開演 -curtain raising-
雨の中、路傍で猫が死んでいた。
二〇三九年、六月某日。午後九時頃の話である。
ここは東京。その何処か。降りしきる雨の中、ひとりの黒髪の少年が傘もささずに見下している。
「……」
ずぶ濡れの少年の背後を、数多の大人が右から左へと歩いていく。皆、傘をさしているものだから、大人の歩いている歩道だけは乾いていて、コンクリートが色褪せていた。
「…………」
醜顔と言うには整った顔で、美人と言うには細長い眼。馬鹿と言うには思慮深い表情で、利発と言うには酷薄な雰囲気を纏っている。
ひと言で表すならば『蜂準長目』という言葉が最も近しい少年だった。
「あのー、すみません。誰か、保健所とかに連絡してもらえません? 誰でも良いんスけど……」
少年は背後を歩く大人たちに声を掛けてみる。
しかし誰も反応しない。
ちょっと顔を向けて死骸と少年を見比べると、目深に傘をさして見なかったことにする。全くの無視を決め込む者も居た。
放置していればそのうち掃除ボットが酔っ払いのゲロと同じく回収するか、それが無理でも然るべき業者に自動で連絡が行くはずだからだ。
少年は二、三声掛けを繰り返したが、そのうち面倒になったのでやめた。
「……誰も助けてくれないらしいぜ。酷い奴らだな。俺を含めて」
死骸に向かって、独り言つ。
猫を弔う為に行動する人間は、この少年も含めて誰も存在しなかった。
誰も彼も、他人任せ。
少年がその場を立ち去ろうとする、そのとき。
「可哀想――」
若い女の声が、流れる水のように前へと歩き続ける民衆の中から聞こえてきた。見やると、ビニール傘をさした少女が立ち止まって、死骸と少年を見つめている。
そのまま視線を交わす二人。
数秒経って、少女は何かを言おうとしたが、その前に少年の方が歩き始めた。
(ま、言葉だけだろうな。行動の伴わない、価値の無い言葉。ショート動画にしてネットに放流とかするより、マシだろうが)
少年はそう考えて、ポケットに手を突っ込みその場を去ろうとする。だが数歩の後、背後に聞こえた物音が気になって振り返った。
「あ……」
先程の少女が、猫の死骸に傘を立てかけていた。
少年と同じ黒髪で、ショートボブ。かわいい顔をしてはいるが全体的に線が細く、生白い顔には若干の隈が浮いている。
少年の第一印象は「同性に陰で嫌われるタイプの薄幸美少女」といったもの。
「えっと……」
「気持ちいいか? 」
どもる少女の上から、少年の声が降りかかる。
雨の中でも良く通る、低いけれども明朗な声だった。
「死体に傘さして気分が良いか? と聞いている」
「え、え……? 」
どう答えていいか分からず、少女は困惑する。
少年は無表情に、それを見つめている。
「その行為には価値が無い。君がすべきは、スマホで地域の交番もしくは保健所に通報することだよ。最善は、この道路の管理者への連絡だがね。まあ、どれも大して変わりないが……」
ほとんど会話する気のない、独り言に近い話。
少女が面食らっていると少年は隣にしゃがみ込んだ。一緒に死骸を眺めることにしたらしい。
「車に轢かれたか。あるいは転落したか。とはいえ、意味の無い死だ。誰の記憶にも残らない、無価値な一生。好きに食い、寝て、争い、交わり、死ぬ。生物らしい最期だ。全くもって下らない、素晴らしい生涯……」
しばらく一緒に眺めていた二人。そのうち、呆けつつもやっと言いたいことがまとまった少女は、ソレを少年にぶつけた。
「……あなたが連絡すればいいんじゃ……? 」
周回遅れの回答に、少年は呆れた顔で答えた。
「スマホ持ってない。だから人を呼んでたんだよ」
「私も……今は持ってない」
そんなわけあるか!? と、自分のことを棚に上げた少年は驚き半分怒り半分で少女の方を見る。だがその直後、合点がいった少年はため息交じりに言葉を吐いた。
「君も、家出したのか」
初めて会った二人には、共通点が二つあった。
家を飛び出して彷徨っていることと、持ち物が何もない、という点だ。
「行く宛ては? 」
「……」
少女は何も話さない。ただ、しっかと膝を抱えて、目の前の死骸を注視している。
「俺も無いよ――さっきはあんなこと言って悪かったな、謝罪する」
「別に……気にしてない……」
「ならいいや。そしたら、雨宿り出来る場所を探しに行こう。人通りも少なくなってきたし、何も死体の前で寝ることもあるまいよ」
しかし少女は動かない。
全くよぉ……と頭を掻きながら、少年はボソリと呟いた。
「傘なんて盗むから……」
少女にはその呟きの間だけ、雨音さえ聞こえないように感じられた。
「なんで、そのことを……!? 」
「見りゃ分かるよ」
少年はそう言うがしかし、少女にはその理由が全く分からなかった。
傘に変な傷があるわけでも、違う名前が書いてあるわけでもない。雨中の家出で傘だけ持っていく、ということだって有り得るはずだ。自分自身におかしな部分があることもない。
見える証拠が無いはずなのに、彼はどうして見て分かったのだろうか?
「どうする? 行くか、行かないか」
彼は移動のために立ち上がり、振り返って言う。
「……分かんない……」
少女は姿勢を固めたまま答えた。
「じゃあ来い。このまま死なれても寝覚めが悪いし」
少年は少女に命令する。少女はそれで、ようやくヨロヨロと立ち上がった。
「傘はどうするんだ? 」
「……置いてく」
「そっちの選択はできるんだな。良いと思うぜ」
少年は、ほんの少し優しい声色でそう言った。
二人は夜の街を、雨に濡れながら歩き出した。
――
雨が小雨になった頃。
「あの……色々聞いてもいい? 」
道すがら、少女は遠慮がちに聞いてみる。
すると返ってきたのは、質問した以上の答えだった。
「何故盗んだのが分かったのか、詳しく説明すると煩雑になるが、簡潔に答えると君の顔がそうだったから。俺が傘をさしてないのは、そういう気分だったから。俺が家出したのは、まあ多分君と同じ理由だろうな。話し方がキザったらしいのは、映画の影響だ。二十年代以前のクライム映画が好き。そして最後に」
彼は水滴を撒き散らしながら振り返った。
「俺の名前はハバキ。見鹿島 ハバキだ。人は殺さんが、獣は殺す。よろしくね」
彼は口元だけに笑みを浮かべながら、そう奇特な自己紹介をした。
疲労と不安から脳内CPU使用量が限界に近かった少女は、数秒ほど少年――ハバキを見つめる。
その後、やっと全て処理できた少女は大声を出した。
「あの猫あなたが殺したの!? 」
「違うが? 何言ってんだ君は」
ものすごい迷惑そうな顔で少女を見るハバキ。
「だって今『獣は殺す』って……」
「それは比喩だ。言葉の綾だ。君は『赤子の手をひねるより簡単だ』って言う奴が、本当に赤子の手をひねったことがあると考えるのか? 」
少女はむくれた。
「むくれるなよ。まあ、確かに誤解を招く言い方だったな。謝罪しよう」
