魔法
アルは、湖の前で目をつぶって立っていた。両腕をだらんと下に伸ばし、ゆっくりと息を吸っていた。
(だめだ、何も感じない…)
しばらくすると、アルは目を開き、大きな岩に腰かけた。
「はあ。ほんとに、ザラなんてあるのか?」
疲れた声でつぶやくと、ゆっくりと目を閉じ、昨日の事を思い出していた。マリーの話では、ナンジュからギルメインまでは七日ほどかかるという事だった。かなりの距離がある為、何度か休息を取りながら街を目指す事になっていた。
「ロンさんも、ギルメインに用事があるんですか?」
「うむ。少し会いたい人がおっての。一緒につれて行ってくれんじゃろうか?」
「マリーさん、あまりそのじいさんの言う事を信じないほうがいいですよ」
アルは不機嫌そうな顔をしていた。
「いいですよ。困った時は助け合いって言いますしね」
「おお、ありがとう!」
「はあ…」
アルは大きなため息をついた。
「ねえアル君、もっと魔法が使えるようになりたい?」
「え?そりゃ使えるもんなら使いたいですよ。女の子…じゃなかった、お金を稼ぐのに役立ちそうですからね」
「それなら、ギルメインまでの旅の途中に、少し修行をしてみようか?」
「しゅ…修行ですか?」
「うん。一度使えたっていう事は、もう、きっかけはつかんでると思うの。もしかしたら、修行する事で、少しずつ使えるようになるかもしれないよ」
「ほんとですか?楽しみですね!」
「じゃあ、決まりだね!」
夜が明けると、三人はマリーの運転するジープで東へと向かった。昼頃には小さな湖のある森に着き、そこで休息を取る事になった。
「ここから次の村までは、半日以上かかるみたい。今日はここでキャンプをしましょう」
のどかな森の中でキャンプの準備が終わると、マリーは倍加魔法で、寸分違わぬテントを作り出した。
「ほう!便利じゃの~!わしのお金も増やしてくれんか?」
「じいさん、魔法で増やしたものは、時間がたつと消えちまうんだぜ?」
「そうか!残念じゃの」
「フフッ。アル君、少し魔法の修行をしようか。ロンさんは、すみませんがここで見張りをお願いします。何かあったら呼んで下さい」
「了解じゃ!」
マリーは笑顔を浮かべながら、ゆっくりと歩き出した。テントの傍から歩いて五分ほどたった所に、小さな湖が広がっていた。
「マリーさん、修行って何をするんですか?」
「魔法を使うには、まず自分の中にあるザラを感じる必要があるの」
「ザラ?」
「うん、魔力とも言うんだけど、魔法の源になる力みたいなものかな」
「へえ~。そんなものがあるんですね。あ、おれが魔法を使えたのって、もしかしてこの石に魔力があったからですか?」
アルは、首飾りの青い石を手に取った。
「う~ん、わからないけど、たぶん違うと思う」
「どうしてですか?」
「魔空結晶には、魔法で消費したザラを回復させる効果しかないからね。アル君みたいに、今まで魔法を使った事がない人には、あまり効果がないんだよ」
「ふ~ん」
「何かの力が込められているのはまちがいないけどね。とりあえず、アル君は自力でザラを感じ取る必要があるわけ」
マリーは目を閉じ、両腕をだらんと下に伸ばした。
(あ、かわいい…)
「こんな感じで、目を閉じて瞑想をする事で、自分の中に熱いエネルギーのようなものがあるのを感じ取るんだよ」
「な、なるほど!そうすれば、マリーさんみたいに火を出せるようになるってわけですか?」
「うん」
マリーは静かに目を開いた。
「自然魔法って言うんだけど、火や水とか、自然界にあるエネルギーに波長を合わせる事で、ザラを魔法に変える事ができるんだよ」
「なるほど!」
「アル君は無意識でも一度、水の魔法を使ってるから、まずは水の魔法から覚えていったほうがいいと思うよ。ここには湖の水があるから、最初のきっかけをつかみやすいと思うんだ」
「へえ~!!」
「瞑想をしていて何か熱いものを感じたら、水のイメージをしながら手を前にかざしてみてね。上手くいけば、手のひらから水が出てくるよ」
「わかりました!」
「私は夕食の準備をしてくるから、がんばってね」
マリーは穏やかな笑みを浮かべながら去っていった。アルは、なんだかすぐにできるような気がしていた。だが、何度挑戦しても、ザラを感じ取る事はできなかったのであった。
大きな岩に仰向けになりながら、アルはマリーの事を考えていた。
