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ロバ耳の王様と渡り鳥の姫

 国でいちばん忙しく働くのは、民であってはならない。民が適度に働き、おだやかに暮らしてこそ国は富む。


 国でいちばん忙しく働くのは、兵士であってはならない。兵士が戦いに明け暮れていては国が疲弊する。


 ならば国でいちばん忙しく働くべきは誰か。

 それは王である。


 王は誰よりも国を思わねばならない。

 王はいつでも民を思わねばならない。

 私欲に溺れることなく、権力におごることなく、日々をつましく。

 その気持ちを忘れることがないように、神は王にまじないをかけた。


 馬ほど速くは駆けられずとも、牛ほど多くの荷を運べなくとも、少ない食べ物で地道に働くロバのように生きるように。

 王となった者の耳がロバのそれになるまじないがかけられた。


 ※※※


 冬のある日。

 雪に包まれたスカイズ王国の城のなか、若い王は執務机に向かって仕事をしていた。

 山と積まれた書類をあらかた片付けたころ、王の手がふと止まった。頭の左右に伸びる長いロバ耳がぴるぴると揺れる。


「……うーん、ミグラティバとの交流をどうするべきか」

「ミグラティバと言うと、あの渡り鳥の民ですか?」

 

 一枚の書類を前に頭を抱えた王の姿に、壁際に控えていた書記官が声をかける。

 

「ああ。数年に一度、気まぐれにふらりと立ち寄る異国の民族として認識してきたが、どうやら彼らは特定の住居を持たない移動民族らしい」

「その渡り鳥が、交流を望んでいるのですか?」

「文面通りに読むならば、そのはずだ」


 ひらり、手元の書類を王が書記官に向けた。

 うやうやしく受け取った書記官は紙を見て目を丸くする。


「『長耳王様、仲良くしましょ!』……? これは、友人にあてた手紙というわけでは無いのですか」


 紙に書かれた簡潔な文面を読み上げた書記官の疑問を受けて、若い王は長いロバ耳をひくつせた。

 

「ああ。鳥が運んできたから誰に宛てたものかわからず調べさせたところ、正しく私あてだそうだ」

「渡り鳥流の慣用句ということはないのですか。何か、文面以外の意味を持つ言葉であったりは……」

「『ミグラティバ』だ。渡り鳥という呼び名は我が国が勝手に呼んでいるだけだからな。無礼にあたるかもしれない」

「失礼しました」


 王が真面目ならば書記官もまた真面目。

 きちりと頭を下げた書記官に、王はうなずき手紙をふところへしまう。


「仲良く、の意図するところがわからないがひとまず手紙を運んできた鳥にはエサと水を与えて、帰るべき場所へ帰れるように。世話をする者へよく言い含めておいてくれ」

「かしこまりました」


 この話題はひとまず置いておこう、と次の書類へ手を伸ばすが。


 リンロン。リンロン。リンロン。


 国中に響く鐘の音が聞こえた。

 時を知らせる鐘だ。


「王様、休憩の時間です。一度、下がらせていただきます」

「ああ、もうそんな時間か」


 民が一番忙しくてはならない。

 ゆえに、王のそばで働く人々もまた日に二度、食事の時間とは別にお茶を飲み休息する決まりがあった。

 王は頷いて立ち上がる。


「ならば私は神に祈ってくる」


 誰よりも忙しい王にお茶の時間はない。

 けれども王を残して休息をとるには、側近たちが真面目すぎた。

 真面目な側近たちが気にしてしまわないよう、王は仕事机から離れることにしていた。

 そのための口実が、神への祈りだ。

 

「では、御用がありましたら鈴を鳴らしてください」

「ああ」


 書記官に見送られ、王が移動したのは執務室の続き部屋。

 『祈りの間』と呼ばれるそこにあるのは簡素な椅子が一脚と、天井近くの明かり取り窓がひとつきり。

 清貧を良しとする神に背かないため、飾り気のない扉を閉めてしまえば、ほんの小さな空間が出来上がった。


「ふう……」


 王は椅子に腰掛けて息を吐く。

 ひとりきりになってはじめて、肩の力を抜くことができた。

 王が年相応の青年らしい顔をしたところで、書記官をはじめとした側近は何も言わないだろう。神でさえ罰を下すわけではない。

 けれども王は王として振る舞うため、気を張らないわけにもいかなかった。

 他ならない王自身が、そう思っていたから。

 

