違和感
「ヒューッ!」
強い風が吹き、砂ぼこりが空へと高く舞い上がった。乾いた大地には太陽の光が照りつけ、兵士達の待機する横長のテントがいくつも並んでいた。王都を守る為に作られた防衛線には、ゆるやかなカーブを描くようにして兵士達の列が続き、遠く離れたヘウルーダの街が豆粒のように小さくなっていた。
「バサバサッ!」
空から吹く風が、マリーの白いローブを後ろへと揺らした。マリーはテントから少し離れた所に立ち、真剣な表情でヘウルーダの方向を見つめていた。
「……」
大きな瞳がわずかに揺れ動き、砂混じりの風の中で潤んでいった。マリーは口を閉じたままじっと前を向き、突き刺すような風を体で受け止めていた。
(あと四時間半……とうとう始まる。できれば、始まってほしくなかった)
雲の浮かぶ青空から、まばゆい太陽の光が地面へと降り注いでいた。
(私は、本当にこれで……いけない。今は、自分の仕事に集中しないと。自分にできる事を)
「マリーさん!」
アルが大声を出しながら、マリーの傍へと駆け寄ってきた。首飾りの青い石が、左右に大きく揺れていた。
「十分後に、また打ち合わせをするみたいです!別の兵士の人が来ました!」
「アル君……ありがとう。すぐに戻るよ」
「考え事ですか?」
「うん。ちょっとね」
マリーは小さく笑いながら体を反転させ、アルと向かい合った。
「いよいよですからね。でも、心配しないで下さい!おれとロンで、マリーさんはしっかり護衛しますから!」
「ありがとう。私も、しっかり兵士達をサポートしないと」
「大変だけど、もう少しですね!この戦いをしのいだら、また調査できそうですから!」
「調査…」
「ゲルニスのやつらはよくわかんないけど、これだけたくさんの国で同盟を組んだら、きっと上手くいきますよ!あいつらより先に、大昔の力を調べて!」
「大昔…」
「エネルギーがたくさん手に入れば、みんなの生活が良くなるんですよね?お金がなくても。おれ、なんかこの前から、力があふれてくるような感じがして!もしかしたら、これでもう、盗みをする人も……」
アルは一瞬だけ下を向くと、すぐに顔を上げ、青い空を見つめた。
「へへっ!よ~し!やってやるぞ!」
「……」
「サアアッ…」
乾いた風が吹き、細かい砂粒がアルとマリーの間を通り過ぎていった。拳を握りながら笑顔を浮かべるアルの姿を、マリーは悲しげな表情で見つめていた。黄色い髪が横向きに浮きあがり、風を受けて揺れ動いていた。
「シロルの魔法は少しもったいないけど、さすがに危ないからなあ。今回はおれの盾で、しっかり護衛してみせますよ!」
「……うん。宮殿に預けておいて正解だったと思うよ。ロンさんもいるから、無理はしないでね」
アルから視線を向けられるよりも先に、マリーは素早く口角を上げ、笑顔を作った。自然な表情でアルに話しかけると、腕を振りながら前へと歩き出した。
「緊張状態が続くと、体が上手く休まらなくて、疲れがたまってくるから。でもアル君なら、そのあたりは大丈夫かな」
「なんでですか?」
「どこでも寝られるというか、あまり繊細すぎるタイプではないと思うから」
「あ~!ひどいなあ。これでも、けっこう考えたりしてるんですよ?」
「フフッ。ごめんごめん。褒めるつもりだったんだけど、変な事を言っちゃったね」
「まあ、確かに気がついたら寝てる事が多いけど……でも、マリーさんも似たようなもんだと思うけどなあ」
二人は楽しそうに会話をしながら、テントへと歩いていた。地面から照り返す熱気によって、早い時間でありながら、心地の良い気温が保たれていた。
(そう。今はこれでいい。目の前の事に集中すれば、きっと上手くいくから……)
瞳を輝かせながら前を向くマリーの頭上を、二羽の鷲が通り過ぎた。茶色い翼を横向きに伸ばし、マリー達と反対の方向へ向かいながら、ゆっくりと左右にわかれ始めた。つがいの鷲は、大きな体を風に預けながら、互いに距離を取るようにそれぞれの方向へと飛び去っていった。
「そうですか。できれば間に合ってほしかったですが、こればかりは仕方がないですね」
コーデリアは金色の玉座に座りながら、穏やかな表情を浮かべていた。両脇には黒い兵服を着た護衛の兵が並び、ゆるやかな階段の下にはバル大臣が立っていた。
「ええ。ダイダルから援軍が来たという事実は、その数以上に、大きなプレッシャーを与える事ができますからな。数日は、旧七国同盟の軍だけで対応する形になるでしょう」
「すぐに戦力の差を埋める事ができない以上、ハルディン司令にも、がんばってもらわなければなりませんね」
「本当によかったのですか?ヘウルーダで指揮をとる事もできたものを、北方の戦線へ向かう事を許可されて。宮殿の守りは確実に手薄になりますが……」
「もっとも過酷な前線の兵士達の為、危険をかえりみず戦地へ向かうハルディン司令の想いを、踏みにじるわけにはいきません。それに宮殿にはあなたがいますからね、バル大臣。幾多の戦いをくぐり抜けてきたあなたが傍にいてくれるのは、心強いです」
「はっ。ありがとうございます……老いぼれと笑われぬよう、最後まで力を尽くしましょう」
「頼りにしていますよ」
