6:失態
新年あけましておめでとうございます。(約二週間遅れ)
遅くなってしまいましたが、 今年もよろしくお願いします。
公安の男は不機嫌だった。
翠月会という聞いたこともない組織の調査に自分のようなエリートを派遣していることである。
上層部からの命令ではあるが、 男からすれば、 このような木っ端組織に無駄な労力を割きたくないというのが内心考えていることだった。
……もしも、 何故上層部が翠月会についてここまでの干渉を考えているのか、 ということが分かったのならば、 男とて、 ここまでやる気はなかっただろう。
ようは、 上層部から見れば、 男も大したことのない人材であったということになるのだが、 それを男は知る由もなかった。
部下がまとめた数枚の報告書を読み終えると、 男は報告書を机に投げるように置いた。 溜息をつきながら、 眉間のコリをほぐすように揉む。
本来であれば、 男が所属している公安調査庁、 今回の場合はその地方支分部局である公安調査事務局の情報収集能力は、 警察のものよりは高い。 一応、 頭に専門分野に限るという文言が付くが、 凶悪なテロ組織から国家を守る組織の名は伊達ではないのだ。
しかし、 その情報収集能力をもってしても、 翠月会の詳細を掴むことすらできなかった。 話にすら聞いたことのない極小組織なのだから色々と伝手が少ないのだろう。 そう考えた彼は、 一つ溜息をつくと、 新たな書類に手を伸ばした。
「しかし、 これはどういうことだ……?」
思わず、 独り言が漏れる。 男が手にしたのは命令書であった。
そこには、 翠華 麗月を中央へと護送するように、 と要約できる内容が、 形式ばって書かれていた。 引き取り先は公安とはあまり関係のない人物だ。
翠華 麗月。 翠月会のトップである翠華 藍月の一人娘。 今回の襲撃で、 生き残った唯一の翠月会関係者。 上がなぜ彼女をそこまで重要視しているのか、 彼には分からなかった。
薄い(・)緑色の奇妙な入れ墨を額に入れている以外は特に奇妙な点が見当たらない少女。 入れ墨については親の何を考えているのかさっぱり分からなかったが、 その親がすでに亡くなっている以上、 その考えが聞けることはないだろう。
「……まあいい」
そう呟くと、 男は自分の仕事を始める。 男には中央に戻るという野望があり、 そのためには今回の件で躓いているわけにはいかないのだ。
―――そんな彼が中央に戻る、 戻れないという状況ではない事態に陥るまで残り数十分。
†
「麗月はどこにいる」
現れた男はそう告げると、 構えを崩さないまま、 二人を見据えた。
「そういう貴方は、 誰なの?」
同じく構えを崩さず、 質問を返す円。 間宮は一歩下がった状態で、 二人の行動を見ていた。 何かあれば、 すぐに行動できるように、 二人の一挙一動を観察しながら。
「……言う必要があるのカ?」
「あるよ」
敵意を隠そうともしない相手に、 警戒を強める円。
ジリジリとした雰囲気が漂う中、 警察署まで届けられた落とし物を受け取りに来た中年の女性が能天気そうに入ってくる。
そして、 ロビーが剣呑な雰囲気に包まれていることに気付くと、 「あらやだ!」とどこか能天気な声を上げながら、 反対側の壁際を通って二階へと上がっていった。
それを一つの合図として、 男は円に襲い掛かった。
右の掌打。 勢いをつけた一撃を円は体を左に傾けると同時に右腕を使って受け流す。
衝撃。 反らしたはずの一撃は、 その威力を十分に殺しきれずに、 痺れという形で円にその威力を伝えた。 右腕は少しの間だけとはいえ、 その機能を十分に生かすことはできないだろう。
(完全にしのぎ切れなかった! 直撃を避けたはずなのに、 この威力!?)
(今の一撃で仕留められたと思ったのだが、 荒事慣れしている? この日本で、 この若さで?)
互いに思惑が外れた結果となったが、 それでも動揺は最小限に、 円は左のフックパンチを繰り出す。 狙いは右の脇腹。 勢いのついた体勢では防御することは不可能だろう。
だから、 男はさらに勢いに身を任せた。
円の脇を通り抜けるような形でさらに踏み込む。 円もそれに気がつくが、 軌道を修正するには遅すぎた。
(今のを避ける!?)
