表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻想怪異録  作者: 聖なる写真
2.永遠の契約
7/53

1:憧れの人と故郷へ


誰もが天国に行きたがるが、死にたがる者はいない。

Everybody wants to go to heaven, but nobody wants to die.

     ジョー・ルイス

     Joe Louis


 三塚大学法学部一回生、 穂村(ほむら) 暁大(あきひろ)には憧れの人がいる。 いや、 人によってはその感情の名を“恋”というのかもしれない。

 その人は同じ三塚大学に通う一つ上の先輩、 文学部の桐島(きりしま) (まどか)という。

 なよなよしい自分とは違って、 しっかりと筋肉がついた身体に強い意志を感じる瞳。 自分にはないものを全て持っている彼女に僅かな嫉妬と、 それ以上の憧れを抱いていた。

 

 三塚大学文学部二回生、 桐島 円には時折世話を焼いている後輩がいる。

 同じ三塚大学に通う法学部の一回生、 穂村 暁大という青年だ。

 彼は自分か贔屓にしている喫茶店でアルバイトをしていたのをきっかけに知り合った。 故郷を離れて、 学生マンションで暮らしているという彼からの相談にいくつか答えたことは覚えている。 それが活かされているかどうかは分からないが、 今もなお彼との交流は続いている。

 

 今回の相談もそう言った内容だと考えていた。

 

「最近奇妙な夢を見る?」

「はい、 それも同じような夢を何度も……」

 

 しかし、 今回の相談は文系の学生(桐島 円)が受けるにはいささか奇妙だった。

 穂村が働いている喫茶店、 如月(きさらぎ)喫茶店で穂村から受けた相談はまさかの夢の内容についてだった。

 

 如月喫茶店。 明治時代後期から存在するという喫茶店で、 赤霧市にある喫茶店の中でもそれなりの広さを持っている。 今、 学生バイトとして働いている穂村の他にも、 数名の学生バイトと三名のフリーター、 そして年齢・性別不詳の店長で運営されている。

 店内は落ち着いたジャズが流れており、 流行の曲などがかけられたことは円の知る限りなかった。 多々羅いている穂村もジャズ以外の曲が流れたことはないと言っているので、 店長の好みなのだろう。

 内装も落ち着いたものになっており、 チェーン店では出せない雰囲気があって、 円はその雰囲気を好んでいた。

 コーヒー一杯三百円。 他の飲み物も同じような値段だが、 ケーキやサンドイッチはやや高め。 それでも客足は途絶えることはなく、 忙しい時間帯では十五名前後の人がこの喫茶店で寛いでいる。 かくいう円も時折、 この喫茶店を訪れては、 読書や課題に取り組んでいた。

 

 さて、 話は穂村の相談に戻るが、 彼が言うには最近同じような夢を見ているという。

 それもただの夢ではない。 別人になって森の中をさまよう夢だという。 たださまようだけではなく、 何らかの呪詛をまき散らしながら、 さまよい歩いているのだ。 そして、 常に全身を捻じれるような痛みが襲っており、 穂村自身も身体の主も、 その痛みから逃れたいと常に考えてながら当てもなくさ迷い歩いているという。

 そうしているうちに喉の渇きを覚えると、 近くを流れている小川に駆けていく。 小川の水を飲もうと顔を近づければ、 そこに映っていたのは―――

 

「それはかなりやつれているんですが、 僕の父なんです。 僕が中学校に入る前に行方不明になった……」

「ふーん」

「それに、 夢に出てくる森は故郷の近くにある森みたいなんです。 結構深くて、 今までそんな奥まで行ったことはなかったのに、 相当奥まで行ったこともあります」

 

 そこまで聞いて、 円は氷が大分解けてきたアイスコーヒーを飲みほした。 夢といった精神的なものは文学部の円ではなく、 医学部の彩香(あやか)の領域だろう。 いや、 彼女も専門が違うだろうから領域外なのだろうが。

 それにただの気のせいかもしれないが一か月前の事件を連想してしまいそうになる奇妙な夢だ。 正直、 ただの夢であったらいいのだが。

 

