出会い
「はあっ、はあっ、ツイてないな!」
青い髪の少年が、森の中を走っていた。後ろからは大柄の男達が追いかけてきていた。
「あっ!」
少年は足を止めた。目の前には、底の見えない深い崖が広がっていた。向こう側は遠く離れていて、霧にさえぎられ、はっきりと見えなかった。
「くそっ、ここまでか!」
「ボオッ!」
突如、炎の壁が現れた。少年と男達は、炎によって分断された。
「大丈夫?つかまって!」
耳元で若い女性の声がした。振り返ると、黄色い髪の女性が立っていた。
「しっかりつかまっててね!」
女性は少年の左腕をつかんだ。次の瞬間、女性は少年と一緒に崖を飛び降りた。
「うわっ!……ってあれ、飛んでる?」
二人は両手を広げながら、鳥のように空を飛んでいた。
「怖かったら目をつぶっててね。もう少しだから」
女性が笑顔でささやいた。
(いったい、何が起きてるんだ?)
「あいたた…」
薄暗い森の中で、少年は目を覚ました。
「大丈夫?少し頭を打ったみたいだから」
顔を上げると、細身の美しい女性が立っていた。
「美…美人だっ!」
女性の黄色い髪は、背中の辺りまで伸びていた。瞳はとても大きく、見ているだけで吸い込まれそうだった。上半身はゆったりとした白いローブに覆われていて、膝元まであるスカートが、風にゆれて小さくなびいていた。
「すっげーかわいい!恋人いるのかな?」
「君、心の声がもれてるよ?」
「あ、すいません」
少年はゆっくりと体を起こした。耳元まで伸びた青い髪には、少し泥がついていた。森の中をめちゃくちゃに走り回ったせいで、袖のない茶色いジャケットには、所々に穴があいているようだった。下に着ている白い半袖シャツには、お腹の辺りに小さな木の葉がくっついていた。
「私はマリー。よろしくね」
「あ、はいっ!おれはアルって言います!」
「アル君って言うんだね!さっきは災難だったね」
「はい、隣村からの帰りに車がこわれてしまって……野宿でもしようと思ったら、あいつらに襲われちゃったんです」
「あれは、この辺りの旅人をねらった追いはぎみたいだね」
「マリーさんがいなかったら、金を取られて崖から落とされてましたよ。ほんと、ありがとうございました」
「どういたしまして。危ない所だったね」
マリーは穏やかな表情を浮かべながら、地面に座った。少し離れた所には、三角の形をしたテントと、古びたジープが止まっていた。
「さっき空を飛んだのって、もしかして魔法ですか?」
「うん、そうだよ」
「す、すげえ!おれ、魔法ってほとんど見た事なくて!」
アルは拳を握りしめ、興奮していた。
「マリーさんって、魔法使いですか?」
「フフッ、少し違うかなあ。私は考古学の研究で色々な国を旅していて、今はこのギル国に、調査に来ているんだよ」
「へえ~じゃあ異国の人なんですね」
「そうなるかな。調査をしながら、ちょうどここでキャンプをしていたの」
マリーは静かに立ち上がり、両腕を上げて小さく背伸びをした。森の中は薄暗く、焚火の炎が、マリーの白い肌を美しく照らしていた。
「ふうっ。ところでアル君、よかったら首にかけている、青い石を見せてもらってもいいかな?」
「え、これですか?いいですよ」
アルは首飾りを手に取り、マリーに渡した。簡素な首飾りには、ひし形のような形をした青い石が付いていた。深い海の色のように青く、品のある美しい光を発していた。
「……」
マリーはじっと石を見つめていた。
「これは、ひょっとしたら魔空結晶かも」
「マクーケッショー?」
「魔法の力がこもった石の事でね。貴重なものなんだよ」
「そ、そうなんですか?」
アルは目を大きく開いた。
(売ればいくらになるんだろ…)
「はい、ありがとう」
「なんか、すごい石なんですね」
「はっきりとはわからないけどね。アル君は、この石をどこで手に入れたの?」
「昔、両親からもらったんです。お守りだって言われて」
「君のご両親は何をしてるの?」
「父親は、おれが幼い頃に事故で亡くなりました。母親も、四年ほど前に病気で亡くなってしまって」
「そうだったの…ごめんなさい」
「いえいえ、大丈夫ですよ!」
太陽が沈みかけ、森の中は一段と暗くなってきていた。
「とりあえず、今日はもう遅いから、私のテントで野宿しようか」
「え、野宿?」
「そう」
(一緒に寝るって事?同じテントで?)
