05
徐々にね
「え、この顔はいけませんか?」
切れ長の涼しげな目元が、突然叫びだしたあたしの様子に、ほんの僅かに見開かれる
長い髪は、さっきの狼と同じで黒く艶やかで、さらり としていて
頭からはふさふさの獣のような耳が飛び出していた
全体的に見ても、何度瞬きしても見直しても美形
美形といえば、物語ではこういう場合、最も注意しなければいけない人種
要注意、触るな危険、触らぬ神に祟りなぁぁーしッ!
「これならいいですか??」
次の瞬間、彼はファンタジーっぽい獣人だった、
頭は狼で、長めの毛皮…いや髪の毛?を持つ、毛深くはあるけれど人型の
「ひゃう?! ご、ごめんなさい顔が良いのが悪いんじゃないの
ちょっとここまで顔がいい人と遭遇するのは初めてで
びっくりしたっていうかでもなんか親しみやすいから
その姿でいてもらえますかホントスミマセンゴメンナサイィィイイ!!」
腰と背中を抱かれているので、うんうんと腕を突っ張ってもそれ以上離れることはできなかった
恐らくその服の下も毛皮込みなんだろうけど、毛皮プラス布って、
触り心地がなんだか薄い座布団みたいだなーって現実逃避が一番危険だから!!
混乱しつつも、ぐいぐいと押し退けようと腕を突っ張るんだけど
見た目通りに彼は頑丈らしく、あたしが渾身の力で押しているとは露ほども思っていないみたいで
犬猫がじゃれているように感じるのか、くすくすと笑ってふにふにとあたしの身体を押してくる
彼の背後に見える尻尾はご機嫌に揺れていた…!
「んぅう?!」
突然のさわり、とした感覚にぞくぞくっと背中を駆け上がる感覚を覚える
み、みみみ、みみがっ、お、おしりぃぃいいいっっ
「まぁるい耳ですね…遠目には猿の種のように感じたのですが、違うようです……
毛皮が全くありません…もしや剥ぎ取られてしまったのですか?」
すりすりと撫でるような感触と共に耳に直接吹き込まれるように聞こえているのは
ももももしや鼻先ですりすりしてるの?!
その上、お尻のあたりを丁寧に撫でるようなこの感触は……!!
「尻尾も…痕すらありません」
いやいやいや違うからね!
尻尾はもともとないんだよ!! 千切られた痕とかそんなのないからね!!!
!!
あ、あたしぱんつ穿いてないぃぃいいいい!!!
「ぁう、あの、はな、はなしてくださぃぃいいい!!」
「?、どうかしましたか?」
「あのあのあのっ」
まさかぱんつ穿きたいとも言えず、思わず力んだ拍子に
とろ……
~~~~~~~~~ッッ!!!
「?、何でしょう……甘い…血の匂いですか?」
「きゃぁぁぁぁあああああああッッ!」
どこか怪我を?、と心配そうにワンピースの裾に手を掛けてくる彼に、
いよいよ戦々恐々となったあたしはそのヘンの草をわし掴み
ぶちぶちぶちっと引き千切って力いっぱい前へ押し出した
「ふぐっ?!」
拘束が緩んだ隙に腕から抜け出して、若干涙目になりつつも急いでぱんつに足を通す
慌てて掴んだ所為か間違えたけど、このさい洗ったばっかりで濡れてようが何だろうが関係ない!
濡れた下着に手縫いの生理用パッドを仕込んでいると、
鼻を押さえて涙ぐんでいた彼が復活したらしく、よろめきながらも謝ってくる
「す、すみません、何か悪いことをしたのでしょうか……?」
「い、いえ、心配してくれたのは分かりますからっ」
ようやく鼻から手を離し、彼はこちらににじり寄って来た
いやあの、来なくていいから!!
「しかし、」
まだ血の匂いがします止血をしなければ、と
心配そうに、あたしの手首をやんわりと掴んでくる
心遣いはありがたいんだけど、ほんともう結構ですから!!
「ぁの、も、もういいから……っ」
「ッ!」
「え…?」
余計涙目になりつつも途切れ途切れに訴えると
今度は、何が彼をそうさせたのか、彼はうずくまるようにして地面に伏した……
「……あの?」
え?、なに??、病気???
もしかしてさっきの顔面パンチ、そんなに尾を引いてるの??
「だ、大丈夫……?」
「大丈夫です……
成人して四年経ちますが、初めて大人になったことを実感しました」
「え?」
「いえ、何でもありません」
「…そ…う?」
「ところで話は戻りますが、止血を」
まだその話引っ張るの?!
「だ、大丈夫だから!!
これはなんていうか、怪我でも病気でもないから!」
「遠慮はいりません、医療系の術なら心得ています」
「遠慮じゃなくて!
え、っと、その、これは生物として当然のことというか
むしろ、健康が証明されているというか!!」
「?、つまり??」
「つ、つつ、つまり、えー…あー……」
落ち着いて都子!
