おいしいご飯をいただいたので
この国には魔法使いと呼ばれる者たちがいる。
見た目はわたしたち人間と同じだが、自然や動植物、あるいは人間が放出する魔力を糧として生きる、どちらかといえば妖精や精霊と同じような種族――らしい。
魔法使いたちは自らの糧でもある魔力を使って様々な魔法を使うことができるため国ではとても重宝されていた。彼らは国の依頼で様々な仕事をこなし、給金や衣食住を与えられている。そしてその食の部分が特に重要だった。
この国で生まれた子どもたちは漏れなく十二歳になると教会で魔力測定を受けなければいけない。人間は魔法使いのように魔法を使うことはできないが、魔法使いが作った便利な魔道具を使うのに魔力適正というのがとても重要になる。魔力量が多ければ大きな魔道具を使えるし、火の魔力適正があれば火を扱う魔道具をより効果的に使えるなど、日常生活はもちろんのこと将来の仕事をそれで決める家族もいる。ついでに貴族なんかは、使う使わないに関わらず魔力量が多いと箔がつくと言うしまつ。
そしてここからが大切なのだが、魔力測定で時折、特別な魔力を持つ子どもが見つかることがある。測定をするのも魔法使いなのでどう判断しているのかわたしたちにはさっぱりだが、魔法使いにとって特別な魔力だそうだ。
その特別な魔力を持つ者たちは一般的に、魔法使いの番と呼ばれた。
番の魔力は魔法使いにより強大な力を与えるため、魔法使いたちは番が自分の傍にいることを強く望んでいた。と言っても、番の魔力を持つ者なら誰でもいいわけではなく、相性のようなものは存在する――そんなこと気にせず複数の番を傍に置いている魔法使いもいるのだが、相性が最もいい一人を魔法使いは選ぶのだ。
番に選ばれた子どもはこの国の成人である十七歳を迎えるまでの五年間で魔法使いについて学び、番のいない魔法使いたちはその間に自ら最も相性のいい番を探す。番に選ばれると魔法使いは番をこの世の何よりも大切にし、一国のお姫様より贅沢ができるといわれていた。
そしてわたし、シルファ・ローナンはそんな魔法使いの番の一人だ。ちょっと前に十七歳になり、めでたく魔法使いに見初められた。
わたしを選んだ魔法使いは男性で、ルガディアークさまという。名前が長いので、ルガディと呼ぶようにと言われているのでルガディさまと呼んでいる。
藍色の髪と灰色の瞳、顔立ちは整っているし背も高いが猫背がちで、他人と目を合わせるのがちょっと苦手なところがある。新しい魔法の研究と開発が主な仕事で、それ以外にも実りの減った土地を豊かにしたり、森の病気を治したり、川の氾濫があった時はそれを防ぎに行ったりと自然に関する魔法が得意なためそれを活かす場に駆り出されることもあった。
魔法使いたちはそれぞれ気に入った土地に屋敷を構えることが多いが、番がいると番の希望を第一とする風習があるらしい――それ以外にも番第一のことは多いみたいだ。
わたしは貴族の家に生まれ、貴族はほとんど自分の実家の領地に魔法使いを呼ぶことが多いのだが、わたしは亡くなった母方の祖父母が晩年暮らしていた小さな領地に家を建ててもらってそこにルガディさまと一緒に暮らしている。森や泉があり、自然があふれ、領地で暮らす人たちもみんな穏やかで親切だ。ルガディさまもこの地が気に入っているらしい。ちゃんと言葉で聞いたことはないけれど。
「シルファ、ちょっと見てください」
キッチンで朝食のしたくをしていたわたしにルガディさまが声をかけた。その手には、今朝届いたばかりの手紙がある。
「わたしが読んでもいいんですか?」
「かまいませんよ、こんなもの」
ルガディさまにとってはこんなものかもしれないが、それは王宮からの招待状だった。ちゃんと王家の紋章も入っている。魔法使いと番の交流を深めるために夜会を開くので出席するようにという内容が可能な限りやわらかいが圧のある表現で書かれていた。
「こういうことってよくあるんですか?」
わたしはルガディさまと暮らしはじめたばかりだし、五年間の教育期間でも魔法使い同士の交流みたいなものは教わらなかった。
「まさか! 僕らは貴族じゃないんです――あ、いや、失礼」
「いいえ、気にしないでください。わたしももう、自分は貴族じゃないと思っているので」