アルは疲れた顔で鍋を運んでいた。気のせいか、追いはぎに襲われたときよりも落ち込んでいるようだった。オレンジ色の焚火の周りでは、串にささった肉が焼かれていた。
「はあ~っ、そりゃそうだよなあ。別々のテントって…」
倍加魔法と言うマリーの魔法で、テントはあっという間に二つに増えたのであった。魔法で増やしたものは、二十四時間経つと消えてしまうと言われたが、アルにとってそんな事はどうでもいいようだった。
「そろそろ、お肉が焼けたと思うよ」
二人は焚火のそばに座り食事を始めた。暗い雲の隙間から、小さな星が見えていた。
「しかし魔法って便利ですよね~!火も好きな時に使えるし」
「使いすぎると、ヘトヘトになっちゃうけどね」
「それでもいいですよ。おれも使ってみたいなあ!」
アルは笑顔で肉をほおばった。
「ここから東に進むと、ナンジュっていう街があって、人もたくさんいるみたいでね。私はそこに少し用があるんだけど、よかったらアル君も一緒に行く?」
マリーは、銀色のコップに入った温かいスープを飲んでいた。
「はい、おれも行きます!お金も少ないので!」
「お金?」
「おれの村は小さくて、仕事がほとんどないんですよ。ちょうど、大きな街に出ようと思ってたんです」
「じゃあ決まりだね!」
マリーは空に向かって右腕を伸ばした。マリーの手のひらから黒い霧が広がり、一瞬で辺りを包み込んでいった。
「すげーっ!これも魔法ですか?」
「うん、霧の外から存在を感知されないようにする魔法で、襲われる危険が低くなるんだよ」
(これがあれば、マリーさんと二人っきりに…)
「どうしたの?」
「え?いや、便利な魔法ですね!ハハハ…」
食事を終えると、二人はそれぞれのテントに戻った。アルは、黒い霧がずっと消えないでほしいと思った。
雲のない青空から、太陽の光が地面に降り注いでいた。広い荒野を、マリーの運転するジープだけが走っていた。
「ナンジュには大きな図書館があるんだけど、そこで調べものをしようと思って」
「それって、魔法ですか?」
「うーん、魔法というより歴史書になるかなあ」
マリーは小さな瓶を手に取り水を飲んだ。唇から、透明な水が少しだけこぼれていた。その姿を、アルはじっと見つめていた。
「そ、そうなんですね!おれには難しすぎてわからないです。魔法の事も、全然知らないですから」
「魔法を使える人は少ないからね」
「おれも魔法が使えたらなあ。ボロボロの機械ばっかり修理するのは、疲れちゃって」
アルは朝にマリーからもらった、細長いパンを口へと入れた。乾いたパンは少し硬かったが、甘い砂糖の味がした。
「お昼には着くと思うから、もう少し待っててね」
マリーの言葉通り、丁度昼になろうかという頃、小さな家が建ち並ぶ街が見えてきた。太い木の陰にジープを止めると、二人は別行動を取る事にした。
「じゃあ、私は図書館に行ってくるね」
(一緒に行きたいなあ…)
「どうかした?」
「い、いえ!わかりました!おれは何か仕事を探してきます」
「うん、気をつけてね」
アルは街の中をゆっくりと歩いていた。広い通りは多くの人でにぎわい、色とりどりの野菜や、あやしげな薬を売る露店などであふれていた。
(荷物運びの仕事があるといいけど。街の中心を目指してみるか)
「お若いの、ちょっといいかの?」
突然、背の低い老人がアルに話しかけてきた。髪の色は白く、生え際がだいぶ後退していたが、上へとまっすぐに逆立っていた。白いひげをあごの下まで伸ばし、ねずみ色のローブを身にまといながら、鋭い目つきをしていた。
「え、なんですか?」
「実は、悪い人に追いかけられててのお。助けてくれんか?」
後ろから、体格の良い男達が三人ほど、アル達の方へ近づいてきていた。
「ひょっとして、あれが悪い人?」
「そう。助けて」
「いやいや、無理ですよっ」
アルの言葉を無視するように、小柄な老人はアルの後ろに隠れた。直後、屈強な男達がアルの前で立ち止まった。三人とも額の血管が浮き出ていて、今にも殴りかかりそうな雰囲気をただよわせていた。
「そのじいさんは泥棒だ。うちの店で、一番高価な宝石を盗んでいきやがった。返してもらうぜ」
「そうなの?」
「違う、わしは盗んでいない!」
「じいさん、しらばっくれるなよ。宝石代を払え!」
(おいおい、巻き込むなよ…)
アルは焦っていた。喧嘩になったら、十秒も持たないように感じた。
「無理なら、こいつに払ってもらうぜ!」
「いや、おれは関係ないし…」
「うるせえ!さっさと払いやがれ!」
「ボコッ!」
アルの顔に拳が飛んだ。衝撃のあまり、アルは後ろへ大きく倒れこんだ。
(いっ、いってえ!もう一回くらったら、ヤバい……)
「どうだ、払う気になったか?」
一瞬の衝突の間に、老人はいつのまにか姿を消していた。
「このやろう!」
後ろの二人が襲いかかってきた。
「うわっ!」
アルは右手を前にかざした。突如、手のひらから大量の水が噴き出した。水は空中にただよいながら球体になった後に、細長い龍のような形へと変化し、男達の頭上へと降り注いだ。
