2:神眼を持つ少女
翌日。 警察署で一夜を明かした円は、 一度自宅に戻って着替えると、 麗月と共に三塚大学へと向かった。
三塚大学は期末考査を終えて、 春休み中である。 それでも彼女が向かった理由は友人達と待ち合わせをしているためである。
「お、 円〜こっちこっち!」
彼女の姿を見た友人、 泉 彩香が手を振って円を呼ぶ。 彼女の近くでは、 蕨 桜子と穂村 暁大の三名が備え付けのベンチに腰掛けていた。
「ごめんね、 急に呼び出したりして」
円はそう言いながらも、 急な連絡にも拘らず来てくれた三人に内心で感謝する。 三人は特に何も気にしていない様子で、 円に声をかける。
「……で、 その娘が麗月ちゃん?」
「ハイ、 翠華 麗月です。 よろしくお願いします」
そう言いながら、 礼儀よく頭を下げる麗月。
「麗月ちゃんって中国人?」
「いえ、 台湾人です。 ただ、 わたしは日本生まれの日本育ちなので、 日本語しか分かりませんが」
「えぇ〜……」
それは台湾人と言っていいのだろうか。 そう内心で考えてしまう一同だったが、 戸籍上が台湾人ならば台湾人なのだろうと無理矢理自分を納得させる。
「お父さんは何をしているの?」
「翠月会の“そうすい”をしているそうです。 わたしにはお仕事の話をあまりしてくれないので、 詳しいことは分かりませんが」
“そうすい”……“総帥”のことだろうか。 円は脳内で、 彼女の言葉を変換する。 やはりというか、 依頼をしてきた翠月会にとって彼女は非常に重要人物であるようだ。
それと同時に疑問も浮かぶ。 それほど重要な人物ならば、 なぜ素人である円に頼んできたのか。 やはり、 その道のプロに頼んだ方がより安全で確実だと思うのだが。
『この世界の裏側を知っている貴女だからこそ、 対処できる事態がある』
『この依頼を受けなければ世界が危機に陥る』
昨日言われた言葉。 彼女が思い当たるのは一つだけ。
もしも、 彼女の考えが当たっているのならば、 また厄介なことになる。 ……だけで済めばいいのだが。
「翠月会?」「もしかして、 麗月のお父さんって偉い人?」と口々に疑問を浮かべる三人とは別に円はそんなことを考えていた。
「そういえばさ」
質問をされ続けて疲れた麗月のために、 自販機から買ったジュースを渡しながら、 彩香はそう切り出した。
他の三人も一つ休憩するために各々買ったジュースを飲んでいる。
「麗月ちゃんはなんで狙われているの?」
「……分かりません。 ただ、 相手はわたしを殺す気はない。 と、 思います」
「それは何で?」
彩香そう尋ねると、 麗月は何かを考えるようにうつむいた。 言いたくない何かがあるのだろうか。 そう考えた円は、 うつむいている少女に視線を合わせるようにしゃがみ込む。
「教えて」
そのまま、 彼女の目をじっと見つめる。 瞬きは最小限に。 いたたまれなくなった麗月が目を逸らそうとするが、 それすらも許さずに、 じっと見つめ続けた。
やがて、 耐えきれなくなった麗月が一つ溜息をつくと、 「馬鹿にしないでくださいね」と一言言うと意を決したように話し出した。
「相手の狙いは“神眼”だと思います」
「神眼?」
「ええ、 神の眼と書いて神眼。 この額の模様は“神眼”と言われるもので、 この模様の持ち主は未来を見通す力を持っているそうです」
「これがねえ……」
話を聞いていた桜子は「信じられない」といいそうな表情で、 麗月の額をつつく。 “神眼”と言っても額に描かれているので本当の目ではない。 つつく指の勢いが意外とあったのだろう、 「うわっ」と小さな悲鳴を上げて仰け反る少女。
「なにやってるのさ」
慌てて少女を受け止めようとする円と、 非難する彩香。 「大丈夫?」と声をかける穂村に「大丈夫です」と返す麗月。 円は先程の話から気になったことを尋ねた。
「そういえば、 お父さんや叔父さんにも同じ模様があるって聞いたけど、 二人も似たような能力があるの?」
円の問いに麗月は困ったような表情をする。
「実は……今わたしが言ったことはただの伝承みたいで、 わたしは未来を見通す力なんてないんです……」
「え?」
「どういうこと?」
「言葉通りの意味です……強いて言うなら他の人よりも勘がいい程度で……」
そう告げる彼女はどこか悲しそうな表情をしていた。
その顔を見ながら、 桜子は質問する。
「それならなんで、 “神眼”が狙いなんて言えるんだ? 当の本人がその力を信じていないじゃないか」
