18 蜘蛛になった蝶
花の香りがする。
華々しくて、甘くて―――――毒々しい死の香り。
「…………ッ!!」
ハァッハァッ
動悸が止まらない。
鼻に纏わりつく甘ったるいバラの香りが気持ち悪い。
(死んだ……?いや、でも息はしてる)
手の平を握ると、確かに動く。
ゆっくりと体を起こし、周囲を見渡す。
私がいる場所は、ワインレッドを基調とした上品ながらも華々しい部屋だった。
天蓋付きのベッドには、金色の刺繍がされた天幕がついている。
明らかに高反発マットレスを敷いたベッドじゃない。
(誰かの部屋?)
しかし、主が寝るであろうこのベッドで寝ているのは私だ。
もしかして、私は不法侵入したのだろうか。
慌てて起き上がり、おぼつかない足でドアに向かう。
すると、壁際にあった姿見に自分の姿が映る。
「……………………は?」
鏡に映っていたのは、ジョロウだった。
急いで戦闘態勢に入ると、鏡の中のジョロウもファインディングポーズをとった。
絶対にジョロウがとらないポーズを、鏡の中のジョロウがとっている。
(幻覚?)
自分の頬をつねると、鏡の中のジョロウも頬をつねる。
「うそ…………でしょ?」
その後、発狂した私は慌ててやってきた部下たちに宥められた。
「私が、ジョロウになった?」
正座をして鞭を差し出してきたジョロウの部下たちを部屋から追い出し、ベッドの上で考え込む。
(私があの温室で毒を盛られたことは明らか。でも、毒を盛ったジョロウに私がなっているのは意味がわからない。ジョロウは自分に異常なほどプライドを持っていた。他人に体を明け渡すなんてありえない。それに、他人の体に入るなんてことも現実的にありえない…………)
「いや、待って」
(じゃあ、私の身体はどうなったの?)
「!!」
部屋を飛び出し、廊下を駆け抜ける。
ジョロウの身体能力は高かったらしく、すぐに私の部屋までたどり着いた。
バンッ
「!?」
部屋を開けると、そこには黒い仮面を被ったいつもの私がいた。
他人の目から見る自分は、とても違和感があった。
「な、なんですか……?」
怯える様子は、明らかに私だった。
じゃあ、私は?
ジョロウの中にいる私の意識は、いったい誰?
混乱していると、ジョロウの部下たちが駆けつけてきた。
「ジョロウ様!『白亜』様!」
「ジョロウ様、帰りましょう。例のお気に入りが手に入りましたので」
「ご無事ですか」
最後の小さく囁かれた言葉は、私……いや『白亜』に向けられたものだろう。
さり気なく『白亜』を庇う彼らを見て、複雑な気持ちになる。
周囲の反応が、私をジョロウだと言っている。
でも、私の意識はジョロウじゃない。
じゃあ、目の前にいる私は、一体誰……?
ニヤ
「!!」
笑った。“私”が笑った。
あの笑い方は間違いない、あの加虐的な笑みは――――。
私の中に“ジョロウ”がいる。
「……ッ!行くわよ!」
宥めようとしてくる部下を振り払い、私の部屋を出る。
ずんずんとあてもなく廊下を突き進む。
そんなやけくそな私に、後ろをついてきていた部下の一人が声をかけてきた。
「あの……ジョロウ様。お部屋はこちらでは―――」
「馬鹿がッ口出しするなとあれほど……!」
「…………案内してちょうだい」
「「「!?」」」
「は、はい!」
混乱する部下たちに意識を向けている余裕はなかった。
これから私は、“私”をどうすべきか考えなければならない。
「女王様、お食事です」
「女王様、例の事業のご報告に参りました」
「女王様、肌のケアを―――」
(あの人マジか……)
ジョロウになって分かったことがある。
あの人は想像以上に変態だということだ。
自分のことを「女王様」とか呼ばせるとか正気じゃない。
あと身支度を異性にやらせるとかどういう了見だ。
あの人には羞恥心というものがないのか……!?
食事と報告以外はすべて断った。
「気分じゃない」という一言で引き下がったところをみるに、こんな気まぐれは日常茶飯事だったことが垣間見える。…………本当に苦労してたんだな、あの部下たち。
「女王様、今夜の花はどれにいたしますか」
「ん?」
(花?)
差し出された様々な色の花々。
どうやら彼女にも乙女な部分があったらしい。
少しだけ、ほんっとうーに!少しだけ彼女のことを見直しつつ、花を眺める。
「これにするわ」
ほとんどがバラだったが、唯一バラではなかったものを選んだ。
それを指した瞬間、部下たちに目を見開かれたが、なんだったんだろうか。
(まあ、今のジョロウはバラが苦手だから)
本物のジョロウにバラで殺されかけたんだから、トラウマになってもしかたない。
というか、やっぱりあの人はバラが好きだったのか。
(…………今後はバラ以外を持ってきてもらおう)
そう呑気に考えていた私は気づいていなかった。
この日の夜、とんでもないことが起こることを…………。
就寝する直前。
コンコンコンッ
部屋にノックの音が響いた。
「?」
あのジョロウの就寝前にやってくる猛者がいたのかと驚きながらも、もう眠たかったためノックを無視する。
ガチャッ
「!?」
しかし、返事も待たずに誰かが部屋に入って来た。
(正気!?ジョロウの部屋に押し入ってくるとか命が惜しくないの!?)
