03
ルヴガルドが呼び出しを受けたのは、相も変わらずうじうじとカビが生えそうな様子の彼を心配した兄弟が無理やり部屋から引きずり出し、酒で鬱積を吐き出させようと酒樽を片手に実力行使してくる兄弟たちに辟易し四方八方からの猛攻をいなしているときだった
(ルル兄さん、今空けられますか?)
(大丈夫だ)
相手は弟のユンファイエンスだ、先日父親から聞いた話しでは弟の迎えた妻は少々特殊らしく、彼はその護衛の補助を言いつけられている
まぁ、実際には少々などという規模の特殊さではないがレヴァルヴムでは些細な個性だ
毛皮の模様だとか牙の長さだとかその程度のものでしかない
しかし一応、万全を期す為に弟嫁の毛色が変わっていることは夫である弟の他には自分と父母だけの内々に留め、こうして頭の中だけで会話を続けている
(妻の保護をお願いします)
(場所は)
(レンヌレンダードの街の中央通りに面した縫製品店です
空間を歪めたくないので直接の転移はできないようにしてあります)
(どこまで可能だ)
(街を間五つ跨いだデュアグヴィリオブまでなら、その先は誘導します)
(ああ)
縫製品の店など用がないので滅多に行かないルヴガルドは当然のことながら地元の店以外わざわざ出先でそういった店に入ることなどなく大体の方角すら怪しいほどだが、それは大抵の者に当て嵌まることだろう、自分が住んでもいない土地の地理に詳しい者はそうそういない
誘導するという言葉にやや安堵を覚えた彼はいまだに続く自棄酒強要をかわしつつ室外へと進路をとった
……が。
『用事ができた、すまないが、』
『ルル……、キミは、お兄ちゃんの酒が、呑めないって、そう言うのかい?』
―― 一際小さな兄に素敵な笑顔で凄まれた
『?! いや、そ、』
『お兄ちゃんは悲しいなぁ、みんなキミを慰めようと心を砕いているのに
いつからキミはそんなに意固地で他人行儀で薄情な子になってしまったんだい?』
『ちが、』
見た目は誰が見てもかわいいかわいいハムスターのルルヴィスである兄だ
色白で瑞々しい肌に淡い薔薇色の頬と唇、長い睫毛に縁取られた大きく赤い宝石と見紛うような目に、うねる白金の絹糸のような髪からぴょこんと飛び出たかわいらしい獣の耳と背後の尾
本当に自分よりも年上なのか? という何時もの疑問は兎も角として普段は自分のことを"お兄ちゃん"だなどと自称しないし、口調も現在のようなその容姿に最適且つ神経を逆撫でするような話し方ではない、勿論、全部わざとだ
ちゃんと分かっている、わざとだと分かってはいる
……が、幼い頃から上下関係を刷り込まれている上に、偶の傍若無人ぶりはさらりとあっさりしたもので深刻な事態では発揮されないので強い反発心を抱かせるまでには至らず、微妙な飴と鋭い鞭の結果、到底逆らえない
悲しい悲しいと憂い顔を作りながら飴でコーティングした鞭を撓らせる、その小さな身体で独特の拍を刻み小回りを利かせてルヴガルドの死角を突き、懐へ入り込み、凡そ冗談では済まされない一撃を連続で入れようとしてくる
人体に点在する急所を余すことなく的確に狙うその拳は小さいため、当たれば力は拡散することなく一点に全て注がれる立派な凶器だ
兄の独特の拍は相手の呼吸を乱し攻撃と防御を阻害する、丁度踊りの曲の合間に余計な合いの手を入れられると動きが鈍り最悪止ってしまうのと同じように、更に念押しに話し掛け、問い掛け、相手の思考まで阻害し
その上急所を避けても避けきるには間に合わない速度で繰り出されるソレは必ずどこかには当たる
仕方なく掌で直に受けることで凌ぐがソレにより辺りには破裂音にも似た衝撃音が小刻みに連続で響き、受けた瞬間 真空が生じるのか音に合わせて周囲のものが破損していく
後で女性陣に怒られるかと思うとルヴガルドは今から頭が痛いが、女達からすれば家具や食器は壊れるのに男達には掠り傷一つ無いのが腹立たしさ倍増である
自重しなくなると困るということで、それらのか弱い生活用品に保護の術が掛けられることもない
どちらにしても壊れるのだから掛けた方がいいと進言した別の兄弟は、際限無く暴れるようになったら困る! と女性陣のヒステリーの集中砲火を浴びていた、いつ思い出しても胃の辺りがしくしくと痛む気がしてならない
『いや、お兄ちゃんはちゃんとわかっているよ、キミは本当はそんな子じゃない
ボクらを心配させまいと傷ついていない素振りをしているんだろう』
『誤か、』
『でもボクらは家族じゃないか!
