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梅雨鬼 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ふああ〜。こういい天気だと、ついつい眠気に襲われちゃうね。

 晴れの日って、どうしてこうも、身体も心もぽかぽかしてくるんだろう? 気は緩むし、眠気は湧いてくるしで、防御力がもっとも落ちる気候だと思うんだよ。

 対して、天気が悪くなるとどうだい?

 北風と太陽じゃないけどさ。僕たち、何かと防御を固めるじゃん。厚着はするし、先は急ぐし。たいていの人が、一刻も早い状況からの脱出を望むはずだ。

 どうして天気が悪くなると、僕たちは気をいてしまうのか? その理由の一端らしきものに、僕はむかし、触れたことがあるんだ。

 君の好きそうな話だと思うんだけど、どうだい? 聞いてみないかい?



 僕の住んでいた地域では、「梅雨鬼」と呼ばれる妖怪がいると伝わっている。

 梅雨鬼は、雨と共に訪れ、雨と共に去っていく。雨が降っていないと、絶対に現れないものだ。

 梅雨鬼が去った後は、多かれ少なかれ被害が出る。

 人ひとりのケガから、大人数を巻き込んだ事故まで、血の流れる案件がほとんどだ。これは災害のようなもので、出くわしてしまったら、運が悪いとあきらめろ……と僕も小さいころから教わってきた。

 ゆえに悪天候の中、出歩く際には細心の注意を払わなくちゃいけない。いったいどこから「梅雨鬼」の手が伸びてくるかわからないから……とね。



 聞いた当初は怖がっていた僕だけど、一年、二年と被害に遭わない時間が続いていくと、じょじょに疑問を抱くようになり出した。

「梅雨鬼」というのは、出会ってしまった不幸な事故に対し、自分を慰めるために作った言い訳なんじゃないかと。古来、雷を天の神々の怒りと称したように、理解できない現象を神や鬼に託して、いちおうの理解をしておく。そんな不可思議な現象のひとつなんだろう、と。

 そう考えて、少し防備がおろそかになっていたのは、否定できない。だが、やはりその隙っていうのを、災いは見逃してくれやしないらしいんだ。



 その年も梅雨入りを果たし、雨がちな日が増えてきた。

 その日も午前中は晴れていたのだけど、下校前には音を立てるどしゃ降りと化していた。

 天気予報でも伝えていたから、生徒はほぼ全員、雨具の準備ができている。僕も大きめの傘をさしつつ、昇降口を後にした。

 このころの僕は、買い食いにはまっている。学校では禁止されていたけれど、給食くらいじゃ、量が全然足りない。

 家まで少し歩くこともあって、途中にあるコンビニに立ち寄り、お菓子なりホットスナックなりを買うのが、ほぼ毎日の楽しみになっていた。

 

 ここのコンビニは、たいていどの時間にいっても、立ち読みなり、コピーをするなりする人を見かけた。

 それが夕方近くのこの時間だというのに、お客さんはおろか、店員さんまでバックに引っ込んで姿を見せないのは、とても珍しいことだった。

 誰かを呼ぶのって苦手なんだよなあ〜と思いつつ、僕はお菓子を物色する。適当なポテチを選び、ついでに週刊誌の漫画を読みかけたところで、ふと窓の外を横切る影があった。


 コンビニ前の駐車場を、傘を差しながら走り去っていく人が二名。先に駐車場の敷地から駆け出ていったのは、二十代前後の女性。仕事途中なのかスーツ姿で、明るめの赤い傘を見せながら、どんどん遠ざかっていく。

 その彼女を追いかけるのが、黒い傘を差す同じ歳ごろの男性だ。こちらは青一色のジャケットと長ズボン。そしてちらりとのぞいたのが、左手にのぞく光り物だ。

 ナイフやハサミのように思えた。その刃をむき出しにしたまま、彼女のさした傘を追っていくのが見えたんだ。



 思わず一瞬固まったあと、身震いしちゃったね。どんな事情があるのか分からないけど、トラブルのにおいがしたから。

 早めに帰った方がいいかもと、僕はマンガ本を置いてレジの前へ。バックから出てきた店員さんにポテチの会計してもらうと、足早に店を後にした。

 二人が去っていったのは僕の家とは違う方角。僕は傘の柄を肩に寄りかからせつつ、お菓子の袋を開ける。

 買い食いの証拠を持って帰るわけにはいかない。次のコンビニに差し掛かる前に中身を食べ終え、袋はゴミ箱に捨てる腹積もりだった。手や口のべたつきは、なめればどうにかなる。

 雨は学校を出た時より、気持ち弱まっていた。さっき見たこともあるし、先を急ごうと、僕は乱暴にお菓子を食べ散らかしながらも、どんどん先へ進んでいった。

 

