前奏 -overture-
二〇二五年のこと。
技術的特異点を過度に恐れた一部の者が、SNSを中心に集団ヒステリーを発症。アメリカ・シリコンバレーを発端として巻き起こったミーム性世界的散発テロル――いわゆる『先進技術恐怖戦争』が発生した。
戦争、と名がついてはいるが、これは従来の意味である国家間の闘争では無い。
敵は分からず、味方も分からない。個人個人が不安の限界を迎え、世界各地で絶え間なく爆発した。その結果として国家間戦争と同じレベルの被害が発生した為に、そう言われるようになったのだ。
多数のロボットの残骸が積まれ、更に多数の人間の死体が積み上げられた。PTSD発症者が後を絶たず、パンデミックが起こったかのように医療業界がひっ迫した。報道は無条件に検閲され、SNSは『終戦』まで全世界的に規制されたが、反発する者は誰ひとり居なかった。
それほどまでに狂った惨状が、世界で頻発していた。
後年の研究によると、このような世界規模の集団ヒステリーが起こる確率は、いくらシミュレーションを重ねようと『巨大隕石襲来による人類の滅亡』より上振れすることは無かったらしい。
とある高名な社会学者はこの信じがたい研究結果について、
「最悪の奇跡がいくつも連鎖し、人々の心を狂わせた。史上最低のドミノ倒しを見せつけられたのだ」
と語っている。
数年後、彼は鬱を患い自殺した。
日本・アメリカを初めとする先進国はこの戦禍を受け、今後再び発生しかねない突発かつ刹那的テロに対応する為として、新型監視カメラ及び総合鎮圧装置――通称『コンプ』を設置することとなる。
これにより軽犯罪・テロ発生率・被害総額は世界的に大幅低下。特に、日本は『世界で一番安全な国』の名を胸を張って標榜するまでに至った。
この成果は時の総理大臣、『日本の鉄血宰相』黒ヰ 鉄銑氏の尽力が大きい。彼の辣腕によって日本の衰退は食い止められ、彼の思想によって日本人の勤勉さと忍耐強さと自殺率が向上することとなった。
また、国連はこの恐怖の元凶となったディープフェイク・AGIなどの一部先進技術を『現行人類の手に余る』として禁忌指定。これらの使用・研究を禁止し、加えて将来的にそのような技術が新しく開発された場合、『世界安全保障上の重大な障害と看做す』旨を記した条約を制定。各国は我先にと批准した。
これが、いわゆる『シリコンバレー条約』である。
技術発展を自ら阻害し、恐怖から何の学びを得ることも無く閉じこもって十年余り。
新たなカタチのライフスタイルは確立されたものの、未だ大衆は見えない恐怖を振り切ろうと必死にもがいている。
不可視の存在にペンキをぶち撒け、隠されたモノのヴェールを剥ぎ取る。自分を囲む檻を作り、自分に鞭打つ監獄長を崇拝し、牢名主に憧れ精進する。
それが、この社会の姿であった。
兎にも、角にも。
ハバキ・サヤ・鵐目の三人(『メアリー』を知性体に含めると四人)は、そんな暗黒社会に反抗し、自らのエゴイズム剥き出しな生活をする為にその活動を開始したのだった――。
――
「『怪人アラハバキ』。これが、俺のもう一つの名義になる」
スマートテーブルによって壁に映された『ARAHABAKI』の文字を指しつつ、ハバキは言った。
それを受けて、椅子の背もたれに顎を乗せていた鵐目が手を挙げる。
「アラハバキって何さ? 」
「日本のはるか昔に信仰されていたらしい、謎の神。『強大なチカラを持つ正体不明の怪人』の名前としちゃあ満点だろ? 」
ハバキが答えると、今度はベッドに腰掛けていたサヤが質問する。
「その『怪人アラハバキ』は何をする人なの? 」
「良い質問だ! サヤ」
ハバキはそう言うと、指のジェスチャーで投影されたスライドを替えた。次のスライドには、アメコミ風のキャラクターがいくつか映されている。どれもこれもヒーローと言うには悪辣な顔で、ヴィランと言うには芯の強そうな表情をしていた。
「ひと言で言えばダークヒーロー、義賊だな。公権力が手を出せないような薄汚い悪を成敗し、清らかで貧しい善人たちにその利益を還元する……口にするだけで反吐が出るおぞましさだが、まあお題目としては丁度いいだろうよ。みんな好きだろ? 『怪傑ゾロ』も、『ロビンフッド』も。来週には、そのラインナップに『怪人アラハバキ』が加わることだろうさ」
彼のセリフを次ぐように、鵐目が声を上げる。
「そしてボクの代わりに会社と戦ってもらい、その見返りに『メアリー』のチカラを貸すわけだね。条約違反のスーパーAGI、開発予算数億ドルのシロモノだ! 上手く使いこなしてくれよ? 」
「――エッ。そ、そんなとんでもない存在だったんですか鵐目さん……!? 」
「サヤチャンには言ってなかったっけ? ま、値段なんて気にしないの! ラヴ・イズ・プライスレス! だからね! 」
「コイツの為に、一体何人のクビが飛んだんだろうな……」
ハバキはそう言うと、一呼吸おく。
そして、真面目な顔でゆっくりと話し始めた。
「俺たちはこの社会が嫌いだ。異常・不得手・外様を認めないこの社会に……普通に生き・普通に考え・普通の価値観で生きることを強制するこの社会に、心底ムカついてる」
身振り手振りを交えながら、映写されたスライドを背負って話続ける。
「知ってるか? 普通の人間は、他人と同じことをしていると安心するらしいぜ。歩く先に何があるのか自分で確かめたことも無い癖に、前を行く奴と同じ道を歩くんだ。全く阿呆らしい、馬鹿らしい、糞らしい! 『暗闇の中を歩いている』と自覚しているならまだマシだ。だが、アイツらは自分が『暗闇に居ること』すら忘れてんだ! だのに、こっちが別の道を行けば殊更に説教垂れてくる! あまつさえ、自分と同じ道を歩かせようとする! それが『普通』だからだ! 行き先が断崖絶壁かもしれないのに! ロクに確認もしてないのに! 自分の直感よりも、常識とか言うガラクタみたいな偏見のコレクションを根拠無く根拠にしてるんだよ! 見えないモノを見えたことにするのがこのバカげた『普通』なんだよ今はッ! 」
後半にかけてヒートアップしていくが、ここで人差し指を一本立ててテンションを制止する。
そして、にこやかに笑いながら続けた。
「そう……つまり、歩く道が正解かどうかだなんて判別不能なんだ。勘で選ぼうが常識的に判断しようが、実のところ本質的には変わらない。『自分が暗闇の中だと自覚している』という点を除いて、結局俺たちもアイツらも案外同じような存在……明かりも無しに闇を歩く愚者でしかないんだな」
自分を棚に上げて好き放題言い過ぎたな、などと呟きながら、ハバキは話を締めにかかる。
「だからこそ……俺たちは『楽しく生きる』。適当に選んだ道を、適当に遊び歩く。それが俺たちの目的だ。『幸福に暮らすことが最高の復讐である』――スペインのことわざより。俺たちは好きなように、ワガママに生きることで、思い詰めた顔して必死で働きなんとか社会にしがみついてる物質主義者どもを、腹の底から笑ってやるのさ」
そして、ハバキの話が終わった。
鵐目は皮肉なのか本心なのか分からないニヤケ顔で拍手して、サヤはただ呆気に取られている。
「キミ演説上手いね! 」
「そうか? 初めて言われたよ」
ハバキはサヤの近くに行く。そして、空いた椅子の背もたれに寄りかかりながら聞いた。
「どうだい? 『良い子』のサヤちゃん。感動した? 幻滅した? どっちでもいいが、とにかく君の言葉で聞きたいな」
ハバキの言葉に、サヤは少し逡巡した後答えた。
「私は……今は、ハバキくんと一緒に居たい。一緒にご飯食べたり、遊んだり、デートしたりしたいな。今はそれが、一番欲しい幸せ」
指先でシーツに円を描きながら、なんとか自分の言いたいことを言語化する。
「ハバキくんの話は……ちょっと抽象的過ぎて難しかったけど。でも、私はハバキくんと一緒に楽しく生きたいなって。なんとなく、そう思った」
そう言って、上目遣いにハバキを見やる。
ハバキは数秒黙っていたが、やがて彼女の答えにハハハと乾いた笑い声を上げた。
正解だ。
サヤはそう思った。
「……君は本当に、根っからの良い子だね。多少は人に迷惑かけたいとか言い出すかと思ったら……」
「呆れてる? 」
「いや? むしろ有難いよ。その善性は素晴らしい才能だ。君なら、俺たち二人の安全装置として十分に機能してくれるだろう」
ふぇいるせーふ……? と小首を傾げるサヤ。言葉の意味は分かるが、用いた意義が分からない。
「サヤの仕事は『何か思うことがあれば、遠慮なく口にすること』。俺たちは絶対にソレを無視しないし、ソレで気分を害したりもしない。だから、安心してやって欲しい」
「……それだけで良いの? 」
