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音楽と精霊の国

合言葉がなくても

作者: 梅ゐすは

 あの頃のぼくたちがいたのは、ひたすらに白くて凍える場所だった。


「……寒い」

「寒いね」

「今日は一晩中こうなのかしら」

「そうかもしれない。風が強いね、もう少しこちらにくっついていた方がいいよ」


 辺り一面真っ白な世界の、ごうと吹きすさぶ風の音だけが聞こえる中で、ぼくたちはぴったりと寄り添っていた。

 強い風でぼくのひと房跳ねた髪がなびくのを見て、彼女はおかしそうに笑う。

 そうやって暖を取りながら過ごすことはよくある。身を切るような寒さの中で互いの体温を感じながら、とりとめのない話をする。それがいつものぼくたちだった。


「わたしたちって、死んだらどうなるのかしら」


 それは、最近亡くなった仲間を見て彼女が思ったことだった。

 彼女の、このあたりの海のような群青色の瞳が揺れ、きらめいている。

 他の仲間にはないその特別な色を、ぼくはとても美しいといつも思っていた。


「さあ、ただなくなるだけじゃないかな。身体はそのうち大きな生き物に食べられてしまうだろうし」

「またわたしとして生まれてくると思う?」

「別の身体で、きみとして生まれてくるのかい? 不思議な考えだね」

「ええ、どんな身体に生まれるかはわからないけれど、またわたしとして生まれて来たいわ」

「……きみが別の男と番うのは妬けるな。その時はぼくも新しい身体に生まれないと」

「新しい身体に生まれ変わっても、またこうして一緒にいましょうね」

「そうだね。きみを見つけられるようにがんばるよ」

「わたしも、あなたを探すわ」


 そう話していたぼくたち。

 子どもたちを育て、送り出したけど、ぼくたちは変わらない。

 死ぬまでずっと一緒にいるのが当たり前で、離れることないは思っていた。

 だけどあの年、きみは戻って来なかった。

 遠くに行っていたたくさんの女たちが戻って来て、男たちが声を上げて自分の妻を呼ぶ中、ぼくも声の限りに呼んだ。


 ねえきみ。

 どこにいるの。

 なぜいないの。

 どうして戻ってこないの。


 皆が再会を喜び、身を寄せささやき合っている中、ぼくの声はとうに枯れていたけれど、それでもぼくは悲しく叫び続けた。ずっと呼び続けても彼女は現れず、もう戻ってくることはないのだとわかってもなお、彼女を呼ぶことをやめられなかった。


 けれど、ぼくたちにはまだ子どもが残されていた。

 彼女の帰りを待ちながらぼくが守っていた最後の子どもだけは、育てなければならない。ぼくはふらつく身体でなんとか子どもを育てた。だが、母のいないその子は、まもなく亡くなった。

 そして、彼女が戻らず衰弱していたぼくもまた、妻と子どもを追うようにして終わりの時を迎えたのだ。


 新しい身体に生まれたら、またきみに会うんだ――。


 そう思ったのが、ぼくの最期だった。



    ◇◆◇◆◇◆◇



 わたしには、生まれる前の遠い昔の記憶があった。

 どのぐらい前のことかはわからない。あの白い世界では、時間など気にしていなかった。たいていが今のことばかりで、先のことを気にするのは、せいぜい今日や明日ぐらい。一番長い時間といえば、たまにある彼と離れなければならない時期だった。あの頃はずいぶん長く感じていたが、今思うときっと数か月のことだったのだろう。あそこは環境は厳しくも、ここよりも流れが穏やかで変わらない世界だった。


 わたしはあの頃の記憶を思い出した子どもの頃から、ずっと彼を探していた。

 また会うのだと約束していたから、きっとすぐに見つかるだろうと思っていた。

 だが、わたしの出会うたくさんの人々の中に、彼はいなかった。

 わたしの身体はあの頃のものとは違う。おそらく彼もそうだろう。お互い違う見た目になって、どうやって彼を見つければいいのだろうか。わたしは探し始めてようやくそのことに気がついた。

