったのよ。
イェニチェリは貧しい子にも地位を与えた。“選ばれた兵士”だったの」
(夕暮れ。モスクの尖塔からアザーン=祈りの声が響く)
アザーン(遠くから)
“アッラーフ・アクバル……神は偉大なり”
エファ(空を見上げて)「……ねぇ、リィア。
人を支配する法って、信じることとどう違うの?」
リィア「信仰は心を縛らない。法は行動を縛る。
でも――両方を手放したとき、人は“力”しか持てなくなる」
(モスクの影に、廃墟となった旧イェニチェリ兵営が映る)
セイル「オレは、守りたいだけだったんだよな……
なのに、いつの間にか、誰に従って剣を振るってたのかも、わからなくなることがある」
エファ(静かに)「……それでも剣を抜くあなたを、私はちゃんと見てるよ」