 次のコンビニ手前、50メートルのストレート。

 僕の前を群像色の傘を広げた、背の高い男の人が歩いている。右や左によらず、ど真ん中を僕の足に劣る速さで、のろのろと進んでいた。

 ケガをしているようには見えない。僕はかすかないらだち紛れに、車道へ下りる。さっさと追い越して、元の歩道へ戻るつもりだった。

 けれど、ちょうど男の人と並ぶかどうかというところで、にわかに雨がその足を強める。

 

 叩きつけるかのような勢い。その音と傘を攻め立てる激しさに、ひるんだ一瞬で。歩道を歩いていた男が、急に足を繰り出してきた。

 無警戒だった僕は、肩へもろにキックを食らい、車道へよろけ出てしまう。手の袋の中から、食べかけのポテチが何枚か転がり出て、たちまち降雨の洗礼を受けた。

 幸い、車はまだ来ていない。とっとと駆け戻ろうとして、顔をあげる。

 

 歩道の男が、傘を差したままこちらへ向かってきたんだ。僕がまき散らしたポテチを踏みつぶしながら、ずんずんと突き進んでくる。これまでののろま具合がウソのようだ。

 僕が左に動くと、男も左に動く。明らかに標的にされていた。

 男は走らないが、大股で間合いを詰めてくる。反射的に身をひるがえし、植え込みになっている中央分離帯まで僕は逃げた。

 対向車線は、打って変わって車がひっきりなしに通っている。分離帯まで逃げてきた僕などお構いなしで、スピードを緩めるものは一台もない。横断は無理だ。

 そうこうしているうちに、男もこちらの車線を渡りきらんとしている。僕は思い切り分離帯の上をダッシュした。この男を振り切らないと、帰れない。

 

 傘は捨てた。走るうえでこいつは、なんの助けにもなってくれない。

 あいかわらず降りしきる雨の中、男は僕についてくる。間は3メートル空いているかどうかというところで、僕の走りに合わせた速さでなおも追ってきた。

 ちょっとでも足を緩めれば、詰めてくるだろう。一気に捕まえようとしないあたり、こちらをもてあそんでいるのか。僕は意識的に、植え込みの土を蹴り上げ様にぶつけたけれど、意に介する様子なし。

 男の後ろすれすれを車が通り過ぎていくが、そのいずれもがブレーキをかけたり、クラクションを鳴らしたりする気配なし。当然、追われている僕を助ける気もないだろう。

 

 やがて転機がくる。やがて見える横断歩道、同時に分離帯の切れ目。

 信号は青信号のまま。ここの道路の青は長く、歩行者ボタンが押されないと何分もぶっ通しだ。

 すでにこの植え込みもアスファルトの上も、水たまりがたっぷりできている。僕と男の足元から、びちゃびちゃと水はねが飛んでいった。僕は男を見ながらも、ちらちらと対向車線を見やり、渡るタイミングがないか探る。

 ただ渡るだけじゃだめだ。この男と差をつけるには、轢かれるギリギリで渡るよりない。

 そうすれば足はわずかに止まるはず。自分が轢かれる恐れもあるけど……。

 

 やがてわずかに開いた車の間隔。僕は思い切って分離帯から飛び、そのすき間へ身体を滑り込ませる。

 車はやはり、僕が見えていないかのよう。スピードに関して、手心を加えてくれる様子はない。必死に走ったけど、ズボンの尻の部分がかすかに車体へ当たって、身体が弾かれかけた。

 向かいの歩道へ渡る。振り返るとやはり男は分離帯を踏んで、こちらへ迫ろうとしていた。さっきの車で差を離せたとはいえ、わずかなもの。早く逃げないとと、また身をひるがえしかけたとき。


 雨の降りが、一気に弱まった。

 音が消え、身体を打ち付ける勢いがなくなり、たちまち気配は水たまりの表面を揺らす、かすかな波紋だけとなる。

 ほどなく男はぴたりと止まった。左右を見やりつつ、分離帯から降りて元の歩道へ。道路を横切る男の姿に、通りかかる車たちは、思い出したようなクラクションをぶつけ出した。



 雨上がりとともに、打って変わった相手の態度を見て、僕は思う。

 梅雨鬼とは妖怪のことじゃなく、大雨の間なら、どのような犯罪行為も許される。そんな時間に動いてしまう奴らを指すんじゃないのか、とね。

 雨の間にことを起こし、雨と一緒に水へ流す……そんな免罪符のごとき時間。

 あの追われていた女の人、何事もなかったならいいのだけど。

 


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気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ! 近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[良い点] あらすじから好奇心を刺激されました。 途中、主人公が車に轢かれるのではと思いましたが、そうでは無くて一安心。ドキドキしてとても面白かったです。 雨の日は気をつけます。
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