Epilogue:月は遠く
遅くなりましたが、 第六章エピローグです。
安全とは迷信に過ぎない。自然界に安全というものは存在せず、人類が経験することもないのだ。
Security is mostly a superstition. It does not exist in nature, nor do the children of men as a whole experience it.
ヘレン・ケラー
Helen Keller
赤霧市にある高層ビルの一室。
ビジネスに必要なものが一通り揃えられたその部屋に彼らはいた。
メグル・キリシマとその孫娘であるアナスタシアしかいないその部屋で、 アナスタシアはあるものを自分の祖父へ手渡した。
「ほう、 これが」
「ええ、 お爺様。 翠月会が隠し持ち、 チョーチョー人の一派が本当の意味で必要としていた“月のお守り”ですわ」
偽物がいくつもあったので苦労しましたけど。 そう言いながらも疲労の色を見せないアナスタシア。 そんな彼女の様子に満足したのか、 「そうか」と一言だけ呟くと、 椅子の背もたれに深々と体を預けた。
「これで必要なものが全て揃った。 後は“塔”の完成を待つだけだ」
興奮を隠しきれない声で嬉しそうに話すキリシマ。 その様子を見たアナスタシアも喜びの表情を隠そうとしない。
「その“塔”も後一月で完成するそうです。 儀式の準備もそのころには終わりますわ」
「そうか、 ここまでくると少しばかり感慨深くはあるな」
「……ただ、 彼のことは少し残念でしたわ」
「なんだね? もしかして、 惚れていたのかね?」
少しばかり残念そうに話すアナスタシア。 孫娘の様子が気に入ったのか、 面白そうにキリシマは茶化す。
そんな祖父に対し、 アナスタシアはムキになることもなく、 「いいえ」と冷静に反論する。
「ただ、 彼ならば、 私達の同志になれたのでは、 と考えると少しばかり惜しいと考えてしまいまして」
「ククク、 それはないな」
アナスタシアの言葉をキリシマは静かに否定する。
「彼は君と違って、 己の血を好んでいなかったのだろう。 我々の同志になるのはありえないな。 むしろ、 家族を守るために死力を尽くして立ちはだかってくるだろう」
このお守りを奪うために、 多くの血が流れた。 その血のうちの一つが彼の兄である藍月だった。 ならば、 彼は守るために立ちはだかるだろう。 そのためには己の中にある呪われた血にすがることもためらわないはずだ。
口に出さずとも、 そう確信している彼は手にしたお守りを自身の目の高さにまで持ち上げる。
それは曼陀羅を模った美しいタリスマンだった。 様々な色彩で彩られたタリスマンは芸術関連の知識がない者でさえ、 優れた芸術性を感じられる一品だった。
特に目を引くのがその中心。 そこには小振りながらも満月のような非常に美しい翠玉が埋め込まれていた。
「準備が整い次第、 儀式を開始する」
美しい翠玉の中には一体どのような方法でかは分からないが、 一つの紋章が描かれていた。
「烏丸 京一郎に連絡を入れろ」
それは、 アナスタシアが円に見せた、 クエスチョンマーク三つが重なったような紋章であった。
†
翠華 月神。 それが男の名前だそうだ。
男が謎の怪物となってから一週間の時間が過ぎた。 あの時、 現場にいた応援の警官達は精神に異常をきたし、 休職となったらしい。 はたして復職することはあるのだろうか。
「そのわりにはあたし達は思っていた以上に平然としているけどね」
そう言いながら、 彩香は少しばかりぬるくなったコーヒーをすすった。
ここは如月喫茶店。 今回の事件に関わった大学生四人はこの場所で話し合っていた。 改めて、 警察からの事情聴取を受けた帰りだった。
唯一の社会人である間宮は今回の事件での後始末に追われていた。 公安の事務所が襲撃された件といい、 しばらくの間警察関係者は過労死寸前まで働かれることだろう。
というより働かされていた。 今日調書を取っていた刑事の顔がかなりゲッソリとしていたのだから、 大分キツいのだろう。 あまりそちら方面に関われないこちらとしては「頑張ってください」としか言えない。
ニュースサイトやニュース番組を見れば今回の事件が表面だけ報道されていた。 まだ細かいところは調査中となっているが、 そのうち都合のいい“真実”が後日報道されることになるだろう。
「……」
「円? どうしたのさ」
「あの娘のことが心配なんですか? 台湾にいるという親戚に預けられるそうですが……」
「でも、 環境が変わるっているのはキツイと思うぜ。 なにより国が違うんだ。 問題は起きないはずがないぜ?」
そうなった後が、 どうなるかまでは分からないがな。
