力の差
「はあっ、はっ、はっ……」
アルは息を切らしながらゆっくりと立ち上がった。屋根から滑り落ちないよう、足先に力を込めながら、砕け散った鎧の破片を見つめていた。
(こわれた……まずい、さっきの魔法で!)
アルはうつろな表情で前を向いた。遠く離れた空の奥から、赤いドラゴンが翼を広げて近づいてきた。
(くそっ、どうする?どう防ぐ?鎧なしで、どうやって……)
「バサッ!バサッ!」
翼を広げたドラゴンはアルの目の前で急停止した。そのまま屋根の上に滞空し、アルの姿を見下ろしていた。
「くっ!」
「それがお前の限界だ」
レギリアはドラゴンの背に立ちながら、淡々と言葉を発した。
「弱い人間が強がっても、結果は変わらない。今、お前に何ができる?」
「はあっ、はあっ……」
「終わりだ」
「ゴオオオッ!」
レギリアの右手から、太い炎の線が放たれた。疲弊したアルを倒すには充分すぎるほど大きな炎が、音を立てて迫ってきた。
「うっ……え?」
「シュウウッ!」
白く輝く光の円が、アルの目の前に広がっていた。薄く伸びた光が、アルの体を守るように宙に浮かび、炎による攻撃を防いでいた。
「まさか……」
「キュイ!」
シロルがアルの前に立ち、細い顔を前へと向けながら、光の盾を維持していた。アルの半分ほどの体を懸命に動かし、尻尾を屋根につけたまま、小さな鳴き声を上げた。
「シロル!どうして!宮殿から抜け出したのか?」
「キュウ!」
「ゴオオッ!」
赤いドラゴンの口から、炎のかたまりが飛んでいった。丸みを帯びた熱の玉が、光の円に直撃した。
「ボウッ!ボワッ!」
ドラゴンの口から次々と炎が放たれた。燃えさかる火球が、シロルの作り出した光の盾とぶつかり、炎を四方に飛び散らせていた。
「キュウウッ…!」
「シロル、やめろ!お前じゃ無理だ!防ぎきれない!」
アルは屋根の上に両膝をつきながら、左手を前へと伸ばした。シロルの背中に触れようと足に力を入れたが、体が言う事を聞かず、膝をついたまま動けなくなっていた。
「ボオッ!ボウッ!」
「やめろ!お前が勝てる相手じゃない!逃げるんだ!」
「キュウ!」
シロルは二本の足で必死に立ちながら、ドラゴンの攻撃に耐えていた。絶え間なく放たれる火の玉が、光の前で勢いよく燃えていた。
「グルオオッ!」
レギリアを乗せたドラゴンは、叫び声と共に大きな炎を吐いた。力を溜めて放たれた火の線が、光の盾を消し飛ばした。
「キュウッ!」
シロルの体が後ろへと吹き飛んだ。光の盾により、炎の軌道は上へとそれたものの、激しい衝撃と熱がシロルの体に深い傷を与えていた。
「キュ、キュウ……」
シロルはアルの目の前に横たわりながら、か細い声で鳴いた。リスのようにふっくらとした体には、所々に黒い焦げがついていた。
「お前……どうして」
アルは膝をついたまま指先を伸ばし、シロルの頭に触れた。閉じられかけた小さな瞳は、アルの顔を見つめていた。
「どうして出てきたんだよ。勝てるわけないだろ?お前じゃ……」
「キュ…」
力なくうなずくシロルの姿を、アルは悲しげな表情で見つめていた。首飾りの石が、わずかに左右へと揺れ動いていた。
「いつもは逃げるくせに、なんで…」
「力尽きたか」
レギリアはドラゴンの背に立ったまま、左腕を前へと伸ばし、弓をかまえるような姿勢を取った。
「くそっ……せめて、こいつだけは!」
アルはシロルの頭をおさえながら、指先にザラを集中させた。白い頭の周りに、小さな風が巻き起こった。
「軽くして、なんとか下に!」
「…シュン!キイインッ!」
突如、シロルの周りから虹色の光が立ちのぼった。きらきらと輝く二本の光の線が、螺旋を描きながら空へと伸びていった。
「なんだ?これって……」
アルは屋根に膝をついたまま、シロルと共に光に包まれた。無数の粒子を放ちながら、七色に輝く光が空へと昇りつづけていた。
(また攻撃を?いや、この感じは……)
レギリアは眉間にしわを寄せながら、ザラを集中させた。蛇の形をした炎のかたまりが、首を持ち上げながら光をにらみつけていた。
「シュウッ!」
レギリアの手から炎の蛇が放たれた。口を大きく開けた炎蛇が、光の中へと向かっていった。
「ゴオオオッ!」
屋根の上から太い火柱が立ちのぼった。光の線を飲み込みながら、赤い炎が空へ伸びていった。
「フレイヤ!」
レギリアは力強く叫びながら空を見上げた。鋭い視線の先には灰色の雲が広がり、雲と雲の裂け目から、細い太陽の光が差し込んでいた。
「バサッ!バサッ!」
光を背に浴びながら、白いドラゴンが空の上に浮かんでいた。翼を大きくはばたかせ、口を閉じながらレギリアを見下ろしていた。
「お前……これって」
アルはドラゴンの背中に両手をつきながら、白い翼を見つめていた。アルの体よりも一回り大きな体は、頑丈そうな鱗に覆われており、先のとがった尻尾が地面へと伸びていた。
力強い瞳からは覇気があふれ、頭の上からは、銀色に輝く長い角が、一角獣のように斜め前へと伸びていた。
