六重館の秘密
「ほら見ろよ。ここが今の俺の家――六重館だ」
俺こと瀬川望に、高校時代の友人である谷内不凌から電話が来たのは今から一週間前のこと。
大学にも行かず就活にも失敗し、実家から追い出され音信不通になっていた友人からの突然の、それもおよそ十年ぶりの連絡。
ようやく新しいねぐらが見つかった。辺鄙な土地にある風変わりな建物だが、とにかく広い。久しぶりに同窓会でもやらないか、という話だった。
急な話ではあったが、どこかでのたれ死んでいたかもしれない友人が生きていたことへの驚き、喜びから、一も二もなく承諾した。それに同窓会というだけあって、高校時代仲の良かった他の三人にも声をかけており、皆来るとのことだった。
久しぶりに高校時代の仲間に会えることへの期待。凌に関しては今の今まで何をしていたのか。そして風変わりな建物がどんななのか。話したいことも聞きたいことも興味深いこともたくさんある。
俺は久しぶりに心を弾ませ、凌から指定された場所(田んぼが溢れるど田舎)を訪れた。
昔と変わらず、集合場所には俺が真っ先に到着する。それからある程度の時間をおいて、凌を除く懐かしのメンツが集結した。
七三分けに銀縁眼鏡をした、見るからに生真面目そうな男。現在は経営コンサルタントをしている円井宗。
筋骨隆々、日サロでこんがり焼いた褐色の肌を保ち続け、今ではジムのインストラクタ―をやっている金剛寺鉄也。
金髪で常に緩んだ口元がトレードマーク、今は売れないバンドマンだという鏑木裕。
凌とは違い彼らとはたまに連絡を取り合ってはいたものの、こうして直に顔を合わせるのは数年ぶりのこと。想像以上に誰もかれも変わっておらず、俺たちは再開を祝い合った。
そうして四人でたわいない雑談を続けていると、約束の時刻から三十分遅れでようやく凌がやってきた。
真っ赤なベンツの車に乗って現れた凌は、高校の頃と全く印象の変わらない、どこか意地の悪そうな目と女を誑し込む甘いマスクのままだった。
凌は挨拶も少なに俺たちを車に乗せ、さらに外の景色を見ないようにとアイマスクを渡してきた。
何でもこれから招待される凌の家とやらは、実際には凌の家ではなく、本来の居住者が留守の間の管理人として住まわせてもらっているとのことだった。そして持ち主から、家がどこにあるか決して人に知られないようにしてほしいと言われているらしい。
そもそもそんな場所に部外者である俺たちが行っていいのか。不安に思い聞いてみると、凌は事も無げに「いや、禁止されてるぜ」と返してきた。そして続けて、「まあばれねえだろうから構わねえだろ」と。
わざわざ時間を作り、そして家まで車で移動中のこの状況で、今更行くのを止めるとも言えず。俺たちは複雑な気分で彼が管理(?)している住居へ向かうこととなった。
やがて車は目的地に到着。そこから数分間目隠しをしたままの移動を求められ、どうやら屋内に入ったなというタイミングで、ようやく目隠しを外せることとなった。
第一印象は、広くて物の少ない綺麗な部屋、というものだった。
二十畳はあるんじゃないかというキッチン付きの広いリビング。しかし置いてあるものは必要最低限で、テレビ、冷蔵庫、テーブル、ソファのみと、雑貨や小物が全くというほど置かれていなかった。
また、テーブルやキッチンの上にはつまみや空のビール缶などが転がっていたが、これらは持ち主ではなく凌の仕業であることは一目瞭然だった。
想像以上に立派なリビングを前に、俺たちは再び胸を弾ませ、思い思いに部屋の中をうろつき始めた。
「どうだ? すげえいい家だろ。普通に会社で働いてたら一生住めないような格の違う住まいだぜ」
冷蔵庫からビールを一本取りだしながら、凌が鼻高々に言う。
すると宗が、やや苛立った表情を浮かべて振り返った。
「正確にはお前の家じゃないんだろ、この居候。やっとまともに働いて家を借りられるようになったのかと思ったら、まさか別荘での住み込みバイトとはな」
「細かいことは良いじゃねえか。今は実際俺一人しか住んでないんだし、別に不法侵入しているわけでもない、正真正銘俺の住処なんだからよ」
