4 共同生活
「せ、先生!傷は……傷の状態は!」
「落ち着いてください」
敵だったはずの男性を救急車で病院まで運び、治療を終えた。
そして、私は傷の経過を必死で医師に尋ねている。
「安静にしていれば、問題ないですよ」
「よ、よかった……」
結構なガラス片が体に突き刺さっていたが、無事だったようだ。
一安心したが、ふと何かを忘れていることに気づいた。
(あれ?あの人って私のこと襲ってきた人じゃ……)
彼と、生死を賭けた鬼ごっこを繰り広げていたことを思い出す。
そして、その鬼を助けたことに思い至る。
「………もしかして、余計なことした?」
医師が去り、一人残された控え室で呟く。
言葉に出したことで、真実が眼前に迫ってくるのを感じる。
「…………よし、逃げるか!」
戦略的撤退だ。
これは決して、逃げなんかじゃない。
戦略的撤退だ!
ガヤガヤ
「ん?」
にわかに、廊下が騒がしくなる。
逃げるついでに、様子を見に行こうとドアを開けようとした時。
ガチャ
「うわっ!」
「…………」
誰かが部屋のドアを開けた。
慌てて横に避け、その人のために道をあける。
しかし、ドアの前にいる人は一向に動かない。
しびれを切らした私は、ドアの前にいる人物に目を向ける。
そして、後悔した。
「あ、あなたは……!」
「グルルル……」
そう、鬼ごっこはまだ終わっていなかった。
唸り声をあげる彼は、ドアの前にいる。
そして、この部屋のドアは一つだけ。
これが意味することは———。
「詰んだ……」
袋小路にいることに気づいてしまった私はそっと目を閉じた。
やるならいっそ一思いにやってくれと祈る。
そして、想定していた痛みがくることはなかった。
代わりに、酷く優しい感触が訪れた。
「…………え?」
「ぐるぁ」
酷く甘えた声で、目の前の彼が抱きしめてきたのだ。
肩に埋めた顔から、優しい唸り声が聞こえてくる。
まるで、飼い主に甘えている子犬のように。
「え、え?」
「あ!いました!」
駆け付けた看護師さんたちを見て、「あ、この人逃げてきたんだな」と察する。
「あなたが保護者さんですね?」
「え、あ、そう?です……」
「敵でした」なんて言えるはずもなく、泣く泣くそう答える。
なんでこんなことになってるんだろう。
さっきまで抱き着いてきていた彼は、現在私の背後に隠れている。
どう見ても、私が保護者だと思ってしまうだろう。
「どうやらこの方は精神的なもので、言葉が話せないみたいです」
「なるほど……」
今日が初対面だからわからないが、彼にはなにやら根深い問題がありそうだ。
「体の傷は治せても、ここではこのような精神的問題は対応が難しいです」
「そう、なんですね」
話の流れが怪しくなってきた。
これはもしかして———私がこの人を引き取る案件ですか?
「ですので、ご自宅でケアを進めつつ、こちらに通院していただく形にしてほしいのですが」
「あ、その、わ、わかりました!」
どうやら私が引き取る案件らしい。
え?この人と一緒に生活するの?
大丈夫?私、コロされない?ぱくっと喰われない?
医療費を払い、なんとか病院を脱出する。
私は服の端を掴まれたまま、ある場所へ向かう。
「…………その、カイさん?歩けそうですか?」
「グル」
うん?「カイ」って誰かって?
………この後ろにへばりついている子犬みたいな人の名前だよ。
病院で彼の名を聞かれた時、なんとか出た名前が「カイ」だった。
(勝手につけちゃった名前だけど、返事はしてくれるんだよな……)
名前に不満はもっていないようで安心したが、問題がそれ以外に多くある。
「中村さんになんて言おう……」
目下の問題に頭を悩ませながら、会社へと向かう。
カイさんを車の後部座席に乗せようとしたが上手くいかず、助手席に座ることになった。
どうにも、私と離れたがらないことが気にかかる。
一抹の不安を感じながらも、私は中村さんという名の悪魔が待つ会社へ向かった。
「へえ、彼が」
「…………」
「グルルルル………!」
ダラダラと大量の冷や汗を流す。
前に出ようとするカイさんの手をつなぎ、なんとか抑える。
しかし、威嚇している彼より恐ろしいものがある。
そう、目の前の中村さんだ。
「………うん、わかった」
(なに?なにがわかったの!?)
恐すぎて、前を向けない。
カイさん、どうして君はこの人を睨むことができるんだい?
この人、人かどうか怪しいくらい悪魔だよ?
恐いもの知らずなの!?
必死に隣にいる彼に視線を送る。
すると、キョトンとした顔でこちらを見てきた。
「じゃあ、引っ越しておいで」
「…………はい?」
言葉が飲み込めない。
引っ越すって一体なんの話だろうか。
「社宅に引っ越して、彼と一緒に住むといい」
「は?」
「グルァ♪」
「カイさんは機嫌が良さそうですね……」
有無を言わさず引っ越しさせられた。
荷物は中村さんが手配してくれた業者さんが運んでくれたから、まったく労力はかからなかった。
しかし、「まさか引っ越したくないとか……そんなことないよね?」という圧がすごかった。
あの時、中村さんには絶対逆らわないようにしようと改めて思った。
え?引っ越しのことを親には話したのかって?
…………名義上、私はあそこに住んでることになっているらしい。
つまり、本当は社宅にいるけど名義上はあそこにいることになっている。
流石、秘密結社。
親ですら欺く徹底さ。
「……大学には通えそうな位置で安心したけど」
学業に対する配慮が行き届いていることが、逆にこわい。
冷徹なのか優しいのかわからない。
「ぐるあ」
「うわわっ、行きます行きます!」
グイグイと腕を引っ張られ、部屋の中を見て回る。
二人用だからなのか、とても部屋が広い。
リビングはあるし、部屋も二部屋ある。
なんと、お風呂はその二部屋にそれぞれついていた。
もちろん、トイレは言わずもがなだ。
「す、凄すぎる……」
社宅とは思えないほどの充実さ。
むしろホテルだと言われた方が納得できる。
「ぐるぁ」
「あ、カイさんはこの部屋がいいんですね」
一部屋目に陣取った彼に、部屋が決定する。
そのため、荷解きをしようと二部屋目に移動する。
すると、一部屋目に陣取ったはずのカイさんがついてきた。
「?」
「ぐる」
暇だからついてきたのかもしれない。
そう納得して黙々と荷解きしていると、目の前ににゅっと手が現れた。
ビクッと体を震わせ、手の主を見る。
「あの、カイさん?どうしました?」
じっとこちらを見つめてくる彼に、私は不安を抱きだした。
(あれ?そういえばこの人、敵だったよね?)
病院に連れて行ってから、突然無害化したから油断していた。
もしかして、今私は品定めされているのだろうか。
「こいつ、喰ったら旨いのかな」とか思われてる……!?
戦々恐々としていると、ドカッと彼が目の前に座った。
「??」
「ぐるる」
首元に頭を擦りつけられ、くすぐったさに笑う。
「うわ、くすぐった……!」
「ぐるぅ」
(全然、凶暴じゃないんだよなぁ……)
猛獣から子犬へ変化した彼に戸惑う。
しかし、中村さんが共同生活を許したのだから安全なのだろう。
(……いや、あの悪魔な御仁は一般人を猛獣と一緒に住ませるとかさせそう)
無駄な思考のせいで、むしろ不安を増長させてしまった。
とりあえず、私は彼が満足するまでされるがままになる。
大型犬としか思えない行動に、私はこれからの共同生活がなんとかなりそうな気がした。