第15話 リアルな夢と微睡の現実 ②
ちょっと周りを見てみれば、安食ちゃんが言っていることが事実だということは明らかだった。
それに自分で言っておいてなんだけれど、よく考えれば俺の隣を獲得したのは安食ちゃんと姫野先輩の二人だったと思い返せた。
眠っていた間に見た夢と混同でもしたんだろう。
衝撃の寝起きで寝ボケなんて吹き飛んだと思っていたけど、脳みそはまだまだぐうたれていたということだ。
夢に見た光景がしっかりと頭に残っているから、というのもあるかもしれないけど。
そうこうしているうちにみんなが目を覚まし始めて、俺たちの密着タイムは終了を迎えることになった。
一番最初にもぞもぞ体を起こし始めた未琴先輩の気配をいち早く察知し、すぐに自分の布団に飛び戻った安食ちゃんの素早さは、なかなか目を見張るものがあった。
合宿二日目は、一応今回の主題ということになっている海岸清掃のボランティアがある。
正直少し忘れかけていたんだけれど、これをしないと本当にただみんなで海に遊びにしただけになってしまうから、疎かにはしちゃいけない事柄だ。
まぁその清掃活動に参加したところで、二日間の合宿期間のほとんどを楽しく遊んで過ごしているのだから、やっぱり合宿と銘打つのが難しいのに変わりはないけれど。
朝食を済ませた後、みんなで集合地点の海岸に向かう。
シーズン中ということで清掃が行われるのは朝のうちだけ。
昼前には終わってしまうから、それからはまた海で遊べるという算段で、部長である姫野先輩はこの合宿を計画したんだろう。
ボランティア部に入部してから何度か参加した地域清掃と大体同じ要領で、ゴミ袋なんかをもらってみんなでわちゃわちゃとゴミ拾いを始めた。
最初こそある程度みんなで固まってやっていたけれど、海岸沿いを進むにつれて知らず知らずのうちにばらけていって。
一時間ほど経った頃には、気がつけば近くにいるのは安食ちゃんだけになっていた。
「朝とはいっても、やっぱり真夏の海辺は暑いですねぇ〜」
長時間屈めていた腰を逸らして一息ついていると、安食ちゃんが大きく息を吐きながらそうこぼした。
大きなツバのある帽子を被って日陰を作っているけれど、それでもやっぱり降り注ぐ日差しの熱はどうにもならないようで、額に滲む汗を軍手で拭っている。
そして小休憩というように、ゴミを拾う手を止めてトタトタと俺のすぐそばまでやってきた。
「もう汗びっしょりですよぉ。早くまた海に入りたいです」
「暑くてしんどい分、やってる感もより一層って感じだしな。一仕事の後の海はきっと格別だろうさ」
「ですです!」
熱った体には、きっと冷たい海がよく染みるだろう。
それにかき氷なんかも食べたらもう最高だ。
そう昼からの楽しみを語っていると、安食ちゃんは不意に眉を落としておずおずと見上げてきた。
「ところで、うっしー先輩。さっきの……お布団の中でのことなんですけど」
「……?」
ささっとその細い肩を寄せ、ちょっぴり囁くような声色で口を開いた安食ちゃん。
その誤解を生むような言い回しも相まって、ちょっぴり色っぽいというか、いかがわしい雰囲気がなくもなかったけれど、彼女の表情は真剣そのものだった。
「先輩、なにか気になることがあるんじゃないですか? 変な感じというか、違和感というか」
「ん? いや、別に……。確かに今朝は寝ぼけてたのか変なこと言っちゃったけど。でもだからって妙なことなんて……」
くりくりとした目で見上げてくる安食ちゃんは、なんだかとても心配そうな顔をしている。
特に思い当たる節がない俺は、そんな彼女を尻目に呑気な返答をすることしかできなかった。
何を言わんとしているのか、いまいちよくわからない。
そんな俺に、安食ちゃんはとても優しい顔をしながら言葉を続けた。
「そうですね。例えば……とってもリアルな夢を見る、とか」
「────え?」
ジリジリとした日差しが焼き付けるように降り注ぐ中、俺は安食ちゃんからの発言にポカンと口を開けてしまった。
降り注ぐ暑さも、辺りの喧騒も、身を寄せる彼女の体温も。どれもしっかりと感じているのに、なんだか遠く思える。
だって、それは俺以外が知り得るはずのないことなんだから。
俺は昨日から、妙に現実とよく似た、でも所々が違う、とてもリアルな夢を見ている。
「やっぱり、そうですよね」
