動き始めた戦場
「ドガガッ!」
黒煙が立ちのぼる戦場に、大きな岩が落下した。黒い鎧をまとった兵士達が、ゲルニスとの国境沿いの一画で隊列を作り、風の魔法による攻撃を繰り返していた。一人一人の魔法はそれほど大きな威力ではなかったものの、数が合わさる事で力を増し、激しい風が地面の岩をえぐり取っていた。
「ちっ!じわじわと削るつもりか!遠くから卑怯な!」
「こう距離を取られては……」
銀色の鎧を着た兵士達が、険しい表情で前を見つめていた。攻撃を防ぐ為の盾は、そのほとんどがボロボロになり、辺りには疲弊の色がただよい始めていた。
「下がれ!まとめて吹っ飛ばす!」
褐色の肌の男性が、黒い髪を逆立たせながら前へと走り出した。大柄な体の上に鎧をまとい、身の丈ほどもある長剣を両手で握りしめていた。
「ザシュッ!ザッ!」
突き刺すような突風が、無数の石つぶてと共に飛んできた。鋭い風の刃が、男性の肩を鎧ごしに貫通した。
「ぬん!」
男性は攻撃を受けながらもひるむ事なく、前へと突き進んだ。傷口のあたりから弱い光があふれ、赤々とした血が少しずつ止まっていった。
「はああっ!」
敵陣の傍で、褐色の男性は剣を大きく振り回した。槍のように長い剣の先端から炎があふれ、回転する長剣の勢いと共に、竜巻へと変化していった。
「ゴオオオッ!」
炎をまとった竜巻が前へと向かっていき、ゲルニスの兵士達を大きく吹き飛ばした。男性は、両手で剣を握りしめたまま後ろへと飛びのき、うねりを上げる赤い竜巻をじっと見つめていた。轟音が響き渡る中、空の上から一人の兵士が落下してきた。
「っと!ガラン、無事か?」
「ええ。この程度、傷のうちには入らんです。状況はどうですか?」
「全体的に押し込まれている!特に、十四ブロックの守りが危ない!後方の部隊と協力して切り返しているようだ!」
ダリルは緑の髪を揺らしながら素早く立ち上がった。白銀の鎧には、背中のあたりに小さな焦げがついていた。
「やはり、厳しいですな。魔装兵め!」
「なんとか持たせんとな!こっちに遠距離攻撃が集中している!連携で押し返すぞ!」
「わかりました!」
褐色の男性は一歩前に出ると、背中を曲げ剣をかまえた。その頭上を飛び越えるように、ダリルが勢いよく跳躍し、そのまま真上へと上昇していった。炎の竜巻は消え、散り散りになったゲルニスの兵達がゆっくりと立ち上がっていた。
「タイミングはお前にまかせる!」
「ええ!ぬおおっ!」
勇ましい叫び声と共に、男性は剣を振り下ろした。自分の体と同じくらいの大きさをした竜巻が、炎をまといながら前へと進んでいった。回転する赤い線の内側には、圧縮された炎のかたまりが見えていた。
「いけっ!」
ダリルは高く滞空しながら、両腕を前へと伸ばした。手のひらから、うっすらと緑がかった、透明な球体が放たれた。小さな球体は高速で回転していたが、あまりにも速すぎる為、遠目では止まっているのと同じように見えていた。
「シュンッ……ゴアアアッ!!」
二人の魔法が敵の傍でぶつかり、強烈な衝撃波が発生した。地面の土が広範囲にえぐり取られ、拡散する炎と突風によって、ゲルニスの兵士達は大きなダメージを受けていた。
ダリルは右腕を顔の前に上げ、吹き荒れる風から空中で身を守っていた。しなやかに体を伸ばしながら、引力に逆らう事なく地面へと落ちていった。
