11 任務完了
「まどか……まどか……」
「…………」
簡素な病室で、私の名が呼ばれ続ける。
しわがれた優しい老婆の声が、私の心を震わせる。
「まどか………………」
皺だらけの手が私の方へ伸ばされる。
ベッドの傍にいた私は、その手を—————避けた。
(この人、私を見ていない)
手はこちらに伸ばされている。
しかし、目はこちらを向いていなかった。
視線は合っている。
少し白くなった目が私を見ている。
でも、その目は私じゃない誰かを見ていた。
「まどか………?」
優しい声に、私はうすら寒くなる。
この人は、私を通して誰を見ているのだろうか。
どうして私の名を呼んでいるのだろうか。
(確かなのは———彼女の声に答えてはいけないことだけ)
「まどか……まどか……」
手を彷徨わせる彼女は、まるで自分の子どもを探しているように見えた。
生憎だが、私は彼女の子どもというより孫である方が自然だろう。
やはり、彼女は私が見えていない。
(名前は…………同名なだけ?)
ピーッピーッピーッ
「!」
「ううッ………」
ベッドの横にある機械が鳴り出す。
心電図が異常な波形を描いている。
急いでナースボタンを探そうとして………やめた。
「うう…………」
私の任務は「看取る」ことである、「看病」ではない。
中村さんがあんなにも念を押してきた理由がわかった。
「『情を移すな』」
「ふーっ……ふーっ……」
横たわる高齢女性を、私はただ眺めた。
————眺めることしかできなかった。
「あ…………」
「?」
彼女が何かを言おうとした瞬間。
ピーッピー
———ピタッと音が止まった。
そっとベッドに視線を向けると、私は固まった。
「…………っ」
名も知らぬ彼女が、私に安らかな顔を向けていたのだ。
まるで、大切な人に最期を看取ってもらえたかのように。
(本当に、どういうこと……?)
何かに、巻き込まれている気がする。
しかし、それを知るにはあまりに情報が不足していた。
「無事に終えたようだな」
「ソウ先輩」
施設を出ると、ソウ先輩が入り口で立っていた。
彼の周囲に視線を巡らせるが、探している人は見当たらなかった。
「カイは———」
「なあに」
「!!」
耳元で声がしたかと思ったら、背後から抱きしめられた。
「び、びっくりした……」
「すごい、どきどきしてる」
「そりゃ、驚かされたからね……」
嬉しそうな声で、カイが背中に密着してくる。
心臓の音が筒抜けなくらい密着されて、途轍もなく気まずい。
「ここは邪魔になる。移動するぞ」
ソウ先輩の声で、フロアにいるSPたちの視線が集中していたことに気づく。
「迅速に出ましょう!!」
なりふり構っていられず、私はカイを背中にくっつけたままソウ先輩の背を押した。
SPたちは、その様子にそっと目を逸らした。
なぜなら、ひりつくような殺気を向けられていたから。
「アンタたちはもう帰っていい」
「え、ソウ先輩は?」
地上へつながっているエレベーターの前まで来ると、先輩はそう言った。
「俺はまだやることがある」
その内容を教えてくれないまま、彼は一瞬でどこかへ行ってしまった。
相変わらずの速さに、思わず感心する。
そして、いまだに背中にくっついているカイに声をかける。
「じゃあ、帰ろっか」
「うん」
終始嬉しそうなカイは、家に帰るまでずっと私にくっついていた。
ブブブッ ブブブッ
「?」
任務も終わり、大学の授業もない日。
私はクッションにもたれて、ボーっと天井を見ていた。
すると、スマホが鳴った。
「はい、佐藤です」
『やあ、佐藤君』
「………中村さん?」
電話の主がわかり、身構える。
まさか、任務が終わって早々に新しい仕事をさせる気……?
『仕事の電話じゃないから、身構えなくて大丈夫だよ』
「え、私のこと見えてます?」
『まさか』
中村さんは笑っているが、正直この人なら透視とかできそうだとわりと思ってる。
『カイ君はいるかい?』
「あー……」
私はそっと視線を下に向ける。
———そこには、私の膝枕でぐっすり眠るカイがいた。
「寝てます」
『おや、それは何より。寝る子は育つっていうからね』
中村さんの言葉に、これ以上彼が成長したらどうなるのだろうかと疑問に思った。
……どう成長するにせよ、私の手に負えなくなることは間違いなさそうだ。
「いや、今の状態で十分だと思います」
『あはははっ』
朗らかに笑う上司に、心の中でくすぶっていたものが落ち着いた気がした。
家に帰ってからも、あの女性の声が脳裏をよぎっていた。
『君が元気そうでよかったよ』
「しばらく仕事がなければ、さらに元気になりますよ」
『ふふっ、じゃあしばらくは英気を養ってもらおうかな』
その後、中村さんと少し話した。
そして、私はしばらくの間、仕事を休めることになった。
「では、失礼します」
『うん、ゆっくり休んで』
ぷつッ
通話を切ると、下から強い視線を感じた。
スマホの画面から、視線を下にスライドさせる。
「!」
「…………」
すると、目を開けたカイがこちらをガン見していた。
あまりの視線の強さに、私はなぜかそっと目を逸らした。
「偽善者野郎?」
「カイくん!?どこでそんな言葉覚えてきたの!?」
あまりにもはっきりとした暴言に、目を白黒させる。
どこでそんな言葉を覚えたのか、なんか滑舌よくなってないか、とか。
いろんな疑問が一気に降りかかる。
とりあえず、中村さんの呼び名を変えることが最優先だろう。
「さっきの人は、中村さんだよ。な・か・む・ら・さん」
「クソなかむら」
「おしい!クソをのけて最後に“さん”をつけたら完璧!」
「…………なかむら」
「うーん!もうそれでいいかな!」
どうやら彼にとって、私の上司は敵らしい。
この二人の間にある、蟠りを改めて感じた。