そう言い切る桜子に責めるように睨みつける彩香。 小柄で可愛らしいと言われている彼女がそんなことをしても、 対した威圧感はない。 事実、 桜子は「おお、 怖い怖い」とまったく怖がっていない様子だった。
あの事件後、 唯一生き残った麗月は父方の遠い親戚に引き取られていった。 母親の親族とは連絡が取れなかったらしく、 台湾に行かざるを得なかった。
結局、 別れの挨拶もできなかったな。 と感傷にひたる彩香と穂村。 あまり話せなかったが、 それでも思うところはあるのだ。
「お金どうするかなあ……」
警察署を出てから、 ずっと心配そうな表情を崩さなかった円がようやく一言話した。 が、 その一言がおかしい。
うん? と疑問に思う三人だったが、 再び円がぼんやりと考えはじめてしまったので、 呆れながらも次の言葉を待っていた。
そう、 今、 円を悩ませているのは最初に前金として渡された三百万である。 あの時は受け取ったが、 結局彼女は守れたかといえば怪しい。
父親である藍月を守る義務は円にはない。 力も機会もなかっただろう。 しかし、 それで納得できるかといえばまた別の問題である。
麗月の悲しそうな顔を見て、 今からでも藍月から渡された前金を彼女に譲るべきか。 円の心中を占めるのはそのことだった。
台湾へと言ってしまった彼女の連絡先を教えられていないので、 このことを伝えられないだろうし、 彼女の一言を聞いた人からすればそんな考えには至らないだろうが。
「いやっほぉう! 円、 彩香。 久しぶり!」
彼女の一言をきっかけに何となく停滞した空気をぶち破ったのは奥畑 実里だった。 喫茶店に入ってきた彼女は、 円達を見つけると、 何のためらいもなく近づいてくる。
「あれ? 何この雰囲気……」
友人周りの妙な雰囲気に気がつくも、 「まあいいや」と気にしないことにする実里。 彼女も中々に強かである。
そのまま、 四人が座っているテーブルの近くにある椅子を一つ引っ張ってきて座る。 四人が何かを尋ねる前に、 鞄からスマートフォンを取り出す。
「ほらこれ! 『PLANET』のみんなメジャーデビューだってさ!」
スマートフォンの画面に映されていたのは、 数日前に円がボディガードをしていたバンドだった。 サイトのページには彼らの写真と共にメジャーデビューすることが大々的に書かれていた。 あの日のライブは大成功だったのだから当然と言えば当然の話か。
更にサイトのページにはデビューの日が一か月半程後であることが書かれている。 ちょうど春休みが終わるか終わらないかのころだ。 いささか急すぎないだろうか。
「アリア達も喜んでいたよ。 メジャーデビューが彼女達の夢だったしね」
「へ〜、 そりゃあ良かったじゃんか」
実里の言葉に桜子が乗っかる。 彩香と穂村も先程の微妙な雰囲気を振り払うかのように、 彼女が見せるスマートフォンの画面を食い入るように見ている。
そのうち、 穂村があるページを見つける。
「へえ、 メジャーデビューのライブは赤霧ターミナルビルで行うんですね」
「みたいだね。 ちょうど赤霧ターミナルビルの経営陣との間にちょっとしたコネがあるみたいでさ。 イそこでイベントを行うみたいなんだよね」
「へー」
赤霧ターミナルビル。 日本有数の高層ビルを目指して、 建設された超高層複合商業ビルであるはずだ。 一通りの建設は終わっており、 一月半で正式に開業するはずだ。 詳しいことはあまり知らない。
そこのイベントで数日前にボディガードをしたバンドがメジャーデビューするという話を聞いて、 円も実里の方へと視線を向ける。
こういうイベントはもっと早くから計画されているものではなかったか。 疑問が浮かぶが、 目の前の友人に聞いても意味がないことは分かっていたので口には出さなかった。
友人からのそんな視線に気がついたのか、 実里は鞄の中から数枚のチケットを取り出した。
「あ、 実はイベントのチケット持っていてさ。 数枚あるからもしよかったらどう?」
「うん、 ありがと……!」
差し出されたチケットを受け取ろうと、 視線を下におろせば、 最近見たばかりのあるマークが目に入った。
驚きのあまり、 ひったくるようにチケットを奪う円。 彼女の豹変に実里も他の三人も呆然としていた。
「どうして……」
どうして、 このマークが? このマークを目印にしたものなど、 この辺りでは月見川公園の石柱ぐらいだろう。 それに、 その石柱にまつわる逸話にはいいイメージはない。 奇妙な宗教にハマった御曹司が、 発狂して撃ち殺されたという話だ。
普通ならば、 ありえない。 だからこそ気になった。
どうして、 イベントのチケットにクエスチョンマーク三つを重ねたようなマークが大きく描かれているのか。 円には分からなかった。
次は第七章。
2/23 セリフと本文を少し変更。




