ん よ う
「茜さん。これにサインしてください」
ぐいっと目の前に突き出されたのは一枚の紙っぺら。
――少し前から、そんな感じの予兆はみられていたが、ついにか……。
まあ、俺としてはよくここまでもったなと思う。
だいたい、漫画やドラマじゃないんだ。劇的な出会いかたをした男女二人の相性が必ずしも花丸なんてのは、そうあるもんじゃないと思う。
同じ時間を過ごすうちに明らかになっていく互いの欠点、人それぞれの独特の癖や、受け入れられない生活習慣。
ちょっとした不満は積もり積もって、その人を愛していたことを忘れさせるほどに肥大する。
で、現実。目の前に突き出された紙っぺら――もとい、離婚届け。
そこにはすでに静菜の名前が書いてあった。
「一応、聞くけどそれは?」
「茜さんへのお誕生日プレゼントですよ」
幸か、不幸か、今日は俺の19才の誕生日だった。
……と、まあ、なんかちょっとだけシリアスになってるけど、俺はかなりビツクリしていた。動揺のあまりちっちゃいツがおっきくなるぐらい。
脳内に浮かぶ大量のエクスクラメーションマーク――じゃなくて、クエスチョンマーク。ああ、やっぱり動揺してる。
心を落ち着けるためにも、簡単に過去回想しよう。
俺、悪漢から静菜を救う。
静菜、俺に惚れる。
親父との約束(一方的な押し付けだったが)の期限がきれる。
親父に迫られる。
憎悪感を覚える。
自分の父親が親父だったことを心の底から呪う。
逃走を試みたが、親父の「もし、逃げたりしたら静花がどうなってもしらないよ?」という一言に断念。
親父に人間としての生を与えた神を呪う。
最低の人間だという認識を強める。
逃げ場無し。絶体絶命。
静菜の登場。
静菜の「私が茜さんと結婚します」発言。
親父ビツクリ。
母帰宅。
母大喜び。
母ノリノリ。
流されるまま籍をいれる。
母ノリノリ。
結婚式。
母ノリノリ。
新婚なんだから二人で暮らしちゃいなさい。
母強引。
俺と静菜の二人暮らしが始まる。
学校をやめて働こうとする。
母とめる。
せめて、高校は卒業しなさい。
渋々納得。
なんやかんやあったが、無事に卒業。
就職。
徐々に自立し始めた今日この頃。
現在に至る。
と、こんな感じで現在に至る。具体的なことは各々の想像にまかせる。
過去回想終了。
それでだが、前置きであーだこーだと言ってはいたものの、実際のところ俺と静菜はどっかのドラマや小説のように凄くうまくいっていた。相性バッチリ。
始めのうちはぎこちなかったこともあったが、今となっては静花と同じ――いや、それ以上に心を許せる存在にまでなった。
が、目の前の現実。離婚届け。
……結局、そう思っていたのは俺だけだったのかもしれない。
「えーっと……。それで静菜さん。俺なんかした?」
「いえ、とくに」
「不満があるとか?」
「そんなありませんよ。あ、でも、強いて言うなら兄弟とはいえ静花ちゃんといちゃつきすぎです」
いちゃつきすぎって。兄弟なんだから別にいいと思うんだが……。
「俺が嫌いになった?」
「大好きですよ」
即答だった。ちょっくら気恥ずかしい。
「なら、なんで離婚したいの?」
「茜さん。義父さんとの約束は覚えてますか?」
義父さん=親父
して、その約束とは、このタイミングで親父の名前が出て来ることを踏まえて考えると。
「あれだろ。離婚したら俺を女にするって……」
微妙に頭が回る親父はあることを懸念していた。
俺がその場凌ぎで静菜を利用していることだ。結婚したがすぐ離婚。
それで親父はそれを未然に防ぐため、新たに「離婚したら女にする」という条件を追加したわけなのだが……。
「……ッ!?おまえ、まさか!?」
そうか!?そういうことなのか!?静菜が俺と離婚したい理由は!?
「流石は茜さん。気がついたみたいですね」
「いや、でも、流石にそんな理由で離婚なんて……」
「茜さんと過ごした約一年。とても幸せでした……。ですが、やっぱり私は……――」
一呼吸おいて静菜は自分に素直に、自分の素直な気持ちをさらけ出す。
「女の子が好きなんです!」
この前、聞いたのだが静菜は百合の花を散らすのが好きなんだそうだ。いや、だからどうした。
「だから茜さん!私と離婚して女の子になってください!そうして、どこか同性結婚の認められている国に渡ってやり直しましょう!」
「となると俺はスウェーデンあたりがいいなぁ……って!違うわ!なんでそうなるんだよ!俺は女になるのは嫌だから!それに静菜と離婚するのも嫌だからな!」
「そんなダメですよ!我が儘言っちゃ!」
「何が我が儘か!どっちかというと静菜の方が我が儘言ってるだろ!」
「ちーがーいーまーす!我が儘言ってるのは茜さんです!」
「とにもかくにもそんなのは絶対認めないからな!」
さっと俺は静菜の手から離婚届けをひったくるとびりびりと破り捨てた。
「あー!もう、なにやってるんですか!」
「こんなもんは必要ない!」
「うー……。わかりました!そっちがその気なら!こっちだって!もう、ピーマン料理しか作りませんからね!」
「な!?おまえ、それは卑怯だろ!ピーマンは週一だって約束だろ!?」
「そんな約束知りませーん」
まあ、こんな感じでたまに喧嘩もするけど俺達二人は案外うまくいっているのだった。
当初、恐れていたバットエンドだ何だも今となってはただの笑い話。俺はなんであんなアホな妄想してたのかなーみたいな、ね。