「だが、知り合いを呼ぶのも禁止だし、家から出るのも本来は禁止なんだろう」
「まあな。でもばれやしねえよ」
「全く、相変わらず屑だなお前は」
これ見よがしなため息とともに、宗は肩をすくめる。
一体全体誰が凌なんかに家の管理を任せたのか。相も変らぬ屑っぷりを見て疑問に感じるも、どうせそのイケメンフェイスで金持ちの女でも篭絡したのだろうと思い直した。高校時代から女であれば取り敢えず誑し込んでいた男だ。意外と気の利くところがあり、猫を被った凌にあっさりほだされ、惚れていく女たちがどれだけいたことか。
付き合っていた恋人を凌にとられ、泣かされた男を何人も知っている。まあその点で言うなら、俺は凌のおこぼれにあずかっていた身だから、あまり文句を言えた義理ではないのだけれど。
「それにしても、随分と物の少ない家だな。これだけ広ければ筋トレグッズの十や二十はありそうなものだが、持ち主はひょろがりなのか?」
リビングを観察するのにも飽きたらしい鉄也が、物足りなそうに凌を見る。凌はこの質問が来るのを予期していたのか、にやりと口角を上げると、「お前らに面白いもん見せてやるよ」と、階段を指さした。
凌に連れられ、俺たちは列をなして二階へと上がる。階段を上がっている最中、「そう言えばこの家って何階建てなの? 六重館だから六階建て?」と裕が尋ねる。「ああ。六階建てだぜ」とあっさり答えが返ってきた。
一瞬聞き流しかけたが、心の中で「六階!?」と驚きの声を漏らす。ただでさえ広い部屋に加え六階建て。田舎の方だから土地代は安いのかもしれないが、それにしたってかなりの豪邸だ。
そもそも一軒家で六階建てというのはほとんど聞いたことがない。何人で住むことを想定しているかによるのかもしれないが、上の階に上がるのだってかなり手間になるし(特にこの家は階段だけでエレベーターもエスカレーターもない)、せいぜい三階建て程度にして、あとは物置小屋でも別に作ったほうが楽だし安く済むんじゃないかと思う。大体こんなに階を増やして一体何を置いているというのか。
一度は納得したこの家の主人に対する疑念が再度浮かび上がる。
胸の中で微かな不安が首をもたげる中、二階に到着。しかしそこは思い描いていたような物騒な部屋でも、奇妙な部屋でもない、ただ雑然と物が置かれた部屋だった。
「これが面白いものか? とてもそうは見えないが」
「うむ。筋トレ道具も全くおいてないぞ」
宗と鉄也が不満の声を上げた通り、凌の言うような面白いものとは無縁の光景。強いて言うなら置かれている物に全く規則性がないことか。
バスケットボールやら靴やらペンダントやらディスプレイやら時計やら小説やら――まるで子供が適当に詰め込んだおもちゃ箱のような部屋とでも言うべきだろうか。いや、それにしてはどのアイテムも整然と置かれ、雑に重なり合っていたり押し込まれたりせず、広々と並べられている。
おもちゃ箱というより、いろいろな人が神社や寺にお供え物を持ってきた後、という方が印象としては近いかもしれない。
ぐるりとそれら小物を見回していると、ふととある小説のタイトルが視界に映り込んだ。どこかで見覚えのあるタイトルだったため気になり、その本を手に取ってみる。作者名を見ると『鏡川望遠』と書かれており、全く聞いたことのない名前。思い過ごしだろうかと記憶を掘り起こしていると、「おい望、上行くぞ」と凌の声が飛んできた。
俺は慌てて本を元の場所に戻すと、皆の後ろに付き、三階へと続く階段を上っていった。
三階に着いた途端、裕が「わあ!」と感嘆の声を上げた。
というのも、三階は裕が好きそうな楽器置き場(展示場?)になっていたからだ。
ピアノやギター、琴にトランペット、和太鼓などの有名な楽器から、他にもなんだかよく分からない楽器がショーケースに入れられたり床に直接置かれたりなど、部屋の四割近くが楽器で埋め尽くされている。
裕は興奮した様子で置いてある楽器を一つ一つ見に行く。一方、楽器に興味のない宗と鉄也は物足りない様子で部屋を見回していた。