「ああ。――いや、別に過保護にしてるわけじゃないよ? 本当にそれが必要なんだ。俺たち二人とも、常識も良心も母親の子宮に置いてきてるタイプだからさ。ブレーキかけるべきタイミングが全く分かんねぇんだよな」
「割とマジで、キミが上手く止めないとボクタチ国ひとつ滅ぼしかねないからさ! 責任重大なミッションだぜ? 」
二人が口元だけを笑わせながら喋っているところを見つめていると、国を滅ぼせるというのも荒唐無稽なホラ話とは思えなくなってきた。ハバキの超能力と鵐目の『メアリー』のことを考えると、尚更そう思う。
サヤは、自分を助けてくれた二人のことが好きだ。特に、ハバキは恋人的な意味で大好きだ。
だからこそ。
二人には『ちょっとヤンチャな良いひと』のままでいて欲しい。一線を超えて欲しくない。もしかしたら、特に鵐目なんかは既に一線を超えてきているのかもしれないが、それでも自分の前では外道に堕ちて欲しくない。
「が、がんばる……! 」
「おう。信頼してるぜ」
サヤは、膝上で拳を強く握った。
「ま、それはそれとして。こんな面白いこと、しゃぶり尽くさなきゃ勿体無い! 肩肘張らずに、楽しもうや」
ハバキはそう言ってサヤの肩をポンと叩き、鵐目と拳を打ちつける。
「さぁ、やるべきことは決まった! 俺たちの人生を始めよう! 」
「おー! 」「Yeah! 」
彼らは、最初の仕事を始めた。
――
「衣装はこんな感じで。基本的には全部ドンキに売ってると思うから」
「仮面にローブ、手袋にブーツ……夏場だと結構しんどくない? 」
「そこはホラ、こうやって『風流せる』し」
「わぁ! 便利な超能力だなぁ〜……」
――
「仮面のデザインは決まったかい? 」
「サヤと二人で色々考えたから、見てくれ。俺としては出来るだけアイコニックで、真似しやすいモノが良い。シンパが増えやすくなる」
「もうそこまで考えてんのかい……それなら、この縦一本横二本のヤツは? 」
「俺もそれが良いと思ってた。じゃ、それで塗装してくれ」
「オーケー! 」
――
「『メアリー』。頼んでたコードは完成したか? 」
『はい。コード名『RED_HERRING』……監視カメラの自動ハッキング、そしてディープフェイクによるカモフラージュによって貴方の正体を隠蔽するコードは、完成しています。試しますか? 』
「ああ。あと今からで悪いんだけどさ、『ランダムな別の人間に俺の顔を被せる』機能って実装できるか? 」
『はい。一分以内に可能です。ですが、何故? 』
「警察なんかに俺の足取りが特定された場合、姿形を変えたとしても足がつく。位置関係とか、時間関係でな。そういう時に囮を作る為のモノだよ」
『なるほど、その視点は持ち合わせていませんでした。ありがとうございます、ハバキ」
「ありゃ、気づいてなかったのか? お前AIなのに意外と頭悪ぃんだな! 」
「キミ今ボクの女の悪口言ったか!? 」
――
三日後。
「……よし、最終チェックも問題無し。これで全てのタスクは完了だ! 二人とも、お疲れさん! 」
「いえーい! 」
「やっと終わった……こき使いやがって……」
ここ一帯で最も高いホテルの屋上で、全ての点検を終わらせたハバキは二人を労った。
その後、早速作った衣装を着てみる。
「似合う? 」
真黒いローブに、真黒いブーツ。
真白い手袋に、真白━━くない仮面。
仮面右半分に縦一本、下半分に横二本の細い黒線が描かれている。目の部分は黒い丸レンズが嵌め込まれており、表情は全く分からない。
「イイネ! 超クール! 」
「良い感じ。めっちゃ怪しい! 」
「それ褒め言葉かぁ? ハハハ……」
ハバキの声が仮面裏のマイクによって加工され、声紋認識が出来ないようにカモフラージュされる。
今の彼は、誰にも中身を判別出来ない『怪人』だ。
「さて。それじゃ、デモンストレーションと行こうか」
「そうだね! 具体的には何するの? 」
「ヤクザを潰す」
当然のように、ふわりと軽く言い放つ。
「……え? 」
「この前ユーチューブで観たんだが、歌舞伎町に今でも残ってるヤクザ事務所があるらしい。それを蹂躙する。この程度出来なきゃ『BWT』を相手取るなんて、夢のまた夢だぜ? 」
ハバキは『空中にフワフワと浮きながら』サヤに顔を近づける。
「それは……ヤクザの人達を、殺すってこと? 」
「殺さないよ! 何度でも言うが、俺はどんな悪人でもどんな善人でも絶対に殺さない。これは俺が自分に課した唯一のルールで、絶対に破れない倫理の最終防衛ラインなんだ。法律より重い」
辺りを自由に漂いながら、ハバキは話を続ける。
「だけど……俺はこのチカラについて、まだ理解が浅い。それっぽい訓練を積んではいるが、実践しなけりゃ何も意味無いしな。ちゃんと空は飛べるか、ちゃんとコンクリートは壊せるか、ちゃんと人が死なない程度の出力に絞れるか。大事な確認だ、必ずやらなきゃ」
しばらく無重力的浮遊を堪能した後、彼は着地する。
そして、仮面を外し素顔でサヤと対面した。
「サヤ。そういうわけだから、行ってもいいかな? 」
「……………………いいよ」
長考の結果。サヤは、ハバキを信頼することにした。
彼の言い分は正論だし、サヤはハバキを好いているので本当は二つ返事で快諾するつもりだった。しかし、何か心に引っかかるモノがある。自分でも分からないが、その為に喉元まで出ていた言葉をわざわざもう一度飲み込んだのだ。
ハバキが飛び立とうとする間際。
「――ハバキくん! 」
「なんだい」
サヤは呼びかける。
喉のつかえを取るために、ではない。これはきっと自分自身で考えるしかないものだと、本能的に直感したからだ。
だから。彼女は恋人として言うべき言葉を送った。
「……怪我、しないでね」
「もちろん! 」
その返答が空気中に消え行く前に、ハバキ――否、怪人アラハバキは『東京の夜空へと飛んで行った』。
――
破僧会直系 東京鉄血組 五代目組長射水 吾朗は、今日も今日とて自身が後援している違法風俗店、闇金、密輸エトセトラ……それらの上納金が一覧書きされた帳簿を眺めていた。今どき化石のように珍しい、紙の帳簿である。
やり手の若造のお陰で、同じ会傘下の他団体の中では一二を争う収益を挙げている。が、それはつまり我々が納める上納金も多大なものになるということ。
オマケにヤクザというのは、羽振りの良い者を見つけるとソイツが音を上げるまでノルマを延々引き上げ続けるのが慣習であった。
「しぶとく生き残っては来たが……そろそろ潮時かねぇ」
彼がここまでの人生を振り返りつつ、ヤクザ稼業の〆時という絵空事を夢想していると。
「――グァァァァァ!? 」
爆音と共に、コンクリートの天井がぶち壊れた。
「オヤジィ! 」「大丈夫ですかおやっさん!? 」「何がありました!? 」
子分達が突然の事態に慌てて駆けつける。そして、彼ら共々、目の前に存在する謎の人物に吃驚した。
「おやっさん!! 空から変なヤロウが!!! 」「なんだコイツ!?!? 」「まさか天井突き破って無傷なのか!? そんなバカなことが━━」
狼狽える子分達に、射水が喝を入れる。
「おいッ! 全員ハジキとドス持ってこいッ! 」
「り、了解だオヤジ! てめぇらカチコミ━━」
次の瞬間、黒ずくめのナニカは『いきなりとんでもない速度でスライドし』、子分の一人を真下から蹴り上げた。
「グッ……! 」
蹴られた子分は運悪く舌の先を噛み切ってしまったようで、ダラダラと口から血を流しながらダウンした。
それからは早かった。
ソレは『地面を滑り』『壁を走り』『天井に張り付き』ながら、蹴るわ殴るわの独壇場。まるで重力なぞ知るかと言わんばかりの不可思議な動きで、瞬く間に射水の居る三階を制圧した。
時間にして、約十秒のことである。
「……夢でも見てんのか……俺は……? 」
射水はとっくに撃ち切った拳銃と一緒に、頭を抱えた。
黒ずくめは、そんな射水とぐちゃぐちゃになった自室を一瞥する。その時ようやく、彼が白い仮面を付けていることに気づいた。
「…………」
その怪人は、何も言わずに二階に『飛びながら』降りていった。
階下で部下達が蹂躙されていく音を聞きながら、射水は思う。
きっとアイツは、荒神さまか何かなのだ、と。
やめるにやめられない極道から、無理やり足を洗わせてくれたのだ、と。
酷く突飛な想像。だが、現実である非現実的な目の前の光景を見ると、あながち冗談でもないように思えた。
「……なんか、久しぶりだな。こんなスッキリした気分は……」
今では我が家を超えるであろう値段になるコレクションの数々も、全て粉々になってしまった。
自筆の『任侠』も、額縁ごと叩き割られた。
もはや、射水 吾朗という極道に箔をつけるものは、その背にある和彫り以外、無くなってしまったのだ。
