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幻想怪異録  作者: 聖なる写真
5.鏡面の“雪”
31/53

8:風の神


 龍原グランドホテル屋上。 そこにはVIP客を出迎えるヘリだけだはなく、 いざという時の救急ヘリが降り立つための施設であるヘリポートがある。 しかし、 今は吹き荒れる吹雪によって積み重なった豪雪によってその姿を隠してしまい、 使い物にならなくなっていた。

 そして、 荒れ狂う吹雪はそのまま、 人々の視界を遮る“幕”となる。 ヘリポート全体を視界に収めることは不可能になっていた。

 雪と共に空を荒らす強風によって、 今のヘリポートにヘリを下ろせる腕前を持つものなど世界中を探しても見つからないことだろう。

 

 そんなヘリポートの中央から、 恐らく中央だろうと言える位置から少し離れた場所に“彼ら”はいた。

 “彼ら”は人などではなかった。 獣であった。 一体は六つの脚を持ち、 そのうちの二本の脚を器用に使い、 彼からすれば小さな銅鏡を抱えていた。 それは大森 勤造が大事そうに所有していた“御神体”であった。

 六つ脚を持つ獣の名はノフ=ケーといった。 この地域では野吹の名前でも知られている存在だ。

 ノフ=ケーの周囲には六体の獣人。 禍々しい猿の様な怪物。 ウェンディゴ、 飢淀孤と呼ばれる彼らは、 ブツブツと何かを唱えながら、 分厚い雲により日の光がほとんど遮られた白い空を見上げていた。 その姿はまるで神に祈りを捧げる神官のようでもあった。

 本来であれば、 何も見えないはずの猛吹雪の空に何を見ているのか。 何に祈りを捧げているのか。 この答えが明らかになる前に、 彼らの背後、 屋上から下へ降りるためのエレベーターと非常階段がある方向から、 物音と人の声がした。

 

「いた! まだ儀式は終わってない!」

「松明に火を点けろ! おのれ……よくも私の鏡を!」

 

 下の階からやってきた円と大森が声を荒げる。 松明を持っている男達は吹雪にさらされながらも、 必死になって手製の松明に火を点けていく。

 火の点いた松明をかざすと同時のタイミングで吹雪の勢いが少し弱まる。 そして、 彼らは見てしまった。 怪物たちの姿を。

 

「―――!」

 

 想像上の姿でしかなかった存在を朧気ながらも目視してしまい、 人々は戦慄する。 バスを横転させた存在、 ノフ=ケーと、 ロビーを襲撃した存在のウェンディゴがこちらに敵意をむき出しにして迫ってきていた。

 

「構えろ! 来るぞ!」

 

 晃の言葉を受けて、警備員達が火のついた松明を武器のように構える。 しかし、 その手は震え、 顔には恐怖や動揺の表情が浮かんでいる。

 無理もない。 銃を持った人間でもただの警備員には荷が重いのに、 目の前にいるのは、 そんな銃持ちよりも遥かに危険な(バケモノ)なのだ。

 怯えを隠せない警備員に代わって最初に動き出したのは大学生である円だった。

 

「油! ふたを開けて!」

 

 円の命令を受けて、 警備員の一人が一斗缶のふたをこじ開ける。 手渡されたそれをひったくるように掴むと、 自身の腕力と勢いを利用して、 ハンマー投げのように一斗缶を投げ飛ばした。

 投げ飛ばされた一斗缶は怪物どもに命中することなく、 彼らの頭上を越えていく。 中身の油をぶちまけながら。

 これこそが彼女の狙いだった。 確かに十八リットルの油が入っている一斗缶が当たればそれなりのダメージがあるだろう。

 しかし、 円自身に一斗缶のような重量物を狙った場所まで投げる練習や訓練を積んだ経験はない。

 彼女の狙いは中身である油だった。 油をかけて火で焼く。 こんな猛吹雪の中では、 晴れている時と比べて燃えやすいとは言えないが、 十分な効果はあるはずである。

 そして、 彼女の考えは当たっていた。 まき散らされた油はその大半が雪に混じり合うという結果に終わってしまった。 それでも、 幾分かの油は確実に怪物たちの体毛に染みこんでいく。