 背もたれに身体を預け、高いところにある窓をぼうっと見上げる。

 疲れ切っているわけではなかった。誠心誠意、国のために働く王を周囲は大切にしてくれている。

 それでも、重たい何かが身体の中心にじわじわと溜まっていっているような気がしていた。


「はあ……」


 誰にも聞かせられないため息がこぼれる。


『はあ……』


 びくり、王の肩が震えたのは自分以外の誰かのため息が聞こえたせい。


「誰だ?」


 飛び上がってあたりを見回すけれど、狭い部屋にいるのは王ひとり。

 椅子ひとつきりの部屋で隠れるところなどあるはずもない。

 だというのに。


『だあれ? あら、聞かれたのはわたしじゃない。わたしはルリ。あなたは?』

「……クース」


 軽やかな声で問われ、思わず答えたのは名前そのものであるエクゥスではなく愛称だった。

 父王と母が余生をのんびり過ごしたい、と国を出てからは誰も口にしない呼び名。


『クースね! はじめまして。もしかしてはじめましてじゃないのかしら? わからないけれど。あなたはこの穴の中にいるの?』

「穴?」


 身に覚えのないことを言われて、王は壁をぐるりと見渡した。

 すると。


「穴……たしかに、穴があるな」


 簡素な部屋の床にほど近い壁に、ぽかりと穴があいていた。

 ねずみも通れやしないだろう。ほんの指一本分ほどのちいさな穴だ。

 その穴から弾むような声がする。


『ああ、やっぱり! 穴の中はどんなところ? やっぱりとっても狭いのかしら』

「狭い……まあ、広くはない」

『あなたはそこに住んでいるの? ひとりかしら。家族はいる?』


 矢継ぎ早な問いに、エクゥスは首をかしげた。


「まあ、ここに住んでいるといえばそうだ」


 祈りの間は王城の片隅にあるから、この部屋もまた王の住居といえばそうだ。


「家族は……いない。ひとりだ」


 両親は出かけていて、今はどこを旅しているとも知れない。

 そして部屋のなかにはエクゥスひとりきり。

 けれどその答えが誤解を与えたのだと、沈んだ返事で気がついた。


『ひとりはさみしいわね……』

「いや! ちがうんだ」


 誤解を解こうとエクゥスが慌てて穴に顔を寄せたとき。


 リーンローン。リーンローン。リーンローン。


 休息の終わりを告げる鐘の音。

 仕事に戻らねば。

 エクゥスは青年から王の顔になる。

 けれど立ち去り難く、軽やかな声が聞こえはしないかと、ちいさな穴をじっと見つめた。

 さっきまでにぎやかな声を届けていた穴はしんと静まり、ただそこにぽかりと空いているだけ。


 幻聴のたぐいであったのだろうか。

 きっとそうだろう。

 祈りの間があるのは城の最上階。穴のある壁に人が入り込めるほどの空間はなく、壁の向こうに足場はない。


「相手が鳥でもない限り不可能……いや、鳥がいたところで話すはずもない」


 頭をひとつふった王は、穴に背を向け部屋をあとにした。

 

 ⚫︎


 穴から聞こえる声は幻聴。

 そのはずだったのだけれど。


『ねえねえ! クースの好きな食べ物はなあに?』


 今日も今日とてエクゥスは穴の声と会話をしていた。

 はじめて言葉を交わしてから、そろそろひと月。

 毎日ではないけれど、休息時間に祈り間へ来ると、穴の向こうから声がするのだ。

 はじめは警戒してぼそぼそと返したり返さなかったりしていたエクゥスだが、今ではこの時間を楽しみにしてさえいた。


「……好き嫌いは良くない。出されたものは残さずいただくべきだろう」

『そういうお話じゃなくて〜。わたしはね、サボテンの実が好き!』

「サボテン、というとあの砂漠にあるという物体か。食べられるのか」

『物体ってなによ〜。ちゃんと植物なんだから。花も咲くのよ、きれいな花が!』


 王は国を置いて出かけるわけにはいかないから、エクゥスも外国のことは文献や伝聞でしか知らない。それゆえ、王の役目を果たした父は母とふたり、旅に出たのだ。長い間、どこにも行けなかった代わりに気ままな旅へ。