「するか……自首」
数日後。
東京鉄血組は解散した。
――
「ハイ、俺の勝ち」
次の日、朝のニュースを観ての一言であった。
スマートテーブルで観ているハバキを横目に、鵐目は自前のスマホでSNSを閲覧する。
「ネットの反応は、と……あー、なんか芳しくないね。一番多いのでインプレッション十万だ。内容も、キミの存在よりヤクザという社会のガンが消え去ったことに対するモノが多いね」
――『時代錯誤のクズがようやく消えた』『彼らに搾取された人を考えれば、自首だろうが死刑が妥当!!』『そもそもヤクザと繋がってる時点で反社定期。裏の関係洗いざらい吐かせてから殺せ』――
「昔から思うのだけど、どうして警察や軍人の数は減ってんだろうね? こんなに正義感のお強い方々がいらっしゃるのに」
そこへ、ホログラムのタブ達を操作していたハバキが声をあげる。
「鵐目……? なんか、俺についての話が陰謀論界隈でしか広がってないんだけど……。しかも色々設定足されてるし……」
「実際ファンタジーさでは似たようなモンでしょ? 正直今でも結構信じ切れてないからね、ボク! 」
そんな生意気言うヤツはこうだ、と言わんばかりに鵐目を『適当に浮かせる』ハバキ。
「これでもまだそう言うかい? 」
「ヒャッホーイ! 無重力サイコー! 」
厳密には『重力を打ち消す方向のベクトルを加算している』だけなので(飛行機が高所から急降下する時に身体が浮くのと同じだ)、無重力とは違うのだが。
「……ま、良いさ。むしろ中途半端に一般層へ広まらず良かったかもしれん。『アラハバキ』のキャラクターは当初の予定通りで行ける」
ハバキはタブを閉じる。そして丁度顔を洗ったばかりのサヤを呼び、集合させた。
「さて、皆の衆。遂に『BWT』――『ビギニングウッド・テクノロジーズ』への強襲計画を実行する時が来た。何はともあれ、まずは俺の立てたプランを聞いてくれ」
そう言うと、ハバキはスマートテーブルに三つのテキストを表示させた。
「目標は『鵐目への追跡断念』『アラハバキの周知』そして『有力者とのコネクション入手』だ。まぁ最後のは努力目標だから、後回しにする。とにかくまずは鵐目の追っ手を排除して、後顧の憂いを断つのが優先かな」
次に、彼はとあるビルの3Dホログラムを表示させる。全面ガラス張りで、首をもたげているかのような流線型のフォルムだ。
「あ、これ知ってるビル」
「有名な『ビギニングウッド・テクノロジーズ・ジャパン』のビルだからな。この最上階に直接乗り込んで、代表取締役の金城 浩二に話をつける。シンプルでいいだろ? 」
話しながら、ホログラムに一人の胸像が表示される。
垂れた眉に落窪んだ目をした、見るからに神経質そうな禿げかけた壮年の男。金城 浩二その人だ。
「『直接』って、本当に文字通りの意味なんだろうなぁ……。交渉はどんな風にするの? 」
サヤの質問に指で胸像を回転させながら、ハバキは答える。
「鵐目から事情は大体聞いたから、それを材料に『メアリーの独占権』を要求する。これを起点に上手いことやる予定だ。地下深くで極秘裏に製造されたAGI。しかも自己複製可能なレベルの高度プログラミング能力つきというシリコンバレー条約違反が山盛りの厄ネタで、それが、なんか、その……」
言い淀むハバキに対して、鵐目は何故かドヤ顔で言い放った。
「ボクと恋に落ちた。そんで本体サーバにロック掛けて、二人で駆け落ちした。で、今に至るわけだ! 」
腕を組んで唸るハバキ。
「やっぱ、何度聞いてもそのくだりだけ意味不明なんだよな……」
「私は、ロマンチックで良いと思う……! 」
「ありがとうサヤチャン! やっぱ恋って良いよね! 」
「駆け落ちはともかく、なんで『メアリー』の本体に鍵掛けたんだ? 大体そのせいで追われてるんだろ? 」
「ボクだけのモノになりたかったんだと! 」
「クソがよぉ……」
「いや、申し訳ないナー! タハー! 」
ハバキは鵐目のケツを蹴り飛ばした。
「痛ってぇ!? 」
「とにかく。向こうの違法行為をネタにして、鵐目と『メアリー』の自由を認めさせる。それが終わったら、集まっているであろう報道陣にアラハバキの姿を見せつける。以上が主な概要だ」
ハバキはそう言うと、ホログラムの表示を切った。
「私たちは何をすればいいの? 」
「二人はここでオペレーター」
「分かった! ――えっと、具体的には何を……」
「基本的にはシギントになる。まあ詳しいことは後で鵐目に聞いてくれ」
尻をさする鵐目を後目に、サヤの肩に手を置くハバキ。
「作戦開始は今夜七時だ。今夜はきっと、歴史の教科書に載る出来事になるだろう。楽しもうぜ、サヤ」
その顔は、まるで初めての夜遊びに誘うかのようないじらしさを湛えていた。
――
そして、午後七時。
東京某所、ビギニングウッド・テクノロジーズ・ジャパン本社ビル前広場。
この夜も、いつもと変わらず大道芸人が驚くべき芸の数々で人の輪を作り、ミュージシャン志望が自作の曲をギターで弾き鳴らし、様々に派手な髪色をした者達は流行りの珍妙な動作を撮って動画にしていた。つまるところ、この芝と大理石のアート作品で構成された広場は、BWTがそうであるように、若者達のエネルギッシュな情熱を後押ししていた。
そんな人混みの中にいつからか、彼は居た。
真黒いローブに、真黒いブーツ。
真白い手袋に、真白くない仮面。
仮面右半分に縦一本、下半分に横二本の細い黒線が描かれていて、目線も表情も隠されて全く分からない。
肌を欠片も見せないこの人物は、多種多様な格好をしている若者の中でもこれ以上ないほどに異彩を放っていた。
最初に彼の存在に気づいたのは、自撮りをしていた女子大生だった。スマホの画面に突然、降って湧いたというか『空から降ってきた』かのように彼の姿があったのだ。
「あれ……? あの人いつから居たっけ? 」
謎の人物は顔を上げ、目の前のBWTビルを見上げる。そして、ゆっくりと、音も無く、歩み始めた。
彼の動作に付随する僅かな音でさえ、この喧騒の中に掻き消えてしまうというのに。彼が一歩足を進めるごとに一人、二人、十人、二十人と、彼の存在に気づき目を奪われる人間が加速度的に増えていく。
次第に若者は、彼を中心として大きな人の輪を作り出していく。次々に人は増えるばかりだが、しかし彼の半径五メートル以内に近づく者は誰一人として居なかった。スマホで撮影出来ず怒声を放つ者さえ居るのに、それでも近づこうとはしないのだ。
近づく者を寄せ付けないことも出来る彼だが、コレに関しては預かり知らぬ処である。
やがて彼は、ビルの敷地と広場を分けるゲートに辿り着いた。ここから先は、社員証を持つ人間しか入ることが出来ない。透明なドアを破壊して入ろうとしても、コンプがコンマ一秒も経たないうちに侵入者を攻勢的に無力化するだろう。
今や広場のほとんどの人間が固唾を飲んで見守っていた。彼が何をする気なのか、皆が注目していた。
彼はドアの前に立つと、半身を引き、左手をドアに当てた。
そして次の瞬間、『ドアは勢いよく砕け散った』。
「キャアアア!!! 」「なんだアイツ!? 」「すっげー……」「空道かな」「とんでもねぇ腕力だ! 」「アレ腕力なのか!? 」
刹那にも満たない時、コンプがその青と白の銃身を自身から抜き出しゴム弾を連射し始める。毎秒レート千六百発。死にはせずとも手足の骨が砕け、その破片が筋繊維とミックスされる程の火力である。
だが、『彼には届かなかった』。
「オイ! アイツの手の先見ろ!!! 」「え……弾が……」「止まってる!? 空中で!? 」「何かのプロモーション的な? 」「すっげーマジシャンが現れたもんだ……」
彼はドアの破壊と同時に両手を広げ、それと同時に発射されたゴム弾は、彼の手の平から五センチほど手前で静止していた。後続の弾と衝突し、みるみるうちに彼の両側にゴム毬が形成されていく。ゴム毬がバスケットボールくらいの大きさになったところで、彼は『それらをコンプに向けて発射した』。
「うわぶっ壊しやがった!!! 」「ヤバいヤバいヤバいって! 」「これ逃げた方が良いんじゃ……」「クッソー! 画角が取れない! これじゃバズらないんだけど! 」
コンプは派手な音と共に破壊され、ショートした回路から火花が飛び散っている。スプリンクラーが稼働するが、『しかし彼の頭上には降りかからなかった』。
サイレンの音と共に、彼はまた歩を進め始める。
『両手を上げ、膝をついてください。両手を上げ、膝をついてください。Raise your hands, and get on your knees━━』
