悪役王妃になりたくなくて変装したら、ラスボスの妻になれそうです
好きなタイプの主人公に、好きなように動いて貰いました。
楽しんで頂ければ幸いです。
鏡を見て、なんて美少女なのだろうかと思った。
陽光を紡いだような金の髪は豊かな巻毛。髪と同じ金の長い睫毛に縁取られた大きな瞳はよく晴れた空の色。透けるような雪白の肌にはほくろひとつない。柔らかな曲線を描く頬はほのかに薔薇色に色付き、唇は熟れた桜桃のように赤くみずみずしい。
天使のような美少女と言われて思い浮かべる美少女が、まさにそこにいた。
これが今世のわたしの姿だと言うのだから、前世のわたしの積んだ徳は、とても高かったのだろう。
ついでに言うなら頭も良い。前世のわたしはそこそこ馬鹿だったけれど、今世のわたしは習ったことがいちどで理解出来て、すぐに覚えられる。まさに、天に二物を与えられた女だ。
美人で頭も良いとなれば、それはもう、ちやほやされる。一挙手一投足を褒められ、愛され、大事にされる。
これで、有頂天にならない方が難しいと思う。
外面は装っても、絶対に、内面はろくでもない性格ブスに育っておかしくないと思う。
でも、悲しいかな。前世の記憶があるばかりに、わたしは疑り深く卑屈だった。
こんな恵まれた世界、絶対に落とし穴があると、疑い警戒していた。
だから、周りの機微には人一倍気を配っていたし、どれだけ褒めそやされても、まだ足りないと勉強を怠らなかった。
二物どころか実は三物与えられている今世のわたしは、裕福な貴族の娘だったけれど、いつ没落するとも知れないと、どんな状況でも生き残れる術を得ることにも、余念がなかった。
その結果。その結果だ。
なんと言うことだろうか。わたしは王家に目を付けられてしまった。
否。べつに不思議はないのだ。
わたしの父の地位は伯爵。王妃や王子妃を出してもおかしくない高位貴族の部類だ。まして一応は建国当初から続く由緒ある名家。優秀な娘ならば、王子の婚約者にと言われるのは不思議でない。
だが、わたしはまだ十二歳。王子たちだって、第一王子が十三、第二王子が十一、その下の第三王子に至っては、まだ九歳だ。
王侯貴族として普通と言えど、前世の記憶持ちとしては、まだ早い、と感じる。
となると。
前世でネット小説やタテヨミ漫画を読み漁っていたわたしとしては、もしや、と思わずにいられない。
もしや、わたしはいわゆる、悪役王妃とか悪役令嬢とか、そう言う役に、当てられそうになっているのではないだろうかと。
それは嫌だ。避けたい。と言うかそもそも、王妃だ王子妃だなんて面倒、いや、責任ある役目、わたしは負いたくない。ご遠慮願いたい。
ならばどうするか。
選ばれなければ良いのだ。王族の、婚約者に。
幸いにも、まだ候補段階だ。半年後に候補者たちを集めて、夜会と言う名のお見合いパーティをするらしい。
その夜会で見初められさえしなければ、ひとまず危機は去る。
王子たちやその上の国王、王妃に、好かれなければ良いのだ。
とは言え、嫌われるのもまずい。奇行をして、家の評判を落とすわけにも行かない。と、なれば。
わたしは手始めに、王族たちの好みと、この国の美醜の基準を調べ始めた。
ё ё ё ё ё ё
なんと言うことだろうか。
姿見の前に仁王立ちをして、わたしは鏡の向こうの美少女を睨み付けた。
鮮やかな金髪。豊かな巻毛。ぱっちりとした碧眼。ほくろひとつない白皙。すらりとした痩身。
すべてにおいてわたしは、この国で美人とされる条件に当てはまっていた。
まさか神から与えられしこの美貌が、足枷となる日が来るなんて。
このまま行けば夜会で目立つのは必至。
この美し過ぎる外見を、どうにかしなければいけない。
手っ取り早いのは。
「日焼け、する?」
わたしは両親にも兄たちにも溺愛されている。
やりたいと言えば大抵許され手配され、勉学も武術も思うまま修められている。
だが、現状深窓の令嬢だ。
屋敷の外に出ることは許されず、剣術の稽古ですら屋敷内の大広間で受けている。
だから、たとえば、乗馬がしたいとか、領地の視察がしたいとか、街遊びや川遊びがしたいとか言って、外出して日差しを浴びまくれば。この太陽光に免疫のない白い肌は、たちまち日に焼けてボロボロになるのではないだろうか。上手く行けばこのツヤツヤの髪も、痛んでバサバサになるかもしれない。
もちろん、そうならないように手当てはされるだろうけれど、それを超えるくらいに、日差しを浴びれば。
「やってみる価値は、あるよね」
うん、と頷いて、わたしは早速両親に外出をねだりに向かった。
ё ё ё ё ё ё
さて、目論見は上手くはまった。
鏡の向こうにいるのは、健康的に日焼けし、顔にそばかすの散った金髪美少女だ。美少女は日焼けしてもそばかすがあっても美少女らしい。羨ましいことだ。
けれどこの国の美人の基準からは、少しばかり外れることが出来た。
ついでに、乗馬や釣り、狩りと言った生きるのに役立つスキルや、この世界の市場の様子や技術の発展度合いと言った生の知識も得ることが出来た。
あと問題は、だ。
これまで集めた知識を思い起こし、うーんと唸る。
王妃殿下は美しい金の巻毛の持ち主で、マザコンの気のある王子たちは、王妃に似た金の巻毛女性が好きらしい。そう、ちょうど今、鏡に映っているような、鮮やかな金の巻毛の女性が、だ。
青い目をくり抜くのは無理だが、金髪の色を変えるなら比較的楽だ。
問題は方法とタイミング。
企みがバレて止められては元も子もないし、伸びるのを待てるような時期では早過ぎる。
わたしは慎重に策を練り、時期を見計った。
ё ё ё ё ё ё
「完璧ね」
姿見を見つめて、わたしは満足げに頷いた。
鏡の向こうにいるのは、淡雪のように真っ白な短い髪の、日焼けした美少女だ。こんな姿でも美少女なのだから、我が身ながらこの美貌が恐ろしい。
うっかり魔法薬を被って髪を脱色した挙句、火で炙って大半縮毛にしたのはつい先ほどのこと。さすがに父から少し怒られたし、母には泣かれ、兄たちには青ざめられたけれど、髪くらいまた生える。今後の人生のための投資と思えば安いものだろう。
夜会は明日。明日は朝から夜会のための準備をしなければいけないと来れば、いくら両親と言えど髪を戻すための魔法薬は手配出来ないだろう。そもそもいくら魔法薬を使っても、一日やそこらでは髪は伸びない。普通なら、だけれど。
「ちょっと、悪かったかな」
鏡の向こうの美少女が、しょんぼりした顔をする。
母があんなに泣くとは思わなかった。申し訳ないことをした。
黒髪巻毛が麗しい母は、父そっくりのわたしの金髪を色々にアレンジするのが、取り分け好きなのだ。
「夜会が終わったらちゃんと、元に戻すから」
手の中で小瓶を転がしながら、言い訳のように呟く。
母を泣かせてでも、わたしは夜会で見初められたくないのだ。
ё ё ё ё ё ё
そうして迎えた、夜会当日。
泣き過ぎて目を腫らした母は、それでも丁寧にわたしの髪をすいて、愛らしい真っ赤なリボンで飾ってくれた。
真っ白な髪に、大きな赤いリボンがよく映える。
