Epilogue:桜散る時
ようやっとエピローグです。
争いを避けられないなら、私の時代に終わらせてくれ。子供たちには平和を。
If there must be trouble, let it be in my day, that my child may have peace.
トマス・ペイン
Thomas Paine
夢を見た。 見覚えのない、 懐かしい夢を。
一人の少年がいた。 彼は四人兄弟の次男坊だった。
彼は兄弟と同じように育ち、 学び、 やがて陸軍士官として軍に仕えた。
そして、 彼は軍人の一人として戦争に参加し、 敗北した。
見知らぬ北の果てへと連行され、 そこで地獄を味わった。 粗末すぎる食事、 人を人と思わないような過酷な労働。 極寒の吹雪吹き荒れる中、 外で作業させられるのは寒さに弱い彼にとってはなおのことつらいことだったに違いない。
日ごとに一人一人と減っていく戦友達。死んだ者は収容所近くに群生していた白樺の肥料になった。 彼の隣にいた同僚が朝冷たくなっていた時は、 思わず、 自分に重ねて震えあがった。
しかし、 彼は生き抜いた。 半分以下に減ってしまった同胞達と共に、 痩せ衰えた体を引きずるように母国に帰る船に乗った。
懐かしき故郷の地を踏んだ彼を待っていたのは、 記憶よりも老けた家族だった。
記憶よりも白髪が増えた父と母。
記憶にない、 おそらく、 自分が故郷を去った後に生まれた甥と姪。
そして、 皴が増えた兄弟達。
彼らとの再会を喜び、 さびれつつある故郷の復興に全力を尽くした。
やがて、 彼は結婚した。 事業に成功し、 一角の財を成した。
子供達が独立したころ、 今は亡き戦友達の遺品を集め、 遺族に渡す活動を始めた。
そうしているうちに孫が生まれた。 妻には先立たれた。 幸せそうな顔で、 眠るように亡くなった。
かつて自分を苦しめた収容所を訪れ、 過去に一区切りを入れた。 孫からの恋愛相談を受けた。 スマートフォンの捜査に四苦八苦した。
そして、 彼は死んだ。 先立たれた妻と同じように眠るように。
そんな彼の周りには多くの家族がいた。 皆が皆、 泣いていた。
そこに自分の姿もあった。 幼い自分の姿が。 しかし、 自分がこの場面に立ち会った記憶がない。 彼と関わった記憶もないはずなのに、 夢の中の自分は彼の死を酷く悲しんでいた。 まるで家族のように。
―――そんな懐かしい、 見覚えのない夢だった。
†
四月、 三塚大学。
地球温暖化や気候の変化が連日報道される中、 校門周辺の桜は今が見ごろだと言わんばかりに咲き誇っている。
そんな中、 新入生達が夢と希望を抱いて次々と校門をくぐっていく。 新入生だけではない。 昨年から大学に通っている在校生たちも学年を一つ上げて、慣れた様子で大学内へと歩を進める。
その心中にあるのは新たなるカリキュラムについてか、 新たにできた後輩についてか、 それともこの後に入れたバイトのシフトについてか。 その答えは各々の中にしかないだろう。
そして、 そんな在校生の中には彼女の姿があった。
桐島 円。 今日から三塚大学の三回生だ。
校門をくぐることなく、 ジッと校門を見ている彼女を周りの人間はいぶしかしげに一度だけ見るが、 そのまま何事もなかったかのように校門を通り抜けていく。
やがて、 彼女も校門を見るのをやめて、 カリキュラムを受け取りにいく為に歩き出す。 一応、 三塚大学は履修登録をネット上でできるようになっているが、 カリキュラムを全て載せた冊子は未だに手渡しだ。 このご時世ではどうかと思うが。
「お久しぶりね」
円が大学に入る前に、 聞き覚えのある声が彼女に向けてかけられた。
聞き覚えのある声、 しかし、 平穏な場所で聞くべきではない声。 その声を聞いた円は跳ねるように声のした方へと振り向いた。
「―――ええ、 お久しぶりです。 アナスタシア」
自身が放った声の冷たさに内心驚きながらも、 そういえばあの後、 行方が知れなくなっていたな。 とどうでもいいことを考えながら、 円は話しかけてきた女性、 アナスタシアを睨みつけた。
あの日、 赤霧ターミナルビルとの連絡が途切れたことを疑問に思った外部の人からの連絡によって、 円達は救助された。
その際、 連絡を受けてやって来た警官達が“なぜか”中に入れないという状況であったらしく、 一時は特殊犯捜査係(SIT)が出動する事態となったという。 彼らが到着したころには“なぜか”入れるようになったそうだが。