 そして今は王としてどこにも出かけられないエクゥスは、ルリの声に熱い砂漠を想像してみる。

 細かな砂に覆われた、ひどく暑い場所だと本で読んだことがあった。

 エクゥスの治める国は寒い時期の方が多い山間の国だ。暑い季節など無いので、花が咲く一番暖かい季節を思い浮かべてみる。


 雪山を砂に置き換えて。冷たい風を暖かく。


 ──サボテンは、トゲの生えた植物だったな。緑色で人の背丈より大きくなるとか。


 砂のうえにぽつりと生えた緑の木。実がなるならばどんな風だろうかとエクゥスは考える。


 ──リンゴのような実だろうか。それとも、もっと皮の厚い果物か……。


『でもね、実にもトゲが生えてるから、クースが食べる時は気をつけてね!』

「実にもトゲが……」


 そんな植物、見たことも聞いたこともない。

 もはや思い描くこともできなくて、エクゥスは面白くなってしまった。

 ルリと話す時間が楽しい。

 それは思いもよらないことをあれこれ教えてくれるからであり、未知を思い描く楽しさでもあった。


 けれどそれ以上に、ルリと言葉を交わす時間が楽しかった。

 王として生きることが嫌になったわけではない。

 国民は大切だ。

 国を守りたい。

 けれどその思いと同じくらい、クースとしてルリと過ごす時間が愛おしかった。

 特産の食べ物のこと、春に咲く花のこと。好きな色や音楽など。話す内容は大したものではない。

 それなのに、どうしてか


 彼女との会話が、ほんの短い時間で途切れてしまうことを惜しいと思ってしまうほどに。


『んふふ。驚いた? 驚いたでしょ! クースはきっと驚いてくれると思ってたわ』

「……ルリ」

『なあに?』


 ──きみはどんな姿をしているんだ。


 声からわかるのは女性だろうということだけ。

 それすらエクゥスの願望で、実体を持たない悪魔か、首だけ人のなりをした怪鳥のたぐいである可能性もあった。

 もしも魔物だと明かされてしまえば、王として国を守るために討伐しなければならないのだ。問えるわけがなかった。


 ──きみはどこにいるんだ。


 これまでの会話のなかで、国内にいないことはわかっていた。語られる異国の話は目新しく、食べたものやそこに暮らす生き物などを細かく教えてくれた。

 けれど聞いてしまえばふたりの間の距離を思い知らされるからと、口にできない。


 ──きみともっと話がしたい……きみに会いたい。会いに、行きたい。


 たったひとつの望みは、叶うはずもないと音にならない。

 自身はこの国の王なのだ、とエクゥスは言葉をのみこんだ。

 返事を待っているのだろう、ルリを思いながら唇をかみしめる。


 短い沈黙を惜しむように、穴の向こうから声がする。


『ねえ、クース』


 柔らかな声。


『これからわたし、ここを離れるの』


 ぴくり、エクゥスが肩をゆらしたとき。


 リーンローン。リーンローン。リーンローン。


 終わりを告げる鐘の音が鳴る。

 あわせて、ルリの声がふつりと途切れる寂しさはもう何度目か。

 けれど何度経験しても慣れることはない。


「慣れないまま、お別れか……」


 離別の言葉は途中で途切れたまま。

 ぽっかりあいた穴を見つめてエクゥスは動けない。

 いつまでも姿を現さない王を心配した書記官が扉を叩くまで、呆然と祈りの間に座り込んでいた。


 ⚫︎


 王は毎日、祈りの間へと向かったけれど、それきり声は聞こえないまま。季節は移る。

 雪が溶け、スカイズの国の寒さがほころびはじめる。

 王はその日も真面目に仕事と向き合っていた。

 寂しくても気になってしかたなくても、エクゥスは王なのだ。

 何もかもを投げ出して自分のために駆け出すことはできないと、しょげてしまいそうになる長い耳をぴんと立たせるほかない。

 