「あぁ、まぁ、うん。でもたかが夢だよ。リアルだなぁとは思うけどそれだけっていうか。やっぱり現実とは違うし。ただそんな夢を見るって話だ」
俺の反応を見て図星だと判断した安食ちゃんは、その優しげな表情のまま眉根をクッと寄せた。
事実今朝みたいに一瞬区別がつかなくなる時があるけれど、だからといって何か問題が起きているとは思えない。
安食ちゃんがどうしてそれを知っているのかはわからないけれど、さして問題視することとも思えなかった。
そもそも、実体験とよく似た夢を見ることなんて普通にあることだ。
それがたまたまリアルタイムに、この合宿の光景をすぐに見ているというだけで。
夢が深層心理を写したりするというし、俺にとって今この時が鮮烈に印象に残っているということなのかもしれない。
「確かに、ただの夢かもしれません。でも私は、昨日今日のうっしー先輩に、夢を見たうっしー先輩に、ちょっと違和感があって。だから、心配なんです」
「違和感? そもそも、どうして安食ちゃんは、俺がそういう夢を見たことを知ってるんだ?」
「それは……」
視線を下ろし、なんだか少し答えづらそうにする安食ちゃん。
もしかして俺、寝ている間にものすごい寝言でも発していたんだろうか。
口をモゴモゴとさせて言い淀みながら、けれど意を決して安食ちゃんが答えようとした、その時だった。
「ほれほれ後輩たちー。サボっちゃダメだぞ。休憩はほどほどにね」
突然姫野先輩が現れて、俺にタックルする様に飛びついてきた。
そうすれば当然彼女の溢れんばかりの胸が俺の胸に容赦なく起きつけられるわけで。
唐突さと柔らかさのダブルパンチで俺は飛び上がりそうになって、また安食ちゃんも驚く俺に俺に驚いて飛び上がった。
「もう楓ちゃんったら。みんなが真面目にゴミ拾いしてるのに、ちゃっかりうっしーくんと一緒にいるとか。見かけによらず強かだね〜」
「た、たまたまですよぉ。私もちゃんとお掃除してましたし、お喋りは今ちょこっとしてただけで……」
俺に思いっきり体を預けて密着してきたきた姫野先輩は、わざとらしく眼鏡をクイッと持ち上げながら揶揄いの言葉を向ける。
そんな彼女に安食ちゃんはあわあわとしてしまって、会話は完全に途切れてしまった。
「じょーだん。別に怒ってないよ。あっちの脇の方あんまりやってる人いないから、一緒に行こっ」
ニコニコと気のいい笑顔を浮かべてそう言った姫野先輩は、言うが早いか俺の腕をぐいぐいと引っ張った。
彼女の柔らかさを全力で押し付けられている俺に抵抗する力なんて出るはずがなく、されるがままに引きずられる俺に安食ちゃんも慌ててついてくる。
帽子を被って若干涼やかな安食ちゃんとは対照的に、姫野先輩はタンクトップにショートパンツとかなりラフなスタイルで、健康的な暑さをまとっている。
白い肌は降り注ぐ日の光を輝かしく反射して、まるでスポットライトでも浴びているのかと思えるほどに、その姿は煌びやかに映る。
そもそも美人でスタイルがいいっていうのもあるけれど、スターやアイドルのような一線を画するような存在感があるんだ。
そんな姫野先輩が容赦なく密着して、すぐ隣でニコニコと笑っていたら、目を離すことなんてできるわけがない。
「この辺りはそもそも人があんまり来ないから、ゴミもそんなにないかぁ」
清掃活動のメインエリアから外れた岩場付近まで俺たちを引っ張ってきた姫野先輩の口振りは、どこかわざとらしかった。
海水浴場として開かれているビーチから遠のいた海岸のはじの方となれば、そもそもひと気が少ないのは明白だ。
周囲に俺たち以外誰もいないのを確認して、姫野先輩は一層俺の腕に自らの腕を絡めた。
ぐにゅんとたわんだ感触が、精神に大きな衝撃を叩きつけてくる。
「誰もいないし、これはひょっとしてイチャイチャするチャンスかな?」
「いや、えっと……さっきサボるなって言ってたのは姫野先輩じゃないですか……」
「別にサボるわけじゃないよぉ〜。たーだ、せっかく一緒にいるんだし、ちょっとくらいスキンシップしてもいいじゃない?」
姫野先輩はそう言って、至近距離からとろんとした上目遣いを向けてきた。
メガネ越しに覗くそのキラキラとした瞳は、今はどこか潤んでいて余計に色っぽい。
大人の色香の中に可愛らしく甘えを混ぜ込んできて、的確に俺の心をくすぐりにかかってきている。
普段ならそんな彼女の勢いに流されてしまうかもしれないけれど。