(歳はいくつなんだろうか。自分より少し上に見えるけど、たぶん二十歳くらいかなあ。好きな男性のタイプってあるのかな。この旅が終わったらいい感じに仲良くなって、一緒に暮らしましょうとか言われたりして。子供は二人くらいで…)
「アル君、休憩中?」
「うわあっ!」
アルはおどろいた様子で飛び起き、勢い余って地面に顔をぶつけてしまった。
「フフッ、大丈夫?」
「ふぁい…大丈夫です」
「そう。よかった」
マリーは湖を見ながら、両腕を上へと伸ばした。
「う~ん、はあっ!アル君、ザラを感じるのって難しいでしょ」
「そうですね、さっぱりです」
「あせらず、ゆっくりでいいと思うよ。日が沈む前には、テントに帰ってきてね」
マリーは小さく手を振りながら、テントの方へと戻っていった。
「はあ、また瞑想か…」
アルは疲れた顔で立ち上がると、マリーの事を考えながら目を閉じた。小鳥のさえずる音だけが、湖の周りに静かに響いていた。
暗い森の中を、ロンとアルが歩いていた。二人は真剣な表情で立ち止まると、木と木の間から前をのぞいた。真っ暗な森の中に、小さな湖が見えていた。
「なあじいさん、やめろって。もしもマリーさんに見つかったら…」
「なんじゃ、若いのに。気にならんのか?」
「いや、気になるけど…じゃなくて、やっぱりだめだろ!」
アル達が到着する少し前に、マリーは水浴びをしてくると言って湖へと向かっていた。その間、テントにはアル達が残って見張りをする事になっていた。夜の湖は暗かったが、マリーが衣服の傍らに置いていた、小さなランプの灯りが辺りを照らしていた。
「じゃあ、なんでついてきたんじゃ?」
「それはじいさんを止めるために…」
「止めてないじゃん」
「うっ…」
「お前さん、素直じゃないのお~」
「違うって!あんた、最低だな!」
「お、あれは!」
暗い湖の中に、マリーは生まれたままの姿で立っていた。黄色い髪は先までぬれていて、マリーの白い背中にしっとりと巻き付いていた。腰から下は、水につかって隠れているようだった。
「おい、じいさん!」
「しっ、静かにせい!」
(こんな事、だめだろ!早く止めないと!……ああ、でも、少しくらい、いいんじゃないか?今日はおれも、がんばって修行したし……いや、やっぱりだめだ!でも…)
「ワオーンッ!!」
突如、大きな遠吠えが響いた。
「え、なんだ?」
「むう!」
ロンは瞬時に後ろを振り返り、森の奥へと走り出した。アルがあわてて追いかけると、暗い森の中に、六匹のオオカミが群れをなしてロンの前に並んでいた。
「げっ、まずい!テントまで戻らないと、火やナイフもないし…」
「グルルル…」
オオカミの群れはうなり声を上げながら威嚇し、今にも襲いかかってきそうだった。
「おぬし、魔法の修行をしとったんじゃろ?なんとかならんのか?」
「ずっと瞑想してただけで、まだ使えないんだよ」
「役に立たんのお~」
「うるせえな」
アルは覚悟を決めると、険しい表情で目を閉じた。
「落ち着いて、魔力を感じるんだ。ザラを…」
「ガウッ!」
一匹のオオカミが襲いかかってきた。
(熱いエネルギー……感じた!!)
アルは目を開き、右手を前にかざした。手のひらから滝のような勢いで水があふれ出し、オオカミへと向かっていった。
「キャウーン!」
オオカミは後ろに大きく吹き飛ばされた。オオカミの群れは魔法を恐れたのか、体を震わせながら一目散にその場から逃げていった。
「おおっ!やったの!」
「はあっ、やったぜ!修行の成果あり!」
アルは右手を触った。手のひらに水は残っていなかったが、少し熱い感覚があった。
「ははっ!これが魔法か!」
「アル君、ロンさん、大丈夫?」
マリーが白いローブをまといながら走ってきた。しなやかな黄色い髪は、ほとんどぬれたままだった。
「マリーさん、おれ、ザラを感じましたよ!」
「え、まさか魔法でオオカミを追い払ったの?」
「はい!」
アルは誇らしげに答えた。
「すごいね!」
「ほんとに、たいしたもんじゃわい」
「いや~、ハハハッ!」
「ところで、なんで二人はここにいるの?」
広い荒野を、マリーの運転するジープが走っていた。茶色い大地から乾いた風が吹き、雲一つない青空が広がっていた。
「まだ痛いなあ」
「この年になると、こたえるのう」
車の中で、アルとロンは頭の後ろをさすって、ひどく痛がっていた。昨晩のぞきをした事がばれると、マリーは恥ずかしさと怒りで、無意識に風の魔法を使った。突風で勢いよく吹き飛ばされた二人は、大きな岩に頭を強くぶつけて、そのまま失神してしまったのであった。