別に恥ずかしいことでもなんでもないんだから!!
人として健康な証拠だもん、それに医療を心得ているならお医者さんってことでしょ?!
恥ずかしくない恥ずかしくない
むしろ、いつまでもこの遣り取りを続ける方が
恥ずかしいというよりむしろ拷問というかっ!!
「せ、生理なの、生理現象っ!」
「つまり貴女の種はこれから発情期ということですか」
……え?
「犬の種や狼の種の系統なのですね、
女性である貴女にそこまで言わせてしまうとは…失礼しました
貴女のような素敵な方とこんな風になれるのはとても喜ばしいことです
早速子育てに最適な家を建てましょう
大丈夫です、わたしはこういったことは初めてですが、
父母や歳の離れた兄姉の子育てはちゃんと見て学習していますし、手伝いもしました
弟妹や甥姪が多い分、一般家庭よりも子育てに関する経験は豊富です」
……はい?
「何も心配はいりません、総てわたしに任せて下さい
子供は見つけ次第わたし達の子にするとして、家は早急に造りましょう
豊富な水源と豊かな実りのある、草木の多い過ごしやすい所がいいですね
こんなこともあろうかと子供の頃から良さそうな場所は何十箇所か見つけてあります
今から行ってみましょう、その中に貴女の気に入った場所があればいいのですが……」
何故か溌剌とした様子の彼の耳がぴんと立ち、尻尾はぐいんぐいん振られている
テキパキとあたしの荷物を纏め、呆然と息つく暇もなく喋る彼を眺めること暫し、
彼の言葉を半分ほど聴いたところで、やっとあたしの頭に血が回ってきた
そ、そそ、そうだよ、動物で生理がある生き物ってそんなにいないんじゃなかったっけ?!
他の動物のことはあまり分からないけど、
犬については、いつかぷりんの仔犬が生まれたらなー、って思って勉強したことがあるから
ちょっとだけ知ってる!
猫には生理は無いけど、犬には生理があって
人間と違って生理の後に妊娠可能になるんだって本に書いてあった!!
つ、つまり、生理のある動物は少ないのに生理発言をしたということで
あたしは、その、彼の言うところの犬の"しゅ"?ってことになって
これから子供が作れますよ、ってことで
つまり一緒に子供を作りましょうってことに?!
あ、いや、でも、見つけ次第わたし達の子にしましょう??
見つけ次第って空から落ちてくるあのシャボン玉の?
あーうー、兎に角そんなの後でいいからこの人を止めないと!!
「あ、あのっ、まだだから!!」
「?」
「あの、えー、うー、あのあの、あたしの"しゅ"?…は、
ちょっと特殊というかっ!!」
「といいますと?」
「生理の後すぐ発情期ってわけじゃなくて、あの……
他の"しゅ"とは逆なのっ!」
「…そうでしたか
わたしの早合点だったのですね」
途端に耳がへにゃりと伏せ、尻尾はだらんと力なく垂れた
……なんでそんながっかりしてるの?
それは兎も角、誤解も解けたところで改めて自己紹介し直すことになった
いや、もう、名前も名乗ったわけだしいいんじゃない?
この人はこの人で自分の用事とかあるんじゃないの??
と思ったんだけど、まさかそんな水を差すようなことを言えるはずもなく……
日本人って悲しいね!
「先程は失礼しました、改めて自己紹介させて下さい
わたしはユンファイエンス、
レヴァルヴム=セレスセラス・ミュリアル・リュ・カ・ユンファイエンス
所用があって、各地を廻っています」
な、名前、長っ
「う、あ、え、き、如月都子です」
「貴女も旅を?」
「う、は、はい」
「どうも貴女の装いを見る限りでは人里は避けているようですが
失礼ですが…何か理由でも?」
よそおい?
よそおい…って……あ!、服装のこと?!
そそ、そりゃそうだよね、こっちの服とはいえ、わざわざ肩紐なんてつけてサイズの合わない服を着てるわけだし……あれ?
あれ?、もしかしてあたし……不審者?
「あ、う、えっと、あの、あ、あたし実は旅行中に財布をなくしちゃってっ!
だからその、それで買い物も出来なくなって、
仕方が無いから森で採った食べ物を狼に物々交換してきてもらったから、こんな格好で!」
ひぃぃ何この言い訳、苦しいっ苦しいよソレは都子!
「大丈夫です、咎めるようなことはありません」
「ぇ…と……」
えー、言わなきゃだめ?
え?何その小さい子が悪いことしちゃったのを
あらあらしょうがないわねえ みたいに慈しむような顔…
「あの…う……」
「はい」
「その…う……」
「はい」
……ダメですか、そうですか
うぅぅ、でもまだ言い訳考えてない、どうしようどうしようっ
そ、そうだよ、とりあえず無難なところから…!