「よく似合っているわ、わたくしのかわいこちゃん」
日に焼けても髪が白くなっても、母は変わらずわたしを可愛いと言ってくれる。
「……ごめんなさい、お母さま」
「いいのよ。でも、危ないことは控えてね」
こんな白い、短い髪では、王族はおろか貴族の令息にも、見向きはされないだろう。
事情を話せば理解は得られるとは言え、褒められた行為ではない。
家の評判が落ちるほどではないが、わたしの評判は落ちるだろう。政略の駒としての、価値が下がる。家として、損失だ。
それでも母も父も兄たちも、わたしをそのことで叱りはしなかった。
叱られたのは髪を燃やして、火傷するかも知れなかったこと。大怪我に繋がりかねない、危険を冒したこと。
わたしなんかには不相応なほどに、今世の家族はわたしを愛してくれている。
「はい。お母さま」
ほんとうは。
王族に見初められて、王妃になって。
家のために役立つように、動くべきなのだ。
だと言うのに、わたしは、真逆のことをして。
「大好きよ、お母さま」
「あら、甘えん坊さんね」
ぎゅっと抱き付けば、母は笑って抱き返してくれた。
こんなに、親不孝な娘なのに。
せめて、この夜会が終わったら、出来る限りの親孝行をしよう。
母に抱き締められながら、わたしはそっと誓った。
ё ё ё ё ё ё
夜会は王家主催だけあって、盛大で豪華だった。
煌びやかな会場と、色鮮やかな招待客。
色白の令嬢のなかで日に焼けたわたしは、まるで花束に混じった枯れ枝のようだった。
ヒソヒソと、聞こえよがしに陰口を叩かれるが、気にならない。
だって、この会場の誰より、わたしがいちばんの美少女だし、家族に愛されている。
そもそも、望んでのことだ。
喜んで壁の花になろうとしたところで、エスコート役を買ってくれた兄に手を引かれる。
「一曲は踊らないといけないよ、お姫さま」
「そうでした。お願いします、お兄さま」
兄に手を引かれ、踊る人々に混じる。
ふたつ歳上のいちばん歳の近い兄は、まだ十四歳だと言うのにダンスのリードがとても巧かった。
本当にお姫さまにでもなった心地で、きらきらしたシャンデリアの光を浴びる。
「楽しい?」
「とても!」
笑って答えれば、兄はほっとしたように、良かった、と呟いた。
わたしはちっとも気にしていなかった陰口を、兄は気にしてくれていたのだろう。
「お兄さま」
「なあに?」
「わたくし、醜いかしら」
問い掛ければ、完璧だった兄のリードが崩れる。
「そんなことはないよ」
すぐさま返された否定の言葉に、我が意を得たりと頷く。
「そうでしょう!お兄さまもお母さまもお父さまも、わたくしを可愛いと言って下さいますもの」
「僕らのお姫さまは、とても可愛いからね」
「ええ。ですから」
兄の手を引いて、くるりと回る。
「ほかの誰の賞賛も、わたくし、要りませんの。そんなものにかまけているより、馬で遠乗りしたり、魔法薬の研究をしたりする方が、大切ですもの」
きっぱりと宣言すれば、兄は呆れたように笑った。
「そうだったね。でも、あんまりお転婆は駄目だよ。お母さまが、心労で倒れてしまう」
「ええ。わたくし、とーっても、反省致しました。もう、ひとりで危ないことは致しませんわ」
「ひとりでなくても駄目」
聡明な兄はわたしの発言の穴に気付いてすかさず叱る。
それを笑って誤魔化していれば、あっという間に一曲が終わった。
兄に手を引かれて端に寄れば、ソワソワした令嬢たちの視線を感じる。
わたしの兄だけあって、兄もまた金髪碧眼の美少年だ。さらに先の会話でわかって貰える通り、頭も性格も良い。
「わたくし、端っこで良い子にしておりますから」
ここは、兄を選ぶなんて見る目のある令嬢たちに、良い思いをさせてあげるべきところ。
「お兄さまはどうぞ、交流して来て下さいませ」
「どちらかと言えば、お前が交流すべき場なのだけれどね」
「お兄さまがいては、殿方も近寄り辛いですわ。比べられてしまいますもの」
何度も言うが、美少年なのだ。わたしの兄は。
軽口に苦笑して、兄はわかったと頷いた。
「困ったら大声で呼ぶんだよ。すぐ駆け付けるから」
「はい。お兄さま」
良い子に返事をして兄を見送って、今度こそ壁の花になる。
兄がいなくたって、男性が寄って来ることはない。
色白で、長い髪を綺麗に結って、めいっぱいめかし込んだ美しい花々たちであふれている会場で、わざわざ枯れ枝に声を掛けるもの好きなんて、
「失礼、お嬢さん」
いないで欲しかったな。
横から掛けられた声に、振り向けばお腹。
顔を上げれば、首が痛くなるほどの位置に顔があった。
大きい。背も高ければ、体格も良い。あ、太ってはいないけれど。
「良ければ少し、お話ししませんか」
「ええと」
今世のわたしは記憶力が良い。だから、この国の王侯貴族はすべて頭に入っている。
でも、この男性が誰かわからない。
長い黒髪。蝋のように白い肌。紅玉のような赤い瞳。ぞっとするほど整った顔。
わたしが美しい悪役王妃だとするならば、このひとはそう、ラスボスの魔王や悪魔のような。
「兄を、待っておりますので」
「さきほどの美男は兄君でしたか。それは良かった」
なにが良かったと言うのだろう。
「ここに、私の従者を置いて行きましょう。兄君が戻ったら従者が案内します」
従者、と示された男も黒髪で、でもこちらはそこまで背の高くない痩身の青年だった。
「でも」
「王妃殿下が」
少し身を屈めて、男性は潜めた声を落とした。
「あなたを気になさっておいでですよ」
ちらり、と男性が目をやった先には、こちらへ歩いて来るらしい、王妃と第一王子の姿。
なんと。まさかここまでやっても足りないと言うのだろうか。
「逃がして差し上げます。さ、こちらへ」
流れるようにわたしの手を取り、男性はわたしを広間から連れ去った。
ё ё ё ё ё ё
「ここは」
「休憩室です。個人に用意されたものですから、ほかには誰も来ませんよ」
専用の休憩室を用意されるなんて、よほどの立場の方ではないだろうか。
めまぐるしく脳内の記憶をあさっていると言うのに、やはりわたしには目の前の男性の正体がわからない。
ふかふかのソファと、美味しそうな果実水を勧められる。
節度はあるらしく、男性が座ったのは、わたしの座るソファの前のソファだ。
「毒味が要りますか?」
「いえ」
グラスを手に取り、口に運ぶ。
緊張で渇いた喉に、冷えた果汁が美味しかった。
「美味しいです。ありがとうございます」
「それは良かった」
目を細めた男性が口にするのも、わたしと同じ果実水だ。
お酒の方が、似合いそうな見た目なのに。
「見ず知らずの男が、近くで酒を飲んでいたら怖いでしょう?」
考えを見透かされたような言葉に、びくりと身を揺らす。
「名乗りもせずに失礼しました。私は、ヴォルフガング・アマデウス・エーデルシュヴァルツ。あなたの名前をお聞きしても?お嬢さん」
「ルーフィ・アリーニナと申します」
エーデルシュヴァルツ。聞いたことがある。
黒い森の、向こうにある、大きな国。魔族の国。
その、国名を、冠するひと?