警備ボットが日本語含め五ヶ国語で彼に投降を促す。移動する小さなテトラポッドのような見た目をした彼ら。その胸に相当する部分には赤と白で作られた、可能な限り威圧的かつ官製的な文章が表示されている。
『……举起双手,跪下━━』
彼が動き始めたのは、ボット達の音声が中国語に切り替わった時であった。
「……」
『━━』
彼は向けられた銃口を爪の先ほども気にせず、先程までと全く同じ歩幅でボット達のただ中を突っ切り、その途中で彼らのボディをポンと叩いて行った。ボット達は、先程まで彼が居た部分を注視している。まるで彼が見えていないかのように。
「あれ? ボット動かなくなっちまった」「アイツのこと認識出来て無いんじゃね」「故障か……? 」
群衆が口々に想像を喚き散らす。どれも確たる根拠に欠けていたが、一人だけ、偶然にも真理を突いた発言をした。
「……いや、違う! 見えてないんじゃない! 動けてないんだ! アイツがドアぶっ壊した時みたいに、見えない力を加えて━━」
彼が言い終わらないうちに、防弾性プラスチックで出来たボットの筐体は『押し潰しと引きちぎりと捻りあげを同時に行ったような、恐ろしい音と被害を被った』。
「どいて! どいてください! ほら下がって、危ないから――」
ここに来てようやっと警察が到着した。敷地に入った彼らは応援を要請しながら銃を構え、謎のローブを囲もうとする。
しかし突入した彼らの目に入ったのは、彼の背後でメキメキグシャグシャと耳を塞ぎたくなるような音を立てて圧縮されている、ボット達の凄惨たる姿だった。
「……」
彼はこれ見よがしに両手を広げて、群衆の方を向く。
言葉は無く、これ以上のジェスチャーも無い。
が、無惨にもスクラップボールとなったボットの残骸は、群衆と警察に同じ思いを抱かせた。
(邪魔をしたら我々も……同じ目に遭う……!!! )
警察とは、法の番人であり、正義の味方を自称できる希少な職業であり、国家公認の暴力装置である。少なくとも現場に駆け付けた五十三名の警察官は、大同小異だがそう考えていた。
しかし、彼らの足は動かない。
手を伸ばせない。
目を離せない。
職業倫理よりも、未知への恐怖と生存本能が勝ってしまったのだ。
「クソ……クソ……ッ! 」
悔し涙と脂汗の混じった液体を滴らせながら太腿を叩く警察を後目に、彼は踵を返してビルに向かう。
彼が目線を外した時にやっと、自分達が動けないのは彼の能力ではなく、全てにおいて自身の不甲斐なさが原因であることを理解した。
━━
(ファーストアピールは……上々の結果みたいだな)
ハバキはビルへ向かいながら考える。
(報道陣はまだ到着していないが、これだけ騒ぎになれば『作戦』が終わる頃には来るだろう。『仕上げ』には間に合う。気を抜かずに、こっちも頑張るか)
綺麗に手入れされた植木や光り輝く噴水の間をハバキは歩く。可能な限り堂々と、優雅に。
(さて……)
やがて彼はビルの玄関前に着く。眼前にそびえ立つガラスの塔は東京の病的な有彩光に照らされ、丁度さっき通り過ぎた噴水のように光り輝いていた。中の人間は、見る限りだとまだ仕事をしているようだ。
(社長室は……あそこか)
彼は玄関の脇に移動し、ガラスの壁に足をかける。
(さあ愚民共、スマホのレンズ越しによく見とけ! )
彼は『ビルの壁を先程までと変わらぬ調子で歩き始めた』。
(テメェら用の分かりやすい手品だ! 諸手を挙げて喜びやがれ!)
ゆっくりと、しかし着実に足を進める。彼の歩みには些かの無理も見られない。まるで当然かのように壁を登っていく。
彼が三階を超えた辺りで、彼の頭上、つまりはビルの前に強烈な光が照射された。機動隊の用意したサーチライトである。間髪入れずにローター音がイヤホン越しに耳をつんざく。報道ドローンである。
(仕事が速いね。こっちも助かるよ)
彼はボットを潰した時のように両手を広げ、そのまま歩いていく。その様は綱渡りをするサーカス団員のよう。サーチライトに照らされた社員達が驚き戦き窓際に集まる。警備員も、廊下の奥で避難誘導をすべきかどうか決めかねているようだった。
「皆様ご覧下さい! 謎の男がビルの壁を歩いています! ロープも使わず、地面を歩くように歩いています! これは決してCGでもフェイクムービーでもございません! 本物の人間、本物の映像です! 」
報道ドローンからの映像と共に、キャスターが声を張り上げる。
――『ビル前広場で謎のコートがドアぶっ壊した!!!ヤバい!!!』『謎のコートってトレンドにあったけどアレ何?新手の広告?』『ヤバすぎる』『こわ どうやってるんやこれ』『というか警備機械全部ぶっ壊したってマ?人の手で?』――
SNSや匿名掲示板に、撮られた動画が一瞬で出回り、レスポンスが付けられる。
今や日本中が、彼の一挙手一投足に釘付けになっていた。
━━
BWTジャパンCEOの金城 浩二がその報を受け取ったのは、事態が発生してから二分後であった。
「傍迷惑な奴だな……」
それが、まず最初に出た思いであり、スマホ越しに実物を目にした時にも思ったことだった。
彼の目的は分からない。が、どうせまた何処かの短絡的な若者が、SNSのいいね欲しさに無許可でマジックショーを開催しているだけの話だろう。あのパフォーマンスも、透明なケーブルか何かを使って、壁を歩いているように見せているだけだ。となると屋上に仕掛けがあるわけで、そうなると我が社の社員の中にそれを手引きした者が居るかもしれない。
全く、本当に傍迷惑としか言いようが無い……。
とりあえずの対応として、彼が警備室に連絡し社員の避難を指示し終わった時のこと。
コンコン。
「ん……ハァ!? 」
先程報告された仮面の男が、しゃがみ込んで社長室の窓をノックしていた。
「おおお前ここ二十階だぞ!? 何だお前何してんだ!? 」
彼の狼狽は窓越しに届いていないようで、男は何の反応も示さなかった。
代わりに、片手を払うジェスチャーをした。
「何だ? 何だそれ『どけ』ってか? オイオイオイ待て待て待て何をする気だ待て待て待て待て━━! 」
男はゆっくりと片足を上げ、そして『踏みつけた』。
ガシャーン――。
「うわあああああ!!!……ん? 」
咄嗟に顔面を守るが、予期したはずのガラス片は飛んで来ない。一面の窓ガラスは確かに砕け散っている。が、『飛散はしていなかった』。
「いやぁ、すまない。あまり加減が効いていなかったようだ。怪我は無いね? 」
尊大な調子と共に、ボイスチェンジャーで変換された声が響く。『ガラス片は自ずと人間大の穴を作り』、仮面の男を招き入れた。
「こんばんは……ビギニング・ウッド・テクノロジーズ・ジャパン社長、金城 浩二殿。私は『アラハバキ』。今日は貴方に、幾つか要求をしたい。宜しいかな? 」
アラハバキと名乗る男は、腰の抜けた金城の前でそう言った。
金城は目の前の全てに脳の処理が追いつかず、しばらく酸欠の魚のように口をパクパクさせていたが、何とか思考の糸を紡いで口から捻り出した言葉はこれだった。
「何だお前!?!?!? 」
この数分で何度この言葉を口にしたことか。そうは思いつつも、そう言い放つことしか出来なかった。
「……今はまだ、アラハバキと名乗ることしか出来ないな。私という存在は他者によって定義され━━」
彼が何か講釈を垂れようという時に、社長室の扉が乱暴に叩かれた。
「社長! 大丈夫ですか! 金城社長! 」
恐らく警備の者だろう。不審人物の侵入した部屋を馬鹿正直にノックするのは愚かであり無謀な行為だが、彼はそれに気づかなかったか、もしくは無視したか。
「……話の邪魔だな」
アラハバキはそう呟くと、パチンと指を鳴らした。
瞬間、『扉がバンと勢いよく開かれる』。そこに居たのは、警備員ではなく金城の秘書だった。
秘書が驚きの声を上げる間も無く、『アラハバキは瞬間移動したかのような速さで彼に近づき』、彼の首を引っ掴んだ。
「静かに……」
アラハバキはそう言って、秘書を『廊下の奥へ投げ捨てた』。
「今、何を……」
「見ての通り、部外者を排除した。生きてはいるから安心して欲しい」
確かに、壁にぶつかったような音は聞こえていない。途中で『勢いを殺した』ということだろうか?
彼は部屋に戻り、『再び勢いよく扉を閉めた』。
「扨。警察が突入するまでに、手早く済ませてしまおう。私が要求するのは……『メアリー・スー』の独占使用権だ」
アラハバキは来賓用のソファーに腰を下ろし、足を組みながらそう言い放った。
次から次へと、金城に新鮮な驚きが届けられる。
「どこでそれを!? 」
『メアリー・スー』はBWTJの最重要機密に指定されている程の極秘プロジェクトだ。それをさも当然のように知っているコイツは何者なのだ?
