冒険家
「ガタッ!」
ナイラは両手をテーブルの上につき、勢いよく立ち上がった。紺色の髪が、海から吹きつける風を受け後ろに揺れていた。
「ナイラさん、あの…」
マリーは心配そうな表情を浮かべながら、ナイラの顔を見つめていた。
「仕事で少し疲れてて、先に帰らせてもらうよ。父親の事なら、わるいがまた別の日にしてくれ」
ナイラは、慌ただしそうに腕を動かし、背もたれのついたイスをテーブルの中へとしまった。白い半袖には、右の肩の辺りに、小さな羽虫がくっついていた。
「ごちそうさま!それじゃ!」
一瞬だけ笑顔を浮かべると、アル達に背中を向け、街の中へと走り去っていった。
「なんだ?急に……」
アルは、小さくなっていくナイラの背中をじっと見つめていた。
「ふむ…少し、複雑そうな感じだな」
「ごめんなさい。私の聞き方が、よくなかったかもしれません」
「いや、気にする事はない。別の日に行けば何か話してくれるじゃろう」
「ええ。家族の事というのは、なかなか話しにくい場合が多いですからね。少し間を空けてから行ってみましょう」
ルーナは夜空を見つめながら目を細めた。
「…明日はその、岬を調べてみるか」
「お昼に聞いた場所ですか?」
「ああ。ここから、それほど離れてはいないみたいだ」
「サアア…」
穏やかな風が吹き、ツインテールの髪が、前後にゆらゆらと揺れていた。
「景色のいい場所が多いから、あまり調査という感じはしないがな。まあ、危険な遺跡ばかりでは身がもたない。たまには、こういうのもいいだろう」
心地のよい潮風を肌で感じながら、ルーナは優しげな笑顔を浮かべていた。
「スー…」
白いカモメが翼を広げながら、空の上をただよっていた。水色の空には小さな雲がいくつも浮かび、さわやかな風が吹いていた。
「わあ、すごい景色!」
強い風を受け、マリーの黄色い髪がふわりと浮き上がった。
「うは~!」
アルは両手を腰にあて、地平の果てへと広がる青い海を見つめていた。太陽の光が海面に反射し、白い光の線が、一本の道のように海の奥へと伸びていた。
「よし、あの辺りだな」
ルーナは、ゆっくりと腕を振って歩いていた。切り立った長い岬の上にはアル達の他に人はなく、一面に緑色の草が生えていた。はるか下の岩礁には波が押し寄せ、白い泡粒が大きく広がりながら、波音と共に海中へと溶けていった。
遠く離れた岬の先端には、小さな灰色のかたまりが見えていた。
「キュイ!」
「こら、あんまり動くなって。落ちるぞ?」
「キュ!」
シロルは二本の足を元気よく動かしながら、アルの後ろにぴったりとくっついていた。長い尻尾が左右に動き、トカゲのような輪郭をした顔の先で、アルの足を嬉しそうにつついていた。
「なんか、遺跡って感じがしないよな」
「うむ。リフレッシュにはもってこいの場所じゃな。酒でも持ってくればよかった」
「ロンさん、昼間から飲まないで下さいよ?だれかに見られたら、我々の評判がわるくなってしまう」
ルーナは小さく笑いながら、ロンの隣を歩いていた。
「フフッ。また演舞を始めちゃうかもしれませんね」
「おかげさまで、評判もよかったみたいじゃ」
「そうか?目新しかっただけだろ。何回も見たら飽きるって」
「冷たいやつじゃな~まあ、同じ技は飽きられやすいがな。次はダイダルに伝わる、瓦割りにでも挑戦してみるか」
「着いた。これだな」
ルーナは岬の先端で立ち止まり、地面に左の膝をついた。
「うん、読めそうだ」
灰色の石碑に手をあてながら、表面に刻まれた文字を追っていった。
「それほど長い内容ではないみたいですけど……」
マリーはルーナの隣にしゃがみ込み、石碑の文字を見つめていた。
「ああ。これは…」
「なんて書いてあるんだ?」
「ふむ……」
「メスステケカイオ……オイレ……これ、なんでしょうか?意味が…」
「ああ。難解だな」
ルーナは眉間にしわを寄せながら、静かに立ち上がった。腕を組み、吹きつける風を全身で受けながら石碑を見つめていた。
「マリーさん、何が書いてあるんですか?」
「それが…上手く表現できなくて」
マリーはゆっくりと立ち上がり、後ろを向いた。
「一言では……あれ?」
マリーの瞳が大きく広がっていった。
「ザッ、ザッ」
遠くから、アル達のもとへと人影が近づいていた。
「あれ、だれだろ」
「気づかんかったのう」
「ザッ、ザッ!」
大きな黒いリュックを背負った青年が、石碑の方へとまっすぐに歩いていた。縦向きに伸びたリュックは、下の部分がお尻の辺りにくっついていた。
「ザッ!」
青年はアル達の後ろで立ち止まると、背筋を伸ばし、じっと石碑を見つめていた。
「見つけた!」
青年は力強い声を発した。金色の髪は後ろへと流れ、太い毛先が背中の肩甲骨の辺りまで伸びていた。深緑色のベストには丸いボタンがついていて、襟のように立った厚い生地が、首元を半分ほど隠していた。
ベストの下からは白い長袖が見えていて、しわのついた灰色のズボンには、数ヶ所に切り傷のような跡がついているようだった。足首を覆うようにして深緑色のブーツを履いており、丸みを帯びた先端に土のかたまりがついていた。
「ちょっといいか?」
登山家を思わせる出で立ちをした青年は、素早い動きで石碑の前に膝をついた。アル達はとっさに左右へと分かれた。
「ほう……」
数秒、石碑を眺めていたかと思うと、青年はすぐに立ち上がった。
「よし!」
「あの…」
マリーが青年の傍へと近寄った。
「おっと!わるかった!あんたらも、この石碑を調べてたのか?」
「はい」
「そうか!いや、そうか!」
青年は嬉しそうに笑った。
「いや~!まさか、おれ以外にもいるとはな!こんな事は初めてだ!やはり、ナギリの航海日誌を?」
「え?いえ…」
「おれもあれを読んだんだ!リーフォーテスに行くか悩んだんだが、まずはこの岬に行くべきだと思ってな!やっぱり正解だった!あとは荒波だな」
青年の声が大きくなっていった。マリーは、まくし立てるように話す青年の勢いに圧倒されていた。
「おそらくリーフォーテスには、役に立つ情報も少ない!当時を知る人間なんていないからな!大陸まわりの方法も面白そうだったんだが、ダイダルには他に行ってみたい所もあるから、もったいない気がしたんだ。やはり、ここは伝承通り、ギル国から出るのが筋だと思ってな!