それは。
「ルーフィ。美しい名前ですね。その、小麦色の肌や、白い髪も、美しい」
「これは」
王族から逃げて、他国の王族に捕まっていれば、世話はない。
「偽りです。元々この色では」
このひとにとって、小麦色の肌と白い髪が魅力的だと言うのならば、わたしは真逆の外見になれる。
隠し持っていた小瓶の蓋を開けて、中身を喉に流し込んだ。
くらりとめまいがして、頭が重くなる。はらりと落ちかけたリボンを、慌てて掴んだ。
日焼け知らずの肌に触れる、長い金の巻毛。
「ほら、美しい白い髪なんて、どこにも、っ」
長い腕が伸びて来て、大きな手がわたしの肩を掴む。
「今のは、なんですか」
目の前のひとは、とても真剣な目をしていた。
「え?普通の、魔法薬、ですが」
「普通?これが?」
「はい。治療薬です」
「治療薬?治療薬で、髪が伸ばせると?こんなに、綺麗に?」
どうやらこのひとは、魔法薬の知識があるようだ。
「そんなわけがないでしょう。あり得ない」
「そうですね。わたくしもそこは頭を悩ませました」
うんうんと頷いて、わたしは投げられた言葉に同意した。
この世界の魔法薬の治療薬は、自然治癒力を高めるだけのものが主流で、一瞬で髪を伸ばしたり、傷を治したり、欠損した腕を生やしたりと言ったことは出来ないのだ。
なぜならこの世界の魔法と言うものが、融通が利かないから。
例えば魔法薬で、髪を伸ばそうとしたとする。ただ毛を伸ばすと言う効果だけ付けると、魔法薬は使ったものの魔力を使い尽くすまで、毛を伸ばし続けてしまうのだ。それも、身体中の毛という毛、すべてを。
だから魔法薬で髪を伸ばすならば、まず、体毛のなかでどれを伸ばすか定義し、どこまで伸ばすかも指定しなければならない。そして、そうやって指定したところで、仕上がりを綺麗にするなんてことまでは出来ないので、単なる不揃いな蓬髪が出来上がり、となる。
ところが今のわたしは、睫毛も無駄毛も伸びないで髪の毛だけが、まるで一流の美容師に切られた直後のように美しく揃って、伸びているのだ。
もちろん、そうなるように細かく指定すれば、綺麗に髪を伸ばす魔法薬も作れないことはない。だが、細かな指定を行えば、それだけ薬に魔法を込めることになり、副作用の危険は増すし、使用者の魔力を膨大に消費することになる。
高々髪を伸ばすだけで、そこまでの危険を冒し、労力を払うものはいない。だから、髪をすぐに伸ばせる魔法薬なんてものは、普及していないのだ。
では、なぜわたしの髪は一瞬で、それも綺麗に伸びたのか。
種明かしをすると、実は簡単なこと。
「わたくしが飲んだのは、髪を伸ばすための魔法薬ではありませんの」
過程と目的をすり替えたのだ。
「どう言うことですか」
「わたくしが飲んだのは、身体を復元するための魔法薬ですわ」
「復元?」
「はい」
真剣に話を聴いて貰えると言うのは、嬉しいものだ。
わたしはついつい前のめりに、自分の発想を説明した。
「細かく定義付けしては、いたずらに魔法を増やしてしまうでしょう?」
「ええ。だからこそ、治癒魔法は難しく、使い手の知識と観察が重要になります。魔法薬で代替は、出来ない」
「そうですね。でも、この魔法薬に込めた魔法は、たった二つだけですの」
予備として持っていた小瓶を取り出して、言う。
「二つ?それでどうやって、そんな完璧な効果を出すと言うのですか」
「簡単なことですわ。正しい姿を記録し、それを復元するように指示すればよろしい」
「なっ」
目の前のひとは目を見開いて言葉を失い、呆然とわたしを見つめた。
「そんな、ことが?いや、でも、確かに理論上は、二つの指示で出来る」
さすがの理解力だ。話していて心地良い。
「つまり、その魔法薬で、どんな怪我でも治せる、と?」
「残念ながらそこまでは無理ですわ」
鋭くなった視線に少し怯えながら、首を振る。
「魔法薬ですから。出せる魔力の範囲のことしか出来ません。死んだものは戻りません。それに、大きな怪我を治せばそれだけ、体力も奪われますわ」
言わば、回復力の前借りのようなものなのだ。
「致命傷を治そうとしても、魔力と生命力が足りなければ不発に終わりますし、魔力と生命力が足りて傷が治っても、反動で一週間は寝込むことになります」
「逆を言えば、魔力と生命力さえ足りれば、致命傷が一週間で治る、と言うことですか」
「それは、そう、ですけれど」
寝込むと一言で言っても、前借りした回復力の代償なのだ。死ぬほどしんどい思いをすることになる。
「とぉーっても、辛いのですよ?それこそ、死ぬほど苦しいのが、一週間も続くのですよ?」
「その口振り、まさかあなた、試したのですか?」
「さすがに自分で致命傷を付けて試してはおりませんわ!腕を切り落として、生やしただけ」
それでも四日も寝込んだし、そのあいだ死ぬほど辛かった。前世で、インフルエンザで41度の熱が出たときより辛かった。死ぬかと思った。
「切ったのは右?左?」
「左ですわ」
「失礼」
おもむろに左手を取られ、検分される。
「傷痕ひとつ見当たりませんが」
「傷が残ったら怒られますもの」
髪を燃やしたの比ではない。魔法薬研究禁止令が出かねない。だからこっそり、ばれないようにやったのだ。
家族はいまだに、わたしは研究に没頭すると頭を使い過ぎて知恵熱を出すのだと思っている。
「失礼ですが、歳はお幾つですか?」
「あと三ヶ月で十三になりますわ」
「十三歳。十三歳で、そこまでの研究を?この国ではそれが、普通なのですか?」
「さあ」
なにしろ深窓の箱入り令嬢なので。
「ほかのお家のことは知りませんわ。わたくしは数えるほどしか、領地の外に出たことがありませんもの」
ちなみにその貴重な一回が今だ。
「そうですか。……その薬、少し見せて貰っても?」
「はい。どうぞ」
「ありがとうございます。こんなにわずかな魔法で、こんな奇跡が」
わたしから小瓶を受け取ったそのひとは、じっと小瓶の中の液体を眺める。
解析機器もなく眺めただけで、わかるような代物でもないけれど。
「それはわたくし専用ですから、ほかの方が飲んでも効果はありませんよ」
試してみたいと目の前のひとが自分の腕を切り付けたりしないように、そう告げる。
「なるほど。事前に戻りたい姿を、記録しておく必要があると言うことですね。例えば親子や、双子の兄弟の場合は?」
「無理ですわ。同じ花から取れた種から育った植物でも、血を分けた親子や八つ子の鼠でも、四つ子の犬でも、薬が効くのは記録した個体そのものだけ。別の個体には効きません。それから」
自分の髪を一房取って、言う。
「わたくしは先ほどまで髪色を脱色しておりましたが、髪を脱色した状態を記録しても、再現されるのは長さだけで色は自然のものに戻りますわ。染めたり脱色した髪色には戻せませんし、記録後に禿げたり老いたりしたら、その死んだ毛根や重ねた歳までは戻りません」
「そこまで実証済みなのですか」
「成功したら、単なる治療薬でなく、若返りの薬になってしまいますもの」
もし可能ならば若さを保ちたい貴族に高値で売れるだろうが、さすがに理は捻じ曲げられないようだ。
「そうですか。ふむ」
目の前のひとは顎に手を当ててなにやら考えている。
「まだお若い方ですが、ここで求婚して、我が国に迎えたいくらいの才女ですね」
「それは」
「おそらくこの国の王族も、それを理解してあなたを王族の妻にと考えているのでしょう」
ぐ、と、言葉に詰まる。
王妃殿下は、ほかにいくらでも良い令嬢がいるなかを、白髪短髪のわたしへ向かって歩いて来た。
お見合いなんて言っても結局のところ、本人たちの意思など関係ないのかもしれない。
それでもひどい外見で、評判を落とせば可能性はと、思っていた。
やはり兄上ではなく別の誰かにエスコートを頼んで、アリーニン家の娘ではないと思わせるべきだっただろうか。
「王妃になるのはお嫌ですか?」
「わたくしには、過ぎた身分ですわ」