金城の頭にはそればかりが浮かんでいた。
「製作チームの一人を捕まえた、とだけ言っておこう。彼から概要は聞いている。シリコンバレー条約違反の代物、是非とも手に入れたい」
「あ、あの逃げた野郎か……ッ! 」
「もし断ると言うのなら。残念ながら、貴方が差し向けてきたであろう非合法な者達について公表しなければならない。例えば猪田、鹿野、蝶野の三人。いや、中田と言った方が伝わるかな? ああ、もちろん『メアリー』そのものについても公表する。さ、一分で決めたまえ」
そう宣うアラハバキに対して、金城は歯噛みすることしか出来ない。
「…………クゥゥゥ…………ッ! 」
憔悴し切った彼の頭はもう限界だった。
しかし。
「アレはッ! 我が社がより成長する為に必ず要るモノだッ! 断じて! 断じて一個人の手に収めて良いモノでは無いッ! 」
彼はそう啖呵をきって、辛うじてその身にのしかかる責任を果たそうとしていた。
「では、一切合切全てを公表するが、宜しいか? 」
「き、貴様の来訪も含めて、全ては私の判断ミスが原因! 責任はす、全て私が取る! 」
金城の頭には、もはや多大な責任感と少しの自暴自棄しか無い。目の前の現実離れした現実に頭痛が激しくなるばかりだが、彼の五十余年の人生と、愛する家族と、社員と、会社の名誉が皆一斉に彼の背中を押していた。
もう一度言うが、彼は責任を果たそうとしていたのだ。
その時である。
『〈カッコイイじゃないか、カネシロ! ブシドーって奴かい? 〉』
突如、英語で高慢な声が聞こえる。机に置いてあるAIスピーカーからであったが、その声を発したスピーカーは指示が出されていないのにも関わらず反応し、勝手に液晶を起動して映像を繋いだ。
そこに現れたのは、アル・ビギニングウッド本人だった。
「〈アル・ビギニングウッドCEO!? 〉」
『〈そうだ。僕だ。話は秘書から聞いてるよ。『メアリー』を頂きにヤバい奴が来たんだってな! アハハハ! キミがソイツの要求を聞くようなら、どうしようかと思った! 〉』
アルは心底愉快そうに言う。
ただでさえ最悪の状況なのに神のダメ押しなのか、この場に最も来て欲しくない、確実に場を乱しまくる、自分より年下で、間違いなく人生最悪の上司のアルが来訪してしまった。
金城はついに心のキャパシティが限界を迎え、腰が抜けて立つことが出来なくなった。
そんな中、アラハバキは━━。
(ハハ、ジャックポットだ……! )
ひとり、仮面の下で笑っていた。
――
「アル・ビギニングウッド。名前の通り、BWTの二代目トップだ」
作戦開始の少し前。時刻にして午後六時頃。
ちょっとした雑談の流れで、アル・ビギニングウッドについて話していた。
「へー、二代目だったんだ。超スゴいベンチャー企業だと思ってた」
「元からアメリカ大規模監視網の構築を一部主導してたり、結構やり手の会社ではあったらしい。だがアイツが十六歳で会社を無理やり継いでから、新開発した『AIデザイン』という手法で大成功。それを皮切りにどんどんのし上がっていって、今では『アルファベット』や『マイクロソフト』を追い越そうといわんばかりだ」
ハバキの説明に、少々の間ポカンとするサヤ。
理解出来ていないわけではなく、アルの残した実績を改めて指折り数えた為に出来た空白であった。
そして、一言。
「……スゴすぎない? 」
「そうだよアイツやべーんだよッ! 」「ホントにクレイジーなんだよマジでッ! 」
ハバキと鵐目が口々に叫ぶので、サヤは若干ビビった。
「わぁ、二人ともめっちゃ食いつく……ファンだったりするの? 」
『嫌いだよ? 』
「ハモるほどなんだ!? 」
ハバキは胡座をかいて両手で頬杖をつきながら、むすっとした顔で言う。
「趣味趣向は似てるけど、主義主張が俺と合わんのよ」
「『弱者切捨』が彼のモットーだからね。足手まといを絶対に許さないんだ。その分、成果を出すヤツには自分自身を含めてめちゃくちゃ甘い。ホントそういう所で要らぬヘイトを稼ぐんだから……」
まるで夫の不満を垂れる新妻のような口ぶりで話す鵐目に、ハバキは(なんかキショいなコイツ)とバッサリ斬りつつ、話をまとめる。
「ま、嫌いなのは本心だがその力は本物だ。もし何かの間違いで謁見が叶うなら、俺は全力でアラハバキを売り込むよ」
「それが良い。キミならきっとお眼鏡にかなうさ! 彼と何度も話したボクが言うんだ、間違いない! 」
「それもこれも、本当に出てきたらの話だけどなぁ……」
そこで雑談は終了。三人は最後の準備を再開したのだった。
――
そして、今。
アル・ビギニングウッドは、本当に現れた。
『〈ハロー、ミスター・アラハバキ。僕はアル。アル・ビギニングウッド。本社のCEOだ。よろしく〉』
アルはそう言って、画面の向こうで手を振る。
まさかの出来事だったが、ハバキは動揺しなかった。落ち着いて、まさか使うと思わなかった作戦チャートを急速に思い出す。
(大丈夫。こうなれば、金城はガン無視してコイツとの交渉に集中するだけだ。話のルートは三つも想定してある、何があろうと、俺の計算から外れはしない……! )
そして、アラハバキは流暢な英語で話し始めた。
「〈宜しく、ミスター・ビギニングウッド。最初に言うが、私はあまり英語が得意ではない。難しい表現は出来るだけ控えて欲しい〉」
アラハバキはそう言って、本来金城が座るべきである上等な黒革の椅子に座った。足を組み、両手の指を合わせた姿勢でアルと向き合う。
目標は『メアリーと鵐目、両者の追跡放棄』。
達成出来なければ、あれもこれも全てお終い。
ここに、彼らの交渉戦闘が開戦した。
『〈オーケー! そして僕のことはアルでいいよ、アラハバキ。早速だが、君の本当の要求を教えて欲しい〉』
「〈本当の要求? 『メアリー・スー』を貰うことは偽の要求だと? 〉」
『〈偽というか、努力目標ってところかな? 〉』
「〈なぜ? 〉」
『〈その部屋には、我が社の新作AIスピーカーのプロトタイプが置いてある。遠隔での脳波測定機能を搭載してみたんだ。ユーザーの、特にシニアの健康を守る為に、ね〉』
アラハバキは目線を机上にある黒い物体に移す。今起動されているソレは、確かに彼が見たことない機種のAIスピーカーだった。
(ただの嘘発見器じゃねぇか……。健康の前にプライバシー守れっつーの)
試しに『スイッチを押して電源を切ってみる』が、さも当然のようにまた電源が入った。少々苛立ったアラハバキは、先ほどのボットのようにぶち壊してやろうかと一瞬思ったが、流石に思うだけに留めた。
ドアインザフェイスを見破られ、ブラフも封じられたアラハバキ。しかしそれでも弱みは見せない。
「〈恐らく売れないぞ、ソレ〉」
『〈いいさ。技術は進歩したんだ、次がある。それより本当の要求を教えてくれよ〜! あと五分でミーティングなんだ! 頼むよ〜! 〉』
負け惜しみを言い放つも、アルは意にも介さなかった。おちゃらけた口調はアラハバキの神経をつま先から頭まで丁寧に逆撫でしていったが、これはわざとやっているのだろうか?
「〈朝っぱらからご多忙なようで。分かった、お互い嘘はやめにしよう〉」
皮肉混じりに肩をすくめ、本題に入る。
「〈私の要求は二つ。『メアリー・スー』の追跡を諦めること。そして━━〉」
彼は手を内側に差し向けて、言った。
「〈アラハバキの雇用だ〉」
ちょうどその時、アラハバキの背後━━つまり窓の外から、強烈な光が投げられた。機動隊の偵察ドローンである。
二機のドローンが捕縛銃を構える。しかし、彼らは『突如としてローターが破裂し、墜落していった』。
『〈雇う……君を? 〉』
画面の向こうで起こった有り得ざる事象を目の当たりにしても動揺せず、アルは話を進める。
「〈イエス。私には力がある。貴方には敵がいる。幾らかの報酬があれば、よりスマートに貴方の敵を削除しよう〉」
『〈フゥン……〉』
ここに来て、アルは初めて長考した。視線がわずかに右下へ向いたが、脳波を観察して嘘をついているかどうか考えているのだろうか。あるいは、単に考える時の癖なのかもしれない。
(『アラハバキの雇用』、コイツはアルにとって相当そそられる提案だろう。謎の超能力を操る男を、世界で初めて自分の手下に出来るわけだからな。大企業のトップとしてでは無く、一人の物好きとして。興味が無い訳が無い)
魅力的で面白そうな提案A。
特に面白くもない仕事の話である提案B。
同時に掲示された時、型破りで高慢ちきな若社長はどうするだろうか?