「王家はこういうこと、言い出しそうにないんですが……ちょっと誰か事情を知らないか聞いてみましょう」
ルガディさまが手紙を指ではじくとバラバラと文字がこぼれ落ちるようにして消え、代わりに新しい文字が――ルガディさまのちょっと右上がりな文字だ――浮かび上がってきた。彼の手の中でそれは勝手に鳥の姿に変わり、あっという間に窓から飛びだってしまった。
「さて、朝食にしましょうか」
鳥を見送っていた視線を戻し、わたしはうなずいて朝食の席に着いた。ルガディさまにとって人間の食事は必要のないものだったけれど、わたしと暮らしはじめてからはこうして一緒に食事を取ってくれた。食べられないわけではないのだ。栄養にはならないらしい。
キッチンで料理をするのはわたしの仕事だけれど、それをテーブルに並べるのはルガディさまだ。洗い物も。彼が何もしなくてもお皿の上にできあがった料理がもられ、テーブルの定位置に並んでくれる。今日の朝食はパンとスープ、こんがり焼いたソーセージと卵、それからサラダ。レタス、トマト、玉ねぎのスライス、それにつぶして少しミルクとコショウを混ぜたじゃがいも。野菜は近所の人にもらったものだ。ルガディさまが魔力で動く農具を直したお礼だった。
「この野菜、農具のお礼なんです。みなさん、ルガディさまによろしくって言っていました。ありがとうございますって」
「そうですか」
スープを無意味にかき混ぜながらルガディさまは視線を少し泳がせた。思わずにやけそうになる口元をごまかすようにわたしはパンを頬張った。
朝食が終わる頃に、手紙の鳥が返ってきた。空っぽの食器は勝手に洗われていく。わたしが食後の紅茶を淹れている間に手紙を読んだルガディさまの顔はどんどん険しくなっていった。
「どうやら王弟殿下のご令嬢が言い出したようですね。ほら、あなたの少し前にカルファーグの番になった」
カルファーグさまも魔法使いで、非常に優秀と評判だ。ルガディさまに選ばれる前に一度だけ顔を合わせた。番の魔力を持っていると、五年間の間に何度か魔法使いと面談をするのだがその一環だ。
「カルファーグさまは夜会に出席されるような方なのですか?」
一度会っただけでもそうは見えなかった。
「魔法使いで貴族の夜会のような場所に好んで行く者はいませんよ。どうせつ番が言い出したのでしょう。王弟殿下はいい方ですがご令嬢には甘いですし、カルファーグは番には無関心そうでしたし」
「出席しないといけないのでしょうか?」
手紙を読み返したいけれどルガディさまが文字を消してしまったのだった……そう思っていたら、ルガディさまがテーブルクロスの上にさっき手紙からこぼれた文字を再現してくれた。
「いけないみたいですね……」
来るのが当然という書き方をされていたし、相手が王弟殿下のご令嬢なら欠席すれば何を言われるかわかったものじゃない。それに、ルガディさまの仕事に悪影響が出ても困る。
「無理をしなくていいんですよ。シルファが行きたいなら僕も行きますし、行きたくないなら行きません。どちらでもいいと言われても行きませんよ」
そう言っていたのにわたしたちは今、王都にいる。
一度は欠席を決めたわたしたちの元にルガディさまのお姉さまがやってきたためだ。彼女ももちろん魔法使いで、番の方と一緒に海の近くの街で暮らしている。お姉さまはわたしたちの出席を強引に決め――ルガディさまはお姉さまの押しに弱い――わたしたちの衣装まで用意してしまった。
お姉さまはルガディさまとわたしが良好な関係を築いていることを喜んでいて、他の魔法使いにも自慢したいと話していた。でも、何か別の目的もありそうだ……。
「そんなことないわよ」と、お姉さまは笑った。「あのルガディアークがこんなかわいい番を大切にしているなんて誰も信じていないだろうし、みんなを驚かせたいの」
たしかに出会ったばかりのルガディさまは何事にも無関心な印象だった。
魔法使いの方たちは、魔法以外に何の関心も抱いていないか、何もかもに関心を抱いているかのどちらかにわけられるらしい。ルガディさまは当然前者だ。
十二歳の魔力測定でわたしに番の魔力があるとわかった時、平民だろうと貴族だろうと普通の家族なら名誉なことだと喜ぶところをわたしの家族はそうではなかった。
