24 もはや、同棲……?
『はあ、しょうがないなぁ。今回だけだよ?』
そう言って、“私”は誰かの髪を拭いている。
甘えるようにタオルに頭をすり寄せてくる。
その髪の色は…………。
「おはよう」
「…………ぉはよ………おはよ?」
スマホのスムーズ音ではなく、優しい男性の声で起こされていることに違和感を覚える。この部屋には私一人だけしかいないはずなの………に。
「あ、なんだ。カイさんか」
「ああ、おはよう。朝ご飯できてるぞ」
よく見えない目を擦り、大きな欠伸をした。
視界には、ぼんやりと茶色の髪が見える。
彼がここにいることにはすっかり慣れてしまった。
清らかな乙女としては異性とひとつ屋根の下で過ごすのはいかがなものかと思われるが、そんな心配をする必要がないことに気づいたのだ。
(あのビジュアルで私を襲うはずがないし)
彼の顔を触って確かめた時、驚くほど精巧な美貌をもつ男性だと知った。
え?なんで触る機会があったのかって?
…………世話をしてくれるお礼を聞いたら、自分の体を触ってほしいと言われたからだよ。
(若干のヘンタイ臭がしたけど、まあ気のせいでしょ)
「ほら、顔を洗っておいで」
「ん、わかった………」
脳が半分寝た状態で、ふらふらと洗面台へ歩く。
後ろから強い視線を感じるが、十中八九カイだろう。
まあ、視線だけで済んでいるのは、とても進歩したほうだ。
最初はお姫様だっこ、次に腰を支えてくる、そして現在が強い視線という経過をたどっている。
(あの人、異様に過保護なんだよな……)
彼が親切にしてくれるのは、おそらく消えた私の記憶にあるのだろう。
あの甲斐甲斐しい様子からして、私は彼にな恩かなにかを感じている。
でも、私がそれを知ることはない。
彼の知る私と、今の私は違うのだから。
パラパラ パラ
本のページをめくる音が、耳をくすぐる。
昼下がりの太陽が、静かな部屋の窓から降り注ぐ。
そんな柔らかな日差しにさえ、私は目を細めないといけない。
(不便な体になったもんだ……)
昔はメガネすら必要なかったのに。
…………いや、けっこう早くからメガネはかけてたか。
たしか小学校の高学年の頃にはメガネっ子だった。
昔のことをおぼろげながらも思い出すと、ふと不思議に思った。
(昔のことは思い出せるのに、少し前のことは思い出せないんだよなぁ)
記憶の中に、ごっそりと抜け落ちている部分があるのだ。
地獄の大学受験のことは覚えているから、おそらく大学時代の記憶が完全に消えている。
(学費がもったいない……)
記憶がないことに対して思うことは、ただそれだけだ。
何か大事なことを忘れているような感覚もないし、謎の焦燥感も特にない。
多分、だらだら……じゃなくてのびのびとキャンパスライフを楽しんでたんだろう。
なんというか、失った記憶の中の自分も、今の自分も、絶対的につながっている自分だと思えるからとくに不安にならないんだと思う。大学時代でも、きっと内向的にはっちゃけていたに違いない。
(どうせいろんな動画を見てひとりで楽しんでたんだろうなー)
容易に想像できる。
自分が液晶画面にへばりついてギャハギャハと笑っている姿を。
天井を眺めながら回想にひたっていると、にゅっと目の前に何かが現れた。
「うわぁっ!」
椅子の背もたれから跳ね起きると、柔軟性のない椅子の背がミョンッとはじけた。
そして、背後にたっている人物をジト目でねめつけた。
「カイさん……急に現れないでください」
「すまない。おやつの時間を伝えようと思って」
黒いギャルソンエプロンに白いシャツを着たスタイリッシュな男性が片手にお盆をもっている。一瞬、ここがおしゃれなカフェかと錯覚してしまった。
「お、おやつ……」
チラチラとお盆を盗み見ながら、いそいそと本を閉じて机の端に置く。
その様子を見ていたカイは、片手で口元をおさえてくすりと笑った。
「リビングで食べよう」
お盆に釣られていく私を見て、彼は満足そうに笑っている。
ふん、好きに笑うがいいさ。どう思われようが、甘味こそ至高である。
ふわふわなパンケーキを食べ終わった後。
「カイさん、毎日ここに来てますけど大丈夫なんですか?」
食後で気が緩んでいたのだろう。
常に思っていたけれど、決して口にしないようにしていた疑問が口から飛び出してしまった。
「………あっ、いまのなしで!」
「俺に興味を持ってくれたんだな」
「いや、ちが」
「今は休暇だから毎日来ても全く問題ない」
「ちょっとまっ」
「ずっと一緒にいられるから安心してくれ。朝から晩までまどかの世話ができて嬉しい。何かしてほしいことはあるか?これから昼寝をするか?カーテンは閉めよう。ほら、寝室へ行こう」
「まてまてまて、情報が過多!あと昼寝はしないよ!」
謎にハッスルしだしたカイを宥め、リビングでお気に入りの動画を見る。
最近は教養系の内容にハマっている。テレビの大画面でそういう動画を見ていると、見ているだけなのに自分も意識高い系に思ってくる。
(まあ、部屋にこもってる人間がそんな教養を披露する機会なんてないけど)
本当は薄々気づいている。
このまま部屋に籠り続けるわけにはいかないのだと。
隣で同じソファーに座っているカイを横目で見る。
(いつまでも迷惑をかけるわけにはいかない)
嬉々として世話をしてくれているけど、そういう問題ではない。
私は、失った記憶を取り戻す必要がある。
そして、自分に何が起こっているのかを知る義務がある。
いつまでも無責任に逃げて、部屋に籠るわけにはいかない。
ナイフとフォークの使い方講座の動画を見ながら、真実に向き合う覚悟を決めた。
「カイさん」
「ああ、風呂を出たのか」
そう言って、さり気なくこちらに近づいて来た彼を手で止める。
「ちょっと待ってください。髪は自分で拭けます」
「そうか……」
残念そうに渋々引き下がった彼に、安堵の息を吐く。
こうなるまでに幾重もの苦難があった……。
髪を拭き終わり、ベッドの方を向いた時。
「…………なにしてるんですか」
「うん?」
ベッドに腰掛け、こちらに優しく笑いかけてくるカイ。
……この苦難はまだ乗り越えられそうにないようだ。
「…………膝枕は、その、もう大丈夫ですよ。もう色々としてもらったし、もう大丈夫です」
なにが大丈夫というのか。何も大丈夫じゃない。
もう色々と諦めてしまって、自分が何を言っているのかわからなくなってきた。
「おいで」
「…………」
今までの経験上、ここで逆らえばより面倒になることは明白。
以前、この膝枕を断って添い寝された記憶がフラッシュバックする。
(諦めよう……)
彼の隣に座り、ポスッと体を横たえる。
目の前には寝室の白い壁が見える。
冴えてしまった目でその壁の見続けていると、突然視界が真っ暗になった。
「さあ、寝るんだ」
目元が温かい。
どうやら体温の高い手で瞼をおさえられているようだ。
寝られるはずがないと思っているうちに、私はなぜが意識が遠のいていった。