「これがお前の言う面白いものか? 確かに家の中に楽器の展示室があるのは特殊かもしれないが、富豪の家ならそこまで珍しいことじゃないんじゃないか」
「まあそうだな。てか別にこの部屋が面白いって言ったわけじゃねえんだわ。宗ならたぶん次の階に行けば何が面白いか分かるんじゃねえか?」
「次の階? となると部屋自体じゃなく建物自体の特徴か?」
「まあまあ、取り敢えず次の階行こうぜ。おい裕、後でいくらでも見ていいから上行くぞ」
「はーい」
まだ未練があるのか、視線は楽器の方に向けながらふらふらと階段の方に戻ってくる。
裕が戻り切る前に三人は階段を上りだしたので、俺も裕を待たずその後ろをついていく。
先頭にいた鉄也が四階に辿り着いた途端、「うおー!」と馬鹿でかい雄たけびが上がった。
何があったのかと驚いて階段を駆けあがると、そこは鉄也におあつらえのトレーニング用品が複数置かれていた。
ダンベルやプッシュアップバー、フィットネスバイクにランニングマシーン、ベンチプレス等々、スポーツジムにありそうな筋トレ道具が部屋の六割近くを占有している。
鉄也は早速それらを使用してトレーニングをし始めながら、「わかったぞ!」と凌に視線を向けた。
「ここで管理人をやっているなんて言うのは嘘だな! 三階には裕の好きな物、そしてここ四階には俺の好きな物! つまりこの建物は俺たちのために用意してくれた、シャングリラというわけだな! もしや宝くじでも当てていたのか!」
興奮した様子でベンチプレスを上げ下げする鉄也に笑いかけつつ、「いや、それは違うぜ」と凌は首を横に振った。
「別にこの建物もここの器具も俺が用意したわけじゃねえ。本当に偶然、雇い主が買い揃えてただけの話だ。むしろお前らが好きそうなもんばっかり置いてあったから、今回こうして誘ったみたいなところがあるからな」
「となると次かその次の階には俺の好きな物があるのか……それも気になるが、その前に、ようやくお前の言っていた面白いことが分かったぞ」
宗が眼鏡を中指で軽く押しつつ、不敵な笑みを浮かべた。
「どういうわけかこの建物、階が上がるにつれて置かれているものの数――いや重量が増えているようだな。確かにこれは奇妙で、面白い」
「それ、どこが奇妙なの?」
ようやく三階から上がってきた裕が、トレーニング用品ばかりの部屋にドン引きつつ尋ねる。宗は小馬鹿にした表情を浮かべながらも、勿体ぶることなく質問に答えた。
「普通に考えてみろ。お前が六階建ての新しい家に引っ越しをするとして、荷物はどこから順においていく」
「えーと、それはまあ使用する頻度順に下からかな?」
「そうだろう。にもかかわらずこの家はどうだ。一階のリビングにはほとんど物がなく、二階なんてなんだかよく分からない雑多な道具が適当に置かれているだけ。しかし三階に上がった途端楽器類が複数置かれ、四階にはこうしてトレーニンググッズが部屋の六割近くを占めている。一階にあれだけのスペースがあるんだ。単に音楽や筋トレが好きなだけならもっと一階に物を集めていたはず。そうではなく各階ごとに展示部屋にしようと考えていたとしても、普通に物が多い展示部屋を下から順に作っていくはずだ。ましてこの家はエレベーターもないんだ。一体全体なぜ、この家の主人はこのような物の配置にしたのか」
「流石は宗だな。俺の言おうと思ってたことを全部言ってくれたぜ」
凌はしたり顔で何度か頷く。それから「さて、その理由は何だと思う?」と問いかけてきた。
理由に関してまではまだ思いつかないようで、宗は顎に手を当てて考え込む。すると鉄也がトレーニングを続けたまま、「そんなもの筋トレのために決まってるだろ」と言い切った。
「重いものを持って階段の往復をすることで体を鍛えようとしたんだ。俺も引っ越しの際は当然引っ越し業者なんかに頼まず、自分で荷物の運搬をしているしな。引っ越し程いい筋トレの機会はない」
「いやいや、いくら何でもそれはないんじゃ……」
俺がそうツッコミをいれるも、
「あー、それは確かにありそうだねー」
「ふむ、俺もその可能性は少し考えた」
なぜか裕と宗も好意的な反応を示していた。
――これは俺がおかしいのか?