わたしの実家であるローナン伯爵家は四人家族。父である伯爵、父の後妻でわたしの継母にあたる伯爵夫人、父と継母の娘である異母妹、それからわたし。わたしの母はわたしがまだ小さい頃に病気で亡くなって、父の愛人だった継母がその後すぐに伯爵夫人となった。異母妹は父と継母が愛人関係にあった時の子どもでわたしとは数か月しか年が離れていない。
継母が来て、亡くなった母を慕っていた使用人たちは辞めさせられ、わたしは家族から当たり前のように蔑ろにされた。使用人の仕事をさせられ、学校に通うこともなく、時には暴力を振るわれるような日々を過ごしてきた。
そんなわたしでも十二歳になれば魔力測定を受けなければならない。父たちはわたしを病気だと言って受けさせないようにしたかったみたいだけれど、それなら屋敷に行くと言われて仕方なく異母妹の魔力測定の時にわたしも連れて行くことにしたようだった。
わたしは痩せていてボロボロで、きっと屋敷の使用人の子どもをついでに連れてきたのだろうと周囲には思われていただろう。魔力測定をする魔法使いには関係なかったが。
異母妹はごく平均的な魔力量で、際立った適正もなかった。父たちは明らかにがっかりしていたが、それに追い打ちをかけるようにわたしに番の魔力があることがわかったのだ。
当然のようにその日からわたしの家での扱いはより酷くなった。
魔法使いについて学ぶのに教会に行かなければいけなかったので見える場所にこそ傷は減ったが服の下はそうではない。魔法使いの方に会うたびに早く連れ出して欲しいと願ったが中々わたしは選ばれず、十七歳になるギリギリになって出会ったのがルガディさまだったのだ。
ルガディさまは最初、番に関心がなかった。そういう魔法使いも少なくない。それでも顔合わせに来たのは、ちょうどルガディさまが開発に関わっていた新しい魔道具により強い魔力が必要だろうと考えたからだった。
ルガディさまはわたしを見るなり「君が番だ」と言い、矢継ぎ早にこれから暮らす場所はどこがいいかなどたずねてきた。とても事務的な口調だった。突然の展開に混乱していたわたしは、それでも彼に「実家がいいなら実家でも構わない」と言われた瞬間、すぐにでも家から連れ出して欲しいと懇願したのだ。
ルガディさまは理由に興味がなかったのか何も言わず伯爵家に赴き、わたしのほとんどない私物をまとめると、「彼女は今日から僕と共に暮らします」とだけ告げわたしを伯爵家から連れ出してくれた。
ルガディさまはその頃どこかに定住しているわけではなかったのでわたしたちはとりあえずルガディさまのお姉さまのところに身を寄せ、お姉さまと番の方が親身になって色々相談に乗ってくれたのもあって今の家に落ち着くことになったのだ。
ルガディさまのお姉さまはわたしの体の傷に憤り、あれこれ世話を焼いてくれたが、ルガディさまは相変わらず無関心で、それは一緒に暮らしはじめてしばらくは変わらなかった。
「あのルガディアークがねぇ」
会う魔法使いの方みんなに同じことを言われ、わたしも内心で大きくうなずいていた。出会ったばかりの頃のルガディさまを思えば、わたしよりもずっと前から彼を知っている魔法使いたちが驚くのも無理はない。
夜会は王弟殿下――今は公爵でもある――の王都のお屋敷で開かれていた。公爵家のお屋敷ではなく、殿下が若い頃にいただいた離宮だ。出席者は魔法使いとその番だけではなく魔法使いと親しくなりたい貴族も大勢いる。魔法使いたちは退屈そうにしているか、親しい者同士で固まってひそひそとおしゃべりをしている。
わたしとルガディさまはお姉さまのとっておきの衣装を身にまとってその場にいた。貴族の衣装のようだけれど、普段来ているワンピースのように軽いのだ。濃い青色はルガディさまの髪の色と似ていて、わたしがこのドレスを着ているのを見たルガディさまはわかりやすく目を泳がせていた。
そして今はぴったりとわたしのとなりにはりついていて、わたしの手を握ってくれている。大きな手は指先が少し荒れていた。本をめくる時によく使う指だ。手荒れにきくクリームをルガディさまからもらったけれど、帰ったら一緒に使おう。
早く帰りたい……。
わたしがそう強く思う理由が、わたしの目の前に現れた。
「お姉さま!」
異母妹だ。
「お久しぶりですね」