「だから一度、 僕と一緒に故郷の植酉町(うえとりちょう)に来てくれませんか!?」

「えっ、 その、 ぉうわ!?」


 かけていた眼鏡が触れそうになるまで詰め寄る穂村に、 おもわずのけぞり、 椅子から転げ落ちそうになる円。

 危ない危ないと呟きながら、 穂村の鼻先を指で押して席に着かせる。

 憧れの人に触れられたことが嬉しかったのか、 先程よりも頬を紅くしながら、 それでも落ち着いたらしく、 そのまま向かいの席に座る穂村。

 

「実は、 最近実家にいる祖母の様子もおかしくて……何があったのか教えてくれなくて、 今一人で暮らしているというのもあってすごく不安なんです」

「こういうのもなんだけど、 他に頼れそうな人はいないの? 同じ学部の人とか」

「円先輩が一番頼れる人なんです!」

「う、 うん。 分かったからそんなに急に近づかないで」


 ビビるから。

 円からの問いに先程のように身を乗り出して答える穂村に再び椅子から転げ落ちそうになる円。 穂村の両目はキンキラキンといった擬音が似合いそうなほどに輝いており、 どこか有無を言わさない力に満ちていた。

 興奮が収まらない様子の後輩を何とか落ち着かせようとと円は口を開く。

 

「実は、 実家の近くに酒蔵があるんです。 祖母がそこの蔵元と知り合いで、 もし何も問題がなくても、 安価でお酒を楽しむことだってできますよ。 “姫雪”って知っています?」

「よし、 いつ行く?」

 

 しかし、 それより先に告げられた誘いにあっさりと陥落することになる。

 実は彼女、 大の酒好きである。 今年の四月に二十歳になったばかりだというのに、 ()()()()()()()()()()様々な酒を嗜んでいた。 法律違反? 今は二十歳だから何の問題もない。

 そして、 “姫雪”は彼女のお気に入りの日本酒でもあった。 しかし、 生産数が少なく、 値段がお高いこともあって、 二度目がなかなか飲めなかったところにこの誘いである。 どうせ、 後輩の気のせいなのだろうと先程までの慎重な姿勢から一気に楽天的になる円。

 

 それはともかく、 予想以上の酒好き先輩の食いつきに、 内心ガッツポーズをしながら、 日にちや集合場所を決めていく。

 大体詰め終わったところで、 肩を叩かれた穂村が振り返れば、 そこには額に青筋を浮かべたバイトの先輩の姿が。

 

 そういえば穂村君(かれ)、 今勤務時間(バイトちゅう)だった。

 

 先程とは打って変わって青い表情で離れていく後輩を見送りながら、 円は味わうであろう日本酒のことを思い浮かべていた。

 

 

 

 †

 

 

 

 清山県地支群(ちしぐん)植酉町(うえとりちょう)

 清山県中東部に存在する町で“姫雪”という銘酒が特産品として知られている。

 逆に言えば、 銘酒以外に特に名産品といえるものがない町でもあった。

 一方で、 治安は都市部と比べれば格段に良いらしく、 植酉警察署に所属する警官や刑事達が駐車場や近くのベンチでのんきに会話しているという、 いささか問題になりそうな光景がよく見られる。

 

 喫茶店での相談から直近の金曜日。 円は穂村と共に電車とバスを乗り継いで、 穂村の実家へとやってきていた。

 出発したのは四時前であったのだが、 到着した時には七月に入ったばかりだというのに、 空は薄暗くなり、 周囲には人一人いなくなっていた。 周囲に点在する民家と街灯の明かりが薄闇を照らし出しており、 目の前にある上井家も他の家々と同じように窓から明かりが漏れていた。

 

「ここが実家?」

「はい、 母さんの実家です。 倒産の実家は県外の方にありまして」

 

 そう言いながら、 家のチャイムを鳴らす穂村。 どこにでもあるようなチャイム音が鳴ると、 数秒もしないうちに「は〜い」と置いた女性の声と軽めの足音が玄関から聞こえてきた。

 