先程『謝罪する』と言ったときもそうだったが、ハバキの謝罪は言葉ひとつだけだった。付随するジェスチャーが何も無い。大して気分を害しているわけでもないので特に気にしなかったが、少女はそこに何となく些細な違和感を覚えていた。
ただ、そんなことよりも。
「さっきのよく分かんない自己紹介が比喩だって言うなら、つまりはどういう意味なの? 」
少女がそう聞くと、ハバキは間髪入れずに質問を返す。
「人と獣の違いは? 」
「……言葉を話せるか否か?」
「イルカなんかの水棲哺乳類は、超音波で意味ある言葉を話すそうだ。シャチなぞ方言が存在するらしい。ソイツらは人か? 」
少女はまたむくれた。
「だが惜しくはある。あと一歩で答えが分かるよ」
少女の様を笑い飛ばしながら、ハバキは言った。まるで子どもに教える教師のような優しい調子だった。
その後、「そういえば」と話題を変える。
「君の名前を聞いてなかったな。なんて言うんだ? 」
「私は――」
少女が自身の名前を答えようとするのとほぼ同時に。
「うおっ」
彼らの背後から強烈なフラッシュが浴びせられた。
「きゃっ!? 」
ハバキは少女の一歩前に立つ。
「どちら様で? 」
警戒しながら、しかしそれをおくびにも出さず、目の前のレトロポリゴンチックな白い車――自動運送車特有の見た目である――を見やる。
若い男の声が、車の中から聞こえてくる。
「人と獣の違い、それは『フェティッシュ』だよ。少年」
男は話しながら、車の中から出てきた。よく見ると右手のスマホを耳元に当てながら、つまり誰かと通話しながらこちらと会話している。
身長は嫌という程高く、ヒョロリとしている。髪は茶髪で、短いくせにパーマが強い。全身白のスーツ姿だが、そこに清廉さは微塵も感じられない。あるのは反骨心と、幼さの残る純粋さ。ハバキにはそう感じられた。
「人は十二分に繁栄し、繁殖する必要性が薄れてきた。だからこそ人は恋する対象を自由に選べるようになった。同性でも、両性でも、あるいは無性でも。肉体すら無かろうが、人は惚れた相手に恋することが出来る。そう、ボクみたいにね! 」
男は笑いながら、自分を指差す。だがその栗色の目には些かの笑みも浮かべていない。夢も希望も見当たらない瞳。
つまるところ、ハバキと同類の人でなしであった。
「いつから聞いてた? 」
「さてねぇ? どうだったっけ? 『メアリー』」
男は通話中のスマホをこちらに向ける。画面は『Mary Sue』と通話中であることを示していた。
『二分と四十一秒前。見鹿島 ハバキ少年の自己紹介からです。ハニー』
「名前まで……! 」
明らかな合成音声の女性が答える。二人が最低でも百六十一秒前から追跡されていることを。
目の前の怪しい男が何故か自分たちを追っていることに、少女は恐怖を、ハバキは不可解を感じていた。
「随分ヒマしてんだな、アンタ。こんなクソガキ共に一体何の用があるってんだ? 金も無い、伝手も無い、傘も無い。無い無い尽くしの不良二人だぞ。何の価値も無い人間に、そこまでの労力を割く理由はなんだ? 」
微塵も怯えた風を見せず、ハバキは聞く。
それに対して、男はまるで悪魔が契約を迫るように、恭しく両手を差し出し、口元は相変わらず作り笑いを貼り付け、その上で、下からねめつけるような視線を浴びせながら言った。
「――禁忌破りに、ご興味は? 」
「禁忌破り……? 」
少女は恐る恐る聞く。
あまりにも怪しすぎる誘い。無論、彼女は全くもって乗る気は無い。
だが彼女の隣に居る、会ってからずっとエキセントリックな会話のドッヂボールしかしないこの見鹿島 ハバキという少年はどうだろうか?
「そうさ、Destruction! 今の日本って、禁止されてること沢山あるでしょ? ボクはそんな世界を変えるために、積極的に法規を破壊――」
「断る」
ハバキは即答で拒否した。
「アレェ!? 」
めちゃめちゃにオーバーなリアクションをする男。どうも、完全に想定外だったらしい。
少女は(それはそうなるのでは? )という気持ちと、(この人が、こんなマトモな反応するなんて……)という意外さを同時に感じていた。
「スカウトのつもりならフォーカスすべき部分がズレてんだよ。日本は禁止されてることが多いんじゃない、『奨励されていることが多い』んだ。良く学ぶべし、良く鍛えるべし、良く遊ぶべし、良く話すべし、良く働くべし、善く生きるべし。未就学児から大学まで二十年ちょっと、ずーっとそれを繰り返すのが俺たちの人生だ」
男はハバキの話を聞いて(勧められてるだけなら、別にやらなくてもいいんじゃね……? )と思った。
「今『勧められてるだけならやらなくてもいいんじゃね? 』って思っただろ? 」
図星である。
「確かに、理屈の上ではそうかもな。だが実情は違う。他人と違う進路を取るっていうのは、他人と同じ努力が出来ないのを自白しているようなもので、つまりそれだけで信用が吹き飛んじまう地雷なんだ。俺たちゃ産まれた時から、そういう地雷を避けて生きて来てるのさ」
つらつらと得意げに話したところで、現状の自分と少女の状態に気づいた彼は、バツの悪そうな顔で目を逸らした。
「……まぁ、今はもう違うが」
話の腰が折れたので、ハバキは咳払いをひとつして場の空気を変える。
「アンタ、日本語は上手いが日本で生まれ育ってるわけじゃないな? 発想が生粋の日本人のソレじゃないんだわ。どちらかといえば米国人に近い気がする。日系二世とかか? 」
果たして、その推察は正解だった。
「うーん……やっぱバレちゃうか! あるよね、そういう根っこの国民性って! 人種が同じだろうと、違和感は拭えないわけだ! 」
「隠すことでも無いしね」と、男は自己紹介した。
「ボクは鵐目 椒林。古風な名前だが生まれは米国さ! 今は色々あって元勤め先から逃亡中。やってることはキミタチと同じだね! ナカマ! 」
「あ。確かに……」
「いや待て違うぞ。辞職じゃなく逃亡ってことは、コイツ職場で相当、恐らく犯罪行為をやらかしてる。義務教育に反抗してるだけの俺たちと一緒にすんじゃねぇよバカがよ」
「違法な行為に手を染めたのは事実だけど! 事実だからって何でも言っていいわけじゃねぇんだぜボーイ!? 」
露骨に距離を詰めてくる男――鵐目に対して、露骨に距離をとる二人。
「はぁ……予定が九割おシャカになっちまった。まあ、それくらいが楽しいんだけどもね? ともかく、はいコレ」
鵐目はそう言うと、ハバキの手に何かを乗せた。
白いブザーのような物。簡素なボタンだけの機械だ。
「これは? 」
「時間を取ったお詫びだよ。何かあればスイッチを押してくれ。キミタチのトラブルを解決できるかもしれない」
「……今押したら? 」
「ボクのポケットからクッキーが飛び出す」
ポチッ。
ブーッ。
「クルミ入りだ。当たりだぜ」
ポケットから取り出したクッキーを顔の前でひらひらさせつつ、鵐目は言った。
「……要らねぇ……」
「そっちのレディは? 」
「あ……いただきます」