(だから目が眩む。『メアリー・スー』と天秤にかけ始める。BWTの代表としてなら迷わず要求を突っ返すべきだが、生憎そんな出来た人間じゃねぇんだな、アルは━━さ、どう出るね)
数秒後、アルは結論を出した。
『〈……憶測だが、君のここまでの行いは、一つのデモンストレーションなんだろう? そのぶっ壊れてる力についての。君は何か、その力で社会に働きかけようと思っていて、その為には『メアリー』の力が必要で、君の雇用に関しては、別に達成されようがされまいが実のところどうでもいい。ここまで合ってる? 〉』
アラハバキは返答の代わりに、また肩をすくめた。
図星である。
『〈『メアリー』を連れて逃げた彼とコンタクトが取れるなら、伝えて欲しいことがある。『キーだけ寄越せば、後はお好きに』ってね〉』
無表情な仮面の下で、ハバキはほくそ笑んだ。
(目標クリアッ! しかもこちらの目論見を看破した上で、俺の提案に乗ってきた! これは相当脈アリだぞ! )
もしかしたら今の喜びが脳波として向こうに知られたかもしれないが、それでもおくびには出さず、受け答える。
「〈良いのか? 会社の損失は大きいんだろう? 〉」
『〈金銭上はね。だが、失敗の原因は分かった。次は彼女のデータを元にもっと従順で、賢くて、ニュートラルなAGIを作る! そうすりゃ元は取れる。金銭面でも、技術面でもね〉』
アルはそう言うと、一瞬席を外して何かを持って来た。翡翠色の小瓶で、表面は濡れている。
『〈何だよ。ハイネケン知らないの? 〉』
彼はそう言うと、勢い良く蓋を外して飲み始めた。
ハイネケン。ビールである。
(お前、この後ミーティングあるんじゃなかったのか……? )
そういえば、アルは確か二十六歳だったのを思い出した。鵐目と同い年だ。
(魔の'13年生まれ、か……)
あの会う人全てを若干馬鹿にしている、鵐目の小憎らしい顔が浮かんでくる。俺も同類だが、それはそれとしてむちゃくちゃ破天荒だな……と思うハバキであった。
フゥ、とひと息吐いて、彼はフードの中に手を突っ込み、イヤホンを二回コツコツと小突く。
「……ということだ。鵐目、今からキーを送ったりすることは出来るか? 」
『まぁ……出来るぜ。準備してるから、その間にボクらが何を支払うのか聞いといて』
「納得出来ないか? 」
『……いや? 愛の逃避行だなんだと、はしゃいでいた自分が恥ずかしくなっただけさ。結局、ボクみたいな大人になりきれないガキは、ああいう奴の手のひらで踊らされてただけってわけだな』
鵐目は自嘲気味に笑う。彼の恋路についてハバキは全く興味が無かったが、恐らく特に同い年の人間が相手ということもあって、屈辱感もひとしおなのだろう。
「気にすんなよ。多少ご都合主義な所はあるが、ロマンス映画なら立派なハッピーエンドだ。心機一転、次のストーリーに進もうぜ」
『……そうだね! 次はキミのストーリーでも演じてやろうかな! 』
「ああ。よろしくな、相棒」
鵐目を励まし、通信を休止する。その様子を見て、アルが話しかけてきた。
『〈日本語は分からないが、随分と仲が良さそうじゃないか〉』
「〈趣味趣向が似通っているからな。友人というのは、得てして同類が多いのさ〉」
閑話休題。ハバキが話を本題に戻す。
「〈さて、直にキーがそちらに送られるはずだ。その間に、こちらが払う対価について話そう〉」
『〈おいおい! 別にそんなの要らないよ! 僕と君との仲じゃないか! 〉』
「〈出会って三分で仲もクソも無いだろうが。なんの駆け引きにもならないジョークはやめろ〉」
駆け引きガン無視でふざけてくるアルにイラつきながら、それでも目標達成による余裕から冷静さを保つハバキ。
「〈まあ、こっちは『メアリー・スー』を手に入れたんだ。支払える対価なんぞ持ち合わせちゃいないが、何かオーダーがあれば聞こう〉」
『〈……何でも? 〉』
「〈私に可能なことなら〉」
完全に安請け合いだったが、彼はそれでも良いと思っていた。
(目標は達成したが、この感じはイける。ここでコイツとコネクションを築けるなら、多少の無茶は許容範囲内だ! )
――だがそれは、ある意味で地獄の釜の蓋を開ける行為であった。
アル・ビギニングウッドという、革命的な天才実業家の。
『〈じゃあ、日本を君好みにチューンナップしてくれないか? 〉』
「〈それが要求? 〉」
『〈イエス! やり方も、目指す形も全部任せる。期間は一年だ。一年間で、変えられる所は全部変えて見せてくれ〉』
「〈……この単語を、今日は何回言うことになるんだろうな。なぜ? 〉」
ハバキの問いに、これまでと同様に即答するアル。
しかしその声は、これまで聞いたことが無いほど冷たく、それでいてタールのようにへばりつく憎悪を感じさせる、おぞましい声だった。
『〈だって君……今の世界、嫌いだろ? 〉』
その目は、酷く乾いていた。
そして彼は、とんでもない内容の演説をし始める。
『〈何十年も前から言われていたはずの労働人口の減少、少子高齢化。安価な汎用ロボットの普及で予想よりはマシになっているが、それでも好転はしていない。終わりを先延ばしにしてるだけだ。先進国はどこもそう。まるで文明のエンディングがそれしかないかのように、停滞して、活力を失っている。どん詰まりだ! 〉』
両手を大きく広げて話すアル。
『〈じゃあ僕達はどうするべきか? 政治家になって地道に変えていく? 頭の固いクソジジイや、浅瀬に漂着したプラゴミのような幼稚な真実に目覚めちまったバカな女共が同僚なんだぞ? やってられるかよ! そうだ、ならSNSで同志を集めてデモをしよう! とにかくプラスチックを減らして、肉を減らして、サステナブルでリーズナブルな暮らしをしよう! これこそ現代的な政治活動! ケッ、それで集まったところでやってることはチンケなホームパーティと何も変わらねぇ! 頭も使わず騒ぎ立ててるだけだ!適当に好みの真実をつまみ食いして、自分は誰かさんより頭が良いとマウントを取ってるだけだ! 水夫の力自慢から何も進歩しちゃいない! 〉』
彼は立ち上がり、その場を歩き回りながら情熱的に話し続ける。
『〈アラハバキ知ってるか!? 今僕がいるアメリカは州同士の隔絶が年々酷くなっていってる! 三年以内には確実に内戦が勃発して、今のユーラシア大陸みたいなカオスになるのは明らかだ! な・の・に! 誰も! 誰も動こうとしねぇ! ある時、一人の若い政治家に理由を聞いたんだ。そしたら何て答えたと思う!? 先進技術恐怖戦争の再来が怖いから、だとよ!! じゃあ尚更動くべきだろうがクソリベラルヴィーガン野郎ッ! 野菜しか食わねぇからタマが小さくなってんのか!? 〉』
何か酷くムカつく過去を思い出したのか、頭を掻きむしってテーブルを蹴り飛ばす。
『〈ああああクソクソクソ!!! 何が政治的正しさだ! 何が多様性だ! あんなもんガキの言い訳だろうが! どれだけ親の血筋や出た大学が素晴らしいかアピールするのと、どれだけ精神疾患を患っているかを表明して同情票を集めたかで評価するのと! 一体何が違うんだ!? ただただPRポイントが変わっただけで社会構造は何も変化してないじゃねぇか! 強者は弱者の皮を被り、本当の弱者を無自覚な強者だと責め立てる! どんな障害も言ったもん勝ち、恥も外聞もありゃしねぇ! 捨てたプライドは傷つかねぇもんなぁ! 〉』
叫びながら、ネクタイを外して叩きつけ、ジャケットを脱いで投げ捨てる。
『〈良いかアラハバキ! 今世界には、僕達二人のような存在が必要なんだ! 何故か分かるか!? この腐りかけた世界を掃除して、秩序という名の新品のフィルターをもたらさなきゃならんからだ! 言葉じゃもう駄目なんだ! インターネットで世界が繋がった結果、発言権を持っちゃいけないバカまでいっちょ前にしたり顔で語れるようになっちまったんだ! 誰も彼もが『何を言ったか』ではなく『誰が言ったか』でしか判断出来ない! 例え上手い方法を思いついたとしてそれを公表し、百人の賛同者を得られたとしても、千人のバカが喚いたらそれでご破算だ! バカがバカを崇拝してそれをバカがバカにするバカみたいな世界なんだよここは! 〉』
ハァ、ハァ……と、肩で息をするアル。
『〈……だからさ、アラハバキ。僕達で世界を変えよう。僕は世界トップの金と権力を持っていて、君は世界トップの暴力を持っている。僕達が同じ道を歩こうとするなら、行く手を阻むものは全て吹き飛ばせる。僕はアメリカを、君は日本を変えて、次はまた別の国を変えよう。イギリスもフランスもインドもドイツも何でもかんでも、僕ら好みに変えちまおう! 始まりの樹の名の下に、そうやって世界を救ってやろう! 〉』
アルは手を差し出し、そしてグッと握りしめる。