 

「今だ!」

 

 そして、 その機を待っていたと言わんばかりに、 火のついた松明が突きだされる。 松明が命中したウェンディゴの体毛に染み付いた油に火が灯る。

 

「―――――!」

 

 絶叫。 数体のウェンディゴは己が肉体を燃やそうとする火を消そうと、 雪上を転がる。 しかし先程述べたように、 油の大半は雪に染みこんでしまっている。

 そして、 油は燃える。 雪に染みこんだ油も同様である。

 すなわち、 “雪が燃える”という異常な光景が見られるということである。 まき散らされた油の量があまり多くないということもあってすぐに消えてしまうことだろうが、 視覚的な効果は十分だった。

 

「油をまけ! 地面にだ!」

 

 突如燃え上がった地面に両者がひるむ中、 晃が指示を出す。反射的に命令を聞いた警備員達が、 一斗缶のふたを開けて、 油をまいていく。

 新しく追加された油は近くにいたウェンディゴにも火を移していく。 最初の攻撃で無事だったウェンディゴも、 自らに点いた火を何とか消しつつあったウェンディゴにもまかれた油が灯した火が襲い掛かる。

 

「う、 うわぁ!?」

 

 無論、 怪物どももただやられるわけではなかった。 いくつかの個体は燃える自身の体を気にもせずにその爪をためらいなく振るったのだ。

 鋭い爪に引き裂かれた警備員の一人が大きく吹き飛ぶ。 幸運なことに傷はそれほど深くなく、 重要な臓器を傷つけてはいなかった。 素早く止血すれば命は助かることだろう。

 しかし、 その一撃は人々に自分達が戦っている相手が何なのか思い出させるには十分すぎた。

 そう、 今目の前にいる相手は単なる暴漢などではない。 火による攻撃が上手く行っていただけで、 相手はその一撃で自分達を容易く殺傷できる相手なのだと。

 

 ひるんだ相手を見逃すほど、 ウェンディゴは甘くない。 火のついた身体を気にもせずに、 彼らは敵対者へとその爪を振るう。

 素早く立て直したのは晃と大門だった。 彼らは持っていた猟銃を構えると、 自身に襲い来るウェンディゴにためらうことなく発砲した。

 至近距離からの一発はウェンディゴに命中した。 たったそれだけで、 目の前の怪物は倒れ伏し動かなくなった。 後は彼らの体についた火が、 火葬までしてくれることだろう。

 目の前の敵が動かなくなったことを確認すると、 晃はすぐに周囲を確かめた。

 

(残りはどこだ!?)

 

 先程襲い掛かったのは合計で三体。 うち二体は猟銃からの一発に沈んだ。 では残りは?

 答えはすぐに見つかった。 アナスタシアの目の前で怪物が崩れ落ちる。 ウェンディゴの額には手斧が刃の部分が見えなくなるほど深々と突き刺さっていた。

 呆然とする晃に対して、 彼女は悪びれもなく告げる。

 

()()()()()()わ。 ()()皮が薄いところに刺さったみたいね」

「お、 おう……」

 

 ―――そんなわけがあるか!

 そう言いたい気持ちを無意識のうちに押さえつけていた。 仮に彼女の言う通り、 分厚い毛皮が特別に薄い部分に斧が当たったとしても、 今度は“骨”と“筋肉”というものが立ちはだかる。

 いくら彼女の持っていた斧が小型の消防斧だったとしても、 刃が見えなくなるまで食い込ませるには、 かなりの膂力が必要なはずだ。

 改めて、 アナスタシアを観察してみても、 彼女の細い手足からは斧を深々と叩き込むどころか、 斧の重さに振り回されそうに見えるのは気のせいではないはずだ。

 

「何やってる! 早く、 あのデカブツを始末するぞ!」

「そ、 そうだ! 私の鏡を早く取り戻すんだ!」

 

