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幻想怪異録  作者: 聖なる写真
1.神様からの贈り物
5/53

5:堕落の神


「■■■■■■―――!」


 常人では理解することが出来ない雄たけびを上げながら、 かつて石間 傑という存在であったモノ、 イゴーロナクはその手に開かれた口を見せつけながら、 三人へとにじり寄っていく。

 

「―――で、 どうするよこれ」

 

 その姿を見た桜子がぼそりと呟く。 顎に添えられた手は恐怖に震えてはいるが、 その瞳にはしっかりとした理性の灯が灯っている。 動揺はしているものの狂気には陥っていない。

 

「うん、 どうしようか……これ」

 

 円の方は心ここにあらずといったような口調で、 答える。 さすがの彼女もこのような事態は想定していなかった。 いたとしたら、 それはきっと“狂人”という人種になるのだろう。

 目の前にいる怪物は倒せるのか、 倒せないならばどうしたらいいのか。 そういったことばかりが頭の中を意味もなく駆けまわる。 先程、 これよりも小さい怪物、 仮に名づけるならば“イゴーロナクの子供”ともいうべき存在に襲われて、 負傷したばかりの桜子は正直に言って戦力になるとは考えられない。

 

「■■■■■■―――!」

 

 かつて石間だった存在が吠える。 もしも、 彼が今もなお人間の言葉を話せていたのならば、 この姿に対しての誇りを高らかに語っていたのだろうか。 それとも、 自分が想定していない姿になったことに対しての絶望の言葉を叫んでいたか。 それはもう石間本人にしか分からないことではあるが。

 一歩、 一歩とこちらへと歩み寄ってくる石間だった存在、 悪徳を司る神、 イゴーロナク。 その巨体に圧されるように円達は一歩一歩と同じように石間の家の中へと下がっていく。 そうしていると、 その場から動かずにいた彩香に桜子がぶつかる。

 

「っと、 すまん。 一緒に下がってくれ」

「彫像だ」

「え?」

 

 そう呟いた彩香に、 思わず聞き返す桜子。 彩香の目の焦点は合っておらず、 どこかここではない場所を見つめていた。

 

「彫像を壊せば、 終わる」

「は? お前、 何言っているんだ」

「彫像!」


 そう叫ぶと、 一気に廊下の奥へと駆け出した。

 桜子と円が慌てて止めようとするが、 そんな二人が制止するよりも先に、 普段の姿からは想像できないほどの機敏さで、 彼女は廊下の奥の扉を開けていった。

 

「ああ、 くそっ! すまんが、 そっちは任せた!」

「あんまり期待しないでくださいよ! ったく!」

 

 悪態をつきながら彩香を追う桜子。 そんな彼女に後を任された円は余裕のなさから同じように悪態をつきながらも、 イゴーロナクに正面から向き合う。

 桜子が、 彼女の後を追って姿を消すと、 イゴーロナクは目の前の障害を排除するべく、 剛腕を振り上げる。

 とっさに後ろに飛びのくことで回避する。 突き出された腕の先、 手の平に生えた獣のような口が、 円の鼻の先で音を立てて閉じられる。

 あの口に噛みつかれたらどうなることか。 自身が辿るかもしれない末路の一つを想像して円の脳裏に原始的な恐怖がのしかかる。 だが、 当然のことながら相手は待ってくれない。

 再び右の剛腕が襲い掛かる。 突き出された一撃を、 今度は体を左に傾けることで回避する。 反撃を考えたが、 この狭い廊下では下手に体勢を崩して一撃をもらうことの方が恐ろしい。

 なので、 広い場所に逃げることにする。 繰り出された左の一閃を避けるために相手の股下をくぐり抜けるように滑り込む。 相手の一閃は空を切り、 円とイゴーロナクの立ち位置は入れ替わる。

 更に、 相手が奥に行かないように、 玄関で靴を拾う。 当然のことながら石間の私物だ。 イゴーロナクが自分を無視して奥の方へ行かないために、 拾った靴を投げつける。

 投げつけた靴はイゴーロナクの臀部に命中する。 大したダメージは与えられてはいないようだが、 それでも彼女の目論見通り、 イゴーロナクの注意がこちらに向いた。 この邪神に頭はないのだが、 まるで、 頭があるかのように半身をこちらへと向ける。

 

「よし……! こっちだ!」

 

 イゴーロナクの意識がこちらに向くのを確信すると、 声を張り上げ、 そのまま外へ出る。 彼女の予想通り、 イゴーロナクは円を追って外へ出る。

 

(こっちは何とかするから、 なんとか解決策でも見つけてよ!)

