15 さようならも言わずに
あのクリスマスの日から、カイは変わった。
…………ちょっとマズい方向に。
「やあ、今日も仲がいいね」
「中村さん………、あなたは鬼ですか?」
大晦日の前日。
私は上司である中村さんに、職場へ呼び出されていた。
……あと、私の背中にはピッタリと寄り添うカイがいることを追記しておく。
彼はクリスマスの日以降、私の傍を離れようとしない。
ほんとに、大学が冬休みでよかった……。
けど、その休みもあと数日で終わる。どうしよう。
「まあまあ、座ってよ」
「え、まさか用件が私を嘲笑うためだけだったとかじゃないですよね……?」
「大丈夫、他にも用件があるから」
「え、“も”?この人、“も”って言った?」
私を膝の上に乗せようとするカイを退け、横並びで来客用のソファーに座る。
「さて、今日を君たちを呼んだ理由だけど」
「…………」
ゴクッ
正面に座った上司の顔がいつになく真剣だ。
それに妙に緊張し、生唾を飲み込んだ。
「仲良く過ごしてるようでなにより」
ガクッ
前のめりになっていた体が滑り落ちる。
その体をカイがキャッチし、元に戻してくれる。
「あ、ありがとう」
「ああ」
優しい笑みに、さっと視線をそらす。
なんとなく……怖い感じがするから。
なんというか、こう、全身を搦めとっていくようなねっとりした目というか……。
「うんうん」
「中村さん?何を納得してるんですか?」
中村さんはカイを見て、次に私を見て、にっこりと笑った。
うん、なんかヤダ。
「カイ君、調子が良さそうだね」
「ああ」
(……え、いつの間にか仲良くなってる?)
今までの険悪さが嘘のように、お互い普通に接している。
まあ、一方的にカイが嫌っていただけなんだけども……。
「ちょ、中村さん?」
「ん?」
ソファーから立ち上がり、中村さんの傍に行く。
そして、小声で耳打ちをする。
「いつの間にカイと仲良くなったんです?!」
顔を合わせればとんでもないくらい威嚇されてたはずの上司が、和気あいあいと話している。確かにこの人のカイに対する態度はこんな感じで一定だったけど、時間とともに打ち解けたにしては不自然すぎる。
(絶対裏がある)
そう睨んで詰め寄ったが、余裕綽々な中村さんにいなされ渋々もとの席に戻った。
「さて、本題に入ろうか」
仕事モードに入った上司を見て、自然と背筋がのびる。
「君たちにはこれから、潜入捜査をしてもらう」
「はい!…………はい?」
(ん?今なんて言った?)
潜入捜査?…………そんなまさか。
ソウ先輩情報で、潜入系は襲撃系よりもよっぽど難易度が高いと聞いている。
組織のエースがそう言うくらいの高難易度任務を、まさか新人の私にさせるなんでそんなそんな。
「潜入先は君に馴染み深い『白亜』だよ」
にっこりと私に笑いかける悪魔。
否、上司だった。
もう私の目には人じゃなくて人の心がない人外にしか見えない。
「いや、私よりもカイの方が馴染み深いですし、潜入することに同意してません」
「ど、どうしてこうなった…………」
「まどか、大丈夫か」
上司からの出動命令を無視することもできず、私とカイは『白亜』が潜伏しているという情報が入った山奥に来ていた。
「それに夜に出動とか正気?人よりも野生動物の方がコワいわ!」
小声で器用に喚く私の頭を、カイが優しく撫でる。
文句を垂れに垂れたことで少しだけ気が晴れた私は、耳に手を触れた。
目の前に浮かび上がったウィンドウには、二つの青い点と黄色い点が浮かんでいた。
「もうそろそろか……。カイ、お願いしてもいい?」
ウィンドウを閉じ、抱っこをねだるように両腕をカイへ向ける。
「ああ」
嬉しそうなカイが私を抱き上げる。
腰はカイの片腕にのり、腕は彼の首に回す。
子供のように抱っこされていることは屈辱だが、移動速度上致し方ない。
私の足では一週間あっても目的の場所に辿りつけない。
それほどに、『白亜』の潜伏場所は立地が悪い。
(いっそ、この情報が間違ってたらいいのに……)
これが誤情報であれな組織にとっては痛手だが、私にとってはヤバい集団と相まみえないで済むから大助かりだ。むしろそうであってほしい。頼むから。
風のように森林を駆け抜けるカイの腕の中で、私は切にそう願った。
しかし、その願いは大きなフラグとなってかえってきた。
ガシャンッ!
「やれやれ、やっと駄犬が帰って来たか」
組織名とは真逆の色の真っ黒な服を着た男たちが鉄格子の外で話している。
『白亜』という組織名のくせに黒い色を纏うんじゃない。
言動から真っ黒なくせに!
「手間をかけさせやがって。犬なら犬らしくご主人様の匂いをたどって自分で帰って来いよな」
「マジでそれな。人間様に迷惑かけんなって話」
最悪な会話をしている奴らに一発お見舞いしたい気分だが、生憎こちらは一般ピーポー。薄目で周囲を確認することしかできない。
(白い壁に銀色の鉄格子。地面は白く光沢がある)
まるで病院…………いや実験施設のような雰囲気だ。
(カイは大丈夫かな……)
ここまでは作戦通りだった。
しかし、ここからが要。
捕まった(というより帰還した?)カイが『白亜』内の機密情報を盗み出して、この施設全体を破壊するという計画。
そう、つまりこの作戦はほぼカイ一人で遂行する内容なのだ。
(……え、私ほんとに必要だった?)