でも今は生憎というか幸いというか、二人きりではないんだ。
どうしても視線を引き寄せられてしまう姫野先輩だけれど、今の俺には安食ちゃんを忘れることはできなかった。
「でもほら、人が捨てたゴミはあんまりなくても、流れついてるのはそこそこありますよ。今はちゃんと掃除して、後でゆっくり遊びましょうよ」
「ん〜そっか。片付けるものがあるなら仕方ないねぇ。部長だし、後輩の前ではちゃんとしないと」
気を抜けばのめり込みそうになりながら、それでもなんとか言葉を絞り出すと、姫野先輩は渋々と頷いた。
少し不満げながらも潔く俺から腕を解いて、でもぶーと唇を突き出しているのがまたちょっぴり色っぽい。
そんな名残惜しそうな彼女に「あともう少し頑張りましょう」と笑いかけると、姫野先輩はすぐご機嫌に戻ってにっこりと笑ってくれた。
「……うっしー先輩」
姫野先輩が岩場付近のゴミ拾いを始めたのと入れ替わるように、安食ちゃんがおずおずと身を寄せてきた。
控えめな様子ですり寄りながら、ちょっぴりと、でも確かに俺の腕に数本の指を絡める。
こっそりと見上げてくる様子は、まるでか弱い小動物のように儚げだった。
でもその中に、どことなく機嫌を損ねたような雰囲気を感じる。
「ごめん、安食ちゃん。除け者にするつもりはなかったんだけど……」
「いいえ、大丈夫です。うっしー先輩はちゃんと、私のこと見てくれてましたし。嬉しかったですよ」
「でも、やっぱり怒ってるよね?」
「…………」
安食ちゃんとの会話の途中だったのに、姫野先輩の勢いに乗せられてしまったのは俺の責任だ。
俺のことを案じて大事な話をしてくれていたのに、先輩の色香にたじたじになってしまったんだから。
申し訳ない気持ちで顔を覗き込むと、安食ちゃんは小さく唇をすぼめながらも小さく首を横に振った。
「怒っては、いません。でもちょっと、嫉妬しちゃいました」
ポツリと、小さい口が控えめに動く。
「うっしー先輩はやっぱり、大人な人の方がいいのかなって」
「べ、別にそんなことは……」
「はい、わかってるんです。でもうっしー先輩が他の先輩たちと仲良くしてるのを見ると、どうしても……」
そう言って、安食ちゃんは少しずつ腕に絡める指を増やした。
そっと、でも確実に。俺のことを放さないと言わんばかりに。
かすかでも僅かでも、しかしそれは確かな彼女の存在感だった。
「だから、ちょっぴりだけこうさせてください」
「うん、もちろん」
怒ってるけど怒ってなくて、不機嫌だけど側にはいたくて。
そんなチリチリとした感情がけれどなんだか心地よくて、それにちょっぴり嬉しくもあった。
基本的におおらかで、それと同時に控えめな安食ちゃんはあまり見せない珍しい仕草に、ついドキッとしてしまった。
姫野先輩には申し訳ないけれど、彼女にのめり込み過ぎなくてよかったとこっそり思ってしまう。
「ねーねー二人ともー! これちょっと見てよ〜!」
特にそれ以上の会話もなく安食ちゃんと二人で寄り添っていた時、少し離れたところから姫野先輩の声が飛んできた。
ついつい清掃のことを忘れてしまっていた俺たちは、その声に同時に飛び上がって、慌てて姫野先輩の方に駆けた。
「これ可愛くなーい? 誰がやったんだろ〜!」
岩場の陰でしゃがみ込んでいた姫野先輩は、俺たちが来るや否やそう黄色い声をあげた。
安食ちゃんと身を寄せ合いながら、そんな彼女が指し示す足元を覗き込んでみる。
そこには小さな貝殻が、ハートマークを象るように並べられていた。
「ああそれ、未琴先輩が────」
昨日未琴先輩とこの岩場にやってきた時のものだと、そう言いかけて、それはおかしいと気が付いた。
昨日の午前中はみんなで海で遊んでいたし、昼を食べた後はずっと眠りこけていた。
未琴先輩とここに来るタイミングなんてなかったんだから。
そんなこと、していないんだから。
「…………!?」
不意に固まった俺を、姫野先輩が不思議そうに見上げている。
一緒に見下ろしていた安食ちゃんは、同じタイミングでハッと息を飲んでいた。
気付いてしまった違和感に頭がいっぱいになる。
わけがわからないけれど、一つだけ確かにわかること。
それは、これが現実に存在するはずがないということだった。
だってそれはただの夢。
リアルだっただけで、それは飽くまで夢の出来事だったんだから。