疑問に思う中、「あ、でも、僕も一個思いついたかも」と裕がポンと手を打った。
「実はさー、一つ気になってたことがあってー。なんで凌君は、家の中に入るまで僕たちに目隠ししてたのかなーって」
「それは家の場所を知られちゃいけないからだろ?」
俺がそう言うと、裕はフルフルと首を振った。
「この家に僕らを呼んでる時点で、凌君が雇い主との契約を軽視してるのは間違いないわけじゃん? それに家の場所がどこにあるのかさえ分からなければいいのなら、家の前まで目隠しをしておけば十分だしさー。わざわざ家の中に入るまで目隠しさせる必要ってなくない?」
「それは、確かに……」
言われてみれば、中途半端にとはいえ凌が雇い主の指示に従うとは思えない。そんなまともな奴じゃないことは、俺が誰より知っている。
しかし当の本人はにやにやしているだけで、裕の疑問に何も言葉を返さない。
その反応をどう受け取ったか分からないが、裕はそこから組み立てた推理を口にした。
「そこで考えたのがさ、実は僕たちが一階だと思ってたのは一階じゃなかったんじゃないかってことなんだ。だから上に行くほど物が多くなっていた」
「ど、どういうことだ?」
「つまりこの家のほとんどは地下に埋まってるんだよ。凌君の言っている六階って言うのは正確には地上一階で、最初に僕たちがいたリビングは地下六階だったってわけ」
「そ、それは……でも、車を降りてから目隠しをとるまでに階段を下りた記憶なんてないぞ。最初にいた場所が地下六階だって言うならどうやってそこまで連れてこられたんだよ?」
「たぶん地下から入るルートもあるんじゃないかな。それでそのことを知られないように、凌君はリビングまで僕たちの目隠しを取らなかった。どうかなこの考え?」
普段お茶らけていて覇気のない男だが、裕は時折こうして鋭いところを見せる。元々俺たちの中では、この鋭さを生かして他人の弱点や秘密の関係を見抜き、学生生活がより楽しくなるようサポートしてきた男だった。その眼力は今でも衰えず、むしろ磨かれているのかもしれない。
それはそうと、一度この推理を聞かされたら、他の説は何も考えられなくなってきた。
裕の推理であれば、凌の不自然な行動や、風変わりな建物という言葉にも納得がいく。
なぜ建物を地下に埋めたかと言えば、いざという時のシェルターの役割も兼ね備えているから。なんとなく、金持ちは地下シェルターが好きそうな気がするし。
それにそう言う理由があるなら、個別に倉庫などを設けずに、無理やり一つの建物に好きな物を収納したのだと納得がいく。あと今更ではあるが、この建物にはどこにも窓が見当たらなかった。それも地下に建てられていたが故だとすれば説明がつく。
これは裕の説で当たりなんじゃないか。そう思い凌を見つめる。相変わらずにやにやした笑みを浮かべていた凌は、より一層口角を上げ――
「その推理は間違っている」
凌が口を開こうとした直後、横から宗が口を挟んできた。
少しだけ不服そうに頬を膨らませながら、裕が「どうしてー?」と聞き返した。
「この建物が地下にあるという考えは確かに面白いものではある。だが、今回の凌の行動を考えると納得はできない」
「凌君の行動? 目隠しして僕たちを連れてきたことに他の理由があるってこと?」
「違う。こいつは今回、俺たちが家に着いてすぐに『面白いものがある』と言って各階を見せ始めた。つまり最初からこのクイズをやるつもりでいたんだよ」
「それはそうだろうけど、だから?」
「裕も知ってるだろ。こいつは死ぬほど性格が悪いんだ。俺たちが真面目に推理して正解できるような問題を用意してくるわけがない。ましてそんな面白い解答なはずがない。違うか、凌?」
尋ねられた凌は、「くくく、流石は宗だな。俺の事よく分かってやがる」と、笑いを堪えきれず、腹を抱えて頷いた。
「いやあ、そういうガンバッタ解答をしてくれんのは宗かと思ってたが、宗にはそこまで読まれちまってたか。宗の自信満々な推理が外れるさまを見てみたかったんだけどな」
「うわー、凌君最低だよー。ていうか僕の推理も馬鹿にしながら聞いてたってことだよね。ショックー」
「いやいや、まあ多少馬鹿にはしてたけど、関心もしてたぜ? 確かに裕の推理ならこの建物についても今の状況についても説明できちまうからな。ただ実際には俺たちが最初にいた場所が地上一階で間違いない。普通に玄関があるし、後で出てみりゃ一発で分かるからよ」
「ちぇー、当たってると思ったんだけどなー」
裕は不服そうに舌を鳴らす。
するとある程度満足のいくトレーニングができたのか、額から汗を流した鉄也がこちらに近寄り、「そろそろ上の階を見に行かないか?」と提案してきた。
俺たちは何とはなしに宗を見つめる。もしかしたらこれから宗の推理が始まるんじゃないかと考えていたからだろう。
皆の視線を受けた宗は、軽く思案したそぶりを見せる。それから眼鏡を指で軽く押し上げ、「取り敢えず次の階に上がるぞ。それ次第で俺の推理も完成するからな」と、挑戦的な笑みを浮かべて言い、率先して階段を上り始めた。
五階に辿り着くと、想像していた通りの光景だったのか、宗は「ふっ」と鼻を鳴らした。