 

 自身をはるかに上回る巨体を相手に、 円は家の奥に向かった二人の活躍を願う。

 実際にそれがあるのか分からないが、 それでも円は願わずにはいられなかった。

 

 

 

 †

 

 

 

「彫像……彫像……」

「おい! 待てっての!」

 

 泉 彩香は石間家を走り回っていた。 あの怪物、 イゴーロナクを見た瞬間に確信したことに固執するように。 彼女の後ろを先輩である。 蕨 桜子が必死に追いかけ回しているが、 普段の身体能力の低さからは想像できないほどの機敏さをもって先輩の手から逃れ続けている。

 

「おい! もう一階は全部探し終わっただろ! いい加減止まれ!」


 先程通った廊下の部屋の扉をすべて開けた彩香にようやく追いついた桜子が声をかけて止める。 そんな彼女の言葉に彩香もハッと気づいたようで。

 

「そうか……! 二階!」

「って、 おい! まだ逃げるか!」

 

 そのまま先輩の手を振り払い、 二階への階段をかけ上げる。 そのまま、 後輩の後を追いかけようとする桜子であったが、 ガタリ、 と近くで起きた物音を聞いて、 驚いたようにその方向に視線を向ける。

 

「……あの番犬はあれで全部じゃなかったのかよ……!」

 

 そこにいたのは“イゴーロナクの子供”ともいうべき存在。 先程突如現れ、 彼女の腕に噛みついたあの怪物たちであった。 それも五体以上いる。

 当然のことながら、 先程襲われた彼女はその怪我が癒えているわけではない。 一応、 今石間家を走り回っている後輩から応急手当はされているものの、 その傷が塞がっているわけではない。

 先程自信を襲ったのと同じ存在が、 こちらへと敵意をあらわにしている。 その事実に傷ついた腕がジクジクと目の前の存在の危険性を訴えてきている。

 

 なので、 彼女は。

 

 何も考えずに、 二階への階段を駆け上がっていった。

 

「うおおおおお!」

 

 駆けあがってから気付く。 玄関から出たと思しき円の方に逃げればよかったと。

 しかし、 逃げたら逃げたで、 今もなおあの怪物の親玉みないたやつ相手に戦っている円に迷惑がかかるかもしれない。 そう思いなおすと、 追ってくる怪物から逃れるべく、 二階に唯一ある部屋の扉を開ける。

 

 その部屋はひどく乱雑としていた。

 おそらく、 何らかの資料なのだろう。 床が抜けないか、 心配になりそうなほど、 大量の本や紙の束が置かれている。

 壁も全てが本棚で埋められており、 その中身も様々な本で埋まっていた。 しかし、 そんな本と資料の山がある部屋の中央に似つかわしくないものが置かれていた。 それは金庫だった。 それもかなり大きく、 人の腰くらいの高さがある。 奥行きもそれなりにある。

 先に二階に上がっていた彩香はそんな金庫の前でガチャガチャと何かやっていた。

 

「だめだ! 開かない!」

 

 うがー! と言いたくなるほどに喚く彩香を尻目に、 桜子は扉を閉め、 近くにあったサイドテーブルをつっかえ棒代わりに、 扉の前に置く。 その直後、 ドンッという音と衝撃が扉から伝わってくる。

 

「おい! その金庫の鍵はないのか!?」

「鍵穴はあるけど、 鍵がない! 暗証番号も必要っぽい!」

「探したのか!?」

「……探してない!」

「じゃあ、 探せよ!」

 

 まるでコントのような会話をしながらも、 桜子は扉が破られないように、 次々と重そうな本や紙の束をサイドテーブルの上に置いていく。 その間にも扉を破ろうとする音が鳴っている。 途中からミシミシと嫌な音が扉から聞こえてくる。

 

「! そのサイドテーブル!」

 

 部屋の周囲を見渡していた彩香が、 桜子が最初に扉の前に置いたサイドテーブルを指さす。 そのサイドテーブルにはいくつかの引き出しがついている。 このサイドテーブルの他にも机と椅子はあるものの、 引き出しらしきものはそこにはなかった。

 

「! これか!」

 

 後輩の意図に気付いた桜子がサイドテーブルの引き出しを開けていく。 もし、 石間が常に金庫の鍵を持ち歩いているような人物だったり、 他の部屋に鍵を置いていたりしていれば、 どうしようもないが……

 

「あった! 暗証番号っぽいのが書いている紙も一緒だ! 受け取れ!」

 

 サイドテーブルの引き出しの奥にその鍵と紙はあった。 どうやら、 石間はいささか防犯意識に欠けていたようだ。

 腕の包帯から血が滲みだしているのにも気にせず、 鍵と紙を掴むと、 彩香へと投げる。

 上手く受け取ることが出来ずに落としたものの、 すぐに拾い上げる彩香。 その間にも扉が立てる音は、 その耐久が限界に近づいてきていることを示すように、 その音を変えていく。

 

「これが合えば……!」

 

 祈るように拾い上げた鍵を金庫の鍵穴に差し込み、 回す。 カチリと鍵が開く音が鍵穴から聞こえたが、 扉は開かなかった。

 

「え? なんで……」

「馬鹿野郎! 暗証番号は入れたのか!」

「え? ああ!」

 

 扉が開かないことに動揺する彩香を怒鳴りつける桜子。 その声色はもはや余裕がないことを示していた。 事実、 扉は限界を迎えており、 いくつか穴が開いていた。 “イゴーロナクの子供”ともいうべき存在達はその穴から手を伸ばし、 手の平に存在する獣のような口をこちらへとむけている。