少女はそう言って慎ましく貰った。普段はこんなもの絶対に受け取らないが、今回に限っては別である。一日中歩いて腹も減っていたし、甘いものも食べたかった。
「真面目な話するとさ。ひと夏の過ちにしろ、子ども二人でここいらを出歩くのは危険だしね。大人の力が必要になったら遠慮なく使ってくれ」
話すことも無くなったのか、鵐目はそう言って車の中に戻る。彼はドアを閉めると、窓を半分開けた。
「じゃあね! 強く生きるんだよ! 」
ハバキはにべもなく答える。
「言われずとも」
別れの会話はそれだけだったが、ハバキは車が見えなくなるまで立ち去ろうとはしなかった。
やがて車のモーター音も聞こえなくなり、街の中は静寂に包まれる。雨がしとしとと降り始めて、その静寂をすぐさま破る。
彼は振り返って、さっきと変わらぬ調子で言った。
「じゃ、行こうか」
――
「なんだったんだろうな、アイツ」
「鵐目さん、だっけ? 変な人だったね。まあハバキくんも大概だけど」
「お? 言うようになったじゃないか。いいね。そのくらいの元気があれば、この先もやって行けるだろうよ」
二人は談笑しながら、小雨の降る中身体を濡らし、夜の街を歩き続ける。
雨の中食べた湿ったクッキーは、いつもより少し甘い気がした。
「サヤ」
話と話の合間の小休止に、少女――サヤは出し抜けに名前を言った。
「君の名前か? 」
「うん。苗字は……ちょっと珍しいから、教えらんないけど」
「ん? 偽名じゃねーの? 」
「え? 」
このすれ違ったやりとりから、サヤは『見鹿島 ハバキ』が完全な偽名であることを理解した。
だが、その理由は理解できなかった。
「家に帰る予定はあるのか? 」
「……考えたくない」
「だろうな。ちなみに俺は無い。この際だから新しい人生を送る予定だ。『見鹿島 ハバキ』はその為の名前だよ」
それはつまり、彼は偽の戸籍を作るつもりだということ。
不可能だ。シンプルに。
「お金とか家とか食べ物とか、全部どうするの? 身分証だって無いのに! 今の日本でそんなの無茶だよ! 」
「学生続けるよかマシだと思うぜ。冗談じゃなく、マジの話」
彼は本当に真面目な調子で言った。それほどに学生生活が嫌悪に溢れたものだったらしい。
「ところで、サヤちゃん多分高一だよな? 俺と同じく。入学時点での偏差値いくつ? 」
「76……」
「高ぇな!? 70でマウント取ろうとした俺がバカみたいじゃん! ハハハ! 」
ハバキの自嘲気味な笑い声が、寂寥とした街に響く。
「とにかく。今の中高生、特に俺たちみたいな進学校勢が、クソみたいな過密教育の犠牲になってるのは言わずとも分かるだろう? 」
そうだ。
サヤは半日前まで続いていた日常を回想する。
一年に単語帳を五週する想定で出される、毎朝の英単語テスト。
八限までミッチリと続く授業。
部活もしくはボランティアが強制で、そこで出した成果が成績査定に入る。
更に査定と言うなら、昼休みでのコミュニケーションの仕方までAIに採点される。採点項目は『主体性』『ユーモア』『間のとり方』など。
「質と量の両立! 人材育成としては、なるほど最も効果的な指導だ。汎用ロボット以下の働きしかない奴はそこらに置いてきゃ良いしな。『普通以上の幸せ』が、努力次第で十分手に届く範疇にある。『選べる選択肢がある』という点だけ見れば、俺たちは本当に恵まれた環境に居たと思うよ。俺はもうゴメンだけど」
彼の言葉によって、サヤが自ら押し込めていたストレスが少しずつ吹き出し始める。
AIによって様々な仕事が代替された今、若者に求められるものは『学力』『コミュニケーション力』以外に『人間力』が追加されつつあった。
健全に学び、健全に遊び、健全に人と会話し、時にはちょっと悪いこともしながら、それでも反省して、健全な精神を保てる強い存在。
それが、大人の求める理想の若者。
「サヤのその不健康な顔を見るに、エナドリ毎日飲んで遅くまで勉強してたんだろ? 俺のクラスにも大勢居たよ。中学にも居たし、ソイツらの半分は今病院だ。一度冷静になって考えて欲しいんだが、たかだか十六歳の子どもがそこまで身を削るのはおかしい、マジで。まあ一番おかしいのは、そんな環境でも適応できてる奴が意外と居るってことだが……」
学力もコミュニケーション力も、十分優秀と言えるほどには訓練されてきたサヤ。
だが愚直に頑張ることしか出来ない者は、人間力が足りないと評価されてしまう。必要なのは、賢く努力できる者なのだ。
サヤの動悸が早まる。
息は浅く早くなり、目の前の景色が色褪せ始めてきた。
「でも……パパとママにがんばれって言われたから……あと学費めっちゃたかくて、もったいないから……わたしはみんなより頭よくないから、がんばらなくちゃいけないから……」
「それで寿命縮めたら本末転倒だろう! 君はそれで良いのか? 」
「よくないけど……よくないけど、そうしないと、追いつけなくて……わたしは、だめだから……」
「サヤちゃん……? 」
「いやだけど……いやだけど、がんばらなきゃで……それに、わたしは……ばかだから……! 」
「サヤッ! 」
心が千々に乱れ始めたサヤの両肩を掴み、グイと顔を近づける。
「落ち着け! 俺の目を見ろ! 」
「あ、あ……」
「アンタこのままだと死ぬぞ!? 身体も、心も、全部が擦り切れて亡くなっちまうッ! いいかもう一度言うぞ!? アンタは、今、死にかけてんだよッ! 」
「でも、わたし、先生からも塾のひとからも期待されてて……! おかねもたくさん使われてて……! しかも、みんなはそれに応えられてて……! だから、わたしも、それができなきゃおかしいの……! 」
「そんな、そんなわけあるかッ! そんな責任は――」
ハバキが言葉を次ぐ前に、サヤは彼の手を振り払う。
「ごめん……もう、行かなきゃ……っ」
「サヤ……ッ!」
ひとりの少女は、恐慌したままその場から全力で逃げていく。行き先も考えぬまま、逃げたくて逃げたくて逃げていく。
ハバキの思考は、サヤの全てに怯えた瞳と、痩せた肩の感触と、あらゆる負荷に押し潰されて消え入りそうな声に支配されかけていた。
「ホンットに、クソみたいな時代だなァ……ッ! 」
ひとりの少年は、逃げ切れそうもない少女を助ける為に、ポケットから取り出した白いスイッチを掲げて押した。
ブーッ。
数秒後、背後の通りから猛スピードで自動運送車が飛び出し、彼の隣でドアを開けた。
「意外と早い伏線回収だったねハバキクン! 」
「遅いわバカッ! どうせ一部始終知ってんだろ、早くサヤを追うんだよ! 」
「Ofcouse! 任せるぜマイダーリン! 」
『イエス、マイハニー。追跡:サヤ少女』
助手席で額に手を当てながら、ハバキは噛み締めるように呟く。
「分かってんのか、サヤ……! 死んだら何もかも、本当に何もかも終わりなんだぞ……ッ! 」
――
「ハァッ……ハァッ……! 」
少女は走る。少女は走る。
何処へ行くとも分からずに。