「以前、 父が言っていたんです。 神眼の力を信じていて、 その力を悪用しようと企む人がいると。 それで今回のボディガードの件を受けて、 その話を思い出して」
「信じている人にとっちゃ、 その力は絶対に存在している、 ということですね。 確かに、 未来を知ることが出来たなら何でもできるでしょう。 それこそ大金を得ることも、 権力を握ることも」
「嫌いな人間を殺すことも」
穂村が納得したように話した後に、 円がひどく冷たい声で補足する。 その言葉が意外だったのか。 円を除く四人が、 驚いたような視線を円に向ける。
その視線を気にもせずに、 円は自分の考えを述べた。
「未来が分かるってことは、 未来の行動も分かるってことでしょう。 どの時間にどこに行くか……分かっているならばそこに罠を仕掛ければいい。 自滅を覚悟するなら、 ナイフ片手に突っ込むのもありだしね。
それに、 何をいつ食べるか分かるのなら、 その時間帯にその食べ物に毒を盛ればいい」
そこまで言い切って、 少し言い過ぎたか、 と円は溜息をつく。
「先輩流石にそれは……」
「ありそうだがな」
円の言葉に穂村はドン引きしている。 一方の桜子は楽しそうに彼女の言葉を肯定した。
“神眼”を持つとされている少女は自身が持つと言われている力の使い道の一つを知って、 少しばかり顔を青ざめさせている。
予知能力など持たないという彼女の言葉を信じるならば、 特に気にすることではないのだが、 そのような思考を持つものが自身を狙っているということが恐ろしいのだろう。
「……」
その様子を黙って見ていた彩香。
突然何かをひらめいたように、 彼女は麗月の肩を掴む。 身長がほとんど同じのために友達同士のふざけ合いにしか見えないのが悲しい。
「ショッピングに行こう!」
「ん?」
「え?」
「は?」
そこからの彩香の提案に全員が間抜けな返答をしたのは、 仕方がないことなのだろう。
†
ショッピング【shopping】
[名]買い物。 買い物をすること。 ―――Weblio辞書より
その言葉通り、 円達一行は赤霧市の繁華街で買い物を楽しんでいた。
「護衛中なんだけれどもいいのかなぁ」
円の不安そうな声を聞いて、 彩香は楽観的に返事をした。
「まー大丈夫じゃないかな。 こんなに人がいるんだし、 仮に相手がいても襲ってこないよ。
それよりも、 麗月ちゃんの気分転換の方が大事だって!」
「うーん、 それもそうかな……」
「ま、 何かあっても、 何とかしてくれるだろ?」
「いや、 出来れば何も起こらないでほしいんだけれども」
はあ、 と溜息をつく円。 そんな彼女を尻目に、 彩香と桜子、 麗月の三人は様々な店へと入る。 時には冷やかし、 時にはちょっとした小物を買いながら、 特に意味もなくうろつく。
所詮、 ボディガードとしては素人に過ぎない円は、 麗月を守るための行動としてはこれが正解なのか分からなかった。
ただ、 麗月の楽しそうな顔を見ていると、 「それでもいいか」という気分になってくる。 所詮は素人なのだ。 完璧な警護を頼むならば、 プロに頼めばいいのだ。
おそらくだが、 彼らも本気で円一人で守り切れると考えてはいないだろう。 周囲を軽く見渡してみても、 自分達をつけてくるような人物は見当たらない。
残る問題は翠月会が円に依頼した理由についてだが、 これは気にしすぎてもあまりいい考えが思いつかないので気にしないことにした。 今までに出会った奇怪な事件のことは頭から追いやることにする。
「あら? 円さん?」
冷たい印象を受けそうな女性の声。 声がした方を見ればそこにいたのはあの龍原リゾートで知り合ったアナスタシアだった。 途端に龍原リゾートでの出来事が思い出される。
「アナスタシアさん。 お久しぶりです。 どうしてここに?」
「ちょっと用事でね。 こちらの可愛らしい娘は?」
そう言いながら、 アナスタシアは麗月へと視線を合わせる。
見知らぬロシア美女に近づかれて、 台湾人の少女は怯えたように彩香の後ろに下がる。 襟月をかばう形になった彩香はアナスタシアのことなど知らない。 というより、 円以外に彼女を知っている人はいない。
「えーと、 この人はアナスタシアさん。 年末の龍原リゾートの件で知り合ったの。
アナスタシアさん。 彼女達は私の友人で、 泉 綾香、 蕨 桜子、 穂村 暁大。 そして、 この娘はちょっとした事情で預かっている子です」