頭は良いが、話術はない。大勢のひとに囲まれて、ひとの思惑を読んで動くことよりも、ひとのいない研究室で黙々と作業をしたり、畑や家畜の世話をしている方が、性に合う。
「では、私の妻になりませんか」
「あなたは」
「王弟です。エーデルシュヴァルツの。王位継承権はすでに破棄しています。兄の子がおりますから」
つまり、王族の妻ではあるが、王妃にはならなくて良いと言うこと。
「ですが」
「我が国は実力主義ですので。なにかひとつ才のある方でしたら、それ以外を求めはしませんよ」
「それは結果を求められ続けると言うことでしょう」
目の前のひとはにっこりと、恐ろしくも美しい笑みを浮かべた。
それは、子供が問いに正解を答えたことに、満足するようで。
「問題ないでしょう。あなたは、挿し木した枝に魔法薬が効かないとは、言いませんでしたから」
「……」
にこ。と微笑んで、それから、頬に手を当てる。
「勘の良い殿方と言うのも、考えものですわね」
「お嫌いですか?」
「いいえ。打てば響く聡明な方は好きです。ですが、今は少し、都合が良くない」
空惚けて誤魔化せる相手であるならば、このまま押し通してしまうところだけれど。
「つまり、挿し木した苗が一瞬で親と同じ大きさまで育つと言うことですね。たった一年で荒野を一面の芋畑に変えた緑の魔女どの」
正確には、芋だけではないのだけれど。
「それは、わたくしのことではございませんわね?わたくし、ろくに領地の屋敷から出たこともございませんもの」
「そうですね。あなたは薬を作り、指示を出しただけでしょうから。よほど優秀な土魔法使いでもいるのかと思いましたが、まさか本当に魔法薬とは」
芋は挿し木ではなく塊根や地下茎で増やした。挿し木や地下茎、塊根や球根、それからカルスであれば、この魔法薬は効く。
元々が動物の治療薬としてではなく、植物の成長促進剤として研究していて、もしや動物にも応用出来るのではと脱線した結果が今なのだ。
魔力と、生命力と、栄養さえ足りていれば、この魔法薬でどんな土地でも芋と豆が収穫出来る。芋と豆があれば、糖質とタンパク質が摂れる。
あとはカルスで増やした苺と人参、甘藍。
これで去年の冬、どうにか領地で餓死者が出ずに済んだ。
アリーニン家の元からの領地ではない。取り潰された家から没収され、アリーニン家に褒賞として与えられた領地だ。
枯れ果てた荒地と、骨と皮ばかりの人々が暮らす土地。先一昨年と一昨年は、元からアリーニン家の領地だった土地で蓄えていた小麦を分け与えて生き延びさせた。けれど、毎年分け与え続けるわけには行かない。そんなことをすれば、こちらの土地から栄養が収奪されてしまう。
幸いと言って良いのかわからないが、彼の地は大量の魔物がいた。魔物を狩れば、肉も骨も手に入る。そのまま食べれば魔力が高過ぎて、ヒトには毒となる骨と肉だが。
その魔力と栄養を使えば、あとは塊根や地下茎や挿し枝の生命力で、芋も豆も十分育つ。
不毛の土地は、駄目なのだ。根も葉もないから。
根がないと土を捕まえてくれないから、せっかくの土が風で飛ばされて土壌が育たないし、水を蓄える根がないと保水も出来ない。葉がないと蒸散がされないから、雨も降らなくなる。
結果植物が育たず、より不毛な地になる。下がるばかりの螺旋だ。
だから、とにかく、乱暴でもずるくても、わたしは土地を草で覆った。
草さえ生えれば土地の湿気が増す。湿気があれば種が芽吹く。種が芽吹けば緑が増える。
わたし自身は行けないから、せめてなにか手助けをと、考えた結果が魔法薬だ。
食べるものがある。ただそれだけのことに、感謝を告げる手紙に泣いた。そんなこと、当たり前でなくてはいけないのに。むしろ、芋と豆と苺と人参と甘藍、それしか与えられないことを、恨まれて良いはずなのに。
「……あなたさまの、国にも、飢えたひとが?」
「黒い森は魔物の宝庫だ。そこから来た魔物がひとを襲う。魔物を切らねばひとが犠牲になるが、切ったその血肉が土を魔力に染める。魔族は、普人より魔力に耐性があるとは言え、それでも過剰に摂れば毒だ」
わたしの魔法薬は、土地の魔力と栄養を吸って、植物を復元させる。吸収した魔力はすべて成長のために消費されるので、収穫された作物に魔力は残存しない。すぐに収穫してしまえば、余剰に魔力を吸収することもない。
「…………そうですか」
救いを求めて伸ばされた手を、振り払うのは心苦しい。
けれどわたしはつい数時間前に、この夜会が終わったら親孝行をすると誓ったのだ。
「ですがわたくしは、この国の貴族ですわ」
「もちろん、あなたを引き抜くことにより生じるであろう不利益は、十二分に補填させて頂きます。その交渉は、私とこの国とで」
ただ、と、目の前のひとはわたしを見つめた。
「国の決めたことに、あなたは逆らえないでしょう」
だから、国として話す前に会って話したかったのです。
もしやこのひとは最初から、わたしに目を付けていたのだろうか。外見なんて、関係なく。
「つまりここでわたくしが」
赤い瞳を見返して、問い掛ける。
「嫌だと言えば、この話はなかったことになる、と?」
頷いたそのひとは、わたしを怯えさせないためか、少し申し訳なさそうな顔を作った。
「婚約と言う話はなくします。ただ、技術を教えて欲しいと、協力依頼はさせて下さい」
両手を膝に突いて、そのひとは深く頭を下げた。
魔族の国の王弟殿下が、齢十二の人間の小娘に。
「生まれたばかりの嬰児が、母の乳を飲んで死ぬのです。大人ならば耐えられる魔力汚染でも、子供は耐えられない。それでも、毒とわかっていても、食べるものはそれしかないのです」
ずるい、と思う。
そうして情に訴えればこの小娘は頷くだろうと、このひとは考えているのだ。
「……代わりにあなたは、なにをして下さるのですか」
「私に出来ることならば、なんであろうと」
「あなた自身すら差し出すと?」
「もちろんです。公財や民を差し出すことは出来ませんが、私の私財とこの身であれば、すべてあなたに差し上げましょう」
目の前のひとは顔を上げない。
「顔を、上げて下さいますか?あなたの本心が知りたいのです」
「はい」
上げられた顔。真っ赤な瞳が、真摯にわたしを見つめる。鼻も赤くなっていた。白い肌は、赤みがよく目立つ。
「それと引き換えに、あなたはわたくしになにを求めるのですか?」
「毒を喰らわずとも、飢えずに済む土地を」
「それだけで、よろしいのですか?」
「それだけのことが、いま、私たちにはとてつもなく難しいのです」
天秤を、揺らす。
どんな選択を取れば、もっともわたしの望みに近い形になるか。
「妻としての役割は、ひとつも求めないと?」
「許されるならば、妻を愛する夫でいさせていただければ嬉しく思います。それから、あなたの望みを聞き、それを叶える権利を」
ぱちり、と目をまたたいたわたしに、慌てたようにそのひとは付け足す。
「もちろんお嫌ならばそのようなことは求めません。家も別に用意し、使用人もそろえます。あなたはあなたの、望むままの生活を、」
「わがまま放題に浪費しても、男を連れ込んでも構わないと?」
「私の私財で賄える範囲で、我が国の民を傷付けないことであれば、構いません」
迷いなく、言葉が返ると言うのに、そのひとの言葉は不思議と軽くは聞こえない。
「……溺れるほどに愛して欲しいと言ったら?」
「喜んで」
「美しい白い髪も小麦色の肌もなくても?」
「どんな髪や肌の色でも、あなたは美しいですよ」
「老い衰えても?」
「重ねた時と共に、愛しさも増すでしょう」
口ではどうとでも言えるとは、言わなかった。
躊躇ってから、口にする。
「土地が異なれば、同じ成果が出るとは限りませんよ」
「そのときは」
躊躇いなく、言葉は返った。
「我が弟が別の方法を探しましょう。やれることはまだある。それだけでも、我らにとっては一条の光です。もちろん、一刻も早く状況が打開出来ることに、越したことはありませんが」