その後の調査で、 赤霧ターミナルビルで起きた事件は烏丸がばらまいた幻覚剤によるものとされた。
犯人とされた烏丸を含めて、 十人近くの人が行方不明となっており、 彼らの捜索も同時にやっていくという。 見つかる見込みはなさそうだが。
円達も含めて、 赤霧ターミナルビルから救助された人々は数日の間、 検査入院していた。 結果としては症状が酷い者を除いて問題がなかったようで、 簡単な調書を取られた後は、 早々に退院できた。
そして、 円は今、 事件と関りがある、 犯人一味と思しき女性、 アナスタシアと相対していた。
「他の皆は大丈夫かしら?」
大学構内のカフェテリア。 二人を挟むテーブルの上には二つのコーヒーが置かれている。 周囲にはいまだ授業が始まっていないのに、 ちらほらと人がいた。
そんな中、 円はアナスタシアの一挙一足を注視していた。 仮にも赤霧ターミナルビルで発生した事件の犯人。 その関係者である彼女を警戒するなという方が無理である。
しかし、 そんな目線を向けられていることを知ってか知らずか、 アナスタシアはコーヒーを一口飲むと続きを促すように円をじっと見つめている。
「みんなピンピンしていますよ」
やがて根負けしたかのように、 ポツリと答える。 その言葉を聞いたアナスタシアは「そう、 良かった」とだけ呟くと、 再びコーヒーを口に運んだ。
「メグル・キリシマはどうなりました?」
少しの沈黙。 円からの問いにアナスタシアは少し悩むようなそぶりを見せる。
「分からないわ」
「え?」
そうして、 紡ぎだされた言葉がこれである。 さすがに円もこの返答には呆然とする。
しかし、 その言葉は真実であるように思える。 アナスタシアの表情は、 メグルがどこに行ってしまったのか分からずに困っているように見える。
「我らが神の罰を受けたのか、 それともここではない遠いどこかに連れ去られてしまったのか。 吹き飛ばした本神にでも聞いてみたらどうかしら」
冗談交じりの言葉だが、 彼女の瞳を見た円は反論できなかった。
その目は氷のようだった。 何も映していない、 映さないガラス玉のようでもあった。
それはまるで物語に出てくる悪役のようであり、 “狂人”という人種が宿す瞳でもあった。
心理学の心得がない円にも、 アナスタシアが“我らが神”に対して何の感情も抱いていないことが理解できた。
「まあ、 本人からすれば一つの救いになったのでしょうけど」
「救い?」
「いえ、 こっちの話よ」
他人事のような口調。 それに違和感を抱きながら、 円も同じようにコーヒーを口に運ぶ。
「……貴女は本当な何者なんですか? 本当に彼の孫なんですか?」
かちゃり、 と中身が半分まで減ったコーヒーカップを戻して、 円はアナスタシアに問いかける。
再び、 アナスタシアの氷のような瞳を真正面から見てしまうが、 今度は圧されないと言わんばかりに強く睨みつける。
氷のような瞳と炎のような瞳がぶつかること数秒。 アナスタシアは「降参」と言わんばかりに両手を挙げて目を伏せた。
「メグル・キリシマは私の祖父で間違いないわ。 母方のね」
そうアナスタシアは答えるが、 円は納得できないように睨みつけるのをやめない。
困ったわね。 と、 困っていないような調子で呟くアナスタシアだったが、 やがて決意したように語りかけた。
「神と人の混血っていうのはどの神話にも良くあることだと思わない? 私の三従姪ちゃん」
それだけを告げると、 言葉の意味を理解しようとフリーズしている円を置いて、 アナスタシアは席を立つ。
「ごちそうさま。 もう会うことはないでしょうね」
そう告げると出会った時と同じように、 何も持たずにカフェテリアを出ていった。
ようやく、 言葉の意味を理解した円はテーブルの上に置かれたままの伝票を手に取って、 絞り出すように呟いた。
「……自分の分ぐらい払ってよ……!三従伯母さん……!」
時は四月。
新しい生活が始まるころ。 かつてあった大戦から続きていた一つの因縁が終わった。
※ くっそどうでもいい補足。
三従姪とは「祖父母のいとこの孫(女性)」という意味です。
さらに簡単に言えば「曾祖父母の兄弟姉妹のひ孫」になります。
アナスタシアが円に向けてそれを言ったということは、 つまり……
さらに補足として、 三従姪・三従伯母は九親等も離れているので、 民法上は親族ではありません。(民法上の親族の定義は「六親等内の血族」)