遠慮する必要なんてどこにもない、みんなキミが頼ってくれるのを待っているんだよ!!』
その、みんなであるところの他の兄弟は、テーブルやイスを端に寄せてルヴガルドと兄の周囲に充分なスペースと観覧席を作り、持っていた酒樽を開けて肴も用意し、そうだそうだと野次を飛ばして良い具合に出来上がっていた
なんとも情に篤い兄弟である、かっこわらい
(遊んでないでさっさとして下さい)
『あそッ?!』
呆れと若干の苛立ちが篭もった声が頭の中に響き、次の瞬間、彼はいずこかへ転送された
『なんだ もうお開きかい、つまらないな』
あっさりと戦闘態勢を解いた兄が樽から直にぐびぐびと酒を飲み干した後に兄弟に人気の肴を総取りして勝ち逃げしたことも知らず、転送された先でルヴガルドは丁寧にも別の部屋にあった筈なのに一緒に転送された装備と靴を履いていた
このように口達者な父親や兄弟に周囲をガチガチに囲まれて育った彼は、今ではすっかり立派な口下手に成長し、それが言い寄ってくる女達を拒絶しきれず なし崩しに付き合うことになり(それでもなんとか同時進行だけは拒否しているが、このままではそれも危ういと他の兄弟は賭けて……いや、心配して心躍ら……ではなくとても胸を痛めている)
わたしのことを好きじゃないのね?! とフられる原因の一端になっていることは本人以外の家族の誰もが気付いているが、誰も彼に教えることはない
殆どの兄弟が口達者なので、口下手の彼は兄弟間の数少ない嫁や姉妹以外の癒し担当であるからだ
(急いで下さい)
(急ぐのか)
弟の要求に、ルヴガルドはいましがた履いたばかりの靴をいそいそと脱ぎはじめ 脱いだ靴を腰へしっかりと括り付けると、彼は軽く身を屈め、跳んだ
(もう少し右、次を跳んだらやや左に)
ルヴガルドの視界を覗き見るユンファイエンスの誘導に従って、高い塔の壁面や屋根の上、樹木、崖の側面を渡り、手足を使って最短距離を往く
弟の頭の中には建造物や樹木、凡そ地形の大半が記憶されている
道形に従ったり建物の屋根を直線方向を向かうよりも、より跳躍し易い足場がある場所を最短距離で誘導してくれるからこそ、何よりも速い
(左、右、右……あぁ、不届き者です)
弟の声が、急激に冷えた
今現在 感情の共有まではしていないが、それでもその殺意はありありと感じ取ることができる
(落ち着け、お前は弱い)
(えぇ、よく、理解しています)
弟の頭の出来は兄弟の中でも随一だ、同時に幾つもの考えを廻らせ、知謀を策し、武力も備わっている……が、それでも、それ故に、ユンファイエンスは弱い
ルヴガルドは口が上手くない、頭も口も達者な弟を宥めるなど到底無理だ
しかも、普段であれば口下手なこの兄の言うことも余裕を持った上で慮りながら聞いてくれるが、残念なことに我がレヴァルヴムの男は基本的に殊自分の女に関することには絶望的なほどに心が狭い
先ほど組み手をした兄もその例に漏れず、掌中の珠を家族にもその片鱗すら感じ取らせたくないと名前も種も明かさない
こういった兄弟は雑踏に紛れるくらいなら兎も角 例えば自分の女に医者など一対一の相手が必要な時は目隠しや布越しで診察をさせる程だ、顔色の判断をどうやってさせているのか謎だが、恐ろしいことに こんな男が家族の何割かを占める
基本的に身内以外には冷淡で厳しいレヴァルヴムの男だが、中でも特にユンファイエンスは、若さ故になのか生来の根本的なものなのかは分からないが相手を判断し次第、選択の余地も無く対応をがらりと変える
ルヴガルドにできることは、弟が殺意を堪えているうちに義妹の下へ行き、代わりにその爪と牙になることだけだ
……でなければ
街は、ユンファイエンスによって血の海に沈む
次回更新は日曜の同じ時間です
※因みにハムスターの兄は期待を裏切ることなく音痴です