(劣勢だな。このまま続けば、魔法を使える兵達もザラの回復が間に合わなくなる。やはり、数の差が……)
ダリルは険しい表情を浮かべながら地面に着地した。広い大地のあちこちから大きな爆発音が響き、敵味方を問わず、多くの兵士が地面に倒れていた。ルールのない命の奪い合いがいつ終わるのか、だれにもわからぬまま、国境での戦いはさらに激しさを増していった。
「……」
巨大な石の扉の前で、レシュトゥナは目を閉じながら静かに正座をしていた。さらさらとした茶色い髪が腰の近くまで伸び、着物のように長い服の端が、床の上にくっついていた。宙に浮かぶ無数の光の球が太い円柱を照らし、雑多な音や匂いのない、透き通った空気が流れていた。
「なんて荒々しい歌声……まるで、奥底にある悲しみを隠しているような」
「レシュトゥナ。侵攻が始まったようだ」
静かにつぶやくレシュトゥナの傍に、テルシドが音もなく近づいてきた。こげ茶色の髪は短く逆立ち、腰に巻いた帯の先が、紺色のズボンのふとももに触れていた。
「国境のいくつかで、ゲルニスからの攻撃が確認されている。ヘウルーダの周辺でも戦闘が始まった」
「そう……そうですか。では、時間の問題かもしれませんね。母様の言われていたように、国を守る兵の方達も、それほど頼りにはならないでしょうから」
「そのような言い方はよさぬか。皆、命をかけて戦っている。一族の者も、二の扉の前で待機している。やつらの好きにはさせん」
「フフッ。兄様は、本当に一族としての誇りをお持ちなのですね。尊敬します」
レシュトゥナは目を閉じたまま前を向いていた。
「皮肉はよせ。おれはただ、自分の信念にしたがっているだけだ」
「いえ、そんなつもりは。心からの気持ちです。腹違いの妹のために命をかけるなど、私には真似できませんから」
「……」
「自由に地上を歩く事も許されず、その身を一族に捧げる。兄様のような生き方をできる人間が、どれほどいるでしょうか」
「それは、守人の巫女であるお前も同じだ」
「私は兄様ほど強くはありません。遠い日に、希望を置き去りにしましたから」
レシュトゥナは、うっすらと笑みを浮かべながら上を向いた。両のまぶたは閉じられ、絹のように美しい肌が、光の玉によって白く輝いていた。
「おそらく、人形には不要なものだったのでしょう。鏡のためならば、民の犠牲も、国の未来も、さして気にはなりません。国を守るための守人なのに、おかしな話ですね」
「そんな事はない。お前の中にも心は残っている。レシュトゥナ、おれはお前に……」
テルシドは、うつむきながら言葉をつまらせた。少しの沈黙の後、体を前に向け、入り口の方向へと歩き出した。
「少し、宮殿の様子を見てくる。すぐに戻る」
「はい。お気をつけて」
背中越しに言葉を発するテルシドに向かって、レシュトゥナはゆっくりと返事をした。
「こっちは右腕の傷が深い!傷口をふさいでくれ!」
「はい!」
分厚い布に囲まれたテントの中で、マリーは背中を丸めながら負傷兵の手当てをしていた。鎧を脱いだ青年が木のベッドに仰向けになり、低いうなり声を上げながら口を震わせていた。
(鎧ごしに貫通している……風の刃で切りつけられたんだ!早く止めないと!)