「王様、本日の書類です」

「ああ。ありがとう」


 書記官が運んできた書類、ひとつひとつに目を通していく。

 冬の間に起きた困りごと。これからの収穫期にしてしまいたいこと。急ぎではないけれど民の暮らしの改善案などなど。

 事前に側近たちが選り分けているとはいえ、届く書類は多岐に渡る。


「うーん、雪で倒木が出たか。数も多いな……木彫り細工に適した材とあるが、これからの季節は木彫りよりも畑仕事が忙しいだろうからな……」


 薪にするにはもったいないが、転がしておいても場所をとる。

 木工を行う民に相談だな、と担当部署を決めてメモ書きをした。


「さて、次は……」


 ひらり。取り上げた紙が軽やかに手のひらで踊る。

 目を落として、王は長い耳をひくり。


「またミグラティバからの手紙か」

「『もうすぐ会いにいくよ!』……ですか?」

 

 薄い紙にさらりと書かれた一文を目にして、書記官が首を傾げる。


「そういえば、前回は冬の最中に手紙が届いたのでしたか。仲良くしようとかなんとか」

「ああ。今年はこの国でしばらく過ごすつもりなのかもしれないな。これまではふらりとやってきていつの間にか去っていたが。前回の手紙とあわせて考えるに、これまでよりも長く滞在する予定なのかもしれない。受け入れを求められた際の用意をしておこうか。暖かくなれば、ミグラティバでなくとも移住する者もいるかもしれない」

「では、空いている家と土地をいくつか挙げておくように伝えましょう」

「頼む。それと、手紙を運んできた鳥だが」

「じゅうぶんな世話をするよう、伝えておきます」

「ああ。そのように」


 スカイズのような小国が存続していくためには、国民皆で力をあわせることと同時に外から新しいものを取り入れる必要がある。

 古くから住まう人と新しく入ってくる人と。考え方の違う人々をまとめるのは難しい。だからこそ王が必要なのだ。


 ──移住する者の中にルリがいれば良いのに、なんてな。

 

 叶うはずもない願いを夢想するくらいは、神も許してくれるだろう。

 王として生き、ただ「王」とだけ呼ばれる日々にささやかな夢を見るだけなのだから。


 胸にわだかまる気持ちにふたをして、王は次の書類に手を伸ばした。

 そのときだ。


 窓の外、春の淡い空を色とりどりの羽根が埋め尽くした。


「な……!?」

「何事だ!」


 驚く書記官をかばい、王は窓辺に駆け寄る。

 飛び過ぎていく無数の鳥たち。うるさいくらいの羽ばたきに視線を奪われ、遠ざかる姿を呆然と見送っていた。


「王さま!」


 地上から響いた軽やかな声に、エクゥスの長いロバ耳がぴくりと動く。


「長耳王さま!」


 視線をやった先、城の前庭にいたのは十人ほどの人と、荷物を背に乗せた見慣れぬ獣の群れ。

 そのなかに、獣にまたがり王に向かって大きく手を振る娘の姿がある。

 城の兵士たちに取り囲まれたその娘を見て、エクゥスは思わず二階の窓から飛び降りた。


「お、王様!?」

 

 窓の上から書記官が悲鳴じみた声をあげ、庭に集まった兵士たちがどよめく。

 けれどそんなことを気にする余裕もなく、エクゥスはよろりと立ち上がり歩み寄る。

 まつ毛の長い四つ脚の獣。大きなこぶのあるその背中に若い娘が座っている。

 

 見慣れない生き物だが、エクゥスはその生き物のことを知っていた。


「ラクダ……」

「そうよ。馬じゃないの、ラクダ! 物知りね、長耳王さまは」


 娘がうれしそうに笑う。その姿を見上げてエクゥスが目を細めたとき。声が上がった。


「王様! 離れてください。そんなおかしな獣……噛まれでもしたら大変だ!」

 

 叫ぶように言ったのは国の年寄りだ。

 気づけば、エクゥスとラクダたちの周りに多くの国民が集まっていた。

 これはいけない、とエクゥスは王としてあたりを見回す。

 

「皆、そう警戒するのではない。彼女たちは敵ではないだろう。武装も何もしていない、移住希望の者ではないのか」


 できる限りの落ち着いた声で伝える。けれど戸惑いは消えず、ざわめきは増す。


「王様、しかしその人たちの格好を見てくださいよ。そんなに華美なものを身につけて移住してきますか? 清貧を良しとするこの国に馴染めるとは思えないですよ」


 不安げに言った婦人の視線の先。

 娘がまとう薄衣(うすごろも)は朝霧よりもはかなく、夜明けよりも輝かしい金銀の飾りで満ちていた。

 まるで蜘蛛の糸を織りあげたような布は、それだけで価値が想像できないほど美しい。そのうえ布には細やかで色とりどりの刺繍がみっしりと施されて、さらに金や宝石のかけらで飾り立てられているのだ。