私が本物のジョロウだったらどうするのだと冷や汗をかきながら、ベッドから体を起こす。
「!?」
そして、またもや衝撃的なことが起こった。
部屋に入って来たのは、男性だった。
ドアを開けた勢いとは裏腹にオドオドとした様子でこちらに歩いてくる。
オドオドするのは、まあいい。
問題だったのは彼の服装だ。
コンプライアンス的に100%アウトな、透け透けの布を腰に巻いただけの装い。
首や手足にはジャラジャラと装飾品がつけられ、そんなもん身につけるくらいならもっと布を纏えといいたくなる恰好だった。
(へ、へんたいか……?)
スッケスケの、服とも言えない布切れを纏った男が、恥じらいながらベッドに向かってくる。
(……は?くんなくんなくんな!!)
無理。生まれてこの方、殿方の裸など見たことがないこの私に、あんなド変態衣装をさばけるわけがない。
「ま、待ちなさい」
努めて冷静に、努めて余裕そうに、詰め寄ってくる変態を制止する。
否、彼の様子からして好き好んであのヤバい衣装を着ているわけではなさそうだ。
つまり、諸悪の根源は本物のジョロウだ。
「そこのショールを羽織って」
「え、え?ですが……」
「いいから羽織りなさい!」
「は、はい!」
彼は急いで椅子に掛けられてあったショールを羽織った。
丈は足りてないが、上半身がしっかりした布に覆われているだけでも安心する。
「こちらに来なさい」
「…………!」
何を勘違いしたのか、彼は覚悟を決めた顔でベッドにいる私に詰め寄って来た。
「うわ、くるなくるな!」
「え……?」
「あ、コホン。……このブランケットにくるまりなさい」
変態的衣装の急接近に思わず本音が漏れてしまった。
急いで誤魔化し、彼の服装を人間的なものに戻す。
結果、ミノムシ人間が出来上がった。
まあ、変態よりもミノムシの方がマシだろう。
「それで?あなたはなぜここにきたのかしら?」
努めてジョロウ風の言葉遣いを心掛け、初々しい彼に問いかける。
多分、この人はジョロウの部下になって間もないのだろう。
今思い出したけど、昼間に廊下で私を案内してくれた人だ。
あの後、影で先輩からこっぴどく怒られていたのを覚えている。
(この人なら、多少ジョロウらしくないことをしても大丈夫そうだ)
「あ、その、先輩が……この服を着てジョロウ様のベッドに行けって」
(あんの変態女め……)
どうやらあの女は夜な夜なとんでもないことを部下にさせていたようだ。
本物のジョロウが帰ってくる前に、絶対にこれを含む諸々の因習を消し去ってやる。
「……そうなのね、じゃあこれからは―――」
(……いや待て、急にいろんなことを改変したら怪しまれる)
新人は騙せても、古株の部下たちは疑ってくるはず。
ゆっくりと改変するために、多少の偽装が必要だ。
やはり、偽装工作のために誰か一人は味方につけておきたい。
(偽装のための手駒……、騙しやすくて素直な人物であれば御しやすい)
そんな都合のいい人材がいるわけ……。
「………………」
「ジョロウ様?」
(…………いたかも)
目の前の彼は、私を「女王様」と呼んでいない。
つまり、ジョロウの毒牙にかかる前の哀れな子羊。
この人を丸め込めば、周囲を欺くのが楽になるかもしれない。
「ねえ、あなたの名前は?」
「え?オイ……オレですか?」
「そうよ」
「オイ……オレはギムレットです!」
キラキラとした目には、未来への希望が詰め込まれていた。
うん、騙しやすそう。
「私ね、最近ちょっと退屈になってきたの」
「え!そうなんですか?」
素直に耳を傾けてくる純粋ボーイに、若干心が痛くなる。
「そうなの。だから、周囲があっと驚くようなことをしたくて、これから今までと違う行動をとろうとおもうの。でも、そのためには協力者が必要で……」
ちらりとギムレットの方を見る。
「誰か、協力してくれないかなぁ」
チラチラ
「オイラ協力しますよ!……あっ、オレ……でした」
心が痛い。
こんな素直な子(成人男性)を騙すなんて、天国に行けない気がしてきた。
「一人称なんて自由にしなさい。誰も気にしないわ」
「え!でも、綺麗な言葉遣いしないとジョロウ様が怒るって……」
「ほら、これが今までと違うことをするってことよ」
「あ、なるほど!」
キラキラした笑顔が胸に刺さる。
神よ、この純真田舎ボーイの心を弄ぶことをお許しください。
こうして私は、純真無垢な人間を偽装工作の手駒として手に入れた。