こうして、彼の演説が終了した。
『〈……フゥ。こんなに熱弁したのは何年ぶりだろうな? どうだい、感想を聞かせてくれよ〉』
圧倒されていたアラハバキだが、感想を問われれば答えないわけにもいかないので、急ピッチで脳内に感想文を組み立てて英語に翻訳する。
「〈そう……だな。世間一般の価値基準で言えば、あまりに差別的で前時代的な暴論だと言わざるを得んが……そんなことを言える時期は過ぎたのだろう。正直感心したよ。この場だから言えるが、実は私も似たようなことを考えていたんだ〉」
普通の価値観での答えを出しつつも、それを否定して理解者であることをアピールする。
そんな彼の答えにアルは大層満足したようで、少年のように目を輝かせながら頭を縦に振る。
『〈君なら分かってくれると思ったよ! 〉』
「〈ああ。でもその前に、一つ聞いておきたいことがある〉」
アラハバキは一本指を立てる。そしてゆっくりと、画面の向こうのアルに向けた。
「〈貴方は、誰の為にそれをやるんだ? 〉」
『〈僕以外の強者の為に〉』
…………。
一陣の風が、割れた窓から吹き付ける。
「〈そうかい。だとしたら、俺とアンタは目的地が違うんだろうな〉」
『〈……どういうことだい? 〉』
「〈私には利他精神というものが欠けていてね。何をしようにも、自分の為にしか動けない。貴方と一緒に世界を変革するまではいい。だが、恐らくその先で、我々は敵対するだろう〉」
二人は、最後の最後で分かり合えなかった。
だが……分かり合えないことを、分かり合えた。
『〈……いいさ。その時になったらまた話して、考えよう。敵とも会話できる人間だろう? 君は〉』
「〈寛大だな。感謝する〉」
『〈資金援助は出来ないが、門出の祝いならしてやるよ〉』
彼が指を鳴らすと、画面に数十枚の文書が表示された。全て日本語であり、中には会計書類も含まれているようだ。
『〈そっちの役員がやらかした政治家への不正献金、その物的証拠だ。使い方は任せる〉』
「〈CEO!? 何故それを!? 〉」
『〈タイミングを見計らってただけさ。情報には使いどきってのがあるもんでね。それとも、この僕が知らないとでも思ったか? 〉』
底意地の悪い笑みを浮かべて金城を笑い飛ばすアル。しかし、心做しか先程までの元気は失せてしまったように見える。
「〈ありがたく使わせてもらう。だが、大丈夫なのか? 株価や信頼は〉」
『〈シナリオは考えてある。何をしようが僕の方から合わせてやるから、気にせずやっちまえよ〉』
この問答の後、二人は少しだけ黙った。
決して別れを惜しむわけでは無いが、二人は見つめ合い、お互いの腹の底を見定めようとしていた。
そして、〆である。
「〈さようなら、愛すべき友よ。次に会う時、敵で無い事を祈る〉」
『〈アディオス・アミーゴ! 今度はこっちから会いに行ってやるよ! 〉』
これにて、アラハバキ最初の作戦は終了した。
目標も達成し、アルとのコネクションもゲット。結果としては大成功、万々歳である。
しかし、どこか淋しい結末であった。
━━
「止まれ! 止まらんと━━」
『重圧』。
「グゥッ……! 」
「良し。この中に、報道関係者の方は? 居るならば、此方に」
いとも容易く機動隊を跪かせ無力化し、報道陣を呼び寄せるアラハバキ。
誰もが黙りこくっていたが、報道陣の中で一番若い、恐らくは新人であろう男が、震えながら手を挙げた。
「ひ、平日新聞の森川ですっ……! 」
「森川さん。嗚呼……勇気のある方だ。安心して下さい。貴方を含め、皆様方には決して危害は加えない。そしておめでとう。今後数十年は語り継がれる一大スクープ、それを最初に報せる栄誉は、貴方の物だ」
顔面蒼白になりながら、森川はマイクを持って近づこうとする。しかし地面に膝を立てている機動隊の数人が、近くに来た彼を止めようと必死で手を伸ばす。
そんな様を見ていたアラハバキは、ゆっくりと彼らの後ろ━━カメラやドローンなどの撮影器具の積まれた箇所━━を指さした。
「……あっ! あっ! 」
森川は弾かれたように戻り、腰の抜けた先輩方を引っ張り起こして報道の準備を始めた。
「メモの準備は? カメラは大丈夫ですか? 撮影ドローンも飛ばせるだけ飛ばして。もっと近づいて良いですよ。音声は……大丈夫そうだ。では━━少しだけ、話をさせて頂きましょう」
準備の終了を見届けたアラハバキは、そう言って話し始めた。
「私はアラハバキ。あらゆる事象のカウンターウェイトであり、全ての『たったひとり』の味方です」
誰も、何も言わない。
「まず最初に、言っておきたい事が一つ。私は、『如何なる場合に於いても人を殺める事は無い』ということです。何よりもまず、この事を皆さんに記憶して頂きたい」
誰もが、彼の話を傾聴している。
「皆さんが御覧になられた通り、私は異常な力を持っています。大きな……とても大きな力です。ですが、この力を殺戮の為に使う事は決して有りません。私は、この力を『社会を改め、善くする為にのみ使う』ことを、此処に宣言させて頂きます」
その話ぶりは、鷹揚で、水底深い声色で。
「その為に今、株式会社ビギニングウッド・テクノロジーズ・ジャパン執行役員八名の不正献金に関する証拠を手に入れました。この文書は後程、メディアの方々にお渡しします。仔細は追って発表されるでしょう」
間の数秒でさえも計算された、まさしく完璧なスピーチだった。
『重圧が、解き放たれる』。
「━━ハッ!! 」
機動隊は銃を構える。報道陣はどよめきながらアラハバキの周りを離れる。
だが、『彼の周りに突然旋風が巻き起こり、瓦礫と砂塵がその姿を隠す』。
「私はアラハバキ。死の因果を覆し、人の世に革新を起こす存在。私は常に、この東京の夜空を駆けている事をお忘れ無きよう。それでは、失礼━━」
彼はそう言い残すと、『風と共に夜空の彼方へと消えていった』。
――
「ただいマンモス」
見鹿島 ハバキがホテルのドアを開ける。肩には地味なリュックを掛けており、その中にアラハバキの衣装が入っているとは誰も思わないだろう。
「ウェルカムホーム、ハバキクン! 最後の演出は神がかってたぜ! 」
鵐目がハバキの肩を叩いて褒める。
「アドリブにしては上出来だろ? 文書の方は? 」
「ざっとファクトチェックしたけど、特に矛盾点とかは無かったね。アレは確かに証拠足り得る文書だ、そこは安心していい。送り先も、平日新聞を最初に、他のメディアにも少し時間を置いてから送ってやった! 足跡も残してないから、こっちの素性はバレないよ」
「流石の仕事ぶり! 」
「例のコードもバージョンアップしたから、キミの正体に繋がるものは何一つ無い。このご時世でこの成果、もう完璧な出だしと言っても良いのでは? 」
二人は間髪入れずに連続して会話を繋げ、そして力強くハイタッチした。
『ウッヒャッヒャッヒャ!! 』
腹の底から笑い合う二人に、サヤが話しかけに来る。
「あ、ハバキくんおかえり! 」
「ただいま、サヤ。どうだった? 俺の初仕事は」
「うーんと……正直に言っても良い? 」
「もちろん」
そういうと、サヤは少しはにかみながら話始める。
「なんか……ハバキくんが、同じ人間とは思えなかった。━━あ、悪い意味じゃないの! えっと、なんて言うんだろうな。私と同い年の人が、ものすごーい力を使って、偉い人の汚職を暴いて、あんな大勢の前で堂々と自分の言いたいことを言って……。色んな人を傷つけたり、色んな物を壊したりはしたけど、それ以上に堂々としてる様が羨ましくて……。ごめんね! あんまりまとまらなくて。何が言いたいのかって言うと━━」
サヤは顔の前に手を合わせ、上目遣いにハバキを見る。
「ハバキくんは、すごいなぁって」
その仕草が、声が、顔が、控えめに言ってハバキの少年心にピンポイントでぶっ刺さった。
もうガチキュンである。
ハバキは人の心を持たない。だが、性欲は人並みにあった。
「……嬉しいね。サヤが褒めてくれると」
片手で赤くなった顔を隠しながら、横目でなんとか目を合わせて言う。サヤも若干照れて、髪で顔を隠そうとする。
「……ンッン! 」
空気が甘ったるくなったので、咳払いして場を締めるハバキ。
「さて。これでBWTの手を払い除け、目下の障害はひとまず排除されたわけだが」
「アルから変な約束とりつけられたけどね」
「な。意味分かんねーよな、アレ━━とにかく、今日からはアラハバキがこの世界の中心となって回り始める。ネットを通して、世界中が彼の一挙手一投足を期待半分不安半分に注目する。警察も、そのうち対策本部なんかを立てて対抗してくる」
彼の話を聞きながら、サヤは自分がルビコン川を渡ってしまったことを自覚し始めていた。
この場合、自分はどういう罪状になるのだろうか?