捕まって何もできないため、自問自答して時間を潰す。
傍を離れたがらないカイにくっついて来たけど、無理矢理にでもカイ一人で行かせるべきだったかもしれないとか思っても、後の祭りだけどね………。
「にしても、こいつなんなんだ」
(!!)
鉄格子の外で会話していた男たちの意識がこちらに向く。
急いで気を失っているフリをする。
「ああ、どうやらあいつの面倒を今までみていた一般人らしい」
「へえ、よく喰われなかったな」
「あいつも瀕死だったらしいから、せっせと自分の面倒をみてくれる奴が都合よかったんだろ」
「犬にも利害ってのがわかるんだな」
「確かに」
ギャハハと品もなく笑う野郎ども。
さっきから駄犬やら犬やら言っているが、カイのことを言っているのだろう。
(後で絶対にシバく)
よくもうちの子をバカにしやがって……。
カイは強いし頭もいいし、ちゃんと言うことを聞いてくれる素直な子だ!
…………最近はちょっと執着が目立つけど、それも一時的なはずだから問題なし!
彼らの会話は不快だが、カイが置かれていた環境が少しわかった気がする。
こんな侮辱的な環境の中で育ったのなら、言葉を覚えていなかったのも納得できる。
それに、あれほど懐いてきたのも理解できた。
(寂しかったんだろうな……)
カイはきっと孤独だったんだろう。
能力だけを買われて、誰もカイ自身のことを知ろうとしない。
あまつさえ、犬だと馬鹿にしてくる者たちしかいない。
多分、初めてカイに優しく接したのが私だったんだと思う。
(………………)
彼はきっと初めての優しさを手放したくないのだ。
だから、周囲にある優しさに目を向けずただひたすらに私に執着する。
この状態は、人として好ましくない。
カイにはカイ自身の人生がある。
これからもっと素敵な出会いだって無数にある。
その可能性を潰すことは、とても罪深い。
(…………お別れ、か)
胸に鈍い痛みは走る。
そのことに心の中で失笑する。
どうやら私は、とうの昔に執着を抱いていたらしい。
あれほど自分を律して、制御しようとしても、心はままならない。
これではカイの執着をどうこう言う資格はない。
(………そうか、私は―――)
この作戦が終われば、もうカイと一緒に過ごすことはない。
薄々気づいていたことが、今はっきりとしてしまった。
(寂しい)
カイが私に依存するようになったのは、私自身がそうなるように仕向けていたから。
カイが他の人と接する機会をもっと私が作っていれば、今のようにはならなかった。
外に連れ出してもっと広い世界を見せていれば、こうはならなかった。
(淋しい)
すべきことに気づいていながら、そうしなかった。
だって、さみしかったから。
初めてあんなにも近くで時を過ごした存在が離れていくことに耐えられなかった。
(全部、醜い私の―――)
…………もう、やめにしよう。
カイの足を引っ張っていたのは私だった。
もう解放してあげないと。
(この作戦の後に、中村さんのところに行こう)
あの人と相談しながら、ゆっくりと離れていけばいい。
そうすれば、できるかぎり小さな負担でお互いに新しい道を歩んでいける。
そう結論が出て、深い思考から浮上した時。
「やあ、考え事は済んだかな」
「!?」
ガタガタッ
目の前に、白いお面があった。
驚きのあまり、縛り付けられている椅子ごと後ろに下がる。
「おっと、失礼。驚かせてしまったようだ」
一歩後ろに下がった白いお面は、全身も白かった。
白いロングコートの中には、白いシャツと白いズボン。
腰には銀色のチェーンがあり、様々な鍵がかけられている。
「…………私に何か用ですか」
尋問は一通り終わったはず。
黒ずくめたちに脳波やら虹彩やらの記録をとられながら質問された。
カイとどこで出会ったのかや、その後のこととかを聞かれた。
まあ、嘘をついても何の問題もなかったけど。
(絶対にあの人が何かしてる)
何をしたのかは分からないが、用意周到な上司に尊敬と恐怖を覚える。
やはり、ああいう人と敵対してはいけない。
そして、そんな中村さんと似たような雰囲気を感じる白いお面の人物。
「ふむ…………」
「……………………」
こちらをじっくりと品定めしてくる視線に冷や汗をかく。
この人物は『白亜』の人間なのだろうか。
それとも、また別の勢力?
壁に控えている黒ずくめたちの委縮した様子を見るかぎり、大物であることは間違いない。
「うん。君、僕のところにおいで」
「…………は?」
「そこの君、拘束器具を外してくれ」
「はっ」
さっと鉄格子のなかにやってきた黒ずくめの一人は、私の胴体の拘束器具を外した。
自由になった掌を閉じたり開いたりする。
「さあ、行こうか」
「…………っ」
差し出された手は、白い手袋で覆われている。
この手をとらないという選択肢がないことは、空気から察せた。
あの白い仮面の下には、氷雪よりも冷たい瞳が潜んでいるのだろう。
ゆっくりと、目の前の手のひらに手を重ねる。
「うん、素直な子は好きだよ」
すっと椅子から引き起こされ、腰に手を回される。
エスコートされているような体勢だが、安心感は一切ない。
こんな安定したリードよりも、あの不安定で力強いカイの腕の中の方がよかったなんて。
(今更すぎる)
後悔は尽きないけれど、歩みをとめることはできない。
半透明のエレベーターに乗り、どんどん上昇する。
でも、このままだと本当に後悔する。
「…………ひとつだけ、お願いがあります」
「おや、なんでも言ってごらん」
勇気を振り絞った言葉は、白いお面の男に届く。
反応も悪くない。
その勢いにのって、私はひとつの望みを口にした。