マリーの手から淡い光があふれ出した。マリーは、包帯の巻かれた腕に手をかざしながら、血のにじんだ傷口を見つめていた。
「ドゴオッ!」
不気味な爆発音が、テントの向こうから響いてきた。外とを隔てる灰色の布が、風圧により内側へと曲がっていた。
「あ、あいつら……いくらなんでも、早すぎる。きっと…!」
「動かないで下さい!傷が広がります!」
「きっと、あの中に……」
負傷した青年は仰向けになったまま、マリーに向かって少しずつ言葉を発していた。大きなテントの中は、傷ついた兵と治療をする人間でいっぱいになり、血と消毒液の入り混じった匂いが充満していた。
「シュー…」
テントの外では、あちこちから煤けた煙が立ちのぼり、ひびの入った金属の殻が地面に倒れていた。兵士達の奮闘によって防衛ラインは維持されていたものの、時間と共に地面の下から現れる球体により、激しい戦いが途切れなく続いていた。
「はあっ、はっ……まだ出てくるのかよ?」
「終わりが見えんのう!はあっ!」
ロンは右足を力強く踏み込み、前へと飛び出した。ねずみ色のローブをなびかせながら、黒い球体が殻を開くのと同時に、右手で強烈な掌底をたたき込んだ。大きな目玉が粉々に砕け、不発に終わった細い火の線が、上へと立ちのぼった。
ロンは、攻撃が終わると同時に後ろへ素早く飛びのき、アルと並びながら拳を握りしめていた。
「ロン、おかしくないか?」
「何がじゃ?」
「魔法で感知してたはずだろ?へムル遺跡の時みたいに、トラップなのか?」
「わからん!今は目の前の敵に集中するのじゃ!」
「わかってる!」
アルは険しい表情で前を向くと、両腕を伸ばし、ロンと一緒に攻撃を仕掛けた。アルの放つ水流と、ロンの拳撃により、黒い球体の動きが次々と止まっていった。アル達から少し離れた所では、数人の兵達が、黒い残骸の傍に集まっていた。
「いきなり仕掛けてきやがるとは!魔法による術か?」
「かもしれん!十二年前のものが突然動き出すとは……破片の一部を回収しておこう!あとで解析してもらう!」
「ああ。おれが拾おう」
若い兵士が地面に膝をつき、右手に剣を握ったまま、黒い残骸を見つめていた。
「おい、どうした?早くしろ」
「……いや、やっぱりやめておこう。こいつが綺麗にしてくれるんだから。ヘウルーダを」
「何を言ってる?おい、早く…」
「汚れた街を消し飛ばして、綺麗に!」
「ザシュッ!」
剣を持った兵士が立ち上がり、振り向きざまに斬撃を放った。風をまとった太刀が、後ろに立っていた兵士の鎧を切り裂いた。
「ぐはっ!」
「お前、何を!」
「だから、だめだ!このままヘウルーダまで行かせないと!」
兵士の瞳が赤く輝き出した。うつろな表情を浮かべながら、魔法をまとった剣を乱雑に振り回し、周囲にいる兵達に攻撃を繰り返していた。
「ロン、なんかあっちの様子が変だぞ!」
「むう!裏切りか?」
「バチバチッ!」
顔を横へと向けるアル達のもとへ、青い雷光が撃ち込まれた。二人は左右に大きく飛びのき、攻撃を仕掛けてくる球体を見つめていた。
「くっそ!次から次に!」
「まずはあれを倒してからじゃ!いくぞ!」
勇ましいロンの声が、混乱した戦場の中に響いた。風の勢いが強くなり、丸みを帯びた白い雲が、青空の中を音もなく移動していた。激しさを増す戦いを上から見下ろしながら、大きくふくらんだ雲が、空の果てへとまっすぐに進んでいった。
「ヒュンッ」
戦場から距離の離れた空の奥から、白い雲を切り裂くように、一筋の光が降り注いだ。虹色にきらめく細い線が、流星を思わせる速さで地面へと落ちていった。
「ドゴオオッ!」
乾いた大地に爆発音が響き、大量の土砂が周囲に飛び散った。広範囲に土煙が舞い上がり、隕石が落ちた後のような、巨大なクレーターができていた。
「……」
深い穴の底で、リピステスが深緑色のマントを身にまとい、右の膝をついていた。体を覆う虹色の光が消えていき、くせのついた金色の髪が肩の上で揺れ動いた。
リピステスは口を閉じたままゆっくりと立ち上がり、軽く膝を曲げながら、穴の外へと大きく跳躍した。ふわりと浮き上がった体が、土煙を突っ切りながら地面の上へと着地した。
「ふう……さすがに、ラフィーナからは疲れるな。もっと中継地点を増やしておかないと」
リピステスはマントについた砂を手で払いながら、前を見つめた。遠く離れた戦場から、灰色の煙がいくつも立ちのぼっていた。
「へえ……いい感じに仕上がってるじゃないか。こういうのを、順風満帆というのかな。時間をかけて仕込んだ甲斐があったね。ククッ…」
邪悪な笑みを浮かべながら、リピステスは両手を前にかざした。
「プロスクルス!」