「え、なんか出た」
「うおっ!こいつ、もしかして魔法を?」
「ドガガッ!」
男達は後ろに吹き飛んだ。仰向けに倒れながら苦しそうに目を閉じ、すぐには立ち上がれないようであった。アルはチャンスとばかりに体を起こし、猛スピードでその場を走り去った。
「はあっ、はあっ。なんだったんだ?なんで、おれが魔法を?」
アルは細い路地に隠れると、すぐに座り込んだ。
「お前さん、魔法が使えるんじゃなあ。たいしたもんじゃ」
「あっ!じいさん!」
白いひげを伸ばした老人が、いつのまにかアルの前に立っていた。左手には、きらびやかな宝石が握られていた。
「やっぱり、じいさんが盗んだんじゃねーか!」
「いやいや、これは少し拝借しただけじゃ」
「わけのわからない事言いやがって……」
アルは素早く立ち上がると、路地から顔を半分出し、周囲に目をやった。
「よし、いないな」
「おぬしが強いんで、あいつらもあきらめたんじゃろ」
「はあ……よく言うよ」
「申し遅れたが、わしはロンという者じゃ。実は、おぬしにもう一つ頼みがあっての。すまんが、ギルメインまでつれていってくれんか?」
「はあ?」
「いやあ、少し会いたい人がおってなあ」
「ザッ!」
アルは大通りに戻り、足早に歩き始めた。
「待ってくれっ、若いの!」
「おれは仕事を探さないといけないんだよ!」
「それなら、ギルメインに行ってから探せばいい。ここよりも、もっと大きい街だぞ」
老人は、アルにぴったりとついて離れなかった。
「なあじいさん、頼むから離れてくれよ。さっきのやつらに見つかったらヤバいだろ?」
「追いかけてこんよ。あいつらは、他の店から盗んだ宝石を売っていたのじゃ。それに、お前さんは魔法を使えるからの」
老人は誇らしげにしゃべった。
「魔法が使えるのは選ばれた人だけ!魔法があれば、お金は稼ぎ放題!女の子と遊び放題じゃ!」
「女の子と…」
「あ、ちょっと興味持った?」
「い、いや、違うって!」
アルは前を向きながら歩幅を広げた。
「だいたい、さっきのは自分でもよくわからないんだよ。今まで、魔法なんて使えなかったのに」
「なんと、初めて使ったのか?」
「そうだよ。昨日から、魔法の事ばっかりだ…」
太陽がゆっくりと沈みかけ、街の中は徐々に暗くなっていた。所々に見えるこわれかけた街灯が、穏やかな黄色い光を発していた。
「アル君、お待たせ!あれっ、そちらのおじいさんは?」
「おお、かわいいお嬢さんじゃのう。わしはロンといって、このアル君に助けてもらったのじゃ」
ロンの体力はすさまじいものがあり、アルがどんなに走っても、逃げ切る事ができなかったのであった。
「そうだったの?」
「そう!魔法を使って、悪い男を追い払ってくれたんじゃよ」
「え、アル君が魔法を?」
「いやいや、違うんですよマリーさん。おれも、何がなんだかわからなくて…」
アルは、手から水が出て龍のようになった事を説明した。マリーは背筋を伸ばしながら、いぶかしげな表情で話を聞いていた。
「…じゃあアル君は、今日、突然魔法が使えるようになったっていう事?」
「はい」
「すごいね!魔法って、たくさん修行をしないと使えないんだよ」
「おれもよくわからないんですよ。あの後は、全然使えなくなって。色々あったせいで、仕事も探せなかったし、最悪でしたよ」
「かわいそうにの」
「いや、お前のせいだろ!」
「一度、調べてみたほうがいいかもしれないね」
マリーはローブの内側から、一枚の地図を取り出した。
「これから、ここよりもっと大きな街に行くんだけど、そこには魔法を専門に研究している所があってね。私より魔法にくわしい人もいると思うから、何かわかるかもしれないよ」
「へえ~それはすごいですね!」
「長旅になると思うけどね。ギルメインって言う街だよ」
「え、ギルメイン?」
アルはたじろいだ。
「お、いいタイミングじゃないか!助かるのお」
「い、いや…」
アルにとって、ロンという老人はどうにもうさんくさかった。魔法を使える理由は知りたかったが、これ以上、深入りしてはいけないような気がしていた。
(マリーさんとは一緒にいたいけど、あんまり行きたくないな……ひとまず、ここに泊まってから……)
「これからも一緒に旅ができそうだね!」
マリーは嬉しそうに笑った。
「そうですね!!」
アルは悩むのをやめた。
うす暗い空間に、光の球がいくつも浮かんでいた。小さな球はそれぞれ色が異なり、緑色や青い色をした光が、ぼんやりと辺りを照らしていた。
「……闇にのまれて幾千年。輪廻の流れの輪を越えて。この世の因果の理の。果てに眠りし黒き神……」
水色の髪の若い女性が、両手を上げて薄暗い空間の中に立っていた。長い髪は背中まで伸び、着物のような、裾の長い白い服を身にまとっていた。
「フフ…もう少しじゃ。わらわの願いがかなう……」
女性は妖艶な笑みを浮かべた。
「フフ…ハハハッ!さあっ、かわいい子供達よ!約束の日は近づいておるぞ!ハッハッハ!アッハッハッハッハ!!!」