「えと…す、姿が、その」
「違うからですか?」
そう!、そうなの!!
ずばりその通り!!!
こくこく頷くと、彼は なるほど、と納得してくれた
少し思案気に眼を伏せていた彼は、更に質問をしてくる
「では、いままでに人里に下りたことも?」
「ない…です……」
答えてから気がついた、あれ、今の返事まずいよね?
人里に下りたこと無いって、あたしどんな野生児なのか、っていう、ね?
「では、何故故郷を離れたのですか?」
「え、う、その、」
「何か止むを得ない事情でも?」
「はあ、まぁ……」
「これも何かの縁です、わたしに話してみてはどうですか?」
いい…のかなぁ……?
え、これはなに、罠?
罠の可能性もあるよね??
信じていいの?、どうするあたし、いやでも…でも…うーぅー……
初めて会った人に対して親切すぎるよね?
あたしお年寄りでも小さな子でもないのに……
!!、騙されて見世物小屋に売られる?!
いや、でも、うー……
「貴女のようなか弱い女性が独りでこのような場所にいるのです
余程の事情があるのでしょう
失礼ですがご家族は? 頼れる者はいないのですか?」
「…かぞく」
思わずぽろりと呟いたその言葉は、我ながら随分と沈んだ声だった
そうだよね、これはチャンスかも
罠だったとしても、彼に聞いてみれば何か手掛かりを聞きだせるかも知れないし、うん
「実は……」
「はい」
「家族と逸れちゃって…突然、はなればなれに…なって…
探そうとしているんだけど……」
「姿の事で人里にいけなかったのですね」
こくんと頷いて、ぎゅぅっと頬を抓った
また涙声になってるし……
ヘンな人だと思われるだろうけど、でも我慢…がまん……
「そのようにしては、痛いばかりでしょう
随分、ご自身に我慢を強いていたのですね」
「あ…り、がと……う」
痛ましいような顔であたしの手を頬から外し
抓った部分を労わるように撫でてくれる……
優しい人なのかなぁ……
そうだといいな…そうだといいのに……
家族がこんな優しい人に保護されてたらもっといいのに
あの……
もういいよ、もう優しくしてくれなくても落ち着いたから
ほんとに泣きそうになるから、もう、かんべんして……
「わたしの旅に同行しませんか?」
「え?」
「先程も言ったように、わたしは所用があって各地を廻っています
その旅に、貴女も同行しませんか?」
「あの…でも…用事があるんでしょ?
お邪魔じゃ……」
「そんなことはありません」
「でも……」
「旅は、ただ各地を廻るだけという状態に近いのです
わたしにも貴女の手助けをさせてくれませんか?」
「そんな……」
「では、こう考えてみてはどうですか?
貴女は人里に下りた事が無い、ですから貴女の常識が通じないことも多いでしょう
色々と不都合もあるかもしれません
ですから、そうならないよう わたしを利用してみてはどうですか?」
言ってくれてることは分かるけど
「利用だなんてっ」
「ふふ、優しいですね
では、わたしが一人旅で寂しいので
華を添える意味で、ついて来てはくれませんか?」
……。
いいのかなぁ……
どうするあたし、この人に頼ってみる?
口が上手いというか、上手すぎるのが気になるけど……
でも怖い感じはしないし
あたしを保護してくれてた動物たちも、
いつもは傍に必ず一匹はいたのに、今は心配事もないかのように傍にいない
信じてもいいかなぁ……
信じてみる?
信じようか……
「…あの…よろしく、…お願いします」
「はい、こちらこそ宜しくお願いします」
姿が狼の獣人なのに
あたしの返事に、快く返事を返してくれた彼は
柔らかな笑顔で、あたしの不安を軽くしてくれた
信じようか……
信じよう、都子
もし、総てが嘘だったんだとしても
彼が、あたしを慰めてくれたのは事実だから
その彼を、信じよう
「あの、改めてお願いします
ればるぶむさん」
気持ちを改めるように、そういうと
彼は、少し首を傾げると、ふふふ、と笑いながら応えてくれた
「こちらこそ
わたしのことはユンファイエンス…ユンと呼んで下さい
貴女のことは都子さんとお呼びしても?」
「は、はい」
握手を求めてくる手を慌てて握り返すと
彼はあたしの手を、大きな手で包み込み、安心するような笑顔を向けてくれる
「そのように硬くならず、自然に振舞っていただけると嬉しいです
わたしのコレは、父親譲りなので」
「は、ぁ、う、うんっ」
言われてみれば、あたしは彼の敬語に釣られて随分ヘンな喋り方をしていたな、と思う
そこまで考えて、あれ?、と気付いた
彼…ユンはさっきから
日本語……話してるよね?
あれ??
徐々にキーワードの温度差が効いて来るといいなぁ、という感じです
彼女は全然そういう意味で言ったんじゃないんだけど、彼の解釈では…みたいな