瞬間昏くよどんだ瞳に、これが最後と、問いを発する。
「成功は、億千の試行の末に一握り、得られれば、運の良いもの。わたくしがあなたがたの土地を実験場にすることを、あなたは許せるのですか?」
「もとより汚染され尽くした土地です。一雫でも可能性があるならば、あなたに託したい」
息を、吐く。
「わかりました」
彼の申出を断った先、待つのはこの国の王族との婚姻だろう。お妃教育を受けさせられ、周りから厳しい目を向けられて、一度出した成果は、出し続けて当然と思われる。
ならばまだ、この魔王のような男の手を取った方がマシだ。
このひとは、対価を差し出す気があるのだから。
「ただ、すぐにとは行きません。この国で やり残したこともありますし、準備も必要です。ですから、あなたの国に向かえるのは、早くとも一年後です」
巧遅は拙速に如かずとは言え、準備不足で向かって成果が出せないのでは意味がない。
「事前調査にわたくしの手勢は先行させますが、あくまで調査。本格的な動き出しはわたくしが追い付いてからになります」
全員を連れ出すわけには行かない。こちらの領地だってまだまだ改善の必要はあるのだ。連れて行くのはほんの一握り。残りは現地のものを育てて使うことになるだろう。
「なにより、わたくしはこの国の貴族の娘です。家と国の許可がなければ、なにごとも、」
ぽかん、と間抜け面に言葉を止める。
「聞いていらっしゃいますか?」
「魔族の、ために、動いて下さると?魔物に溢れた土地で?あなたのような、愛らしいお嬢さんが?」
「あなたが守って下さるのでしょう」
「ええそれは、もちろん。ですが」
赤子に絡まれた大型犬のような顔で、魔王のようなそのひとは言う。
「あなたは、私が、怖くはないのですか」
「幼子が死ぬのが辛いと泣く方がですか?」
「泣いては、おりません」
「涙声になっていましたよ」
だから泣いているのではと、顔を上げさせたのだ。
頬を濡らしてこそいなかったが、目許も鼻も赤くなっていた。
赤い目が、わたしから逸らされる。
「お恥ずかしい」
「そうですか?悪いこととは思いませんが」
誰かのためにそこまで心を動かせるひとは、そう多くないだろう。
だから。
「すべてを救うなどと、大それたことは申しません。ですが」
右手を、差し出す。
「助けを求める手を伸ばされて、払い除けるのは心苦しいものですわ」
恐る恐る伸ばし返された手が届く前に、ひょいと手を持ち上げて笑う。
「ただしわたくしにも出来ることと出来ないことがございます。特に身の振り方など、わたくしで決められることではありません。嫌ではないかと訊かれれば嫌とは言わず、選択肢を出されればあなたを選ぶ。それ以外のすべては、あなた自身でどうにかなさって下さいませ」
きょとんと開かれた瞳を見つめて告げた。大きな身体も美しい顔も威圧感があると言うのに、仕草や表情は可愛らしい。
「それでよろしくて?」
「もちろんです。ありがとうございます」
じわ、とまた目を潤ませて、そのひとは両手でわたしの手を掴んだ。
「ではそのように。さて」
未来の夫かもしれないひとの手から手を抜き取り、首を傾げて頬に触れる。
「困りました」
「やはり嫌、でしょうか」
「いえ。そうではなくて」
自分の髪をつまんでため息を吐く。
「髪を戻す方法があったのに使わなかったと、お兄さまに知られてしまいますわ」
「え」
「薬のこと、家族には内緒にしておりましたの」
知っていれば母をあそこまで泣かせることもなかっただろう。まあその辺は、開発はしてあったけれど効果が不安定なので夜会前の使用は控えたとか、言い訳出来るのでなんとでもなるけれど。
「それ以上に、これが本来の姿と知れると、競争率が上がりますわ。ほら、わたくし、この通り百年にひとりの美少女ですから」
「それは確かに、困りますね」
む。と眉を八の字にしてから、そのひとは伺うようにわたしを見た。
「ルーフィ」
「はい」
「ほんとうに、私のことは嫌ではないですか?あとから後悔しませんか?」
「くどいですね。嫌ではありません。それから、後悔しないかですか?そんなもの」
胸を張って、堂々と宣言する。
「あとになってみなければわかりませんわ」
「そう、ですか」
「そんなに何度も嫌ではないかと訊くなんて、本当はあなたの方がわたくしは好みでないのでなくて?」
「まさか」
目を見開き、ぶんぶんと首を振って否定する。
手を取り、手袋を引き抜かれる。
現れるのは、よく手入れされてすべらかな、けれど皮膚はかたく、あちこちに小さな火傷跡のある手。
「やっぱり。働き者の職人の手です。こんな手の方が、好みでないなんてあり得ません」
隠して下さいと、外しておきながら丁寧に手袋をはめ直される。
「こんな手を見せられたら、我が国のものはみな惚れてしまいますよ」
「あなたも?」
「手だけが理由ではありませんが、はい」
手袋越しに触れても、その大きな手は熱かった。
「愛させて欲しいと乞うたのは、嘘ではありません。ですから、もしあなたが許して下さるなら」
真っ白な肌は、上気した頬がよく目立つ。
「私があなたに惚れ込んで妻乞いをしたと、これから夜会に戻って国王に告げましょう。そうすれば、魔族の王弟に喧嘩を売るものなどそうはおりません」
「なるほど?」
そこまでされて横槍を入れれば、外交問題になりかねない。確かに牽制としては十二分に有力だろう。
「なかなかに、乱暴な手段を取りますのね?」
「やはり嫌でしょうか」
「わたくしは構いませんが」
目の前のひとの顔を、まじまじと見つめる。決して老いてはいない。恐らく二十代の、それも前半。だが、十代ではないだろう。
「幼女趣味の小児愛者と、あらぬ噂を立てられるお覚悟がおありですか?」
「よっ、わ、私はそんなに、高齢に見えますか」
「二十代前半かと」
「二十二歳です」
「十二歳に一目惚れするには、いささか歳が離れておいでですね」
また同じ問いを投げられるのもなんなので、わたくしは気にしませんがと付け足す。
「あなたは、ずいぶん大人びた口調で話すので」
「それでも、見た目には少女ですから」
百年にひとりの美少女なので老若男女魅了されるのは仕方ないが、求婚となればまた話が変わって来る。
家の決めた婚姻で十歳差ならよくある話だし、もっとお互い歳が上での十歳差ならおかしくもないだろう。二十歳過ぎの青年が十二歳の少女に一目惚れして求婚と言う、字面が良くないのだ。
「私は幼女趣味では、あなただから惚れたのであって、年齢は。と、歳の近い男の方が、あなたはお好きですか?」
わざわざ気にしないと言ってあげたのに。見かけ倒しなひとだ。
「弟が数人おります。私では歳が離れ過ぎて嫌であれば、」
「わたくしは」
目を細め、唇を尖らせて、不服を表に出す。
「あなたを、選んだのですが?簡単に譲ってしまえるような軽い気持ちで、あなたはわたくしに求婚したと?」
まあそうだろう。このひとが欲しいのはわたしではなくわたしの持つ技術だ。
そう、思ったのに。
「良いのですか」
整った顔が表情まで整えると、マネキンのようで恐ろしく見えてしまう。
「私があなたを、逃げられないよう囲っても」
「程度によりますね」
それでも、笑って答える。
「妻になることは了承しました。そこに至るよう囲い込むと言うならばお好きにどうぞ。それ以上に囲うと言うならお断りです」
「なるほど。ではそのように」
すくと立ち上がったそのひとは、さっとわたしの背後に回ると、ほどけてそのまま握っていたリボンをわたしの手から抜き取った。
「触っても?」
「え?」
「髪を。下ろした姿を大勢に見られるのはやめて頂きたい」
「構いませんが」
出来るのか、との疑惑に反して、手際よく髪はまとめられた。部屋にあったドレッサーを覗けば、品良く結い上げつつ、毛先二十センチほどは編み込まずにふわりと広がる巻毛を魅せている。