五階の部屋は……正直、趣味の良い部屋ではなかった。
四階よりもたくさんの物が置いてあり、部屋の八割近くが埋まっているのは、これまでの法則と変わらない。ただ問題は、そこに置かれているアイテムだ。
置いてあるのはいわゆる拷問道具。俺でも名前を知っているものだと、『鉄の処女』や『三角木馬』、『審問椅子』。他にも小さいものから大きいものまで、とにかく多様な拷問器具が並べられている。
どれも見るからに痛そうなもので、中には実際に使用されたものなのか、赤黒い血のようなものがついていたりもする。幸いにも掃除が行き届いているのか匂いはしないが……あまり長居していたい場所ではない。
けれど、こうした拷問器具が好きな人物が、ここには一人いる。
高校時代、俺たちのグループに逆らったやつは大抵そいつ――宗の拷問ごっこに付き合わされ、人によっては一生残る傷を負わされもしていた。それもあって、最高学年時は教師ですら俺たちから距離を置いていたわけだけど――
宗は恍惚とした表情を浮かべながら、鉄製の梨のようなものを撫でている。かと思うと、急に俺へと振り返り、「望はこの建物についてまだ何も言ってなかったな。どうだ、一つぐらい思い浮かんでないのか」と尋ねてきた。
今までの流れから聞かれるであろうことは予想していたため、実はずっと考えてはいた。けれどこれといった考えは思い浮かばず。しかしここで答えないという選択肢は、残念ながら俺にはない。
適当に頭を掻いて時間を稼ぐこと数十秒。何とか推理をひねり出した。
「あ、あれじゃないか? ここの家主は建物の上の方に荷物を置くと運気が上がる、みたいな独自の迷信を信じてるとか……」
ちらりと宗の顔を見ると、詰まらなそう表情を浮かべているのが見えた。俺は慌てて、「あ、もう一つあるんだ!」と咄嗟に推理を付け加えた。
「い、一階とか下の方の階は大雨が降った日に浸水する恐れがあるんじゃないか? それで大切なものほど上の階に置いて、万が一浸水しても無事なように工夫してる、とか」
「成る程な。それは可能性としてはあり得るな」
今度の解答には満足してくれたようで、宗は機嫌よさげに首を縦に振る。そしてあらかじめ想定していたかのように、「だが」と言葉を続けた。
「これだけの建物を建てる金があるなら、浸水対策なんていくらでもできたはずだ。それに一階にはテレビや冷蔵庫が置いてあった。もし浸水の恐れがあるなら、家電製品も上の階に移動させていただろう。何より、一階はともかく二階、三階まで浸水するほどの雨なんてまず降らない。逆にそんな場所だとしたら、尚更大切なものを置いておくはずがない。つまりその考えは否定されるな」
「ち、ちくしょー。意外といけるんじゃないかと思ったけど、やっぱ全然だめだったか」
何とか乗り切れたことに、内心で安堵の息を吐きながらも、外見上は悔しそうな顔を浮かべておく。さらに余計なことを言われないよう、「じゃあそろそろ宗の考えを教えてくれよ」と、尋ね返した。
真打登場とばかりのどや顔を浮かべながら、宗は口を開く。
「そうだな。俺の考えは――いや、真相はもっとシンプルで単純明快なものだ。だが、それを言う前に一つ、凌に聞いておきたいことがある」
「お、なんだ?」
「ここまで俺、裕、鉄也の好きな物が各階に揃っていた。となれば最上階にあるのは望の好きな物――つまり天体関連の道具だろ」
「ああ、正解だ」
凌は間髪入れず肯定する。宗であればそのことに気付くのは想定済みだったらしい。因みに、俺は天体観測が趣味で、休日には一人星の綺麗に見えるスポットに出かけたりもしている。なので宗の発想は別に不思議なものではない。問題は、だから何だということだろう。
すると宗は、眼鏡を指で押し上げながら自信満々に自らの推理を語り始めた。
「この家が具体的にどこに建てられてるかは目隠しのせいで分かっていないが、集合場所から田舎であることは判明している。加えて一軒家にも関わらず六階建て。そして最上階には天体関連の道具。となれば答えは一つだ。
この家の主人は天体観測を第一の目的としてこの家を建築した。ゆえに基本的な行動領域は最上階であり、そのため上から順に物が増えているんだ。どうだ? 単純明快ながら文句のつけようのない解答だろう」
両腕を広げ、芝居がかった調子で一同を見回す。
答えを知らない俺や裕は凌に目線を向ける。凌は少し眉を上げた何とも言えない顔をしながら、「取り敢えず六階も見てもらうか」と言った。
正解なのか不正解なのか分からない、少し緊張した雰囲気の中俺たちは階段を上がり六階に移動する。
六階は宗が予想した通り、天体観測の道具や、宇宙・天文に関係する本、道具であふれていた。部屋の実に九割以上がそれらの道具で埋められ、歩くスペースがほとんどない程だった。
特徴的なのは他の部屋と違い窓が一つあること。そして窓の目の前に巨大な天体望遠鏡が置かれ、いつでも銀河を見渡せる仕様になっていた。また天井には巨大な球体状の物が釣り下がっている。おそらく惑星を模したものだろうが、赤と白が混ざったような見た目……もしかしたら冥王星、だろうか?