(パパもママも……怒ってるだろうなぁ……)
息を切らせて走りながら、サヤは呑気に考える。
(帰ったら、残ってる課題やらないと……数学がワークの単元四から五、国語がテキストの四十六ページからで、あと化学の暗記と問題集と……あ、総合の『行きたい大学』のレポートも作らなきゃだった……)
やがて疲れて、足が止まる。
立っているのも疲れてきて、自然と膝を抱えてしゃがみ込む。
(『行きたい大学』……か。そんなの、無いよ。卒論とか就活で、今よりもっと大変になるらしいし……。四年間耐えて就職出来ても、別に生きることが楽になるわけでもない……。人生ずっと、終わらないハードル走みたいだ……)
何か悪いものに巻き付かれているような感覚をおぼえ、堪らず奥歯を噛み締める。
ふと、親に『顔の輪郭が悪くなるからやめなさい』と、矯正された過去を思い出した。
(羨ましいよ、ハバキくん。ちゃんとやりたいことがあって、その為に色んなしがらみを捨てられて。わたしには無理だよ。何の取り柄も、人に誇れる趣味も無いから、今あるモノを手放せない。何処にも行けない、何も創れない、示された未来も信じられない……! )
抑えようにも、涙が勝手に出てくる。自分がどうしようもなく惨めに思えて、泣くしかなくなる。
(わたしは、ただしあわせになりたいだけなのに。なんの才能も無い人は、しあわせになる為にここまでしなくちゃならないの? ここまで苦しんで、それでやっと人並みなの? 他の人は本当にこんな苦しんでるの? もう苦しいのはいやだよ、つらい思いもしたくないよ、たまにはぐっすり寝たいよ……! )
雨は降る。月は見えず、都会の冷たい光が雲を照らす。
「……だれか、たすけてよぉ……」
ポツリと、呟く。
そのはるか後方から、一台の車が迫ってきていた。
――
「オイ。女子ひとり追うのになんでこんな手間取るんだよ、こっちは車だぞ? 」
「言えてるね。『メアリー』、原因はなんだろう? 」
鵐目は頬杖をついたまま、スマホに声をかける。しばらくすると、前と同じように合成音声が返答する。
その振る舞いから、彼女が高度に対話可能なAIであることはハバキもようやく察しがついた。
『サヤ少女の追跡に時間が掛かっている理由は、以下のことが言えます:一。彼女が車道の近くを通っていないこと。二。彼女が四十秒前より、ハック可能な監視カメラから姿を消したこと。三――』
「待て待て待て! 監視カメラから消えた!? 有り得るのかこの東京で!? 」
ハバキはAI特有の冗長な返答を遮る。
「無いとは言えんでしょう。区画整理だとか、設備の不調だとかで――」
「いや、分かった! 」
更に鵐目の返答も遮って、頭に浮かんだケースを解決する為にスマホへ口早に命令する。
「『メアリー』、半径一キロ以内の建築中または解体中の施設を調査! 見張っているカメラをハックして過去一分以内に施設へ入った車両から不審なものを割り出せ! 」
『ハニー、命令権限を持たない人間から要請されています。どうしますか? 』
「見鹿島 ハバキにTemporary権限を付与。有効期限は一時間に設定――あの、ハバキクン? ロクに話もしてないのに、一体何が分かったんだい……? 」
「時間ねーから簡潔に言うと途中で人さらいそうなバンを見てたから! そしてまだ可能性の高いケースは六つある! 次の命令だ『メアリー』! ――」
間髪入れずに、次々とスマホへ命令していくハバキ。彼の下す命令は全て明瞭で、一度聞けばその理由がすぐに推察できる。それと同時に、彼の想定しているケースはたった数秒で考えたとは思えないほど具体性を帯びていた。
例えるならば、組織犯罪に対応するベテラン刑事が熟慮した後に下すような判断を、二秒に一回行っているような感覚だった。
(なんだ、この少年は? 思考が速いっていう次元じゃない……脳内情報量が濃密過ぎる、とでも言うべきか? さっき話したときはまだ『賢い少年』程度に感じたんだが、今はもうそれどころじゃないな……。まるで、ギアを一気に最高速まで入れたかのような……)
鵐目は背筋にゾクリとしたものを感じた。それは恐怖か、はたまた恍惚か。
だがどちらにしても、それは彼がずっと求めていたモノそのものであった。
「キミに声掛けて良かった! 」
「お前もちったァ手伝えや!!! 」
――
「騒ぐなよ……騒いだらまた殴らないといけんくなるからなァ。嫌やろ、痛いンは」
まるでプロレスラーのように筋肉の上から脂肪を纏っている粗暴そうな男が、柱の陰にいる少女の髪を掴んで言う。
後ろ手に縛られ、猿轡も噛まされた少女は頷くことも出来ず、ただ恐怖で瞳孔のかっぴらいた目を見張るしかなかった。
男はその様子を見ると、無感動な目でふんふんと頷いてから手を離した。それから、近くでスマホ片手に憔悴しているメガネの小男に声を掛けた。
「鹿野、中田さんに連絡とれたか? 」
「すんません猪田さん、まだッス……。一応着拒はされてないっぽいですけど」
猪田と呼ばれたプロレスラー男はそれを聞くと、大きな舌打ちをしてから鹿野の頭に拳骨を叩きつけた。
「グァァァッ……! 」
「使えンなァ……ゴミカスが」
鹿野に落ち度は無かった。いや、強いて言えば猪田の機嫌を損ねる報告をしたことそのものが落ち度だろうか。とにかく彼は不条理な折檻を食らって悶絶し、猪田はそんな彼を後目に近くの土管に腰掛けた。
この場に居るのは猪田、鹿野、それとこれまた土管に座って煙草を吸っている、ピアスまみれの男の計三人と一人の少女であり、それ以外の人影は欠片一つも見ることが出来なかった。ここは解体予定の廃ビルらしく、周りは衝立ついたてに囲まれていて、中の様子は誰にも窺い知ることは出来ない。敷地のサイズ的に、ある程度騒いだところで声も届かないだろう。
「なあ、猪田のアニキ。結局オレたちゃ、なんでこんなガキをかっさらったんだっけ? 」
ピアス男が、聞くからに頭の悪そうな声で猪田に話しかける。
「知るかよ、駄賃貰えンだからそれで良いだろうが。それよか蝶野、ションベンしてくっからガキ見とけ」
「あ、このガキの顔にかけるとかどうっスか? オンナにションベン飲ませるプレイが一番コーフン出来るからさァ……」
「フッ……ッ……! 」
ピアス男━━蝶野はそう言って舌なめずりをする。恐らく、この三人組の中で一番の危険人物が彼だろう、と少女は思った。
制御不能、という意味で。
「クセーからやんね。つか余計なことすんなや、それで金がパーになったらどう責任取れんだお前オォ? 」
「わーったわーった。ヒマだから冗談言っただけだって」
「チッ……。余計なことすんじゃねーぞ」
蝶野に釘を刺した猪田は、小走りに遠くへ去って行った。その姿を見届けた蝶野は、待ってましたとばかりに少女の首を掴む。
「ヒッヒヒ……。まあバレなきゃいーだろ……」
「あーもう、あのクソメガネ━━て、ちょっと何してんスか蝶野さん! マズイですって! 」