 桜子の声から、 自分達に危機が迫っていることを理解した彩香は鍵と同時に投げ渡された紙に手を伸ばす。 そこには四桁の数字が書かれていた。 ためらうことなく、 その番号を金庫のキーパッドに入力する。

 

 一際大きな破砕音が聞こえてきたのと同時に、 金庫の扉が開け放たれる。

 金庫の中には彩香が望んだものがあった。 それは円が依然見た、 手の彫像であった。 金庫の中心に堂々と置かれたそれは確かに“幸運のお守り”とは言い難い、 異様な雰囲気をまとっている。

 

「彩香ぁ!」

 

 桜子の何度か目になる叫び声。 それを聞いた彩香はためらうことなく彫像を掴むと、 桜子のいた方向、 破砕音がした扉の方へと振り向く。

 そこには、 扉を破り、 桜子の手足に噛みつく“イゴーロナクの子供”達がいた。 桜子の方はとっさに喉といった急所をかばったものの、 先程述べたように手足にその獣のような牙を突き立てられて、 苦悶の声を上げていた。

 

「っこんのぉ!」

 

 その光景が視界に入るや否や、 何もためらうことはなく、 彩香は持っていた彫像を怪物たち目掛けて投げつける。

 生憎と外してしまい、 見当違いの方向へと飛んで行ってしまった彫像は、 本棚の角へと命中し、 あっさりと砕け散った。

 その光景を見た怪物達は、 桜子に噛みついていた手を放して、 ドタドタと階下へ逃げていった。

 

「……大丈夫? 」

「……これが大丈夫に見えるのか? くそったれが……」

 

 執念の対象であった彫像が砕け散ったことで正気に戻ったのか、 息も絶え絶えな桜子に話しかける彩香。 そんな彼女への返答は至極当然極まるものだった。

 せっかく巻いた包帯もズタボロで、 その腕は赤く染まっている。 腕だけではなく足も血だらけで、 指が欠けなかったのが幸いといえる状態だった。

 応急手当をしようにも、 救急道具などは下に放り出したままである。 少し悩んだ末に、 彩香は「そこで待ってて」とだけ告げると、 一階への階段を恐る恐る下りて行った。

 

 

 

 †

 

 

 

 振り上げられた左の剛腕が目前に迫る。 手の平の口が彼女の肉体を喰いちぎらんと、 大きく開いている。

 それを半歩引くことで躱した後、 反撃の蹴りを、 振り下ろされた左腕に打ち込む。

 手ごたえはあった。 しかし、 それでも目の前の怪物は平然としている。

 

「ああ、 くそっ」

 

 迫りくる右の薙ぎ払いを、 大きく飛びのくことで回避すると同時に、 自然と悪態が円の口から洩れる。 何度か同じことを繰り返しているのだが、 全く進展がない。 公道にその身を堂々と晒すかの邪神の姿を見て、 効いているのかいないのか改めて不安になってくる。

 だが、 逃げることはしない。 家の奥へと行ってしまった二人のことが気がかりであるし、 この怪物を放置などしていたら何が起こるか分かったものではないからだ。

 それにもうすぐ警察がやってくるという希望もある。 まあ、 ただの犯罪者を調べに来た警察がこの怪物を相手に役に立つのかは分からないが。

 警察じゃなくて、 自衛隊に電話した方が良かったかな。 と冗談めいたことを考えていた円だが、 そんな彼女の気のゆるみを見抜いたのか、 イゴーロナクは両腕を広げて、 猛攻を仕掛ける。

 薙ぎ払う一撃。 しゃがみ込むことで回避するが、 風圧で髪がなびく。

 振り下ろしの一撃。 後ろに飛び退くことで回避する。 着地と同時に地面を蹴り、 勢いをつけた回し蹴りを撃ち込む。 やはり効果がない。

 再びの振り下ろし。 もう一度後ろに飛びのくが、 緊張からか、 それとも避け続けたことへの疲労か。 足を縺れさせて転んでしまう。

 

「いって……ってまずっ」

 

 目の前で自身目掛けて振り下ろしの一撃を放とうとするイゴーロナクの姿を見て、 円はとっさに両腕を交差させて、 頭を守ろうとする。

 そして、 イゴーロナクはその右手を振り下ろそうとし―――そこで、 動きを止めた。

 

 意味が分からずに、 起き上がることすら忘れた円だったが、 異変はすぐに起こった。

 イゴーロナクの身体が円を描くように歪んでいくと、 その醜い姿が少しずつ薄れていき、 虚空に溶けるようにそのまま消え去ってしまったのだ。

 そのまま、 イゴーロナクも石間 傑も彼女達の前に現れなかった。

 

「……いったい、 なにが」

「円!」

 

 何が起こったのか分からずに呆然とする円に家から出てきた彩香が声をかける。

 元気そうな様子の彼女を見て、 円は友人の思い付きが正しかったことと、 あの邪神は再び自分の目の前に現れなくなることを悟った。 ……少なくとも今のところは。

 

 ようやくやってきたパトカーの音がこの超常現象の終わりを告げるかのように、 静かな住宅街に響きだす。

 その音を聞いた円は、 力尽きたように路上に寝転ぶと、 深々と溜息をついた。


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