「こんな夜更けに誰で……おや、 暁大じゃない! どうしたのこんな中途半端な時期に!」


 扉を開けると同時に視界に入ってきた孫の姿にあふれ出る喜びを隠そうともせずに、 抱きつく老婆。 その姿はいささかやつれているように見えるが、 十分健康そうだ。

 

「最近調子が悪そうだから心配して様子を見に来たんだよ。 大学行く前よりもやつれているし、 大丈夫なの?」

「ん? ああ、 大丈夫だよ。 アンタが一人暮らしを始めてから、 この家が一気に広く感じてね……」

 

 そう言いながら、 どこか寂し気な表情で顔を少し伏せる穂村の祖母。 確かにこの家は老人一人で住むにはいささか広すぎるように見える。 そして、 再び顔を上げた時には寂しげな表情は消えていた。

 

「ところで後ろのお嬢さんは彼女かい?」

 

 顔を上げた拍子に孫以外にも人が来ていることに気がついたのだろう。 しかもそれが妙齢の女性であることが分かると目を輝かせる。

 

「いえ、 違います」

 

 そして、 この即否定である。

 円の言葉を聞いて、 穂村が落ち込んでいたが、 円としてはただの先輩後輩の間柄でしかない。

 簡単に事情を説明すると、 穂村の祖母は笑いながら、 「じゃあ、 今夜はもう遅いし、 泊まっていきなさい。 “姫雪”もあるからね」と言いながら部屋へと案内する。 銘酒が飲めると聞いてウキウキ気分で上がり込む先輩の後姿を見て、 後輩は誘い方を間違えたのではないかと、 少しだけ後悔した。

 

 

 

 深夜、 久々の再会からそのまま始まった酒盛りは、 月が西へと沈み始めても未だに終わる様子を見せなかった。

 

「いやー、 “姫雪”って美味しいですね! この酒盗にも本当によく合いますし!」

「あらあら、 桐島さんもいい飲みっぷりで」

「……」

 

 円も穂村の祖母も酒豪であり、 二人の近くには二人が開けた“姫雪”の空瓶が数本転がっている。 それでも終わる様子のない酒盛りに、 三人の中で唯一酒が飲めない穂村は、 不貞腐れたようにチビチビとオレンジジュースを飲んでいた。

 「もう寝たら? こっちに付き合うのも大変でしょ?」と赤ら顔で笑いながら話しかける円に「イエ、 大丈夫デス」と答えながら祖母を見れば、 普段以上に酔っていることもあってか、 いつもよりも楽しそうな顔で笑っているのが目に入った。

 やっぱり、 こちらの心配のし過ぎだったのだろうか。 自分が一人暮らしを始めたのがきっかけで、 寂しい思いをさせてしまったのが原因だったのか。 そういった考えを浮かべていると、 日付が変わって間もない時間帯だというのに、 玄関でチャイム音が響く。

 

「おや、 こんな時間なのに千客万来だね」

「お祖母ちゃん、 僕が出るから」

 

 立ち上がろうとする祖母を気遣い、 玄関へと出る穂村。 祖母はそんな彼を見て「そうかい、 じゃあよろしくね」と言うと、 新しい飲み友達の前へと座って、 再び“姫雪”を飲み始めた。

 

「それで、 どうなんだい? うちの暁大とは」

「最初に言った通り、 ただの先輩後輩ですよ。 お婆さんが考えているようなことはないですって」

 

 穂村が玄関へと歩いていくと、 二人の話題は彼との関係についてだった。 というよりも、 それと酒ぐらいしか共通の話題がなかったりする。 この話題も三度目になる。

 “女三人寄れば(かしま)しい”というが、 二人でも十分姦しかったりする。 三人あらばなおさらの話ではあるが。

 

「じゃあさ、 “そういう”人はいるのかい? いなかったらうちの暁大なんかどうだい?」

「ん〜、 そうですね、 もっと自信に溢れてくれれば考えてもいいと言えるのですが」

「フフフ、 “男子三日会わざれば(かつ)(もく)して見よ”っていうじゃない。 そうなる前に唾つけとくのも大事なんだよ」

「お婆さんもそうだったんですか?」

 