彼女の後ろには父と継母もいて、わたしの体は自然と強ばった。ルガディさまの手がわたしの手を強く握りしめてくれなかったらきっと震えていただろう。そっととなりにいる彼を見上げると、表情こそ無表情だったが、わたしにだけわかるように彼はほんの少し目元をやわらげた。
「魔法使いさまもお久しぶりです。わたくしのこと、覚えていらっしゃますか?」
頬をバラ色に染め、大きな瞳を潤ませて異母妹はルガディさまを上目遣いに見上げた。傍から見ればきっと愛らしいその姿は、しかしルガディさまには一切通用しなかった。
「生憎、他人には興味がないもので」
淡々と彼は言った。
「もちろん、番であるシルファは別ですが」
ついでにわたしにはめったにお目にかかれない微笑みを向けてくれる。微妙に視線があっていないのが、かえってルガディさまらしくてうれしかった。
「い、妹のティーファですわ」
「妹……にしては、年齢が近いようですが」
ルガディさまには一応、わが家の家族構成について伝えてあるもののそれを覚えているかはわからない、もしかしたら本気で疑問に思っているのかもしれない。
「そ、それは……」
異母妹もさすがに自分が不貞の子だと噂――事実ではあるが――されていることを気にしてるらしい。口ごもる彼女を助けたのは当然、彼女の両親だった。
「これは魔法使い殿、娘が何か?」
「伯爵……ああ、そういえば彼女は伯爵と愛人の方との娘でしたね」
不躾にそう言ったルガディさまに父だけでなく周囲もギョッとした。ルガディさまは悪気のない顔をしている。これはたぶん本当に悪気がないのだ。彼はただ、事実を口にしただけなのだから。
「彼女が僕らに勝手に話しかけてきたので困っていたのです。どうぞお引き取りを」
「勝手にとは……そんな他人行儀なことをおっしゃらないでいただきたい。魔法使い殿の番も我が娘、我々は家族のようなものではありませんか」
口元を笑みの形に歪めて父が言ったことに、わたしはグッと唇を結んだ。家族だなんて……娘だなんて、思ったこともないくせに。わたしも思いたくないし、思われたくないのに。
「こうやって顔を合わせる機会もめったにないことです。ぜひティーファとお話を――この子は魔法使い殿の仕事に興味があるのです」
異母妹の視線が期待を持ってルガディさまを見上げた。
「ご存知ないかもしれませんが」
ルガディさまが言った。
「シルファを番として迎えた後すぐにシルファの籍はあなた方の家から抜いてあります。つまり、シルファはあなた方の家族ではありませんし、僕ももちろん何の関わりもない他人です」
「なっ!?」
「信じられなければどうぞ王宮で確認を。国王陛下の許可は得ているので。ああ、公爵閣下もご存じのはずですからそちらに聞いた方が早いかもしれませんね――それで? 彼女が僕の仕事に興味がある、ですか? それなら伯爵、あなたがよく僕に押し付けようとしている仕事も彼女に任せてみてはいかがです?」
「それでは」とルガディさまはわたしを連れて踵を返した。
「失礼します。閣下にあいさつをして、僕らはもう帰るので」
背後で父たちが何かを言っているのが聞こえたが、わたしたちはその場を後にした。ルガディさまは本当に帰るつもりらしく、公爵――王弟殿下を捜しに行きましょうと言った。
「ルガディさま」
「何です?」
「あの、わたしの籍のことですけど……」
「言っていませんでしたか?」
「はい」
「番の籍を生まれた家から外すのは簡単にできるんです。いつもは、王家が力をつけて欲しくない家から番が出た時の対処として行われるんですが」
なるほど――魔法使い自身には番の生まれた家には関心がないので、籍があってもなくても同じはずだ。王家が噛んでいるのなら納得がいく。わたし自身があの伯爵家から縁が切れたということはうれしくて、「ありがとうございます」と改めて口にした。
「あと、父からの仕事って……」
「あの伯爵はシルファが僕の番になったのをいいことに、普通なら魔法使いにそれなりの報酬で解決を依頼するような問題を僕に押し付けようとしていたんです。手紙でね。まあ、報酬はどうでもいいですが、シルファがされていたことを思えばいい気分の手紙ではなかったので無視していました」
「そうだったんですね」
「さあ、もう帰りましょう。閣下は見つかりませんでしたが、問題はないでしょうし」
「はい、帰りましょう」
「帰ったら食事――をするには、もう遅いでしょうか?」