テロ等準備罪?
「だが、俺たちは自由だ。『自由には責任が伴う』とよく言うが、逆に言うと『責任を果たせば自由がついてくる』のさ。責任とは『リスク』だ。それを果たすということは、『リスクを排除できる』ということ。今俺たちは、『常識ある大人を残らず敵に回す』というリスクを背負い『鵐目とメアリーの力を使う』ことで、そのリスクを排除した。極大のリスクを排除し、極大の自由を手にしたんだ! なんて素晴らしいんだろう! 」
彼のスピーチを聞きながら、鵐目は合いの手を入れる。
「極大の自由、か。良い響きだねぇ! だがハバキクンよ、自由と言うにはまだ色々と足りないんじゃないかい? 現実問題さ。例えばお金。ボクの財産に余裕があると言えばあるけど、このままだと収支マイナスでジリ貧だぜ? 」
「増やしゃいいだろ、アラハバキなら株価操縦し放題だぞ」
至極ナチュラルに金融商品取引法違反を奨励するハバキ。
だが、彼の肩をガッシリと掴んで鵐目は制止する。
「それはマ・ジ・で止めた方がイイ! 因果関係から余裕でバレるし税務署怒らせるとホントにヤバいんだからね!? 」
「どんくらい? 」
「このボクがアイツらを撒くのに年単位掛かったって所から察して欲しい! 」
そう言う鵐目は、本当に苦しそうな顔をしていた。
(なんだかんだ逃げ切ったんだ。すごいな鵐目さん……)
(ま、そういうのは次のフェーズからだな。家出少年の戸籍のままじゃ、やれることも少ないし……)
パン、と手を叩き、ハバキは次の目標について話す。
「というわけで、次の障害は『生活の安定』だ。一応金策のプランはいくつかあるんだが、一週間で成立させるのは厳しい。ま、そこは気合と根性でなんとかするしかないな」
「ガッツリ精神論だ! ハバキくんそういうの嫌いそうなのに」
「無理難題を解決するときは、いつだって頭よりも心が重要なのさ。心が折れればどんな天才でも能無しになるし、心が強ければどんな馬鹿でも結果は出せる。どっちも強けりゃ、怖いもん無しってな」
ハバキはそう言いながら、後ろ手にサヤの隣へ近づく。
「サヤも、なんだか慣れてきたね? こういう生活に」
「まあ、うん。なんだかんだ、五日くらいやってるから……」
前髪をいじりながら、サヤは答える。
「それにね……こんなこと言うと、ちょっと不謹慎かもしれないけど……」
「何を今更! 不謹慎が服着て歩いてるのが俺らだぜ? 言ってみてよ」
「うん。最近ちょっと━━楽しくて! 」
それは、弾けるような笑顔だった。
ここに来てサヤが初めて見せる笑顔だった。
「ハハハハハ!! そう! 俺はその顔が見たかったんだ! やっぱり楽しいよなこれ!! 」
「うん! 悪いことしてるのにすっごいワクワクするの! こんなの初めて! 」
「いいねいいね、その調子だ! そうだよ、誰かの顔色伺って、自分が潰れちゃ人生なんの意味も無い! 自分を潰すくらいなら他人を踏み台にしなきゃ! 人生楽しまなきゃ損だぜやっぱ! アハハハハハ……」
ハバキはサヤの手を取り、引っ張り、回り出す。
「わっ!? ちょっとハバキくん、やめてよもー! ウフフフフ……」
「なにそれ楽しそう!! ボクも混ぜろ〜い!!! 」
「うぎゃー! 」「きゃー! 」
三人はそれぞれ手を繋いだり、離したりしながら回り続ける。
とあるホテルの一室にて。世間が突如現れた謎の怪人に沸き立つ中、三人は疲れ果てるまでずっとはしゃぎ回っていた。
彼らの関係は酷く歪なものである。
少女を手篭めにした少年、自覚無しに手篭めにされた少女、少年と同類の人でなしな男。
だが、彼らはそれぞれの人生で一番の高揚を覚えていた。
この充実した人生は、これからも無条件で続いていく。
……そう、錯覚するほどに。
━━
「クソつまんねぇな。やっぱ」
男は死体と死体と死体の上に座って、独り言つ。
ピアスだらけの頭を上に向けて、誰にともなく。その目は虚ろで、生気が無く、しかし内に秘める獰猛な本能だけはギラギラと、陽炎のように漏れ出ていた。
龍のタトゥーが流れるその右手には、グリップの凹んだ拳銃が握られている。その凹みは彼の手のカタチと完璧にフィットしていて、つまりは彼の握力でそうなったのだ。
「アイツがオヤジを駄目にしてから、ずっとそうだ。何をやってもつまんねぇ。寝ても醒めても、殴っても殴られても、蹴っても蹴られても……」
男は視線を下に向ける。その先には、両膝と右肘を撃ち抜かれ浅い息を吐きながら横たわる、背広を着たメガネの男が居た。
「こうやって、タマ無し野郎共を全員ぶち殺してもだ。オレにはオヤジの仇を討つしか救いは無ェんだよ、木南のアニキ」
木南、と呼ばれた男は、答える代わりに怨恨の籠った視線を投げた。
「冬弥……テメェ……ッ! 」
だが、もはや彼にはそれ以上のことが出来なかった。
「あ、そうだ……」
拳銃を持った男━━冬弥は、木南に近づき背広のポケットからタバコとライターを取り出した。一本だけ残ったタバコを引き出し、ライターを彼の左手に乗せる。
そして、タバコを咥えた顔を近づけて言った。
「火くれよ」
「ふ……ふざけんなよ……。何様のつもりだテメェコラ━━」
バァン、と拳銃が火を噴く。
その発砲の結果として、『木南の左手人差し指第一関節から先が綺麗に吹き飛んだ』。
「グァァァァァッッッ!!! 」
「嫌なら別に良いよ、オレは。まだ十四━━いや、親指は節が二つしかねーから、十三か━━十三回、順繰りにテメェの指を細かく吹き飛ばせるからな……」
冬弥は拳銃をぶらぶらさせながらそう宣う。
「こ、この程度でヤクザが根を━━グゥッ!!」十二。
「テメェ、絶対殺すッ! 殺して━━ア゛ァッ!!」十一。
「ハァ、ハァ、クソックソックソ━━アァァ!! 」十。
「分かったッ! 分かった火をつけ━━ウァァァ!! 」九。
「待て、待ってくれ! 頼むから━━あぁぁぁあ!! 」八。
「つける! つけさせて下さいだから━━んんん!! 」七。
……そして。
「あああああああああああああああああああああ!!! 」
二。
「ん、満足。ホラ、火つけていいぞ。まだ親指残ってるから出来るだろ? 」
親指しか無い左手を指しながら、にこやかに囁く。
「ヒ……ヒヒ……ヒィ……」
「そう、火」
木南は痛みに狂いながら、せめて彼の機嫌をとることでこの場を助かりたい一心で、媚びたような下品な笑みを浮かべながら、親指しか無い左手でなんとかライターをつけた。
「……フゥー……」
ゆっくりと、タバコを味わう冬弥。
「……コイツは、オヤジが好き好んでた銘柄だった……」
「……ヒ……ヒ……」
「コイツを咥えながら、ソロバンを弾くオヤジを見るのが好きだった。組の為に汗水垂らして働くオヤジは、まるで本当の親みたいに思えた。こんなオレにも、愛すべき家族が出来たんだって。本当に誇らしかったんだ」
バァン。
「━━似合わねェよ。お前には」
木南は死んだ。
『脳天を撃ち抜かれ』、彼が今日まで築き上げてきた知識の王国は崩れ去ったのだ。
「……さて、と」
冬弥は死体の山から腰を上げ、ベランダに出る。一度も洗濯物が干されたことの無い新品の物干し竿の向こうに、一枚の大型スクリーンが見える。何の変哲もないスクリーンであり、そこにはいつものようにニュースが流れているだけだ。
『「アラハバキ」と名乗る謎の怪人 汚職を暴く』
テロップにはそう表示されている。画面にはビルの壁を歩いたり、ボットをグシャグシャにしたり、瓦礫と共に飛び上がる黒コートに白い仮面の人物が、何度も何度もリピートされていた。
これがお前の仇だと言わんばかりに。
何度も、何度も。
「見間違えるはずもねェ。アレをやったのはお前なんだろ? アラハバキ……」
冬弥は右手の銃を不躾に構える。『一度もリロードしていない』彼の拳銃から、一発の弾丸が放たれる。それは二百メートル先の大型スクリーンに命中し、液晶を故障させた。
「待ってろ……すぐに殺してやっからよォ……ッ! 」
奇しくもその弾痕は、画面に映るアラハバキの仮面上部中央━━額の真ん中に作り出されていた。