それはともかく、この部屋、どこか奇妙な感じがする。いや、奇妙というより明らかにおかしな点があるのだが……。
そのことを口にしようか悩んでいる間に、宗は凌に対し解答の合否を問いかけ始めた。
「やはり俺の推理通りの光景だな。どうだ凌。こうして見抜かれたことに対する悔しさはあるだろうが、そろそろ正解を言い渡してくれていいんだぞ」
「……」
宗の言う通り悔しがっているのか、凌は俯いたまましばらく無言でいた。しかし徐々に肩を震わせ始めると、口に手を当て、「いやあ、参ったよ、これは」と、明らかに馬鹿にした声と共に顔を上げた。
「……おい、なんだその顔は。まさか俺の推理が間違っていたとでもいうのか」
「ああ、悪い悪い。あまりにも思い通りに進んじまったからもう我慢できなくて、つい」
「思い通りだと? この解答以上に筋の通る考えが他にあるとでも? 悪いが信じられないな」
「くくく。まだまだ宗も俺に対する理解が足りてないみてえだな」
「理解が足りていないからなんだ。俺の解答以外にこの家具の配置を説明できると?」
「いや、だからよ。ついさっきお前自身が言ってただろ。俺は死ぬほど性格が悪いんだぜ」
「そんなこと分かって――いや、まさかお前……解答がないのか?」
「ああ、そういうことだ」
口元から手を放し、凌のにやけ切った顔が露わになる。
唖然とする宗を前に、凌は堂々と種明かしを始めた。
「大体俺が家に置いてある家具の配置の理由なんか、わざわざ家主に聞くわけないだろ。そんなこと聞いたところで一銭の特にもなりゃしねえんだから。でもまあ、暇つぶしにはちょうどいいと思ったからな。答えのないクイズにお前らがどんな無意味な回答をするか楽しんでやろうとしたわけだ。そしたらまあ自信満々に推理する阿呆な宗の姿が見れたわけだからな。本当に愉快な集まりになったぜ」
「お、お前……!」
怒りがピークに達した宗が凌に襲い掛かる。
それをあざ笑いながら逃げる凌。
安全な位置に移動しはやし立てる裕。
二人の間に挟まり無意味に被害を食らう俺。
そして二人を片手で軽々と持ち上げ仲裁する鉄也。
こうして、俺たち五人の同窓会は幕を開けたのだった。
「あ、望に変わって欲しい? 別にいいっすけど。おい、望。電話だ」
「俺に?」
凌からの趣味の悪い謎解きを終えた後、俺らは一階に下り、そこで酒盛りを始めていた。
十年近い歳月会っていなければ話すことは無数にある。けれどまあ、大抵盛り上がるのは過去の、高校時代の話。当時やった馬鹿なことを面白おかしく話していたら、気付けば深夜になっていた。
そんな中、急に凌のスマホ(これも家主から貸与されたものらしい)が鳴りだした。相手は件の家主だったが、酒が入っていたこともあり、あっさりと人を呼んで酒盛りを開いているのがばれてしまった。
けれど家主は随分と寛容だった。
禁止事項を破ったにもかかわらずお叱りはほぼなし。あまり羽目を外しすぎないようにとの注意のみで終わった。
問題はその後。どういうわけか家主は俺に電話を替わるよう凌に言ってきた。
当たり前だが家主と俺に面識はない。仮に一方的に知られていたとしても、俺が今ここにいることは知られていないはず。
訳が分からないながらも、こちらは勝手に家を使わせてもらっている身。断るのもどうかと思い、凌からスマホを受け取った。
「もしもし? ええと、俺に何か用でしょうか?」
「うん。と、その前に君は瀬川望君で間違いないよね?」
「ええ、はい」
「それは良かった」
やはり相手は俺のことをよく知らないようだった。声も普通に四十過ぎのおじさんの声で、特に聞き覚えはなかった。
もう一度何の用件か聞こうとしたところ、背後から宗の「おい! 家主にどうしてこんな家具の配置にしたのか聞かせろ! いや、俺がさっきの推理で納得させて見せる!」などと騒がしい声が響いてきた。
これではまともに会話できそうにないと思い、「ちょっと場所変えてもいいですか?」と聞くと、「ああ勿論。というか、少々面倒だとは思うんだけど六階に行ってくれないかな?」などと頼まれた。
俺もそこそこ酒が入っており、今の状況で六階まで階段を上るのは正直かなりしんどい。けれど、この酔っ払いどもから離れられるならそれはそれでいいかと考え、素直に家主の頼みを承諾した。
皆にもそのことを一言告げ、早速階段を上がっていく。
徐々に酔っ払いどもの声が小さくなっていき、代わりに家主の声が鮮明に聞こえるようになってきた。
「それで、六階に行って何をすればいいんですか?」
「それは着いてからのお楽しみだよ」
「はあ……」
なぜかはぐらかされる。