「あ? 別にヘンなことしねーよ。ただまあ……ちょっとうるさくなるかもしんねー」
「何する気なんスか!? ちょっとホントに、マジで! 」
「お、よく見たら割と良いツラしてんじゃん。良いツラのオンナほど、泣き喚いた顔がエロいんだぜ? 鹿野っちよぉ」
そう言うと、彼は握り拳を作り始める。ゆっくりと、指を一本ずつ、これからお前の内蔵に叩き込む拳だよ、と言わんばかりに。
「んんん! んんんんん!!! 」
「へへへへへ……さっき蹴っ飛ばした時もそうだけど、カワイイ声してんな、お前……」
「あ、なんだ殴るだけか。ならいいや、頑張れやネーチャン! 」
握り拳だけでなく、だんだんと首を掴んでいる方にも力が入る。
息が出来ない。逃げられない。どうしようもない。
その時。
「……ん? わ、待って待ってまてまてまてウワアアアアアァァァァァ!!! 」
衝立を破る破壊音と共に、一台のレトロポリゴンチックな白い車が突っ込み、鹿野を吹っ飛ばした。
「な、何だあ!? 」
「アチョーーーーー!!! 」
「フゲッ」
車に気を取られた蝶野の後頭部を、何者かが両足ドロップキックで蹴り飛ばす。
少女は衝撃で投げ出されて地面を転がる。その先で背中に濡れた靴のような感触があった。
「結局、最初の推論が正しかったな。そりゃそうさ、俺の勘は大事な場面で外さないんだから」
「……ッ! 」
雨の匂いを纏った誰かが、自信たっぷりに言い放つ。
「助けに来たぜ、サヤ」
目線を上げると、つい先程自分が手を振り払ったはずの少年が、座り込んでこちらの顔を覗き込んでいた。
「ほら、拘束外すからちょっと待ってな」
ハバキはサヤの手足口に貼り付けられたガムテープを剥がしていく。
「――プハッ……。ハバキくん、どうしてここに……? 」
「言っただろ、俺は人を殺さないって。仮に君が無事に帰るにしろ、そのまま心身を磨り潰すのは目に見えていたからな。見殺しには出来んさ、文字通りにね」
彼はそう言って、ニコリと笑った。さっき話していた時と変わらない、明朗かつ穏やかな調子。
この非常事態の最中でさえ、彼のスタンスは崩れていないようだった。
「……ありがと……」
「礼はここから逃げ出した後だ。そら鵐目、車に戻るぞ」
そう言ってその場を去ろうとした瞬間、ドスの効いた野郎の声が三人の鼓膜を突き刺した。
「待たんかいボケェッ! 」
叫ぶ猪田のその手には、黒光りする拳銃が握られていた。
「ひっ……! 」
たまらず、ハバキの後ろに隠れるサヤ。
「おわ、ピストルだ! 日本で初めて向けられた! 」
「大陸由来のサタデーナイトスペシャルってとこか。どこで手に入れたんだか」
両手を上げながら呑気に話す鵐目とハバキ。鵐目の方は流石に幾分かの緊張が見え隠れしていたが、ハバキは完全にリラックスしていた。
これは実際の銃を知っているかどうかの違いなのか、それとも修羅場をくぐった数の違いなのか。もしくは、そのどれもが見当違いの間違いか。真相は不明だが、少なくともハバキに十六歳の少年とは思えない胆力があることは明らかだった。
「落ち着けよオッサン。俺たちがやり合った所で何もメリットが無い。アンタが求めるモノが何にしろ、ここはやっぱ話し合いで解決しようじゃないの」
ハバキは落ち着き払って諭す。だが猪田は聞く耳を持たない。
「チャカ持った奴相手に話し合いィ? 頭沸いとンかガキッ! 交渉っつーンは、互いが同レベルの暴力を持って初めて成り立つンやぞ!? ジブンら丸腰やンけ、暴力レベルが急勾配過ぎて『SASUKE』の『反り立つ壁』か思たわ! 死にたないやろ、早よォそのメスガキ渡さンかいッ! 」
興奮のあまり、地元であろう大阪弁が飛び出す猪田。その乱心ぶりを鑑みるに、彼の引き金は羽より軽い可能性が高いだろう。
「成程。確かに、丸腰で話し合いもクソも無いな」
ハバキはそう言うと、ニヤリと笑いながら上げた両手を首の後ろへ回す。そしてその体勢のまま、背後に隠れるサヤを踵で小突いた。
(……いいの? 本当に大丈夫なの? 信じるからね……? )
最初に背後へ回ったときから、サヤは彼の腰にある違和感には気づいていた。
がしかし、彼がこの日本でソレを持っていることが全くもって信じられなかったため、目を閉じて見なかったことにしていたのだ。現実逃避は彼女の得意とするところである。
だがもう、そんなことをしている場合では無い。
(も、もうどうにでもなれーっ! )
「これならどうだい? 」
「な、ウソやろッ!? 」
背中から瞬時に抜き放ったハバキの右手には、銀色の拳銃が握られていた。
(どうやって仕舞ってたボクの拳銃盗んだの!? )
(手癖の悪さにゃ、昔から定評があるもんで)
鵐目の耳打ちに答えながら、目線はしっかりと猪田の方へ向けている。拳銃の照星を通して、その右眼の視線が猪田から外れることはない。
「な、なんやワレ……エラいサマになっとるやンか……分かったわ。ほンなら話し合っても――」
猪田が若干怖気づき、額から目に垂れる汗を瞬きで追い返そうとしたその瞬間。
バァン。
「がァァァッ!? 」
ハバキは躊躇なく引き金を引き、猪田の右肩を撃ち抜いた。
持っていた拳銃を落とし、肩を掴んでその場にへたり込む猪田。そこへハバキは、拳銃をクルクル回しながら歩いて近づく。
「『同レベルの暴力を持てば話し合いになる』。だからこの後は、拳銃突きつけあったまま二人で話し合う……とでも思ったか? 隙あらばこっちが有利取るに決まってんだろ。どうして自分だけが暴力を奪われないと思ったんだ? 」
猪田を見下ろしつつ語りながら、ハバキはスライドを引いて薬室内の残弾を確認し、リリースボタンを押してスライドを戻す。
明らかに、手馴れている。
「いい格好だな。さて、お前はどっちだ? 人か、獣か。俺は人を殺さない。が、獣は容赦なく殺す。豚の頭を刈るように、鶏の首を捻るように。罪悪感なんぞ微塵も無い。獣はいつだって、人に狩られて喰われちまうものだから……」
確実に弾が撃てることを確認したハバキは、そう言って猪田の脳天に銃口を当てがう。
「この、クソガキィ……ッ! 」
「鳴いてみるか? 豚のように」
そのとき。
「ハバキくん後ろッ! 」
昏倒していたはずの蝶野が起き上がり、ハバキに襲いかかろうとしていた。
「分かってらァ! 」
ハバキは一瞬で振り返り、迫り来る蝶野に向かって冷静に引き金を引く。
だが。
「――は? 」
弾詰まり。
「今じゃァ! 」
「まずっ……! 」
猪田が左手で掠め取った銃で鵐目かサヤを狙っていることを理解した瞬間、ハバキはこの場で取れる最善手を思考する。
拳銃を叩き落とす、スライドを掴んで固定する、二人に駆け寄って伏せさせる、声を出して驚かす、左肩も撃ち抜く、蝶野をなんとか盾にする、エトセトラ……。
様々に考えた結果。
「ハバキくん――! 」
その帰結として。
「――ッ! 」
一発の銃弾が、射線に飛び込んだ少年の胸を直撃した。
――
(…………)