コーデリアは静かに息を吸うと、玉座に座ったまま目を細めた。
「…バル大臣。先日お話した牢の件については、あなたの意見を尊重したいと思います。監視の兵にも伝えて下さい」
「では、その許可を?」
「はい。今後は自由な発言や行動ができないよう、拘束具の強化をお願いします。また、不審なザラの動きや逃亡と思われる行動が見られた場合には、拘束にあたり、その生死を問わないものとします」
「かしこまりました。すぐに伝えます」
バル大臣は背筋を伸ばしてお辞儀をすると、部屋の外へと出ていった。
(これ以上の特別待遇は、宮殿の兵達の士気を下げる事につながる。やむを得ませんね。そうならない事を願いますが……最後は、あなたの力もお借りする事になるでしょうから。レシオン皇子)
コーデリアは気品のある表情で前を見つめながら、玉座に置いた両手に力を込めた。
荒涼とした大地に、長い兵の列ができていた。銀色の鎧を来た兵士達が、険しい表情を浮かべながら前を見つめ、横並びになって待機していた。列の端は地平の果てまでまっすぐに伸び、エサを運ぶ働きアリのように、銀色の線が途切れなく続いていた。
「いよいよか」
ハルディンは崖の上から大地を見下ろし、遠く離れた兵士達の列を見つめていた。突き刺すような風が吹き、黒い兵服の表面に砂ぼこりが舞い上がった。ハルディンの後ろでは、鎧を着た壮年の男性が、兵達の奥に広がる巨大な山脈を注視していた。
「しかし、妙ですね。ザラの動きがほとんどない。陣形を変えてくると思いましたが、街道の奥で待機したままとは。何かの作戦でしょうか?」
「我々を見下しているのだろう。戦力の差がありすぎて、正面から叩いたほうが早いと」
「なるほど。なんとも甘く見られたものですな。ゲルニスのやつらめ」
「間に合った援軍を加えても、向こうの戦力はこちらのおよそ五倍……だがここを突破されては、ラウの国が終わってしまう」
ハルディンは前を見つめたまま、一歩前に出た。短く逆立った青い髪が、風に揺れ小さく動いていた。
「なんとしても食い止めねばな。家の地下に寝かせてある葡萄酒も、今年で頃合いになる」
「ほう。何年ものですか?」
「ちょうど十年だ」
「なんと。なかなか、我慢強いですな」
「あまり早すぎると、深みが足りないものでな。先の楽しみがわかっている時は、不思議と耐えられるものだ」
「私はどちらかというと、さっぱりしたほうが好きです。熟成したものよりも、軽い口あたりのほうが、飲んでいて気持ちいいですな。待つ手間がないので、心身の健康にもいい」
「フッ。近頃はそういう意見が増えておるらしいな。街の酒場でも、年代物の人気が下がっているらしい。耐え忍ぶ事は時代おくれ、か……」
ハルディンはうっすらと笑みを浮かべながら、空を見上げた。細く伸びた雲が、青い空の中に間隔をあけながら、いくつも浮かんでいた。
「よし、偵察隊に指示を出せ!再度、確認を行うようにと!ザラを遮断した兵士が、山脈の中にひそんでいるかもしれん!」
「はっ!わかりました!」
鎧を着た兵士は力強い返事をすると、体を後ろに向け、勢いよく走り出した。ハルディンは兵士に背中を向けたまま、崖の上から長い列を見つめていた。
(数で勝るオオカミの群れに、追い詰められたシカは為す術もなく狩られてしまう。抜きん出た個体と、強い結束がない限りは……だが、勝つ必要はない。戦線を維持し、ひたすら耐え続ければ、その先に……)
「ボオオッ…」
暗い地下の空間に、紫色の火の玉が円を描くようにして並んでいた。広大な空間を照らすには、あまりにも小さな炎のかたまりが、石の床の上で怪しくゆらめいていた。
「……」
火の円から奥へと進んだ場所で、ジオルサが黒いマントを揺らしながら、ゆっくりと歩いていた。オールバックに整えられた紫色の頭は、二本の髪が額から眉毛の下にかけて伸びていた。細くつり上がった瞳の先には、石造りの大きな祭壇が鎮座し、壁を背に行き止まりになっていた。
ジオルサは顔を上へと向けながら、祭壇の前で立ち止まった。無数の黄色い炎が、細長い台座の上で勢いよく燃え上がり、しわの刻まれたジオルサの口元をぼんやりと照らしていた。
「ポウッ…」
背丈よりも上の位置には、ひらべったい台座の上に、三つの水晶の玉が並んでいた。それぞれの玉は、両手であれば無理なく持ち上げる事ができそうな大きさをしており、ジオルサから見て左端のものだけが赤く輝いていた。血のように真っ赤な光を秘めた玉が、神々しい祭壇の中で不気味な存在感を放っていた。
「小娘が!軍事同盟などと下らぬ事を……最後の一国になるまで、徹底的に滅ぼしてくれる!」
ジオルサは眉間にしわを寄せながら、じっと祭壇を見つめていた。
「この大陸に、ゲルニス以外の国は必要ない!ゲルニス帝国の皇帝だけが、愚民どもを正しい方向へと導き、統治する権利がある。それすらわからぬまま王を名乗るとは、本当に救いのない…!」
炎の灯った祭壇の前で、ジオルサは両手の拳を握りしめた。
「だが、それもじきに終わる。まもなくだ!まもなく、全てが手に入る!輪廻の流れの輪を越えて……ククッ!」
ジオルサは祭壇を見つめながら、邪悪な笑みを浮かべた。暗闇の中で、赤い水晶の輝きが強くなっていった。