21 失った視界
ある田舎に、ひっそりとたっている2階建てのアパートがあった。
その2階の一室のベランダには、柔らかな日の光が降り注いでいた。
掃き出し窓から暖かい風が入ってくる。
色とりどりの景色が載せられた写真集を閉じ、椅子から立ち上がる。
「…………あ」
窓の傍に立つと、風と共に桜の花びらが入ってきた。
外を見るが、桜は見えない。
よくよく見てみると、窓の横の方にチラチラと何かが見える。
「…………」
ガラッ
掃き出し窓を開け、ベランダに出る。
そして、隠れていた人物にため息をついた。
「毎回こんなイタズラしてくるのやめてくれません?――――ギムレットさん」
「あ、慣れちゃいましたか?」
いらずらっぽく話す男性。
彼の名は、ギムレット。
多分、20代後半だ。年齢を聞いたことはあるけど、「ひ・み・つ」と癪にさわる答え方をされた。
「最初はもっと驚いてくれたのになぁ」
残念そうにそう言う彼に、呆れた目を向ける。
こんなしょうもないことをしてくる人だが、私の恩人であることに変わりはない。
私は、記憶を失っている。
ぼんやりと家族がいることや大学に通っていたことは覚えているが、他は思い出せない。目を覚ますと、この部屋で寝ていた。地べたに膝をついてベッドに突っ伏していたギムレットが飛び起きて、私のことを教えてくれた。
(まあ、とはいっても私が何かの事故に遭って、その補償としてこの部屋と彼を送ってくれたという大まかなことしか知らないけど)
ギムレットは多くのことを教えてくれなかった。
むしろ、いろいろなことを隠そうとしている。
私はそれに気づいたけど、問い詰めることはしなかった。
彼からは、悪意を感じなかったから。
むしろ、深い気遣いを感じている。
だから、暴こうとは思わなかった。
「―――うわっ」
部屋に戻ろうとして、サッシにつまずく。
「おっと」
後ろにいたギムレットに支えられ、惨事を逃れる。
「ありがとうございます………」
体勢を整え、部屋に戻る。
さっきまで座っていた椅子に戻り、一息つく。
そして、目元にしてある目隠しに触れた。
この目に巻かれている黒い布は、私の目を保護している補助具だ。
目に入る光を調整している。
「光がダメとか、吸血鬼になった気分………」
ここで目覚めた時、一番最初に驚いたのは視界だった。
ぼんやりとする視界とよりも、私は目に刺さる光が衝撃的だった。
染みるような痛みに、私は自分が光を受け付けない目だということに気づいた。
光を受け入れられない上に、私は視力が悪かった。
私は、この部屋から一人で出られない。
誰かの補助がないと、見知らぬ場所へ行けない体だった。
「はい、水です」
「あっ、ありがとうございます」
ギムレットがコップを渡してきた。
それを受け取り、口に含む。
「食事は冷蔵庫に補充しときましたから、レンジで温めてくださいね」
「いつもありがとうございます」
「いえいえ、オイラが好きでやってることですから!」
弱視でもわかるくらいの彼の笑顔に、ほっと胸を撫でおろした。
いつも迷惑をかけていることを自覚しているからこそ、彼の明るさには救われる。
でも、彼がどうしてここまで献身的にお世話をしてくれるのかはわからない。
思い切って聞いてみたことがあったけど、「趣味です!」とよくわからないことを言われた。
謎の多い彼をじっと見つめていると、彼が「あっ」と何か思い出したように言った。
「これから、ここに来れなくなりそうです…………」
申し訳なさそうに話す彼に、私は笑いかけた。
「大丈夫ですよ」
「でも、オイラのサプライズがなくなるし」
「間に合ってますよ」
「寂しい思いをさせてすみません」
「全然問題ないですよ」
今までが多すぎたのだ。
最初の頃は毎日。今までは週6日はここに来ていた。
「いつか、また会えますよね?」
今生の別れじゃないなら、「さようなら」はいらない。
「…………まあ、そうですね」
どこか不満そうな声のギムレット。
「じゃあ、またいつの日か」
季節も丁度、春だ。
別れの季節でもあるし、出会いの季節でもある。
いつかの再会を願うにはよい時期だろう。
「…………食料は玄関に届けられようにしておきます」
「それはありがたいです」
「あーあ、惜しんでるのはオイラだけかぁ」
ガックリとした姿勢でベランダに出るギムレットの後を追う。
彼が靴を履き終わった瞬間。
私は後ろから彼はそっと抱きしめた。
そして、すぐに離れた。
「!?」
「いままでお世話なりました」
「………えっ。今の、えっ?」
「体には気を付けてくださいね」
「え、やっぱそうっすよね!?もっかい!もっかいお願いします!」
「では、またお会いしましょう」
「せっかくのデレがぁーー!!」
騒がしいギムレットの背中を押し、別れを促す。
「今度会った時はキスでお願いします!!」
「さっさと行け」
「ひどい!」
数か月の付き合いだったけれど、彼とはそれなりに打ち解けた。
だからこそ、こういう騒がしい別れがちょうどいい。
ベランダから飛び去る彼の姿を見送り、そっと呟いた。
「寂しくなるね」