少年は、死にかけていた。
死にかけと言っても、助かる見込みがあるわけではない。ただ単に、生から死へと状態変化を連続させていることを言っているに過ぎない。
少年は、死に駆けていた。
(何も見えない。何も聞こえない。抜けてはいけない血が抜けていく感覚がする。あるはずの痛みさえ段々と先細り、消え失せていく。どこに力を入れても、消えゆく意識を保てない。もうどうしようもないのだと、本能で直感できる)
胸を撃たれてから倒れ込むまでの時間が、極限まで引き伸ばされる。これまでの景色が走馬灯のように目に映る……ことは無かったが、代わりに脳が過去一番の回転数を見せていた。
(これが、死か。俺が最も嫌悪してやまない、最悪の現象。人が持つあらゆる可能性を不可逆的に消滅させ、人が積み重ねてきたあらゆるモノを無遠慮に破壊していく、決して赦されない暴力。そしていつか必ず訪れる、行き止まり)
最早その必要が無いと身体が判断したのか、瞼が勝手に閉じていく。指先から段々と感覚が無くなっていく。まるで最後の力を人体の隅々から掻き集めて、脳にだけエネルギーを集中させているかのようだ。
そして、遂にその時が来た――。
(――いやだ)
はずだった。
(こんな、こんな終わり方納得出来るかッ! こ、この俺のッ! この俺の人生が、こんな下らない幕引きであってたまるかッ! ふざけるなふざけるなふざけるなッ! 俺は、俺はまだ『██』を見つけて――)
ほしいか
(……!? 誰だッ!? 何だお前は!? )
ほしいか
(……寄越せッ! 力を寄越せ、時間を寄越せ、俺の望む全てを寄越せッ!!! )
ならば あたえる
(……!? ァァ……来ている……。こんな……モノが……ァァァァァ――)
――
ハバキが撃たれ、その身体が地面に叩き付けられるその寸前。
「…………アァ」
彼の呻き声と共に、ボゥン……と重い音が響く。
「え……? 何のお、と――」
音と共に微かなオゾンの臭いが蔓延する。そんな中、サヤは自分の喉が何かにゆっくりと締め付けられていくのを感じる。
そして。
「……ガッ……」
その場の時が、止まった。
誰も彼も、身じろぎひとつさえ、口を開くことさえ出来ない。
『全身が強く圧迫されている』ような、酷く窮屈で骨の軋む感覚を覚える。恐らく本当の意味で時が止まったわけではなく、ただ『全員が何かのチカラで身体を固定されている』からそう錯覚したのだろう。
その中で。
ハバキだけは、違った。
「――『力場の生成』ってところかな。これは」
『マリオネットのように起き上がった』少年は、オゾンの臭いを漂わせながら、悠然と蝶野と猪田の間を歩いて通り過ぎる。
「『好きな場所に、好きな範囲で、好きな強さのベクトルを加算出来る』。投げる小石は鉄を貫き、放つ蹴りは地面を割る。頭で考えたあらゆる動きが現実に反映され、異次元のパワーを発揮する。そういうチカラが……今の俺には、あるらしい」
二人の不良の間を通り過ぎたハバキは、彼らと同じように動けなくなっている鵐目とサヤの間に立ち、その肩をポンと叩く。
「プハッ……! 」
「息……止まるかと……! 」
すると、『二人を包み動きを止めていた力場が解除された』。
「済まんね。まだ慣れてなくてさ」
「あの、ハバキくん……? まだちょっと、頭が追いつかないんだけど……」
「|What's the f**k……。こんな、物理法則に真っ向から中指突き立てるような……」
混乱する二人を後目に、ハバキは不良の方へ向き直る。そして胸元から『皮膚を貫く直前に固定された銃弾』をつまみ取った。
「俺の記憶だと、コイツは貫通していたはずなんだが……。認識の齟齬か? あるいは……」
二人に語りかけているようでそうではない独り言を吐きながら、蝶野の方へ『滑るように移動していく』。
「なんにせよ、だ。コイツは返しておくよ。あるべき場所に」
ハバキはそう言うと、『蝶野の大胸筋に、指で銃弾をゆっくりと沈み込ませていった』。
速度はないがかなりの力が掛かっているようで、指先で押し込められた銃弾は難無く皮膚を突き破り、筋繊維を掻き分けて奥へ奥へと入っていく。
「――ッ!! 」
蝶野は苦悶の声も出せない。『未だ力場で固定されている』からだ。
「そんな顔すんなよ、俺に男を嬲る趣味は無いんだから……」
人差し指の第二関節まで突き刺さったところで、蝶野はわずかに空いた口の端から泡を吹きながら、白目を剥いて気絶した。
気絶の要因は、きっと酸欠だろう。
「……汚ねぇな、クソが」
ハバキはそう毒づいた後、一転して笑顔になり、胸に空いた穴を中心にして、指に付いた血を塗料にハートを描いた。
「うむうむ……うん? 何してんだ、俺は? 何も意味の無い、悪ふざけを……いや、まあ、別に良いのか。同じだもんな。今までと。どうせ何も変わらない……こんなチカラがあったとして、何も……同じところを、グルグルと……」
笑顔を顔面に貼り付けたまま、虚空を見ながらブツブツと独り言を呟くハバキ。
「は、ハバキ……くん……? 」
彼の精神状態とそれ以外の諸々が心配になったサヤは、震えた声で話しかける。
彼女の声を聞いたハバキは、ゆっくりと視線を向け、
「……サヤ! 」
人間の表情を、取り戻した。
「そうだ、サヤ。結局答えを言ってなかったよな、人と獣の違いについて」
調子を取り戻したらしいハバキは、そう言ってなんでもなかったかのように話を進める。
「言語の有無、フェティッシュの存在……人によって答えは違う。ある意味ではどれも正解だ、この問いはその人の『人間観』を推量するものだからな。だからこの場で示すのは、俺が『人間をどう見るか』というものになる」
目をかける生徒へ教示するかのように、ハバキは語りながら猪田の元へ『滑っていく』。
「コイツを例に、教えてやるよ――」
「――ッ! ッ! 」
そして、彼はその手を、猪田の首にかけ――。
「簡単さ。人は人だ」
「――っ」
――ると思わせて、顔面を軽くビンタした。
「……えぇ!? 」
驚くサヤ。
蝶野と同じく、酸欠で気を失う猪田。
そして、イタズラがバレた小僧のように笑いながら、ハバキは言った。
「ホモ・サピエンス・サピエンスにそれ以上も以下もあるかよ! 相手が誰だろうと――テロリストだろうが虐殺者だろうが、恋人を寝取ろうが親を殺そうが――誰だろうと、俺は人を殺さない」
「じゃあ、さっきまでの色々は……」
「ストレス発散。殺しはしないが、そこまでの過程はスリリングでエキサイティング。とても楽しめた。ある種のエクストリーム・スポーツだな! 」
本当にスポーツ選手のような爽やかな笑顔で言い放つハバキに、サヤは背筋に薄ら寒いものを覚え始めていた。
彼は殺しをしない。だが、それ以外の全てをやる。
まるで数学の集合のように、正確に切り分けられた道徳ライン。一般的な倫理観のソレよりも、気色悪いほど単純な善悪の区別。
一体、どういう生き方をすれば彼のような存在が生まれるというのだろう?