 ──たしかにこれほどの品、城にある蓄えをすべてなげうったところで、手に入れられるか否か……。


 しかも娘はそんな布を何枚もまとっている。


 ──まるで芽吹きの女神のようだ。


 あまりの神々しさにエクゥスも圧倒されて言葉をつむげずにいた。すると、娘が軽やかに笑ってラクダから飛び降りる。

 音もなく着地して、くるり。

 まわって見せた彼女の衣服がふわりと風に踊る。


「華美に見えるかもしれないけれど、山向こうの砂の都ではこれがふつうなの。あちらでは、むしろあなたたちの毛織物こそ贅沢と言われるものなのよ」


 いたずらっぽく笑った娘の耳横で、豪奢な飾りがしゃらりと音をたてた。

 その華々しさはまるで春風のようで、集まった人々の不安も疑念も吹き飛ばす鮮やかさ。

 誰もが思わず見惚れたのがわかったのだろう。娘はにこりと笑った。


「今回ここに来たのは、あなたたちの国に住みたいと願う者がいたからなの」

  

 背中に隠すようにしていたラクダと人々の群れを紹介する娘に、エクゥスは王としての振る舞いを思い出す。


「あなた方はミグラティバだろう。これまで時折、我が国に立ち寄ることはあったが、定住を求められたことはないはず。今回の件もしばらくの住居を必要としていると考えれば良いだろうか?」