ルガディさまがうかがうようにそう言ったので、わたしは思わず笑ってしまった。
「夕食には遅いかもしれないですけど、ちょっとした夜食にはちょうどいいかもしれません。軽食はありましたけど、あまり食べなかったのでわたしもお腹がすいてますし」
「夜食なんてあるんですね」
「遅くまで起きていた時に、小腹がすいたら食べるご飯のことです」
「何か食べたいものはありますか?」とたずねてから、ルガディさまにそんなことを聞くのはおかしいことに気がついた。でもルガディさまがうれしそうに笑ってくれたので、わたしはそのことを気にしないことにした。
***
魔法使いに食事は必要ない。
この世界にあふれる魔力を無意識に吸収して、それを糧にしているからだ。それが番の魔力であれば僕らの力はますます強くなるから、相性のいい番が見つかればできるだけ傍にいてもらえるようにするのが当たり前だった。
僕らの興味はこの魔力を活かす魔法にだけ向けられていて、他のことにはほとんど興味を持つことがない。それは番に対しても同じだ。もちろん、傍にいる時間が長いので魔法に対してほどではないがそれなりに番に興味を持つ者もいる。僕の姉なんかはそのタイプで、番の男性と夫婦のような関係を築いていた。
もっとも、姉はもともと社交的な性格で、僕とは正反対だ。僕は姉と違ってあまり誰かと関わるのは好きではないし、友人も多くない。番にも興味がなかった。幸い、魔法使いの中でも魔力がある方だったので、番なんていなくてもいいと思っていたくらいだ。
ある魔道具の開発に関わってより強い魔力が必要そうだとならなければ僕は番を探そうとしなかっただろう。僕は教会に赴き、番の魔力を持つとわかって教育を受けている子どもたちと順番に顔を合わせていった。そして見つけたのがシルファだった。
彼女は痩せていてボロボロで、彼女について書かれた書類を見るまで貧民街で拾われた孤児だと思っていた。まさか伯爵令嬢だとは――人間は僕らの力をあてにしてばかりで、特に貴族は魔法使いの力を借りられて当然だと思う者も多くうんざりしていたのもあって、彼女を番として迎えるのは乗り気ではなかったが、これ以上にないくらい相性がよかったのは事実なので悩んだ末に彼女を迎えることにした。
僕と同じ頃に番を迎えた友人のカルファーグが、面倒なら国王に言って強引に番を貴族の籍から抜いてしまえばいいと言ったのも決め手の一つだ。彼の番は王弟――今は公爵だが――の娘で、贅沢好きで高慢な令嬢だった。彼は番にこれっぽっちも興味がなく、それと同じくらい自分の財産にも興味がなかったので公爵家に住居を移し、自身に害がない範囲で令嬢を好きにさせていた。害があれば公爵家とは縁を切り、彼女を番として閉じ込めると公爵に約束させたらしい。
友人からの物騒な助言はシルファが家から離れたがっていたことで実現しなかった。僕らはとりあえず姉のところに身を寄せ――僕は住居を持っていなくて各地の宿や姉のところを転々として暮らしていたからだ――紆余曲折の末、彼女の母方の祖父母が遺していた小さな領地に落ち着くことになった。
姉以外の魔法使いからは番はどんどん欲深くなる生き物で、魔力の対価を求めてくると聞いていたが、シルファは家から離れたいということ以外は特に何も望まず、日々の生活費を渡してやればそれで満足していた。
その頃には僕はまあまあ当たりの番を引いたのだなと思うようになっていた。彼女が家でされていた仕打ちのことも聞いてはいたので、王宮に行くついでに彼女の籍を伯爵家から抜いておいたのもこの頃だ。家に戻りたくないのはその仕打ちのせいなのも理解はできていた。
何の変哲もない日々だった。僕は帰る家があることを除けば番がいない頃と変わらない生活を送っていた。糧となる魔力が上等になったのも違うか……。
シルファとはあまり話をすることもなく、時折彼女が掃除や料理などの家事をするのを見かけるくらいで食事の必要もない僕だから一緒に食卓につくようなことも当然なかった。
「あの」
そんなある日、遠慮がちに彼女は僕に声をかけた。
痩せていた彼女は少し肉付きがよくなり、ごく普通のお嬢さんらしくなっていた。そしてとても姿勢がきれいだということに、僕はその日はじめて気がついた。
