2:イベント開始
一週間遅れましたが投稿。 ちゃうんや、 忙しかったんや……
赤霧ターミナルビル。
七年という時間をかけて建てられた日本有数の高層複合商業ビルである。 ターミナル駅である雨浜野駅と直結している。
低層階は百貨店や美術館、 劇場で構成されている。 特に劇場は高名な建築家によってデザインされており、 開業直後からすでに演劇やコンサートなどの予定で埋まっていたという。 いや、 今も一年先まで予定で埋まっているのだというのだからその盛況ぶりが分かるというもの。
中層階はオフィスエリアが存在しており、 様々な最先端技術によって、 省エネルギー性を実現している。 さらにそこで働く人のために、 金融機関、 カフェ、 保育園などが設けられている。
上層階はホテル。 一泊二万円から。 レストランとバーのような施設も設けられており、 上記のオフィスに併設されているカフェや金融機関、 さらに低層階にある百貨店を含めれば、 まさに小さな町と言っても過言ではないだろう。 足りないのは住宅ぐらいか。
そして、 今日はそんなターミナルビルの記念すべき開業セレモニー……ではない。
以前、 円が警護していたバンド『PLANET』のメジャーデビューイベントである。 上記の劇場は予約が埋まっていたため、 中層階にある「黄の広場」で行われるらしい。 階層の半分ほどの広さがあり、 二階分の吹き抜けの高さがある広場である。
本来であれば広々とした空間であるそこは、 いくつもの仕切りによって区切られていた。 唯一仕切りが存在しない場所では若い男女が両側に立って、 仕切りの中に入ろうとしている人がチケットを持っているのか確認していた。
他の人と同じようにチケットを見せて、 円達一行は仕切りの中に足を踏み入れる。
「おお、 結構いるね」
円の隣にいた奥畑 実里がそうつぶやく。 確かにメジャーデビューしたばかりのバンドにしては多くの観客が集まっていると言える。 しかし、 円が警護した時には千人近いファンが集まっていたことがあったので、 そのことを考えればここにいる人数はむしろ少ないといっていいのではないだろうか。
そんなことを考えつつ、 円は実里の後ろをついていく。 開始まであと少しということもあって、 広場内は多くの人が集まってきている。 中には全身にお手製のグッズを身に着けた人もいるほどだ。 ちなみにデビューしたての『PLANET』にグッズが用意されているわけがない。
「わっと、 待ってよ二人とも」
人ごみに紛れてしまいそうなもう一人の友人、 泉 彩香がそう言って前を行く二人を引き留める。 まだなんとかかき分けて進める程度の人ごみであったことが幸いしてか、 すぐにはぐれそうな友人の手を取ることができた。
「あとどれくらい?」
ある程度の距離まで近づけたが、 開演時間が近づいてきたためか、 大分人が多くなってきた。 これ以上ステージに近づくのは難しいだろう。
「もうそろそろ……あ、 始まったみたい」
時刻は夜。 春が近づいてきたとはいえ、 日が沈めば寒くなる。
今回のライブのために設置されていた明かりが消えていき、 ステージを照らす光だけが残された。
周囲の人々も、 ライブが始まることが分かったのか、 話し声は少しずつ小さく、 少なくなっていく。
やがて、 ステージに設置されていた大型のディスプレイに男の姿が映る。
「皆さん、 今夜は『PLANET』のライブへ来ていただきありがとうございます。 私は今回のイベントの主催者である烏丸 京一郎です」
烏丸がそう言うと、 彼の背後にも明かりが当てられる。 そこにいたのは奇妙な仮面をつけた『PLANET』のメンバーだ。 普段見せるような明るさはなく、 まるで人形のようだった。
そのことに周囲のファンも気が付いたのだろう。 「どういうことだ?」「何かのパフォーマンス?」と口々に呟いている。 普段彼女らが行っているパフォーマンスと大きく異なっていることに戸惑いを隠せないらしい。
観客の動揺などいざ知らず、 烏丸は満足げに話を続ける。
「今回のライブで麗しのカルコサがこの地に来るだろう。 これは私の使命だ。 黄衣の王に気に入られれば諸君らもカルコサの永遠の住人となるのも不可能ではないだろう」
「こいつは何を言っているんだ」
円の近くにいた男が呟く。 耳を澄ませて周囲の声を拾えば、 他のファン達も同じ意見なのだろう。 実里でさえ、 理解できない様子である。
「円」
「うん。 正直、 彼が何を言っているのかは理解できないけど……」
碌でもないことであることだけは理解できる。
円と彩香の懸念も関係なく、 烏丸は左手を挙げる。 その瞬間、 スモークが会場全体に撒かれる。 ステージだけではなく、 観客達がいる会場にまでだ。
最近のコンサートはこのようなことをするのか? あまりそういうものに顔を出さない円が困惑している間にも話は進んでいく。
「それでは、 最後の演奏を……楽しんでくれたまえ」
烏丸がそう言うとディスプレイの電源が切れる。 そして同時に、 周囲から音楽が鳴り出す。 『PLANET』のメンバーはいまだにステージに上がってこない。
「なにこれ……こんな曲知らない」
結成当時から『PLANET』を追い続けてきた実里が呟く。 その声には新曲に対する喜びはない。
『PLANET』について最近知ったばかりの円と実里も言いようのない不安を感じていた。 心がざわつくのを否が応でも感じさせる。