「器用ですね」
「私も髪が長いですから」
「ご自身で身支度を?」
「出来なければ、困る場面もあります。さて、失礼致します」
ひょい、と。ひどく簡単にひょいと、抱き上げられた。
「へ、うわ、高い」
突然上がった視界に驚いて、手近にあった首にすがり付く。ふわりとけぶったような甘い香りがした。
「あなたは」
間近に聞こえる声。視線が近い。
「草の香りがするのですね」
「花でなくて申し訳ございませんね?」
「好ましい香りだと伝えたかったのですが」
偽物の髪を褒めてしまった辺り、女性の扱いは巧くないのかもしれない。
「なぜ、抱き上げられたのでしょうか」
「その方が気持ちが明らかかと」
歩き出されて、慌てる。
「え、このまま行こうとしていますか?本気ですか?」
「あなたを妻にするための努力は、許されましたから」
「どんな噂を流されても知りませんよ?」
「外堀が埋まってちょうど良いでしょう」
いやいやそんなと、逃げようとする動きはすべて阻止されて、あっさりと部屋から外へ連れ出されてしまう。
「ルーフィ」
「もう、どうなっても知りませんよ」
「笑って」
笑顔の代わりにため息を返した。
「こんな場面で笑えるほど、殿方に慣れておりませんの」
「そう。可愛いですね」
そのひとは、まるで愛しい恋人を見るような目で、わたしを見つめる。
偶然通りがかったひとびとが、唖然として見つめるのは、彼が美しいからか、わたしが美しいからか、それともこの異様な状況に驚いたからか。
「本当にこのまま行くのですか」
「ええ。もちろんです」
抵抗も諦めて身を委ねたわたしを、しっかりと腕に抱きながら、そのひとはのたまう。
「忘れていませんよ。王妃殿下は王子を連れて、あなたに話しかけようとしていました。私が少し出遅れていれば、あなたを王子に奪われていた」
まあ、そうだろう。さきに自国の王族から声を掛けられて話が進んでいたならば、他国からの横槍は簡単でない。もちろん、国力の差にものを言わせれば別だけれど。
なんなら、実は水面下で話が進んでいるなんて可能性も十二分にある。
「やはり」
そのひとは呟いて微笑んだ。
「賢い方ですね。あなたは」
「それは、どうでしょうか」
なるほどそんな水面下の動きも、こう大々的に動かれてはなかったことにせざるを得ない、と言うことだ。
「でも下手したら幼女誘拐に見えますからね、この絵面」
「ゆっ……そんな、つもりは」
「つもりはなくても、一般的、客観的に見てそうみえたら、そう、なんですよ」
確かに前世のわたしは小学生から身長が伸びなかった。だが、同じ身長でも小学生と大学生では、やはり顔立ちや雰囲気でわかるものだ。
まして今世の身体はまだ二次性徴が見られず、この世界基準で小柄で華奢だ。その上、相手がこの世界基準で長身かつガタイの良い男性なので、比較して余計小さく見える。
髪色も目の色も違って、顔立ちも方向性が異なるので親子や兄弟には見えず、前世で道を歩いていたら間違いなく警察から声を掛けられたであろう組み合わせだ。
「いやでも、丁度良いかも、しれませんね」
「ええ?」
「断ったら拐ってでも連れて行くと思わせれば、交渉がしやすくなると思いませんか?」
拐われるよりマシだから、とでも言う気か。
「罷り間違ったら戦争が起きませんかそれ」
「それくらい本気だと言うことです」
「本気だからと言って」
呆れ顔になりつつ言う。
「なにをしても良いとはならないですからね」
「ええ。そうですね」
「なんで少し嬉しそうなのですか」
まさか本当に危ない性癖でも持っているのではあるまいな。
「あなたが」
穿った見方が染み付いたわたしとは違って、そのひとはあくまで純粋に微笑んでいた。
「恐れも畏れもなく話して下さるのが、嬉しくて」
「母国にはいないのですか。忌憚なく話す相手は」
「王位継承権を破棄したとは言え、王族ですからね」
確かにわたしも、母国の王族にこんな態度は取れないかもしれない。
「畏まった方がよろしければ、そうしますが」
「嫌です。今のままで」
「ではそのように。まあ、あなたが乞う立場ですからね、現状」
序列付けは大事だ。
わたしは技術を与える側で、このひとは技術を乞う側。この点においてふたりは対等ではなく、わたしが上の立場だ。身分や権力で言えば、かれが圧倒的に上の立場だけれども。もちろん、腕力でも。
「乞うてあなたが手に入るなら、いくらでも」
そうして欲しがっているのは、わたし自身か、それとも、わたしの技術か。
考えるまでもなく後者だろうと判断し、笑う。
「乞うべきはわたくしにではなく、父と国に、ですわね」
「仰せのままに、お嬢さん」
美しい顔で気障ったらしく答えると、そのひとは広間へと足を運んだ。
集まる衆目。広がるざわめき。兄が目を見開き、駆け寄って来る。
「ルーフィ、探したよ。それに、その髪、肌も」
兄の声に、また大きくなるざわめき。
と言うか兄よ、まず気になるのはそこで良いのかい?
「申し訳ございませんお兄さま。この方とお話ししておりましたの」
「そう。妹の相手をして下さり、ありがとうございます。アルノリト・アリーニンと申します。パートナーをお返し頂いても?」
あくまで物腰は柔らかく。けれど有無を言わせぬ強さを持って、兄は見上げる長身の男性に要求した。
そのひとは、怒った素振りもなく、にこ、と微笑む。
「ヴォルフガング・アマデウス・エーデルシュヴァルツと申します。こちらこそ、妹君ととても有意義な時間を過ごさせて頂きました。ありがとうございます」
「なにか失礼をしていないなら良いのですが。さ、ルーフィ、おいで」
兄に手を伸ばされれば、応えてやりたいのは山々だが、悲しいかな、がっちりホールドされていて、逃げられないのだ。
「エーデルシュヴァルツ閣下?」
返せと言ったのが聞こえなかったか?と言外に告げる兄は、相手の身分をわかっているようだ。有名な方だったのだろうか。
「ルーフィ」
顔のすぐ近くから、甘い声で呼ばれる。
「今日は、あなたのお父君は?」
「父も母も来ておりませんわ。今日は、若い世代の交流のための場ですもの」
丁寧にオブラートに包んだが、身も蓋もなく言えば王子たちの嫁と側近選びの場だ。親同伴の子もなかにはいるが、割合としては少数派だ。
「そうですか。では、ご両親へのご挨拶は日を改めてお願いしましょう」
「……なぜ、両親への挨拶の必要が?」
「彼女と」
その言葉に、会場中が聞き耳を立てる気配がした。
「結婚する許可を頂くために」
ざわ、と、会場全体が揺れた。
「それはまた」
兄がわずかながら表情を険しくして、目の前の男を見上げる。
「突然の申し出ですね」
「そうですね。一目惚れ、のようなもの、ですから」
「一目惚れ、ですか?」
「ええ」
にこ、と笑ったそのひとは、愛おしくて仕方ないとでも言いたげな顔でわたしを見る。
「はじめは、刺々しい視線にも怖気付かず、凛と微笑む姿に目を惹かれ、弟の婚約者にどうかと話しかけました。けれど話してみるととても優秀な方で、お話の内容もたいへん興味深く、つい、弟にやるのは惜しいと思ってしまって、気付けば、求婚を」
なるほど、そう言う設定にするのか。外見であてがおうと思ったのは弟。けれど内面で惹かれて自分が求婚したと。確かにそれなら、あらぬ疑いを掛けられる可能性も減るだろう。
いまは会場中の耳が、こちらに向けられていることだし。
わかってはいたが、よく頭の回る方だ。
「妹はまだ、十二歳です」
「はい。お聞きしました。ですが、とても十二歳とは思えぬほど聡明でいらっしゃる。下手をすると、この会場にいる誰より賢いのではないでしょうか」
「それに頷いたらさすがに不敬ですわね」
笑って、そのひとの頭に頭を寄せる。
「お兄さま、この会場で唯一この方だけが、白い短い髪と日に焼けた肌に、顔をしかめませんでしたの。とても、寛容な方です、お兄さま、わたくしの人生を託すなら、わたくしはこの寛容な方が良いのです」