 何気なく聞いた一言であったが、 その言葉を聞いた穂村の祖母は先程の楽しそうな雰囲気から一気に表情を暗くする。

 そういえば、 と円は今まで聞いたことを思い出す。 今穂村の祖母は一人暮らしをしていると穂村が言っていた。 それに彼女以外にこの家に人はいなかった。

 そして、 この部屋に最初に来た時に、 仏壇に挨拶をしたのだが、 位牌が三つ置かれているのを彼女は確認している。 一つは穂村の母、 すなわち彼女の娘であり、 もう一つは穂村が中学生になる前に行方不明になったという父親とするならば最後の一つは……。

 

「う、 うわぁあぁぁあああぁぁ!?」

 

 振る話題を間違えたかな。 そう後悔したとき、 玄関から穂村の尋常ではない悲鳴が聞こえた。

 慌てて立ち上がり、 何本も酒瓶を空けたとは思えない敏捷性で立ち上がり、 部屋を出る円。 穂村の祖母も先程まで血色の良かった顔を青くしてついてこようと立ち上がるが、 円とは違い、 バランスを崩してこけそうになる。

 

「先に行って確認してきますから、 ゆっくり来てください!」


 そう強めの口調で告げると、 コクコクと壊れたように頷いた穂村の祖母を置いて、 円は玄関へと駆け出した。

 

 

 

「大丈夫!?……!?」

 

 玄関まで駆けてきた円が目撃したもの。 それは玄関から少し離れたところで腰を抜かしている穂村。 その顔色は以前バイト中に相談を受けた時に見た物よりも青い。 そして、 穂村の視線と震える指の先には、 悪臭。

 今まで、 嗅いだことのないような耐え難い腐敗臭。 何年も放置していた肉が放つような悪臭。 まず最初に感じたのはそれだった。 いや、 もしかしたら、 視覚や聴覚が先に何かを感じていたのかもしれないが、 脳が“それ”を理解できずに無意識のうちに拒絶してしまったのかもしれない。 ともかく、 強烈な悪臭を嗅いだことで、 酔っていた頭が急速に覚醒する。

 

 それでも、 彼女は目の前の光景を信じることはできなかった。

 

 なぜなら、 彼女の目の前には人の形をした何か……いや、 かつて人であったであろう腐敗物が、 玄関で倒れていたからだ。 足に当たる部分は完全に腐汁と骨と思しき白い棒状の物のみであり、 「だから、 起き上がることができないのか」と、 どうでもいい考えが頭をよぎる。

 かつて人であった腐敗物はそれでも生きているらしく、 言葉にならない声を発しながら、 悪臭を放つ腕で這いずり、 穂村へとその腐った手を伸ばしていた。

 当の穂村は今もなお混乱しているのか、 腐敗物とは違った言葉にならない声を挙げながら後ずさろうともしない。

 

「どうしたん……ひいぃいいいぃいぃ!?」

 

 ようやく追いついてきたらしい穂村の祖母が目の前の光景を見て、 感じて、 金切声の悲鳴を上げる。

 背後でその声を聴いてただ、 呆然と観察していた円も意識を覚醒させて、 一番前にいた穂村の服を掴んで、 引き寄せるように引っ張る。

 

「ぐぅえ!?」

 

 襟を勢いよく引っ張られたことで、 蛙が潰れたような悲鳴を上げた穂村。 その声をきっかけに、 目の前の腐敗物は絶望したかのように力尽き、 二度と動かなくなった。

 円に救出された穂村は咳込みながらも、 目の前の光景を信じることができないかのようにじっと見つめており、 最後尾にいた穂村の祖母はうずくまりながら、 ひたすらお経を唱え続けていた。

 

 そんな光景をどこかフィルターがかかったように眺めながら、 円は一カ月前の事件を思い出していた。

 人が怪物になるという、 あの冒涜的で、 現実味のなかったおぞましき事件。

 

 関連性などない。 もしかしたらただの飲みすぎによる集団幻覚かもしれない。 その場合、 飲んでいない穂村は何を見ているのかという話は置いておいて。

 それでも、 それでも円は

 

 

 

 あの一カ月前の事件のような事件が、 今目の前で発生したことを確信していた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