 だが、わたしの身体にはあの頃と唯一変わらないものがあった。彼が美しいとよく見惚れていた群青色の瞳だ。これを目印に、彼がわたしを見つけてくれることを祈りながら、わたしはたくさんの人に出会うように努めた。


 そうして彼が見つからず何年も過ぎた頃、わたしの祖母が死の床で教えてくれた。


「あの人と約束しているのよ。生まれ変わったらまた一緒になるんだってね」


 どうやら祖母は、わたしたちと同じように祖父と約束を交わしたらしい。


「けれど、別の人間に生まれ変わったら、お互いが探している相手かわからないでしょう? だから、二人だけの合言葉を決めたのよ。次に出会った時には、合言葉でお互いを確かめるの。これだけは忘れずに死の向こうに持って行かなければ」

「なんていう言葉?」

「いやねえ、二人だけの合言葉よ。いくらあなたにでも教えるわけないじゃないの」


 わたしははっとした。合言葉。そんなこと思いつきもしなかった。

 それはしかたのないことかもしれない。あの頃のわたしたちには名前すらなかった。合言葉なんて考えつくはずもない。だけど、合言葉があれば、彼を見つけるのはもっと簡単だったかもしれない。もしかしたら、今頃もう出会えていたかも。そう思うとわたしの心は沈んだ。


 彼はいつ見つかるのだろう。もしかしたら今世では会えないのかもしれない。

 そう思い始めた頃、わたしは新聞である記事を見かけた。

 遠い島にある音楽と精霊の国。そこで流行しているとある楽団の写真を見て、わたしは驚いた。そこに映っていた楽団員の中に、彼と同じように髪がひと房跳ねたヴァイオリン奏者がいたのだ。


 ――わたしたちの子どもだ!


 わたしたちが育て、送り出した子どもたちの中に、彼にそっくりの跳ね髪を持つ子がいた。あれから長い時が経っているのだろうから、子ではなく子孫かもしれない。だが、とにかくあの頃のわたしたちの血を受け継ぐ子どもがそこにいるのだ。


 わたしは急いで音楽と精霊の国に向かった。

 彼につながる手がかりにはならないとしても、わたしたちの子孫を一目見てみたかったからだ。

 首都にある小さなホールでの演奏会で、わたしはその子の姿を見ることができた。コンサートマスターとして指揮者と合図を交わしながら演奏するその子に、わたしの胸はいっぱいになった。


 あの頃の彼につながるものがここにある。


 彼の手がかりすら見つからず、この世界に彼はいないのではないかと諦めかけていたわたしの心に、ほんの少しだが希望の光が灯った。旋律が流れるにつれ、きっと彼もいるのだと、まだ信じることをやめずにいようと思えるようになっていた。


 美しい調べに合わせて精霊が幸せそうに舞い踊り、たくさんの祝福の光や花びらが舞台を飛び交う。その美しさに酔いしれたわたしは、演奏会が終わるとどこか呆けたまま、まだ日の高い夏の街をそぞろ歩いていた。

 おそらく宿に向かって歩いているはず、道には迷っていないと頭の片隅で思いながら、街のあちこちで楽しげに歌い踊る人々を眺める。この音楽と精霊の国では皆歌と踊りを愛し、いつでもどこでも自由に音楽を奏でるのだそうだ。そしてそんな音楽を愛する精霊たちが喜び、祝福の光や花びらを舞い踊らせるので、ここではとても美しい光景が見られるのだ。


 少し感傷的な旋律に合わせて民族舞踊を踊る一団を眺めていた時、わたしはその向こうに立つ男性に気がついた。何気なく見ていると、向こうもわたしに気づいたようで、軽く会釈を交わした。