もっとも、強引に波を突破する方法も考えてはいる。現実的ではないが、挑戦しがいがあるとは言えるな!安全な道ばかり探していても、達成感なんて感じないだろ?おれもそうだったんだ。エレグ山を登った時も、違う道から行けばよかったと、あとになって後悔してな!やはり、人が行った事のないルートを攻めている時のほうが、充実した気持ちになって、疲れも溜まりにくい!大事なのは気持ちだよ!
近頃は、どれだけ価値のあるものを見つけるかとか、いかに効率よく目標を達成するかとか、そういった考えばかりで、辟易していてな!本来、冒険をする者にとって、自分の気持ち以上に価値のあるものなんてないはずなんだ!ただ、信じた目標に向かって突き進む。目標が困難であればあるほど、心は燃え上がる。そうだろ?
純度の低い、トレジャーハンターまがいの冒険家ばかり増えたのは、嘆かわしい事だ!国の衰退とは、人間の衰退から始まる。これはおれの持論なんだ。そうは思わないか?」
「はあ…」
マリーは小さな声で返事をした。
「ザザアッ…」
険しい崖の下から、一定のリズムで波音が響いていた。
「いや、わるかった!つい、興奮してしまってな!止まらなくなってしまった」
「い、いえ…」
「まさか遺跡の調査員だったとは。てっきり、同類だとばかり思って!」
「で、あんたは何者なんだよ?」
アルは疑うような目つきで、青年の顔を見つめていた。
「おれはリピステス!仕事はしていないが、あえて言うなら、冒険家だ!」
「冒険家?」
「ああ。世界中を旅していて、険しい山々や洞窟、深い渓谷に、古代の遺跡なんかにも行った事がある!」
「ほう。それらしい服装に見えたが、なかなか変わった事をしておるのう」
「なんか、レシオンみたいだな。あんたも冒険譚とか書くのか?」
「冒険譚?ああ、そういうのは嫌いでね。つまらないだろ?名声を目的にした旅は」
リピステスは不機嫌そうになった。崖の下から吹く風を受け、金色の髪が右向きに大きく揺れていた。
「おれが旅をするのは、おれ自身がそれを望んでいるからだ。周りの評価はどうでもいい」
「素敵な考え方ですね」
マリーは優しく微笑んでいた。
「ありがとう!君も感じた事があるんじゃないか?危険な場所や未踏の地を冒険している時、自分の内側からあふれ出る、すばらしい幸福感を!まるで、天にも昇るような!」
「は、はあ…」
「あの感覚は最高だ!たとえ、途中で命を落としたとしても、きっと満ち足りた気分のままに違いない!そう!深い崖の下に落ちそうになった時なんか、集中力が極限まで高まり、生きている事を指先から実感できたんだ!」
「なんか、あぶないやつだな…」
アルは後ろに一歩下がった。
「生とは、死を肌で感じる事で、初めてその輪郭をつかむ事ができる。だが、近年は別の考え方が主流になってきて…」
「あ、あの…そのお話は、また今度にでも……」
「お、そうか?よし、では貴重な情報も手に入った事だし、次に向かうか」
「待って下さい。石碑の内容がわかったんですか?」
ルーナが大きな声を出した。
「ああ。そうか。あんたらは日誌を読んでなかったんだったな」
リピステスは石碑の隣に立ち、左手で石の表面をさわっていた。
「メスステケカイオ、オイレウユ、ラカタキノ、ウトルガナ、だろ?」
「はい。なんの事だか……」
「こいつは逆さ言葉だ。暗号みたいに、反対から読むようになってて、普通に読むとわけがわからない」
リピステスは不敵な笑みを浮かべた。
「つまり、こうだ。ナガルトウ、ノキタカラ、ユウレイヲ、オイカケテススメ……ナガル島の北から、幽霊を追いかけて進め」