「まさか、シロルなのか?」
「キュイ!」
白いドラゴンは、顔を後ろへと向けながら甲高い声で鳴いた。
「ほんとかよ……でかくなりすぎだろ。なんか鱗とか生えてるし、翼も?」
「ポワアッ…」
シロルの角から、淡い光があふれた。穏やかな光がアルの周りにただよい始めた。
「え?あれ?」
アルはシロルの背中にまたがりながら、両手を顔へと近づけた。手のひらについていた傷が消え、血の跡がふさがっていった。
「治ってる?傷が?」
アルは、呆気にとられたような顔で光を見つめながら、拳を握りしめた。ほとんど動かなかったはずの指先から、強い力があふれていた。
「それに、ザラも…!回復してる!」
「キュウッ!」
「……」
翼をはばたかせる白いドラゴンを、レギリアは冷静な表情で見つめていた。
(螺旋進光……やつが調人だったのか?フレイヤとほとんど変わらぬザラの量……それに、治癒の光まで)
「ハハッ!お前の力なのか?すごい!すごいぜ、シロル!」
「キュウン!」
シロルは嬉しそうに声を上げると、赤いドラゴンの方へと顔を向けた。レギリアを乗せたドラゴンが、うなり声を上げながらアル達をにらみつけていた。
「キュウ……グアアアッ!」
シロルの声が勇ましく変わり、翼を広げながら空へと上昇していった。挑発するように揺れる尻尾の先を、赤いドラゴンが勢いよく追いかけた。
同じ大きさをした二体のドラゴンは、互いに威嚇の声を上げながら、灰色の雲へと上昇を続けた。アルは下へと振り落とされないよう、シロルの背中に両足でまたがりながら、右手を額にあてていた。
(うっ…!頭の痛みだけ強くなってる……まさか、トネルやレギリアの時に使った、あの光が?)
アルは頭に手をあてたまま後ろを振り返った。レギリアを乗せたドラゴンが、アルの後ろにぴったりとついていた。
(普通の魔法じゃ回復できないのか?たぶん、何か反動が……だったら!)
アルの右手が前へと伸びた。手のひらを広げながら、向かい風の中で力を集中していた。シロルは空の上へと飛行を続けながら、アルの意をくみ取るかのように、右向きに大きく旋回した。地面に平行に飛びながら勢いを弱め、後ろから迫る赤いドラゴンと向かい合う形になった。
「ゴオオッ!」
レギリアを乗せたドラゴンが炎を吐いた。赤い炎のかたまりを前にして、シロルの角からまばゆい光があふれ出した。
「シュウウ…!」
薄く伸びた光の円が、燃えさかる炎を防いだ。角を中心にして光の盾が広がり、アルの上半身を隠していた。赤いドラゴンは高度を上げ、光の端に触れないよう、垂直に上昇した。
「はああっ!」
アルは右手を前に突き出したまま、力強く叫んだ。太い水の線が、背中からオーラのように立ちのぼり、五本に枝分かれしながらレギリアのもとへと向かっていった。細く分かれた水流は、うねりを上げながら龍の顔を形作り、上昇するドラゴンの後ろを追いかけていた。
「ヒュン!ザシュッ!」
荒々しく伸びる水流が、ドラゴンの翼に傷を与えていった。アルはシロルの背にまたがりながら、右手の指先を内側に曲げ、あふれ出る五本の龍をコントロールしていた。赤いドラゴンは地面に平行になるよう向きを変え、左右に大きく動いて攻撃をかわした。
「赤火蛇」
レギリアはドラゴンの上に立ちながら、体を後ろに向けた。弓のかまえを取ると同時に、左手から赤い蛇が飛んでいった。
「シロル!そのまま突っ込め!」
「キュイ!」
「ゴオオオッ!」
轟音と共に炎が燃え上がり、分厚い雲を赤く照らした。灼熱の線が広がる中、炎の中から、翼を広げたシロルが飛び出てきた。
「いっけええっ!」
光の盾を維持したまま、シロルの角が赤い体に激突した。反発する強い力により、レギリアを乗せたドラゴンは姿勢を崩し、斜め下へと大きく吹き飛んだ。
「ちっ!」
高速で落ちるドラゴンの上に膝をつきながら、レギリアは右手を街の方向へと向けた。手のひらから強い風が吹き、落下の勢いを弱めていった。
なんとか体勢を戻すドラゴンを追いかけるように、シロルが翼を広げながら急降下した。長い角を下げた瞬間、光の盾が勢いよくかき消えた。
「はあっ、はっ……」
アルは肩で大きく息をしながら前を向き、レギリアの姿を見つめた。煙の立ちのぼる街並みの上で、二人を乗せたドラゴンが距離を取って向かい合った。互いに同じ所から動かず、翼を広げて滞空しながらにらみ合っていた。
「うっとうしいやつだ。何度も、何度も…!フレイヤ!」
「グルオオッ!」
ドラゴンの咆哮と共に、レギリアは両手を前へと伸ばした。手のひらから炎があふれ出し、球体を形作りながら手の傍で浮かんでいた。赤い火球の下では、ドラゴンが口を大きく開け、レギリアのものよりも大きな炎の弾を撃とうとしていた。
「シロル!ありったけだ!次で決めるぞ!」
「キュイ!」
アルの声に反応するように、シロルは大きくうなずいた。角の先に少しずつ光が集まり、白い円へと変化していった。
「これで終わりだ、レギリア!」