「いいえ、彼らが求めているのはずっと暮らしていける場所。手先の器用な者ばかりだから、織物や刺繍、木彫り細工だってできるわよ」

「それならば確かに、我が国で仕事はあるな」


 ちょうど行く当てのない木材があったな、と考えているうちに声を上げたのは、スカイズの国民。


「でも、あんたら渡り鳥なんだろ? いつまたふらっといなくなるかもわからないじゃないか」

「渡り鳥のなかにだって、旅に疲れる者もいるのよ」


 困ったように微笑む娘に、エクゥスは思わず問いかけた。


「定住を求めている者のなかにあなたも含まれるのだろうか、ミグラティバの姫よ」

「いいえ。わたしは彼らをお願いしに来ただけなの、長耳王さま。鳥を使ったお手紙じゃ、あまり詳しいことは書けなかったから」


 ──そうか……。


 もしかして彼女がこの地にとどまってくれるのでは、と抱いた期待は儚く散った。


「そうか……」


 我知らず沈んだエクゥスの声に、へしょりとしなだれた長い耳に微笑んで、娘がずいと踏み出した。

 互いの鼻がぶつかってしまいそうなほどの近さで、澄んだ瞳がエクゥスを見つめる。


「でもね、渡り鳥には止まり木が必要なの。帰る場所もなしに旅はできないわ。だから、あなたがわたしの帰る場所になってほしいの。だめかしら、クース?」


 甘やかな声でねだられて、どうして否と言えるだろうか。


「ルリが、俺で良いのなら……」


 王としての威厳などかけらもない。それどころかみっともなく震えた声で答えたエクゥスは、まったくただの青年だった。

 それなのに、ルリは春の小川のように瞳をきらめかせてうれしそうに、ほんとうにうれしそうに笑うのだ。


「あなたがいいの! 穴の向こうの愛おしい人」


 喜びをあらわすように抱きつかれて、エクゥスはこらえきれずルリの細い身体を抱きしめた。


 突然のことに驚いたのはスカイズの民も、ミグラティバの民も同じ。

 そして何が何やらわからないが、王と姫。自分たちにとって大切な人たちが幸せを見つけたと知って喜んだのは、どちらの民も同じだった。


 ⚫︎


 自国の王がとつぜん現れた見慣れぬ娘と縁をつなぐ。

 そのことを国民たちが受けてれてくれるだろうか、とエクゥスは心配した。


 けれどルリたちを迎えてすぐ、その心配は無用のものとなる。


「王様。実は俺、いろんな国を見てまわりたいんです。いまよりこの国を良くする技術を見つけられるかもしれないから」


 そう言い出したのは、大工の青年だった。


「いいわね! だったら一緒に旅に出ましょ。わたしたちの仲間にも情報を送ってもらいながら、望むものを探せば良いわ」


 軽やかに応えたルリに「僕も」と声をあげたのは国を巡って商売をしている男。


「この国の良いものをもっと広く、いろんな人に知ってもらいたいと思ってたんだ。けれどひとりで旅に出るのは勇気がなくて……」


「もちろん! この国の良いところを伝えて、よその国の良いものを持ち帰りましょ。きっと今より素敵な国になるもの」


 そういった調子で、国を出たいと言うものが何人も現れた。

 年寄りのなかには「このまま若者たちが出て行って国が廃れるのでは」と危惧する声もあったけれど。


 数年もすれば、大半の者たちが帰ってきた。

 新たな技術や品物がもたらされ、また新たな家族を連れて来る者もいた。

 なかには出て行ったきりの者もいたけれど、そんな者たちの話を聞いてやってきたという訪問者や移住希望者が現れた。

 結果として、スカイズの国はゆるやかに豊かさを増していく。


 数年もすればルリを歓迎する声ばかりになり、エクゥスを素晴らしい王だと讃える声が国中に広がった。

 

 そのせいで、ふたりの結婚式を祝う宴は三日三晩続くほどに大盛り上がり。


 鳥たちが手紙を運んできた手紙で駆け戻ってきた前王と前王妃とは、あまりのにぎわいに驚くやら。

 ルリに呼ばれてやってきたミグラティバの群れ長も招いて、万人に祝われながらふたりは夫婦になった。


 宴も終わりを迎える三日目の夜。

 エクゥスはルリを静かな丘へと誘い出す。


「ひとつ、確認しておきたいことがある」

「なあに? あらたまっちゃって」


 宴の余韻にひたっているのか、ルリは楽しそうに笑いながらエクゥスの長いロバ耳をなでている。


「……俺が王で無くなったらこの耳も人のものに戻る。あなたがこのロバ耳を気に入って俺のそばにいてくれるのだとしたら、王でなくなった時にこの国を旅立つだろうあなたを追いかけることを、許してほしくて……」


 ぺたり。

 愛おしげな指先を感じながら、エクゥスは耳を伏せた。

 長い耳が摘まみ上げられたのは、ほんの瞬きの後のこと。


「あなたねえ!」


 エクゥスの左右の耳を指先でつまんで持ち上げたルリは、怒っていた。はじめて目にする顔に、エクゥスはきょとんと彼女を見つめる。


「たしかにあなたのこの耳はかわいい。素直で、嘘がつけなくてかわいいわ。でもね、それはあなたの心が現れているからかわいいの!」

「俺の、心?」

「そう! わたしが惹かれたのは、素直で嘘がつかなくてかわいい心を持つあなたなの。あなたの耳がどんな形だって、わたしが好きなのはクースなの!」


 そんなことくらいわかってよ、と怒られて、エクゥスはルリを抱きしめた。


「良かった……」


 緊張していた体から力が抜けて、もたれかかる形になってしまったルリが「重いよ!」とはしゃいだ声をあげる。

 

 そうして暖かい季節には寄り添いあって暮らし、雪に閉ざされる前に再会を約束して互いの手を離す。

 そんな暮らしはルリが旅に飽きるまで続けられた。


 ルリが渡り鳥の姫ではなくなっても、エクゥスが王ではなくなってその耳がただの人のものになっても、ふたりはずっとずっと幸せに暮らしましたとさ。

「そういえばあの穴はなんだったのか」

 ルリを抱きしめた日、祈りの間の穴は消えていた。

「あれはね、小鳥が見つけたものなの。定住を望む人たちをどこへ連れて行かば良いか悩んでいたら、青い鳥がわたしを呼んでいて」

 エクゥスのひざに乗ったルリは、長いロバ耳に指先を遊ばせながら笑う。

「そしたらあなたと出会えたの!」

 ルリがうれしそうに抱きついてきたものだからエクゥスもうれしくって、どうだってよくなって。愛しい姫を抱きしめた。

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― 新着の感想 ―
あとがきこの小話が美しすぎる めっちゃ素敵でした〜〜〜!!!!✨✨✨
うはあかわい……いと言われてるのだから言っても大丈夫なんではというかその「かわいい」にはなんか大人なよい匂いがいたします。キラキラ輝く綺麗な甘い色をした悪魔なざわめき☆彡と、なんかペルシャやシバ、いや…
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