円の一撃を回避すると同時に男は円の右足を最小限の動きで払う。
それ自体に対した威力はない。 しかし攻撃を回避されて、 体幹を崩している状態の彼女にその一撃に対応することはできなかった。
「わっ、 と」
バランスを崩し、 たたらを踏む円。 男はその隙を逃さずに、 円の右手首を掴む。 そして、 自身の勢いのままその右腕を強引に自分の前方へと引っ張る。
力任せの一投。 筋肉質とはいえ細身のその肉体からは想像ができないほどの強力で、 円は背中から地面にたたきつけられた。
「円!」
反応が遅れた間宮が援護しようと拳銃を抜くよりも早く、 男は仰向けに倒れた円の腹を踏みつける。 潰れた蛙のような悲鳴を上げる円。
「麗月はどこダ?」
男は円に体重をかけながら、 銃口を向ける間宮を睨みつけて、 男は鋭くもう一度問いかけた。
それは、 腹部を踏みつけられた円が抵抗することを一瞬でも忘れてしまうほど冷え切った声だった。
「動くな!」
ドタドタと、 二階から降りてきた警官達が男を取り囲む。 そのうちの半数が、 拳銃を抜いて男に向ける。
多勢に無勢という状況の中でも男は冷静に、 警官達一人一人に視線を配る。 その視線は彼らの動きを見透かすかのようだった。
「……こ、 っの……!」
彼らの声に自分が置かれた状況を思い出した円。 しかし、 男に踏まれたまま状態であった彼女は、 何とかして男の足をどかそうと空いている左手を足裏に入れて力を籠めるが、 びくともしない。
円は女性にしては長身で筋力もある。 並みの男よりも力強い自信はあるし、 荒事にだって慣れている。
そんな彼女が身動きもできずに、 完全に抑え込んでいる男は、 何でもないように、 警官達に語り掛けた。
「麗月はどこダ?」
冷酷さを含んだ一言に、 警官達の中でも荒事慣れしていない者達が気圧されたようにたじろぐ。
「だから、 彼女に何の用だ」
「言う必要があるのカ?」
「彼女は一度、 襲われている。 おまけに彼女の親が運営していた組織は襲撃を受けて壊滅している」
間宮は男の問いに答える。 その時、 頭にとある考えが浮かぶ。 そのことについて、 間宮は何のためらいもなく、 口にした。
「……もしかして、 翠月会襲撃犯に一味か?」
『!?』
間宮の考えを聞いた警官達は男への警戒心を一気に高める。 拳銃を抜いていなかった残りの警官も、 拳銃を抜いて、 男に向けた。
「違ウ」
間宮の言葉を、 男は一言で否定する。 そして、 溜息を一つつくと、 円から足をどける。
「彼女の叔父ダ。 姪ヲ迎えに来た」
「……証拠は?」
男から自由になった円が警官達の後ろへと下がりながら、 尋ねる。 彼女からの問いに男は首を振る。
「……とりあえず、 色々と聞かせてくれ。 少なくとも傷害の現行犯だ」
間宮はそう言って近づく。 男は諦めたように動かない。
言葉通りに逮捕しようと、 その手に手錠をかけようとした時、 上から声が響く。 間宮の先輩である壮年の刑事の声だ。
「間宮! 何している、 事件だ! 公安調査庁の事務所が襲撃されたそうだ! お前が保護した少女も攫われたらしいぞ!」
「!」
その言葉を聞くや否や、 男は間宮の手を払って出口へと走り出した。
「! 待て!」
慌てて、 警官達が後を追うが、 男の方が速く、 見失ってしまう。
警官達と同じように駆け出した円も、 男の後を追うのは不可能と判断すると、 間宮の元へと戻ってくる。
男を追いかけなかった間宮は先輩から話を聞いていたところだった。 その話をこっそりと盗み聞きするために、 円は近くの椅子に座る。
二人の会話を簡単に整理するとこうだ。 公安調査庁の事務所が何者かに襲撃された。 襲撃者は不明だが、 残された形跡から少なくとも十人以上。 というよりも、 監視カメラに十人以上の襲撃者の姿が映っていたという。