「彼の国は遠いよ、僕のお姫さま」
「でもそこに、わたくしを必要としてくれる方がいるのです」
わたしを抱くひとの服を、すがるようにぎゅっと掴む。
兄はそんなわたしを見上げ、へな、と眉を下げた。
「それは……わかった。なんにせよ、最終的な決定権を持つのは父上だ。わかっているね?」
「もちろんです。わたくしは、そう望むと、意思表示をしただけですわ」
「では、お兄さまの腕に戻っておいで。いつまでもそうしていては、エーデルシュヴァルツ閣下にご迷惑だろう」
さあ、と兄が手を伸ばす。
「疲れたなら、僕が抱っこしてあげるから。もう、帰りたいかい?」
「「もう少しだけ」」
答えた声は、ふたりぶんそろった。
「近々ご挨拶に伺うつもりではありますが、それまでは会えないと思うと、もう少し、そばにいたく思います」
「とても背が高くていらっしゃるから、視界が新鮮なのです。馬に乗るのともまた違って。だから、もう少しだけ」
「確かに僕は閣下ほど身長はないけれどね……」
兄が困り顔をしてから、ため息を吐いた。
「ここは夜会であって、家や領地ではないのだから、わがままを言うものではないよ、ルーフィ。閣下、そう言うことでしたらあと一曲分だけは、僕のパートナーをお預け致しましょう」
わたしの兄だけあって、幼いながらもやはり聡明だ。
譲歩されたとあっては、これ以上のわがままも言いにくい。
「ありがとうございます。では、愛しいひと?一曲お願い出来ますか?」
「喜んで」
わたしを抱き抱えたままホールへ歩み出たそのひとは、まるでガラス細工でも扱うように、そっとわたしを床へ下ろした。
「身長差があるので、踊りにくいのでは?」
「妹の相手で慣れていますよ」
大人同士のように格好はつかない、ちぐはぐで、まるでおままごとのようなダンス。
けれど、さきほどのような嘲笑は一切聞こえない。
当然か。いまのわたしはさきほどと違い、非の打ち所がない美少女で、その相手はゾッとするほど美しい男だ。あざけろうものならむしろ己が哀れになるだろう。
「確かにお上手ですわね」
「さんざん妹に付き合わされたことに、感謝したくなりますね。背が高いことも、その分食事がいるので良いこととは思えませんでしたが、あなたに好かれる理由になるなら悪くない」
「確かに」
きっと一から九くらいまで、こんな考え方をする方なのだろう。
「大きいと基礎代謝も大きくなりますね」
「やはり背を縮め、」
「ですが」
微笑んで、言う。
「その分、たくさん働けますもの。食べた分は働きで返せば良い話ですわ」
「働きで」
「身体が大きいと言うことは、それを支える筋肉も大きいと言うこと。重みがあれば、打撃力も上がりますし、家畜にも引き負けにくく、」
ふふっ、と笑われて、む、と口をつぐむ。
「なにかおかしなことを言いましたか」
「体格が良くて見栄えが良いと言われたことは何度もありますが、役用家畜と並列して褒められたのは初めてです」
「だって」
最初にこの流れにしたのは誰だ。
「見栄えでお腹は膨れませんわ。低次の欲求が満たされなくて燻っている相手に、高次の欲求を焚べても、燃え上がりはしないでしょう」
「そうですね。ああ」
ひょいと軽々わたしを持ち上げて、そのひとは優雅に回って見せる。
「あなたと出会えたことを、私はなにに感謝すれば良いでしょうか」
「とりあえず、わたくしに感謝してみては?あるいは、わたくしを産み育てた父母でしょうか」
「あなたに感謝を、ルーフィ。出会ったばかりでこんなことを言っても信じて貰えないかもしれませんが、愛しくて仕方ありません、あなたが。このまま国に連れ去りたいくらいに」
「あら」
曲が終わる。約束の一曲が。
「それでは時間が掛かり過ぎますわ」
「え?」
離れ難いとでも言いたげにわたしを抱き寄せたままで、そのひとはきょとんと目をまたたく。相変わらず可愛らしい仕草だ。
「いま連れ去られれば研究成果や資料が持ち出せませんから、連れ去られた先でまた一から始めることになります。こちらで実験途中のことも多くありますし。それでは成功が遠退くことになります。そのあいだにまた、子供が死にますよ。それは嫌でしょう?」
だから、と微笑んで言う。
「わたくしが今途中の研究を終えて、あなたが我が国と交渉して、その研究ごとわたくしを貰い受けても戦争が起きないようしっかり交渉をして。わたくしを連れて行くならその後ですわ。その方が、早く済みますもの」
急がば回れと言うでしょうと首を傾げて見せれば、ぽかん、と目を見開いたあとで、きゅ、となんだか痛みを堪えてでもいるような顔をされた。
「あなたは……」
「なにか反論が?」
「いいえ。わかりました」
ため息と共に、身体を離される。
「お望みのままに、お嬢さん。すべて黙らせてから、あなたを迎えに行きましょう」
「はい。そのあいだに、わたくしも準備を整えましょう」
す、と、後ろから兄がわたしの肩に手を掛ける。
「気は済んだかい、お姫さま」
「はい、お待たせ致しました、お兄さま」
「閣下、今日のこと、父には伝えて置きますが」
「正式には私から使いをお送り致します」
「我が家だけで、判断は」
「もちろん」
そのひとは、どこか嬉しそうに微笑んで頷いた。
「王家にも私から、話を通します。ルーフィだけでなく兄君も、たいへんに聡明でいらっしゃるようだ」
「恐縮です。では、本日はこれで」
「ええ。パートナーを長く預けて頂き、ありがとうございます。とても、楽しい時間を過ごせました。ルーフィ、近いうちに、必ずまたお会いしましょう」
兄の手を取り、教本通りの一礼をする。
「お待ちしておりますわ」
「行こう。今日はもう、帰った方が良い」
「わかりました。では、」
言葉を切って、迷う。
果たして、なんと呼び掛けるのが正解だろうか。
「ヴォルフさま」
唇に乗せた声は、そのひとを唖然とさせてしまったけれど、もう戻らないとそのまま笑みで押し通す。
「わたくしも楽しかったですわ。さようなら」
会釈して、兄に手を引かれ歩き出す。
兄が無言なので、わたしも無言のまま。
美少女と美少年が澄ましていると迫力があるのだろう。誰にも声を掛けられることなく会場を突っ切り、待たせていた馬車までたどり着いた。
馬車が走り出すのを待って、兄がぐったりとため息を吐く。
「ルーフィ」
「はい」
「よりにもよって、とんでもない相手を引っ掛けたものだね」
とんでもない相手と言われても、わからない。
「ええと」
「生物学と農学だけでなく、政治経済や地理歴史にも、もう少し興味を持とうね」
困ったように笑った兄が手を伸ばし、わたしの髪を指ですく。
「エーデルシュヴァルツはわかるかな」
「黒い森の向こうの、魔族が治める、大きな国」
「そうだね。我が国からはかなり離れた国だ。黒い森のこちら側の境界は切り立った高い山に囲まれているから、行くとしたら遠回りだが海路になる」
だから国交はあまり盛んではないのだけれどと兄は続けた。
「鉱物の産出が豊かな国で、金属加工技術も高い。我が国の農作物と彼の国の工業製品で貿易を行っているよ」
「食糧に困っていると、お聞きしました」
「そうだね。黒い森は魔物の宝庫らしい。かなり頻繁に魔物の大量発生と襲撃があると聞いている。それだけに、魔力汚染も激しいのだろうね」
こちら側が地形に守られて受けない不利益を、あちら側がすべて被っていると言うことだろう。
「エーデルシュヴァルツ閣下は辺境公だ」
「辺境公」
「黒い森と隣接する大きな領地を治めている」
なるほど、それは汚染に困りもするだろう。
襲い来る魔物。打ち払わなければこちらがやられる。殺さず追い払う余裕はない。けれど、殺せば土地を汚染する。板挟みだ。
「わたくしを、必要とする土地ですね」