 そのまま踊りが終わるまでその場で眺めていたのだが、踊り終わった人々が散って行く中に、こちらに近づいてくる先ほどの男性の姿が見えた。男性は上から下まで真っ黒な装いをしていた。近づいてきた男性の姿をぼんやりと見ていたわたしに、男性は声をかけた。


「きみかい?」


 それは待ち合わせ相手を見つけた時のような軽さだった。


「はい?」


 人違いでは、と言おうとした時、男性の髪が目にとまった。つややかでまっすぐな黒髪を後ろでひとつにまとめており、後ろに撫でつけた前髪がひと房跳ねている。

 その跳ねを凝視しているわたしに、男性は言った。


「――その瞳は、やはりきみだ。やっと見つけた」


 男性の声に視線を上げると、彼は安堵したように微笑んで私の瞳を覗き込んでいた。


「……まさか、あなたなの? 本当に?」

「そうだよ、ぼくだ。ずっと探していたんだけど、なかなか見つけられなかった。けれど、その瞳は間違いなくぼくの探していたきみだ」


 わたしは言葉もなく彼に体当たりするように抱き着いた。

 あの頃と違って、身を寄せるだけでなくしっかりと抱きしめることができる。ぎゅっと腕に力をこめ、あの頃と同じ彼のぬくもりを感じた。彼もわたしの身体に腕を回し、存在を確かめるかのようにきつく抱きしめた。


「ぼくたちにつながる子どもがこの国にいると聞いて、見に来たんだ。もしかしたらきみへの手がかりがあるかもしれないと思って」

「わたしもその子を見に来たのよ。とても立派だった。あなたにそっくりで髪が跳ねていたのよ」

「きみはそれを目印にしたんだね。ぼくもきみの瞳を探していたよ。たくさんの人の目を見たけど、ぼくらのいたあの海のような美しい瞳はきみだけだった」


 わたしたちは泣き笑いながら、これまであったいろいろなことを話した。

 彼の元に帰れなかったわたしの最期や、その後の彼のこと、そして生まれ変わってからのこと。


「それにしても、あの子はなぜヴァイオリン奏者になっていたのかしら」

「この国の動物園に住んでいたらしい。音楽が大好きだったようで、精霊から楽器を弾ける祝福をもらったそうだよ」


 彼は、あの楽団の成り立ちが載った新聞を見せてくれた。

 ――首都近郊の動物園に暮らしていたペンギンの群れは、街の人々の演奏を聴きにたびたび街に脱走するほど音楽好きだった。それを喜んだこの国の精霊が、ペンギンたちに音楽を奏でられるよう祝福を与えたそうだ。楽器を演奏できるようになったペンギンたちは楽団を結成し、今ではこの街で美しい旋律を奏でている。その中に、どこからやって来たのかわたしたちの子孫が紛れ込んでいたのだ。


 音楽を奏でる不思議なペンギンがつないだ縁に、わたしたちはなんとも言えない顔で目を見合わせた。

 自分たちは普通のペンギンだった、と思いながら。



「ねえ、わたしたち合言葉を決めておかないと」

「合言葉?」

「またお互いを探さなくてはいけなくなった時に、すぐにお互いがわかるようになるのよ。髪や瞳が前と同じようになるとは限らないもの」

「やっと会えたばかりなのに、もう次の話なのかい?」


 彼はくすくす笑った。あの頃のようにぎゅっと身を寄せ合っていたので、彼の笑いにつられてわたしの身体も揺れる。


「次だってその次だって、わたしはあなたとずっと一緒にいたいわ」


 わたしは真面目な顔で言った。


「ぼくもそうだよ。次もきみを探さなくてはいけないね」

「これまでの苦労を考えたら、合言葉を決めておいた方がいいわ。わたし、もうこんなに長い間一人はいやよ」

「そうだね、じゃあこれでどうだろう。合言葉は――――」


 彼はわたしにだけ聞こえるように、その言葉を口にした。

 これは二人だけの言葉だから、誰かに教えてはいけないのだ。次も、その次もずっと。

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