無言でいるのも気まずいので、続いてどうして俺のことを知っていたのか尋ねた。
「どうして俺の名前をご存じだったんですか? 凌が何か言ってましたか?」
「ああ、まあ、そんな感じかな」
「……」
どうにも怪しい。だが、それを問い詰めることもできない。
もやもやした思いを抱いたまま、二階、三階、四階……と階段を上がっていき、何事もなく六階まで到着した。
六階に着いたことを報告するため、スマホを耳元に近づける。
「えーと、六階まで着きましたけど」
「うん。じゃあ天井から釣り下がっている冥王星の下まで行ってくれないかな」
「ああ、あれ、やっぱり冥王星だったんすね」
部屋の大半は天体道具で埋め尽くされているため、僅かに残された隙間を縫って冥王星の下へ。
「下まで来ましたけど、それで次は何を?」
「……」
「……あの、どうしました?」
「……」
急に相手の声が聞こえなくなる。
通話を切られたのかと思い画面を見てみるが、電話は繋がったまま。「もしもし?」と言いながらスマホを耳に戻すと、ようやく声が返ってきた。しかしそれは、今まで話していた男性とは別の声だった。
「ああ、ごめんごめん望君。じゃあ次は、冥王星から垂れている紐を握ってもらえるかな」
「紐……? ああこれか、って、すみませんがどちら様で? さっきまでの男性はどうしました?」
ぱっと見では気づけなかったが、目を凝らすと、冥王星の少し下から白くて細い紐が垂れ下がっていた。
取り敢えず相手の言葉通り紐を握りつつ、返答を待つ。声の感じからすると先ほどの男性よりだいぶ若い。息子だろうかと考えるも、この状況でわざわざ電話を替わった理由が分からない。それに随分と親し気に俺の名前を呼んできたのも謎だ。
すると相手は、面倒くさいことに「誰だと思う?」などと聞き返してきた。
「いや、そんなの知りませんけど」
「本当に? まあ最後に会った日から十年近く経つし、覚えてないのも無理ないか。それとも僕の声が少し変わったかな?」
「十年ぶり……?」
十年と言えば、ちょうど高校卒業頃。つまりその時に知り合いだった相手。となると学校のクラスメイトの可能性が高い。しかしあの学校で、俺のことを名前で呼ぶような相手なんていただろうか?
「うーん、まだ思い出してもらえないか。これでも君とは仲が良かったつもりなんだけど。ほら、たくさん僕の小説の話に付き合ってもらったじゃないか」
「あ……」
記憶の水底から、怒涛の如く過去の光景が浮かび上がってくる。
それはこれまで、ずっと封印していた記憶。
当時高校に入った頃の俺は、凌や宗たちとも面識などなく、教室の隅でひっそり天体の本を読んでいるような男子だった。そんな俺の唯一の友達が、遠山鏡介という、小説を書くのが趣味の男だった。
今の時代教室で本を読んでいる奴は俺と鏡介の二人しかおらず、互いにシンパシーを感じ、自然と話すようになっていった。そして、そう、俺の天文の知識を生かして、いつか共同で小説を書いて出版したいなんて話もしていた――凌たちに目を付けられるまでは。
「……二階に置いてあったあの本、もしかしてお前が書いた奴か……」
「ああ、見つけててくれたんだね。そうそう、君と僕とで昔考えた『鏡川望遠』ってペンネームで書いた小説ね。二人の名前からそれぞれ文字を取ると望遠鏡になるっていう話から思いついたやつ。嬉しいなあ、ちゃんと供養のために置いといてよかった」
「供養……?」
鏡介の言葉にひっかかりを覚えるものの、それ以上に過去の出来事が脳内を駆け巡っていく。
まるで漫画やアニメのように、学校を支配しようとしていた谷内不凌。その頭脳担当の宗と揉め事担当の鉄也に諜報担当の裕。
支配する方法は至極単純で、かつ効果的なものだった。強者に対しては弱みを握ることで制し、弱者及び大衆には見せしめをすることで支配を目論んだ。そしてその見せしめとして選ばれたのが、俺と鏡介だった。
最初は二人一緒にいじめられた。暴力や罵倒は日常茶飯事。休んでも家にまで押しかけてくるため、心休まる瞬間なんて一切なかった。
そんな中、いじめから逃げる方法として宗から提示されたのが、一方がもう一方を裏切ること。凌たちの言い分に完全に従い先に裏切りを選択した者は今後仲間として一緒に行動できる。逆に従わなかった者はずっと見せしめの対象になる、というもの。
そして俺は――あっさりと鏡介を裏切った。
いじめから逃れたかった――というのは勿論あった。しかしそれ以上に、支配する側という立場に回ってみたい思いが強かった。そして俺は、高校生活で理想通りの支配する側の生活を満喫し、人生で一番の時間を得ることができた。まあ、凌たちに見限られないよう、常に一歩引いてはいたけれど。それでも、俺は俺の快楽のために、多くの人間を傷つける手助けをし、そしてそのことを後悔せずに生きてきた。