「二人とも、昨日はごめんなさい。まさか魔法を使ってしまうなんて…」
「いやいや、マリーさんは悪くないですから!」
「そうじゃ!お嬢ちゃんは悪くない!」
「すいません……ただ、また昨日みたいな事をしたら、この程度では済まないと思って下さいね」
マリーの声が冷たくなっていった。
「あ、はい、ごめんなさい…」
二人はか細い声で謝った。
(くそっ、おれはじいさんを止めようとしたのに。マリーさんにきらわれたかも……)
アルは小さく息を吐きながら、窓から外の景色を眺めた。荒野の先に、石でできた建物が見えていた。
「あれが遺跡かのお?」
「おそらく、そうですね。行ってみましょう」
マリーの話では、次の村まで行く途中に小さな遺跡があるという事で、調査の為、遺跡に寄り道してから村へと向かう事になっていた。マリー達は砂地の地面に車をとめると、古びた建物の方へと歩き出した。
「へえ~古そうですね。おれの家よりボロボロ」
「そうじゃのお。この壁なんか、今にも崩れそうじゃわい」
「すごい。もしかしたら、何千年も前に建てられたものかも……」
朽ちた遺跡は、灰色の石の壁に囲まれていた。壁の中の建物は、二階から上の部分が崩れていて、本来あるべき天井は見えず、太陽の光が差し込んでいた。中には入り組んだ通路がたくさんあり、小さなお城のような作りをしていた。
「うわっ、ほこりだらけ!」
「そりゃ、誰も住んどらんからな。おっと!」
ロンは右手でねずみ色のローブをはたき、肩についていた小さな虫を払った。
「二人とも気をつけてね。突然、崩れたりするかもしれないから」
「はい!お、あれって、もしかして庭ですか?」
少し先に、四角い形をした吹き抜けのような空間があり、色とりどりの花が咲いていた。
「わあ~すごい!綺麗!」
「まるで、手入れがしてあるかのようじゃな。えらい人でも住んでおったのじゃろうか」
吹き抜けの先は外へと出るようになっていて、青空の下に、大きな階段が見えていた。
「これは……別の建物へ登る階段かもしれない」
石造りの階段は、人の背丈より少し上の高さで崩れてしまっていて、前方には大量のがれきが広がっていた。
「行き止まりだね。昔はここから登れたんだろうけど……残念だね」
「何か、お宝でも埋まってないですかね」
「そうだね。これは…」
マリーは膝を曲げてしゃがみながら、辺りの破片を調べ始めた。人ほどの大きさのものから、手のひらくらいのものまで、様々な石の破片が散らばっていた。ふと、小さながれきの中に、片手で持てるくらいの分厚い石板が隠れていた。
「……」
「何かありました?」
「これは、古代文字で書かれた石板みたいだね」
「ほお!すごいの!」
「へえ~!なんて書いてあるんですか?」
「う~ん、劣化していて、わからないなあ。少し調べてみる必要があるね」
マリーは石板を手に取り立ち上がった。
「めずらしい物が見つかってよかったのう」
「はい、わざわざ来た甲斐がありました。お二人とも、ありがとうございます」
「いやいや、いいって事ですよ。マリーさんの力になれて嬉しいです!ハハッ…」
「グルオオオッ!!」
突如、後ろから大きな叫び声がした。
「なんじゃ?」
三人は素早く振り返った。自分達の身長の倍以上はありそうな高さに、赤い色をしたドラゴンが、翼を広げて浮かんでいた。ドラゴンは、大人の男性よりも一回り大きな背丈をしており、凶暴な表情でアル達をにらみつけていた。
「え、あれってもしかして、竜ってやつですか?」
「うん。それに、だれか乗ってる」
ドラゴンの背の上には、楕円形の面をつけた人間が立っていた。赤い髪は耳の下まで伸び、全身が黒いマントで覆われていた。模様のない白い面には、目元の辺りに二つの丸い穴があいていた。
「だれじゃ?」
「ボワッ!」
ドラゴンの口から、炎のかたまりが吐き出された。
「うわっ!」
赤い火の玉が、アル達の目の前に落ちた。熱を帯びた炎が、メラメラと地面から立ちのぼっていた。
「アル君、大丈夫?」
「はい!」
「お嬢ちゃん、あのドラゴンはもしかすると…」
「はい、ザルギナです」
「ザルギナ?」
「古代に滅んだ、魔力を持った生物の事だよ」
マリーは、アルとロンを守るような姿勢で、一歩前に出た。
「次はあてる」
面をした人間が静かに口を開いた。若い男の声だった。
「女、石板を渡せ。そうすれば命は助けてやる。後ろの二人には消えてもらうがな」