「誰だこの人」と言いたげな三人の視線に押されるように、 互いを紹介する円。 彼女の紹介を受けて、 互いに簡単な礼をする。
そんな中で一人、 麗月だけは、 アナスタシアから視線をそらさずに怯えていた。 彩香を掴む手に力がこもっていく。
一体どうしたのか、 彩香が聞こうとしたところ。
「久しぶりぃ」
この奇妙な一団に声がかけられる。 男の声だ。 もちろん、 穂村のものではない。
振り向いてみれば、 四人組の男がそこにいた。 年齢は二十代前半ほどか、 全員まじめな勤め人には見えない格好をしていた。
「誰だ?」
桜子が首をかしげる。 円も彩香も知らない人物だ。 一応、 アナスタシアの方も見てみるが、 彼女も知らないようで不思議そうな顔をしている。
「あれ、 俺のこと忘れちゃった?」
そう言いながら、 男は桜子の方へと近づいてくる。
「あんたの知り合い?」
「知らんわ、 こんな奴ら」
彩香のからかうような疑問にそっけなく答える桜子。
二人のやり取りを見ていた男達はオーバーに悲しむようなリアクションをとる。
「あれ〜? 忘れちゃった? 俺だよ俺、 イトウ。 昔一緒に遊んだの忘れちゃった?」
そう言いながらさらに近づいてくる。 気がつけば、 円達は四人の男達に囲まれていた。 さらに少し空白を開けて周囲には野次馬が集まってきている。
面倒なことになった。
円は内心でそう思いながら、 無遠慮に近づいてきた男の手を取り、 その手を捻る。
「痛ぇ、 いきなり何すんだよ!」
「勘違いじゃないかな。 私達は誰もあなた達のことなんて知らないし。 ナンパだとしたら下手糞すぎるよ。 もう少し練習してきたら?」
そう言いながら、 手を放す。 「痛え、 痛え」と小声で喚きながら、 イトウと名乗った男は二、 三歩下がる。
イトウが連れてきた男達の視線が好色そうなものから敵意が混じったソレに変わる。 野次馬達の中からは「え? なにこれ?」「喧嘩?」といった戸惑いの声が聞こえてくる。
幸いにして、 ここは繁華街。 近くには交番もあるので、 すぐに警官が来ることだろう。
しかし、 男達の方は頭に血が上ってきているらしく、 逃げ出すそぶりは見せない。
「すいません、 助力お願いできますか」
流石に、 他の面々を守りながら、 四人相手は厳しい。 というか、 無理だ。 何度も言うが、 彼女はこういった状況に関しては素人なのだ。
なので、 近くにいたアナスタシアに助力を頼む。 彼女もこの状況は不本意らしく、 「分かったわ」と言うと、 円の右側に立ち、 ある一点を見つめる。
「!」
そこからの行動は速かった。 アナスタシアは素早く、 近くにいた円の後ろ襟を掴むと、 そのまま、 後ろに引き倒す。
「え? うわっ」
アナスタシアの方を警戒していなかった円は碌な抵抗もできずに後ろに引き倒される。 「何を」と思う前に引き倒されていく円の前髪を“何か”が撃ち抜いていく。
前髪を撃ち抜いた“何か”はそのまま勢いを減ずることなく、 円の左側にあるビルの壁にヒビを入れる。 何か固いもの同士がぶつかる音が周囲に響く。
「え? 何ですか? 今の」
今まで、 蚊帳の外にいた穂村がそんなことを口走る。 野次馬も男達も同じ気持ちのようで何があったのか周囲を見回しながら、 各々バラバラのことを呟いている。
「狙撃よ」
アナスタシアがそう呟く。
その声をきっかけに、 野次馬は一気にパニックに陥る。 男達も想定していなかったようで、 「お、 俺は知らないぞ」とうろたえながら、 野次馬をかき分けて逃げ出していく。
無理もない。 銃刀法が制定されている日本で銃による狙撃など、 考えられるものではない。 他の者達と比べて荒事に関わってきた円達でさえ、 呆然としてすぐに対応できなかった。
そんな中、 アナスタシアだけは冷静だった。
「あの車!」
アナスタシアが指し示す方を見れば黒塗りのワンボックスカーが一台、 筒状のものを車内にしまいながら、 急発進しているところだった。
彼女の声にはじき出されたように、 道路を飛び出す円達。 しかし、 円を狙ったと思しき車は信号無視をしながらあっさりと逃走した。
当然ながら、 車と人では車の方が早い。 円達を置いてけぼりにして、 車はあっという間に見えなくなっていた。
「くそっ! これじゃあ、 ナンバープレートも読めねえ。 何だったんだあいつら」
いつの間にか取り出していたスマートフォンの画面を見ながら桜子が悪態をつく。
その声は、 円達を狙った襲撃者がいることを嫌が応にも理解させた。