「そうそう、この家の家具の配置について皆で議論してたみたいだけど、あれ全部間違ってるよ。もちろん答えだってある」
過去に浸っていた俺を、鏡介の声が呼び戻す。
「この建物はね、望君たちの墓標なんだよ」
「ぼ、墓標?」
想定していなかった言葉に、驚きの声が漏れる。
対する鏡介は優しい声色のまま、とんでもないことを言い始めた。
「うん。ここは望君たちから被害を受けた人たちで共同して作った、墓標なの。二階にあるものは全部被害者が自分たちの恨みを託した供養品。皆が死後にしっかり地獄に行けるようにってね。そして上階に行くほど物が多く、重くなっていくのは、上の階の床が抜けて、そこから一斉に階下まで踏みつぶしていけるようにするためなんだ」
「な、何を……」
鏡介の言葉の意味が理解できず、俺はスマホを耳に当てたまま硬直する。
しかし鏡介はこちらの理解を待つことなく、さらに話を続けていく。
「あ、もしかしてそんなこと無理だって思った? でも残念。これができるんだよね。この家は特別製で、床の耐荷重を少し弄ってあるから。今望君がいるその部屋に、もう一押し重しを加えてあげると、一気に崩れ落ちていくんだ。とはいえそれは理論的にはって話で、流石に実験したことはないから。運が良ければ、床が抜けることなく助かるかもしれない。その時は僕らの恨みより望君たちの悪運の方が強かったってことで、僕らも諦めるつもりでいるからさ。
そういうわけだから、そろそろ望君が今握っている紐を下に思いっきり引っ張ってくれないかな。そうすると冥王星が割れて、中から鉄球が落ちてくるから。それじゃあ、十秒カウントダウン始めるね」
「ま、待ってくれ!」
今だ思考がまとまらないながらも、このままではいけないと感じ勝手に口が言い訳を並べ始めた。
「きょ、鏡介も知ってるだろ? お、俺は仕方なかったんだ。あの学校で虐められないために、仕方なくあいつらの仲間になっただけで――」
「でも、望君は高校を卒業して彼らと進路を違えた後も、僕や被害者に対して一切謝罪しに来なかったよね。それどころか、今もこうして彼らと仲良くしてるわけだし」
「そ、それは……」
「もし少しでも僕らに対する贖罪の気持ちがあるのなら、その紐を引っ張って欲しいな。それに一応僕だって君の立場が分かるから、突然の死を与えるのではなく、わざわざ理由を説明してあげたんだし。ああそれとも、望君にとって、自分たちがしてきたことは死ぬほど重い罪じゃないと思ってるのかな?」
「………………」
「ふう……。それじゃ改めて、十秒のカウントダウンを始めるよ。十――」
無情にも、死のカウントダウンが始まっていく。
まだ頭はこの状況を一切理解してくれない。しかし一つ、今自分が間違いなく思っているのは、死にたくないということだった。
死ぬ直前は時間がスローモーションになるなんて言われるが、どうやらあれは嘘ではなかったらしい。どうしたら今この状況で死なずに済むのか。次から次に思い浮かんでくる。
謝罪や復讐の手伝い。より残酷な殺し方の提案。
カウントダウンが一秒進むたびに、二つ三つアイディアが思い浮かんでは消えていく。
そして最後に、最も単純な解決方法に辿り着いた。
スマホを投げ捨て、一目散に階段を駆け下りる。
紐を引いたら鉄球が落ちてくるなら、紐を引かずに逃げればいい。
宗が言っていたじゃないか。真実は単純なものだって。
鏡介は通話をしていたスマホを見つめながら、小さくため息をついた。
「どうして、僕はこんなのと仲良くなっちゃったのか。いや、むしろ良かったか。こんな浅はかな人と組んでたら、きっとつまらない小説になってたし。それじゃあ、さようなら」
監視カメラの映像を移すモニターには、数秒先の未来を知らずにバカ騒ぎをする愚か者たちと、階段を必死に駆け下りていく望の姿。
背後に集う被害者たちへと振り返り、鏡介は合図を送った。
今作は、『5~8階建ての一軒家で、上の階ほど荷物が増える(もしくは思い物が増える)家があったとしたら、その理由は何か?』、というのが急に気になった作者が、知り合いに聞きまくった結果完成した作品です。なので各推理やオチも私が考えたものではないのですが、こうして面白い解答をいただけたため、何とか一つの作品として形作ってみました。
ここまで読んでくださった読者の皆様は、どんな理由があればこんな変な館を建てると思いますか?もし他にもアイディアがありましたら、ぜひ教えていただけると幸いです。