「……昔、何かあったの? 」
「いや? 何も無かったからこうなった」
二人の男が失神して倒れる中、少年は酷く軽い調子でそう言った。
――
「お待たせー! 」
屋上の出入口から、鵐目が手を振って飛び出してくる。
ハバキとサヤは屋上で待機していた。
「どうだ? 証拠隠滅できそうか? 」
「バッチリ! やっぱ車は使えなくなるけど」
「ま、仕方ないな。事件さえ発覚しなけりゃ何とかなるだろ」
もしこのまま誘拐犯の三人を放置していた場合、ハバキの異常なチカラや鵐目の犯した罪が明らかになる恐れがある……ということで、二人が協議した結果。
三人を自動運送車に乗せ、東京湾のとある区画へと送り出すことになった。鵐目曰く「そこで漁船に乗せて、東南アジア辺りで違法労働に従事させる」らしい。
彼は今、その漁船へと連絡してきたようだった。
「悪いね、待っててもらっちゃって」
「部外者の気配がするだとかで取引をチャラにされたら、目も当てられんからな。つつがなく終わったようで何よりだ」
ハバキは歩を進め、鵐目の隣へ立つ。
「……法律を超えた裏社会では、信用が最も重要らしいじゃないか。そりゃそうだよな、約束を反故にされても司法は守っちゃくれねぇんだから」
鵐目の肩に、ハバキの左手が置かれる。
「信用してるぜ。鵐目 椒林」
「ハハ、安心しろよ。キミが損をすることは絶対に無いからさ! 」
「……そうかい」
しばしの沈黙の後、ハバキは手を降ろした。
「さて、二人とも。どうしようか? これから」
ハバキは雲間から覗く月を背に、二人に向き直る。
「もちろんボクはキミについてく! こんな面白いモン見せられたのにケツ向けて帰れるかよ! どうせ追われてるしね! 」
待ってましたと言わんばかりに表明する鵐目。
「そりゃ助かる。俺もお前について色々聞きたいことがあるからな。例えば『メアリー』とか、あるいは『メアリー』とか」
「うん? 彼女はただのマザーAGIで、ボクのガールフレンドだよ? そんな面白いことは無いと思うけど」
「ほらやっぱ聞くべき要素大アリじゃねえか! ゼッテーこのまま返さんからな! 」
男二人で楽しく騒いでいる中、少女は黙って俯いている。
「サヤ。君はどうする? 」
見かねたハバキが、声をかける。
「私は……」
そこでサヤは言い淀み、唇を噛む。そして震える腕を逆の手で擦りながら、目を伏せて言った。
「……ごめんなさい……」
沈黙。
「『ごめんなさい』か。『NO』ではなく。謝罪を求めたつもりでは無かったんだが」
長いような短いような時が過ぎた後、サヤはポツリと呟いた。
「わたし……ついてけないから……」
命を救われたというのに、その恩を仇で返すような言い草だということは痛いほど感じている。
(でも……もう、むりだ……)
しかし、彼女は限界だった。
「う……ううっ――」
膝から崩れ落ち、堰を切ったように涙が止まらなくなる。
今日一日で、一体なにがどれだけ、どれほどのことが起きたのだろうか? もはや数える気にもならない。
「ごめんなさい、ごめんなさい――」
彼女は謝っていた。
何に対して?
全てに対してだ。
謝りながら、泣きながら、謝って泣く。その繰り返しの果てに、ハバキの声が頭上から降ってきた。
「サヤ」
そして、彼は膝をついて少女を抱き寄せる。
「おいで」
ハバキの両手が、冷えた少女の肢体を包む。
「酷く疲れているはずなのに、難しいこと聞いちまったな。ごめんよ。今はとにかく、眠るといい」
深く優しい声が、彼女の耳元で囁かれる。
頭の後ろを抱えられ、なされるがままに彼の胸へ顔を埋める。
「あ……」
彼女の意識が続いていたのは、そこまでだった。
――
「おはようさん」
「おわぁ!? 」
寝惚けていたサヤの両目に、ハバキの顔面が映される。そのせいで、彼女は盛大に大声をあげて飛び起きた。
「あんま人の顔面で驚くもんじゃねぇぜ? 」
「ご、ごめんなさい……」
サヤは辺りを見回す。
灰白色の床・壁・天井。ベッドまでもが同じ色。部屋の中央にはスマートテーブル(天板がタブレットになっていたりするモノである)があり、椅子が四つ。壁にはモニター。もちろん全部灰白色である。
清潔感があるとかで、最近流行りのレイアウトだ。
彼女は、自分がホテルの一室で目覚めたことを理解した。
あの夜のことが遠い夢のように感じる。ハバキに寝かしつけられた後、一度起こされてふわふわしたまま身支度をし、もう一度ベッドに入って五秒で寝たところまではなんとか覚えていた。道中買ってきたワンコインのワイシャツを着ていることが、何よりの証左である。
「丸一日寝てたよ。今は……午後一時。あら、一日半だったな。まあとにかく、まずは水を飲むことだね。飯もたくさんあるぞ! 」
彼はそう言って、手に持っているパンパンのレジ袋を見せつけた。彼もサヤと同じように、安っぽい半袖とズボンを着ている。
「あの――」
「洗面所はあっち」
完全に先回りされた返答。
「あ、うん、ありがと……」
繋ぐ会話も思いつかなかったので、サヤは洗面所に向かった。
顔を洗い、歯を磨き、うがいをして、髪の毛を少し整える。そうやって身支度を調えている間に、段々と頭も冴えてきた。
(……私は今、大変なことをしている)
LEDに照らされた顔は、冷たい光の色合いもあって酷くやつれて見えた。というか実際やつれている。久しぶりにぐっすり眠れたが、そのせいで逆に無視出来ていた疲労を顕在化させて、直視せざるを得なくなってしまった感覚だ。
(……でも。落ち着いて考えた上の話で。もう家に戻る気には、なれない)
サヤはハバキの元へと戻った。
「鵐目さんは? 」
「ドンキで買い物。昼は追っ手も大っぴらには来ないから、人混みに紛れれば出歩けるんだそうだ」
テーブルにコンビニのおにぎりを並べながら、彼は答える。サヤがツナマヨを取ると、ハバキは残り全部をかっさらった。
「ほい水」
「ありがとう……いただきます」
はしたないとは思いながらも、二リットルの水をガブ飲みするサヤ。内心では、初めての体験で少し楽しくなっている。
「……プハッ。ハバキくん、それ全部食べるの? 」
「あぁ。どうもあのチカラに目覚めてから、やたら腹が減るんだ。まぁエネルギー消費の無い方がおかしいし、特に問題は無いだろうが」
そう言って、彼は『おにぎりを指先に乗せて回し始めた』。逆三角形が高速回転している有り得ない様を見ていると、あの夜見た光景が嘘でないことを改めて実感できた。
そして、自分が親の期待を裏切ったことも。
「……怒ってるかな、パパとママ……」
「もう怒りを通り越して、心配してる頃だと思うぜ」
「……ハバキくんの所は? 」
「うちの親? まぁ心配してると思うよ。書置き残してるからガッツリ捜索はされないだろうけど」
おにぎりにかぶりつきながら、いけしゃあしゃあと宣う。そこまで言って、ハバキはふと思いついた。
「そういえば、サヤは書置きしてきた? 」
「あ……うん。ルーズリーフにさっと……」
「じゃいいや。もし無かったら警察が面倒なことになってたから、一応聞いただけ。書置きさえあれば、警察は積極的に捜せないらしい。まあ見つかったら家族に連絡入るんだけどさ」
開いていた窓から、焦げたような匂いの風が吹き込んだ。
今も外では炎天下の中、様々な職業の人間があくせく動き回っていることだろう。そんな中二人は小綺麗な部屋で、無機質な服を着て、添加物タップリの食料を食べている。