「よかったら、一緒に食事をしませんか? 魔法使いさまが、食事をいらないのはわかっていますが……食べられないわけではないんですよね?」
「食べられないわけじゃないけれど、どうしてそんな必要のないことをしないといけないんです?」
シルファは困ったように眉を下げた。
「近所の方に野菜をいただいたんですが、一人だと多くて……腐らせてしまうのももったいないので、一緒に食べていただけたらと思って」
この辺りに暮らす人たちは魔法使いに食事がいらないことを知らないのだという。だからおすそわけも一人では多い量だったのだと。あまりにも彼女が申し訳なさそうにしていたからか、僕は気づいたらうなずいていた。「よかった」と彼女はほっとして表情を緩めた。今思えばあれはあの時の彼女の最上級の笑顔だったのか……。
僕がはじめてついた食卓には、明らかに普段彼女が一人で食事をしている時よりも手の込んだ料理が並んでいて僕はなんだか落ち着かない気持ちになった。彼女が僕のために作った料理だ――妙な気分だった。人間が魔法使いのために何かするなんて……少なくとも僕には経験のないことで、経験してみると、どしたらいいかわからなくなった。
僕が断ったらどうするつもりだったのか思わずたずねると、そうしたら残りは明日食べるつもりでしたと彼女は少し小さな声で告げた。
「でも一緒にご飯を食べてくださって、あちがとうございます。うれしいです」
うれしい――そうか、うれしいのか。
「……食事くらい、いつだって一緒にしますよ」
はじめて感じた気持ちに名前がつき、僕はまともにシルファを見ることができず、僕がそう言ったことにシルファが驚いたように目を丸くした後、ぎこちないながらも笑顔を浮かべたことに気づくことができなかった。
「すぐに夜食を作りますね」
家に帰るなり彼女は見慣れたワンピース姿になり、同じくいつもと変わらぬ格好に着替えた僕にはくつろいでいるように言ってきた。
「何か手伝いますよ?」
「大丈夫です。そんな大変なものは作りませんから――それに、わたし、ルガディさまにご飯を作っている時がとても好きなんです」
頬を染めて微笑む彼女を直視できるようになる日は来るのだろうか……。
キッチンからスープの匂いがするようになるまでの間、僕は鳥の形の手紙を何羽か作り夜空に向けて飛ばしていた。シルファの実家の伯爵家は領地にある鉱山で使える最新式の魔道具を購入した。が、扱える魔力を持つ者がいないにも関わらず無理に動かそうとし、更にそれが事故の原因となったらしい。
僕のところに来る手紙はその解決を望むものだった。借金もあるようだし、今日の夜会ではそれなりの姿でいたがいずれ豪華なドレスも宝石も捨てなければいけなくなるだろう。重い税を課せられている領民からは反発され、石でも投げられるかもしれない。事故で家族が犠牲になった者からは殴られるかも――シルファがされていたことに比べればかわいいものだ。
手紙は各地の魔法使いに向けて飛ばした。伯爵家から仕事の依頼が来ても無視をして欲しいという手紙だ。彼らは番を理由に僕にタダ働きをさせようとしたと。僕らは報酬に興味がないが、もらわないと余計な仕事が舞い込んでくるのでそれを防ぐ意味もあって人間から依頼された仕事は報酬についても含めすべてきちんと決めてから行う。そのルールを破ることは顧客側である人間たちにとっても密かに禁止されていることだ。
何しろ僕ら魔法使いは魔法以外にほとんど興味を持たないから、気分が損なわれればこの国で働くことを放棄するだろう。番が手に入らなくなるかもしれないがそれだって微々たる問題だ。魔法使いが働くなった国の方がダメージが大きくなるのは間違いない。
魔法使いに無視された伯爵家は国からどう思われるだろう? まあ、僕には関係のない話だが。
シルファがキッチンから僕を呼ぶ声がした。温かいスープの香りがする。こうして彼女が僕のとなりで笑ってくれて、一緒に食卓を囲む日々をつづけることが、魔法の次に僕の関心をしめていた。
「味はどうですか?」
「おいしいよ」
スープは残り物だが野菜の味が溶け込んでいて、そこに小さくちぎったパンを入れ
、チーズが乗せられていた。僕らはそれをキッチンで、立ったまま食べている。
僕の言葉に破顔した彼女と目を合わせながら、僕もそれにこたえるように笑い返したのだった。