19 無垢な部下
「ここまででいいわ。ギムレット」
「はい!」
例の「今夜の花」事件の後、私はギムレットを常に傍に侍らせた。
周囲は彼に憐憫の視線を向けている。
幼気な男が蜘蛛の毒牙にかかってしまったことを憐れんでいるのだろう。
今、部屋にはギムレットと私しかいない。
他の部下たちはこの時間にギムレットが貪られていると思っているようだが、実は違う。今から行われるのは、そんないかがわしいものではない。
「さて、ギムレット。あなたから報告して」
「はい!先輩たちはよくオイラのことを心配してきます。体は大丈夫なのかってよく聞かれるんですけど、なんでですかね?」
「………………」
邪気のない質問をスルーし、現状を整理する。
今のところ、私は疑われていない。
正直、ジョロウでないとバレても問題ない気もしてきたけど、私になったジョロウが特にアクションを起こしてないことが気がかりだ。私の身体で何をしようとしているのかが不明な今、現状を下手につつきまわすのは得策ではない。
(というか、ほんとにジョロウは何をしたいんだろう)
身体的に見れば、ジョロウの方が断然スペックが高い。
立場だって名ばかりの幹部の私よりも、古株で功績もある幹部のジョロウの方がいい。
行き詰った私は、ベッドでゴロゴロしているギムレットに問いかけた。
「ねえ、自分よりも劣ってる人と入れ替わりたい時っていつだと思う?」
「ふえ?ひれふぁふぁり?」
真剣に考えてくれている彼には申し訳ないが、なんで仕えるべき主のベッドで従者が寝転んでいるんだろうか。それも私が普段使ってるタオルケットに顔を埋めて。
(彼は犬なのか?毎回毎回、普段使いしているものをかがれるこちらの身にもなってほしい)
あと、その姿を見ているとカイを思い出すからやめてほしい。
会わなくても、思い出すだけで苦しくなるなんて思わなかった。
(……あっちでは元気にしてるかな)
物思いにふけっていると、溌剌とした声が耳をさした。
「あ!欲しいもの!自分が欲しいけど自分じゃ得られなくて、その人にしか得られないものがある時だと思います!」
「!」
なるほど、確かにそうかもしれない。
でも、ジョロウじゃ得られなくて私にしか得られないものって……?
(……わからない)
仕方なく、答えの出ない疑問を脳の片隅に置いておくことにした。
「女王様、こちらが今回の人身売買になります」
「…………………」
ジョロウの悪事が書かれた報告書を読み、皺の寄った眉間を指先で揉む。
「下がっていいわ」
「はっ」
「あの、オイラは?」
「あなたも下がっていいわ」
「あ、はい…………」
しょぼんとした様子で部屋を出ていくギムレット。
……妙な懐かれ方をされた気もするが、気にしないでおこう。
目下気にするべきなのは、この悪事の数々だ。
「はぁ~……。どうしよっかな……」
人身売買は断然許せない。
それで、どうやってこれらの事業を停止させるべきなのかだけど……。
「…………全部飽きちゃったー、じゃ流石にダメか」
色々とどうしようもないジョロウだけど、事業の手腕に関してはピカイチだった。それに、事業の功績に関してもプライドがあったし、突然やめるとなると怪しまれるだろう。
(とりあえず、「あれ嫌、これ気に入らない」攻撃で遅延させよう)
この我が儘がまかり通るのだから、本当にジョロウはすごい。いろんな意味で。
とにかく、時間を稼ごう。
その間に本物のジョロウの目的を暴いて、今後の出方を考えるんだ。
人身売買等の悪事を遅延する日々を送っていたある日。
事件が起こった。
被害者は、私がジョロウになって初めて傍においた部下であるギムレットだった。
「ううぅ……い、痛い……」
「なにやってるのギムレット!」
「あ、アゲハ様に喜んでほしくて」
そう言って彼が差し出してきたのは真紅のバラだった。
全身の血の気が引く。
そのバラはすでに花開いていた。
ヒュッと喉が鳴った。
そして、息も忘れてギムレットをベッドへ放り投げた。
「ううっ…………」
ベッドで呻くギムレットから、鮮血色のバラを奪い取る。
バンッ
そして、がむしゃらに部屋から飛び出す。
その足で、私は救急セットを補充していた部屋へ走った。
ガサガサ
「ない、ないッ」
この医療品が保管されている部屋には、多くの薬剤と医療器具がある。
しかし、ここに人が来ることはほぼなく点検で誰かが時々訪れるだけの場所。
そんな場所だからこそ、私はここに万能薬を隠した。
『鴉』に入った記念として、斑から渡されたほぼすべての毒を解毒する薬。
「どうしようっ………!」
このままではギムレットが死んでしまう。
あの鮮血色のバラは、私を死へ誘ったものだ。
早く解毒剤をもっていかないと。
じゃないと、私の初めてできた大事な部下が死んでしまう!
「…………これを探しているのか」
「!?」
誰もいないはずの部屋に、低い声が響く。
背後を振り返ると、黒い外套を被った全身が真っ黒な人間がいた。
一瞬、大きな影が背後にいるのかと思った。
そして、黒い手袋をしているその手には、私がここに隠したはずの薬があった。
「……っ!かえして!」
バッと奪い取り、瓶の中身を確認する。
カプセル状の薬は、きちんと保管されていた。
それを持って、一心不乱に部屋へ走った。
「…………そこにいたのか」
黒い外套を着た男は、一人になった部屋でそう呟いた。
ダダダダダダッ
バンッ!
「ギムレット!」
息を切らせて、寝室のドアを開け放つ。
「うう…………」
ベッドで苦し気に呻くギムレットを見つけた。
急いで駆け寄り、苦し気な彼の体をベッドから起こしてヘッドボードに凭れさせる。
そして、震える手で持っていた瓶から薬を手に出した。
カラカラと頼りなく出てくるカプセル状の薬が、数粒手のひらで踊る。
「み、水……!はやく……」
ベッドの傍のサイドテーブルにあるコップに水を注ぐ。
脂汗を浮かべるギムレットの様子から、もう猶予がないことを察した。
「口をあけて!」
無理矢理こじ開けた口の中に薬を放り込んだ。
そして、急いで水を含ませる。
しかし、薬と水がぼたぼたと口から零れ落ちた。
「…………っ!」
私が考えることなく、水と薬を自分の口の中にいれる。
そして、乾いた男の唇に自分の唇を重ねた。
ベッドに腰掛け、手元にあるメッセージカードを見た。
書かれていた内容は「3日後に温室に来い」というものだった。
そして、最後の一文に「プレゼントはどうだったかしら?」と書かれていた。
その分を読み、そっと後ろを振り返った。
「すー……すー……」
穏やかに眠る部下の顔を見て、安堵と底知れぬ恐怖を覚える。
薬で容態が落ち着いたギムレットを介抱していた時、彼のポケットに入っていたこのメッセージカード。濃いバラの香りがするこのメッセージカードには、名前がなかった。しかし、私の脳裏にはっきりと送り主の顔を浮かんだ。
(ジョロウ)
彼女が動き出した。
3日後に、何か大きなことが起こる。
この荒波を、私は避けることができないだろう。
「…………」
静かに、私は目を閉じた。