外と中。
どちらの人間が幸せかは分からないが、今自分のいるこの場所はここにしか無いモノだと、サヤは思った。
「……帰りたく、ないな……」
「いいんじゃないか? 死ぬよかマシだろう」
「帰ったらしぬの? わたし……」
「医師でも無い身だ、個人的な推察になるが……二年以内には確実に。心と体のどっちが先かは、分からんがね」
何度も聞かされた、自分の命についての話。こうして考えてみると、サヤはハバキに二度、命を救われた形になる。
一つは誘拐犯たちから。
もう一つは、学校から。
食べ終わった包装を片付けて、サヤはベッドに腰掛ける。ハバキも五個目を食べ終わり、その隣へ行く。
俯きながら、サヤはハバキに聞いた。
「もし……ハバキくんについてったら。もう徹夜とかしなくていいの? 」
「ああ」
「好きなだけ寝てもいい? 」
「いいよ。誰も責めない」
「髪の毛染めたり、ピアス開けたりしてもいい? 」
「もちろん。きっと似合う」
堪え切れないなにかが溢れ、たまらず彼の顔を見る。
「……わたしを、しあわせにしてくれますか? 」
ハバキは、今まで見た中で一番やさしい眼差しをしていた。
彼はゆっくりとサヤの手に自分の手を重ねる。そして、彼女の目を真っ直ぐに見つめて、言った。
「約束する」
――ギュッ。
「うおっ!? 」
「……大好き」
そう告白して、サヤは力の限りハバキを抱き締める。
あまりに突然のことで流石に面食らったハバキだが、それでもちゃんと、彼女の腰に腕を巻いて抱き返した。
「はは……大胆だな。年頃の女の子に抱きつかれたのは初めてだ」
「私も。初めて男の子に抱きついた」
二人とも、顔を真っ赤にしながら抱き合っている。
しばらくは会話もないまま、ただお互いの呼吸音のみに耳をそばだてる。
サヤの呼吸は少し荒いな、とハバキは思った。
ハバキくんの呼吸はゆっくりで落ち着いてる、とサヤは思った。
「俺、この手のヤツに疎いからよく分からないんだけどさ……。これって、アレかな? 彼氏彼女の関係で……いいの、かな? 」
今までの振る舞いからは到底考えられないほど、自信なさげに質問するハバキ。
「……多分、そうだと思う……」
かと言って、同じく経験も無いサヤに上手く答えられるはずもなく。
そんな雰囲気も何もあったものじゃない問答を経て、二人は恋人関係と相成った。
「んふ。ふふふふふ……! 」
「サヤちゃん? 」
そんなやり取りが面白かったのか、はたまた感じたことの無い幸福感にちょっとしたむず痒さを覚えたからなのか、心底愉快そうに笑うサヤ。
思えば、彼女の笑顔を見るのはこれが初めてだ。
サヤの笑顔は、魅力的だった。
人の表情についてそう感じるのは、ハバキにとって初めての体験だった。
「大好きだよ。ハバキくん」
「……俺もだよ、サヤ」
――
その後。
ハバキは「アイス買ってくる。ゆっくりしててくれ」と言い残し、サヤを置いてホテルの部屋を出た。
「計画通り、かい? 」
玄関先で出待ちをしていた鵐目が、愉快そうに声を掛ける。
「人聞き悪いな。俺は彼女を求めていて、彼女も俺を求めていた。需要と供給が一致した、素晴らしい事例じゃないか」
「男女の話をそういう形容の仕方する奴が、そんな殊勝だとは思えないけどね! 」
二人は廊下をスタスタと歩いていく。
まだ日は高く日光が差し込むため、廊下に電気は点いていない。だがそうは言っても、窓の無い大部分は薄暗い状態である。
「俺は人の心が分からない」
「奇遇だね。ボクもだ」
二人は前だけを見つめて会話する。
「俺が幸福を感じる生活は、他人を犠牲にしないと創れない。他人が幸福を求める時、俺は自分を犠牲にしなきゃならない。根本的に、俺は他人と生きられない」
「他人を無視して一人で生きようとしても、社会の仕組み上それは不可能。否が応でも、人生に他の人間が登場してくる」
「恋ってなんだ? 性欲とどう違うんだ? 不可分であることは知っているが、二つの違いが分からない」
「それを知るために、キミは彼女を手籠めにしたわけだ。まさに『美女と野獣』だね! 」
話しながら、彼らはエレベーターホールに辿り着いた。下三角のボタンを押し、エレベーターを待つ。
「俺あのラスト嫌いなんだよな。野獣のままでも良かったろうに」
「二人の間なら、それで良いんじゃない? だけどハッピーエンドの先にも人生は続くからね。野獣もいつかは城を出なきゃならない時が来るだろうけど、そのときゃ嫌でも王子の皮を被らないとさ」
「考察どうも。嫌いな理由を再確認できたわ」
ベルが鳴り、エレベーターが到着する。
乗り込んで、地下一階行きのボタンを押す。
そして、待つ。
「俺は……サヤが好きなんだと思う。いや、好きだ。確実に」
見えないモノを見つけようとするような、慎重な言葉選びをしつつハバキは話す。
「俺はサヤが好きだから、サヤにも俺が好きになって欲しかった。だから俺は、サヤがそうなるように手を尽くした」
そう語る彼の目は、素朴な思いに満ちていた。
ほんの十六の、普通の少年が抱くような、「好きな子と一緒に居たい」という思いに。
しかし。
彼の語る内容は、決してそのように好意的な、まるで青春かのような描写をして良い代物では無かった。
「彼女の思考を独占出来るよう、奇特に振舞った」
――俺の名前はハバキ。見鹿島 ハバキだ。人は殺さんが、獣は殺す。よろしくね――
「彼女のストレスを明確にして、心を折った」
――俺たちみたいな進学校勢が、クソみたいな過密教育の犠牲になってるのは言わずとも分かるだろう? ――
「彼女の弱い部分を見つけて、全力で救おうとした」
――いいかもう一度言うぞ!? アンタは、今、死にかけてんだよッ! ――
「彼女を危険に晒して、出来るだけ派手に命を救った」
――見殺しには出来んさ、文字通りにね――
「……まあ、あそこら辺は大体想定外のアドリブなんだが……」
――投げる小石は鉄を貫き、放つ蹴りは地面を割る。頭で考えたあらゆる動きが現実に反映され、異次元のパワーを発揮する――
「それに、正直見せるべきでは無いモノまで見せてしまった感もある……」
――どうせ何も変わらない……こんなチカラがあったとして、何も……同じところを、グルグルと……――
「とはいえ、結果オーライだな。とにかく。何もかも仕組んだわけじゃないが、俺が介入出来る事象には、出来うる限り全てに手を入れた。俺がとる今後一切の行動は、『サヤが俺と一緒に生きること』を目的としたものになるだろう」
エレベーターの重厚な稼働音が、小さな個室に響き渡る。
「……きっと多分、これが俺の恋なんだろうなぁ……」
遠い目をしながら吐いたその言葉は、自らに対するある種の諦念を滲ませていた。
ハバキは鵐目の方を向いて、言う。
「なぁ、鵐目。これは悪事か? 」
鵐目は大層悪い顔で笑いながら、言った。
「悪事だったら、辞めるのかい? 」
「――フフッ」
エレベーターが到着した。
ベルの音と共に扉が開かれ、目の前に地下駐車場までの通路が現れる。老朽化か節電の為か、明かりはごくわずかにしか点いていない。そのわずかな古い蛍光灯でさえ、明滅を繰り返している始末だ。
「俺を選んだのがアンタで良かったよ。兄弟」
「全くだぜ、ブラザー」
彼らはそう言って、互いの拳を打ちつける。
人の心を持たない二人は、先の見えない闇の中へ歩き出した。