生存者は少数。 たまたま隠れていた者しかいなかったという。 それ以外の者、 襲撃者に抵抗したり、 彼らから逃げようとしたりした者は皆殺しになったという。
「それは翠月会を襲撃した組織と同じではないのですか?」
「いや、 手口が違う。 事務所を襲撃した奴らは普通に銃器を使っていた。 少なくとも翠月会のような奇妙な殺し方ではない」
もっとも、 この日本でどうやって銃を入手したのかという問題は残るがな。 そう言うと、 壮年の刑事は間宮に車を取りに行かせる。 間宮が警察署を出ていくのに合わせて、 円は彼の後を追う。
「大変そうね」
突然かけられた声。車道を走る車の騒音を無視するかのように透き通るような声。 円はその声の主を知っていた。
慌てて声をする方へ振り向けば、 そこにいたのは狙撃事件後にいなくなった女性、 アナスタシアだった。
「アナスタシアさん! 一体、 今までどこに?」
「少し事件を調べていたの」
そう言う彼女にはどこもおかしい様子はない。 だが、 円は何故か違和感を抱いてしまう。
自身が抱いた違和感の正体が分からないままの円にアナスタシアは話を続ける。
「藍月さんを襲ったのは、 チョーチョー人の一派で間違いないわ。 麗月ちゃんを襲ったのもね」
「……警察は間違いなく、 別の犯人だって言っていましたが」
「それは殺害方法が違ったからでしょう? 貴女なら理解できるはずよ。 超常の力には発動に条件があると」
「……!」
アナスタシアの言葉に、 驚いたように目を見開く円。 クスクスと楽しそうに嗤うアナスタシアは鞄から一枚のコピー用紙を取り出すと、 円に手渡す。
「そこに描かれている紋章は彼らが信奉する神を司るもの。 彼らが集まる場所が分かるんじゃないかしら?」
そこに描かれていたのはクエスチョンマークを三つ重ねたような奇妙な紋章。 どこかで見たことがあるような気がしたが、 どうにも思い出せない。
「それじゃあ、 頑張ってね」
「あ! 待ってください!」
去ろうとするアナスタシアを円は引き止める。 足を止めたアナスタシアは円の方へ意地悪そうな笑みを浮かべる。
「藍月さんの殺害はともかく、 麗月ちゃんが攫われたのはどうして知っていたんですか?」
アナスタシアの表情が変わる。 いたずらが成功したような意地悪そうな表情から、 何の感情も見えない表情に。
そして、 邪悪さを煮詰めたような笑顔に。
「―――」
彼女が何を言ったのかは分からない。 しかし、 円が気づいた時には、 アナスタシアは円の前からいなくなっていた。
心臓の音が妙にうるさく感じられる。 寒い冬のはずなのに、 大量の汗が流れるのを感じられる。
一瞬自分が感じたのは幻ではないかと思考が揺らぐ。 しかし、 皺と手汗でぐちゃぐちゃになったコピー用紙が先程の光景は現実であったことを伝えてくる。
先程までは聞こえていなかったはずの車の走行音がやけに耳に響く。
どうにもまとまらない思考を落ち着かせるように、 握りしめたコピー用紙を広げる。 幸いなことに、 インクが滲んだ様子はない。
「―――大丈夫か?」
背後からかけられた声に、 慌てたように反応する。 急いで振り向けば、 そこにいたのは間宮だった。
「……本当に大丈夫か? もう、 帰って休んだ方がいいんじゃないか?」
間宮が心配そうな声を出す。 その問いに応えず、 いまだ落ち着かない頭の中を少しでも落ち着かせようと、 空を見上げる。
「―――あぁ」
何故か唐突にはっきりと思い出せた。
心当たりがある方へと目線を向ければ、 友人達がこちらへ手を振りながら歩いてきていた。
しかし、 円の視線はさらにその先、
コピー用紙に描かれたものと同じ紋章が刻まれている月見川公園のモニュメントがあるであろう場所を見つめていた。