それは周囲の者達も同じらしい。 「どういうことだ?」と困惑するような声があちらこちらから聞こえてくる。 普段の曲調と全く異なる新曲に困惑を隠しきれていない。
「円、 空!」
彩香が鋭く叫ぶと同時に上を指さす。 円と周囲の人々が、 彼女の声につられて上を向く。
空は黒かった。 夜の闇、 というものではない。 まるでどす黒いタールを空という名のキャンパスに塗りたくったかのような色だった。 その中でいくつか浮かぶ雲がはっきりと白いのが奇妙に映る。
だが、 彩香が指さしたのはそこではなくある一点、 光り輝くオーロラだった。 この地球ではオーロラ帯と呼ばれる地域にしか発生しないものだ。 日本でも見られることはあるが、 北海道や新潟といった北部で、 肉眼では見えづらい赤いオーロラくらいである。
少なくとも、 この清山県赤霧市で見られることなどないはずだ。 民俗学を学んでいる円もオーロラがこの地で観測できた話や逸話など聞いたことがない。
いったい何が起こったのかと、 夜空に浮かぶ虹色のオーロラを眺めていると、 一瞬だけだが意識が遠のく。
遠のいた意識がとらえたのは、 今見えていた夜空と同じタールのようなどす黒い湖面。 油っぽいそれは本物のタールではないのだろうか? 空が見えなくなるほどの分厚い雲が夜空を隠す。
湖の中心で何者かが立っている。 湖面に一切の波紋を生み出さず立つ様は浮いているといっても過言ではない。
黄色いぼろ布をまとった存在だ。 手足はぼろ布に隠されて見えない。 顔がある部分は影になって見えない。
だが同時に見てはいけないと感じさせる。 あ(・)れ(・)は人が知っていい存在ではないと理解できた。 できてしまった。
しかし、 そんな矮小な存在の理解など意味もないといわんばかりに、 黄衣の者がこちらへと近づいてくる。 逃げようとしても足が動かない。
やがて、 そのぼろ布の中身が―――
「……な、 何今の……?」
尻もちをついた彩香が呆然とした表情で呟く。 彼女の声に遠のいていた意識が戻ってくる。
慌てて周囲を振り向けば、 先ほどまでの困惑した雰囲気は霧散していた。
「ああ、 そうか、 つぎの公演場所はカルコサかあ……」
「どこだろう、 後でしらべてみないと……」
……状況は先程よりも悪化していた。 周囲の人々は皆、 ぼんやりとした表情で空を見上げていた。 円の友人である実里も同じような表情だ。
「実里!? しっかりして!」
「そっかー、 アリアちゃんも出世したねー」
「どういう状況!?」
慌てて肩をゆすったり、 頬を叩いたりしても同じようなことをくり返すのみだった。 試しに横に寝転がしても、 起き上がろうともせず、 ぼんやりと何かを呟くだけだった。
「ふっざけんな! こんなのやってられるか! 俺は帰らせてもらう!」
そのうち円達と同じように正気を保っていた人物がいたのだろう。 男の声で怒声が聞こえると、 誰かが人ごみをかき分けて、 会場を出て行ってしまった。
「……びっくりするほど見事な死亡フラグだね……」
その声を聴いていた彩香が呆れたように呟く。 円も同じような気持ちだった。
しかし、 このままこの会場にいるのも良くない。 この異常事態が改善するとは思えないし、 何より精神的に悪い。
他にもいた正気の人々も同じことを思ったのだろう。 動かない人ごみの中で、 何人かの人間が出口へと向かって動いているのが確認できた。
「実里はどうする?」
「……風邪ひくかもしれないし、 連れ出して、 室内のベンチにでも適当に寝かしておきましょう」
彩香の問いにそう答える。 さすがに冷え込んできた外に友人を放り出すのは良心的にもどうかと思う。
円が軽々と実里を担ぎ、 二人は人ごみを何とか抜け出す。
「ちょっと太ってきてる?」と小さく呟いた円の言葉を彩香は無視した。 情けというものである。
「先輩!」
「あれ? 穂村君? どうしてここに……」
「チケットを見たお前の様子が気になって張り込んでいたんだ。 一瞬変な湖が見えたと思えば、 周りの人間もおかしくなっちまった。 お前の勘が当たったな?」
「……あなたもいたんだ」
人ごみを抜け出して、 会場を後にした二人を出迎えたのは、 後輩の穂村 暁大と先輩の蕨 桜子だった。 二人の言葉を信じるなら、 どうやら赤霧ターミナルビルの中にいた人々もおかしくなったらしい。
とりあえず、 円が抱えていた友人を室内のベンチに寝かせておく。 周囲の人々は円達の行動に興味を持たず、 いや、 反応することなく、 呆然としている。
「―――皆様、 今宵はカルコサへの旅路へようこそおいでくださいました」
実里を寝かせたところで、 館内放送から声が聞こえてくる。 四人は聞いたことがある。 円からすれば何度も聞いた声だ。
「二つの満月が照らし出すカルコサの地。 宮廷にて王は演者をお待ちです。 このビルから出るには王の許可が必要です」
「……この声って……まさか……」
彩香達も声の主を思い出しのだろう。 放送は彼女達の心境など知らんと言わんばかりに、 機械的に続く。
「王に謁見するためには貢物が必要です。 狂気をつかさどる王の象徴たる“黄の印”などは最もふさわしいといえるでしょう」
「……」
どこか幻想的な妖精を思わせる雰囲気を持った彼女。 何のことはない。 正体は冒涜的な存在の下僕だったということか。
「アナスタシア……!」
「それでは皆さん……頑張ってください」
矮小たる存在の努力など無駄だといわんばかりの声で、 声の主、Анастасия Александровна Марковаは愉しそうに放送を打ち切った。