「エーデルシュヴァルツ閣下は、現エーデルシュヴァルツ国王唯一の同腹弟で、国王に溺愛されている。国王は七年前、黒い森との境の三領地を統合し、王位継承権を破棄する弟に辺境公領として拝領させた」
「それはまた」
まさに溺愛と表現すべき行動だ。
「反発されたのでは?」
「当初は多少反発されたらしいね。けれど、すぐなくなった」
「なぜ?」
兄は難しい顔でわたしを見つめて言った。
「七年前までは、黒い森からの魔物被害が、エーデルシュヴァルツ全体であった。だが、エーデルシュヴァルツ閣下が辺境公になって、二年後には一切なくなったからだよ」
「つまり」
真面目で努力家であろうあのひとが。
「エーデルシュヴァルツ辺境公領内で、黒い森の魔物がすべて倒されるようになった、と言うことですか?」
「ああ。統計では、元々半数は領の外まで侵攻していた魔物が、閣下の領主就任半年で、七割領内で打ち倒されるようになり、一年後には九割が、二年で全て領を出ることなく狩り尽くされるようになった。
エーデルシュヴァルツの魔物発生地は黒い森だけではないから、辺境公領外すべての魔物被害がなくなったわけではないが、それでも辺境公領外は圧倒的に安全になったそうだ」
それは、どれほどの、苦難だろうか。
それに、それだけの魔物を倒したならば。
「その、皺寄せを受けているのが、辺境公領だ」
そうだ。魔物を倒せば倒すだけ、魔力汚染は深刻になる。元々かなりの魔力に汚染されていたであろう土地で、さらに魔力供給が倍増したとなれば。
「そこは、もう、ひとの暮らす土地ではなくなっているのでは?」
「エーデルシュヴァルツ国王は弟を溺愛しているが馬鹿ではない。望む者には移住を認めている。十分な支援もしてね。だが、土地を愛して移住を拒むものや、支援があってなお移住出来ないものもいる」
それはそうだ。住む土地を変えると言うのは、それだけ勇気と労力がいる。いくら、住むに向かない土地だとしても、誰もが簡単に住処を去れるわけではない。
「……エーデルシュヴァルツ辺境公領の、エーデルシュヴァルツ国領土占有率は?」
「およそ一割だね。移住も進んでいるから、人口比で言うならさらに低くなる」
「国の九割を救えるならば、一割の犠牲は少ないと言えるでしょうね」
それが、兄である国王を支える、王弟としての判断なのだろう。
兄はわたしの言葉には答えず、ただ手を伸ばしてわたしの頭を撫でた。
「エーデルシュヴァルツ閣下は自ら魔物討伐を指揮し、自身も戦線に立っている。事実かは定かでないが、討伐数は長年辺境公領で魔物を討伐して来た兵たちをしのいで、エーデルシュヴァルツ閣下が一位だそうだ」
辺境を任されたからにはと、死に物狂いで努力したのだろう。
それこそ、
「その苛烈な活躍から、エーデルシュヴァルツ国内では閣下を、北の魔王と呼んでいる。南にある首都で国を治めるエーデルシュヴァルツ国王と、対で国を守る影の王だと」
そう。魔王か、英雄の如くに。
「そうですか」
「軽いなあ。ねえ、ルーフィ、僕のお姫さま。お前は魔王に見初められたと言っているのだよ?」
「事実魔王と言うわけではなく、魔王のような強さと言うことでしょう?」
王弟として、一割を犠牲に九割を救う判断をした。そうして、数え切れぬほどの魔物を殺し、きっと、その汚染により国民もたくさん殺したのだろう。
確かにそれは、悪だ。
犠牲になり、死んだものがいる以上、そこは否定のしようがない。結果何人救われようが、必要な犠牲であろうが、殺傷は殺傷だ。魔王だろうが英雄だろうが、殺戮者には変わりない。
だが。
領主としてのあのひとは。
「魔物の死体が山積みの土地。悪くありませんわお兄さま。実験材料が、いくらでもあると言うことですもの」
王弟として自らが捨てた一割を、己が持つすべてを犠牲にしてでも救いたいと言った。
この、わたしに。
「あのひとは、土地を与えれば実験場にすると言ったこの小娘に、大事な領地を託すとおっしゃいましたの」
「それは」
「わたくしが望むなら、私財はすべて差し出すとおっしゃって。そうしてそれで成果が出ずとも、わたくしを責めはしないと」
あのひとが語るより、それは国の危機ではなかった。国のなか、たった一割の話だった。
それでも、あのひとの大事な領なのだ。
それをこの手に、委ねると言ったのだ。
悪役王妃になりたくないと足掻いて来たけれど。なるほどどうして、わたしには悪役の素質が備わっているようだ。
小首を傾げて、兄を見上げる。
「わたくしにそこまで尽くして下さる殿方が、ほかにいらして?この国の王家に嫁いだとして、同じものを与えられることがありまして?」
「気付いていたの」
「わたくしは」
つい二、三時間前は、惨めに真っ白だった髪を一房持ち上げた。
「少しわがままに、育ち過ぎたのかもしれませんわ」
「王子妃は、窮屈かい」
「そう思います」
「彼も王弟。王族だよ」
「でも」
胸に手を当て、微笑む。
「わたくしはただ愛されてくれれば良い。わたくしの望みを言う相手が、あの方であれば良いとおっしゃいましたわ。王子殿下が、同じことを言って下さいまして?」
「妃には、役目がある」
「そうでしょうね。国の顔です。でも、あの方は領主ですわ。そして、あの方の領主としての役目は」
「黒い森から、国を守ることだ」
「ね?」
王弟ではあるが、国の顔ではない。彼はすでに臣籍に下ったいち公爵で、与えられた役目を十二分にこなし続けている。だからおそらく、力ある妻を娶る必要もないのだ。
懸念材料があるとすれば。
「ひとつ、心配があるとすれば」
「なんだい」
「愛する弟が突然、どこの馬の骨とも知れぬ小娘を妻にしたいなんて言い出したときの、エーデルシュヴァルツ国王陛下の反応ですね。わたくし、捻り潰されたりしないかしら」
例えば目の前の美しい兄が、突然見ず知らずの他国の少女を連れて来て、このひとと結婚すると言ったならば。兄の意思は尊重したいが少女の身元は徹底的に洗わせて貰うと思う。そして、もしなにか裏があるならばそれは明るみに晒させて貰う。大事な兄を不幸にされたくはない。
そこまで溺愛でないわたしでさえそうなのだ。いわんや溺愛国王をや、だ。
「護衛は付けようね。侍女も信頼出来るものを。あと、輿入れには僕もついて行こう」
「家族全員で押しかけるわけには行きませんわ」
「もちろん。選抜に打ち勝ってだよ」
強い決意を目に宿して言ってから、どちらにせよと兄は表情をゆるめた。
「父上が許さなければそれで終わりだ。母上も僕らのお姫さまを遠くにやるなんて反対するだろうね。北の魔王の、お手並み拝見と行こうか。それとも、ルーフィ、父上と母上に泣いて頼むかな?」
「まさか」
ふふっと笑って、首を振る。
「花はそこにいるだけ。種も花粉も、運ぶのは誘惑された動物や昆虫たちですわ」
ё ё ё ё ё ё
そしてわたしは、北の魔王の手腕を見せ付けられることになる。
そのひとは、自分の兄も、自分の国の重役も、わたしの父母も、わたしの国の王侯貴族も、全員丸め込み黙らせ納得させて、完璧に根回しと段取りを済ませて見せたのだ。
掛かった時間は半年足らず。そうして婚約を結び、半年の婚約期間ののち。
「約束通り、迎えに来ました、ルーフィ、愛しいひと」
「はい。お待ちしておりました。では、参りましょうか」
差し出された手に、手を乗せる。
お互い、皮膚の硬いボロボロの手を、重ねた。
さて、これからだ。
悪役王妃になりたくなくて変装したら、まるでラスボス魔王のようなひとの妻になることになりましたなんて、それこそ前世読んだ小説のようだけれど。
先遣隊から報告は色々と上がっている。すでに信頼を勝ち得て、広大な土地が自由になると。
良いでしょう。ならば、結局抜け出せなかったらしい悪役らしく。
「おもいっきり、環境を破壊しに」
「え?」
呟いた言葉が聞こえてしまったらしい未来の夫に、わたしはとびきりの笑みを返した。
拙いお話をお読み頂きありがとうございました。