 マジマジと観察していたところで、 大門と大森から怒号が響く。 猟銃は先程の発砲で弾切れだったので再装填したらしい。

 大門の怒号を受けて、 晃も慌てて、 弾を込めなおす。 先程飛び出してきたウェンディゴを含めて、 この屋上にいたウェンディゴは全滅したようだ。 ほとんどが屋上を照らす明かりの燃料と化している。

 残りはあの巨大な怪物、 ノフ=ケーだけだ。

 怪物がいたほうへと目を向ければ、 娘である円がノフ=ケーとにらみ合いをしていた。

 

 

 

 ウェンディゴよりもはるかに大きな身体を持つノフ=ケーは、 ただこちらを観察していた。

 六本ある脚のうち、二本はあの“鏡”を持っていた。 天高く掲げるさまは、 まるで神に祈りを捧げる祭司を連想させた。 まあ、 間違いなくその神は邪神の類だろうが。

 そんな、 怪物と対峙する円は動くことが出来なかった。 ノフ=ケーの巨大な体躯相手では自身の攻撃が通用するのか分からないうえに、 向こうからの一撃は確実にこちらを殺傷させることができるという理不尽なものになっていた。

 

「怪物が! こいつでも喰らえ!」

 

 大門が円の背後からそう叫びながら、 猟銃の引き金を引く。 轟音と共に放たれた弾丸は、 ノフ=ケーの肉体に命中した。 が、 それだけだった。

 銃弾を受けたはずなのに、 まるでそれが何の影響もないようにふるまうノフ=ケーの姿に、 大門は恐怖を感じて後ずさる。

 円も呆然と撃たれたであろう場所を見つめていた。 白い体毛が赤く染まっていたので間違いなく命中はしているのだろう。 それを歯牙にもかけていないという事実が余計に恐ろしいのだが。

 そして、 かすり傷のようなものとはいえ、 自身を傷つけた存在を敵と認識したらしい。 ノフ=ケーは視線を円から離すと、 大門を敵意ある瞳で睨みつける。

 

「ヒッ」

 

 それが彼の最期の言葉になった。

 その巨体から想像しにくい速度で、 一気に距離を詰めると、 ノフ=ケーは脚の一本を横なぎに振るう。

 ウェンディゴとは比べ物にならない剛腕による一撃は、 大門の鍛えられた肉体を切り裂いた。

 内臓が切り開かれた腹部から赤い血と共に零れ落ちる。 正面から見ても背骨が見えるほどの一閃は、 ただそれだけで、 大門という男の人生に終止符を打つには十分すぎるほどの一撃だった。

 人一人を一撃で殺した怪物は、 平然と次の獲物を見定めるべく、 周囲を見渡す。

 

 そして、 アナスタシアと視線を合わせ、 そこで動きを止めた。

 

 先程の動きからは想像できないほどに動かなくなったノフ=ケー。 まるで元の石像に戻ってしまったかのような不動の怪物を前にして、 円と晃の親子は理解が出来ずに混乱する。

 一方のアナスタシアも、 逃げることも抵抗することもなく、 ノフ=ケーを見つめていた。 しかし、 それは恐怖でも怒りでもない。

 

「あ」

 

 美女と野獣の見つめ合いをただ呆然と見ていた円だったが、 ノフ=ケーが掲げている“鏡”を見て、 ある発想に至る。

 

―――これ、 鏡を狙うチャンスじゃね?

 

 意味の分からない現状からの逃避ともいえばそうなるだろう。

 しかし、 思いついた以上は全力で行けるような気がした。 できる以上は実践するべきなのだ。

 

 一歩目、 大きく踏み込み、 駆けだす。

 二歩目、 後ろを向いているノフ=ケーに飛びつくように、 勢いをつけて跳ぶ。

 三歩目、 ノフ=ケーの背に乗り、 跳びついた勢いそのままに回し蹴りを鏡に打ち込む。

 ノフ=ケーが今更ながら円の存在に気付くが、 もう遅い。

 

「あ、 あ、 ああぁああ!?」

 

 大森 勤造の哀れな悲鳴が響く。

 円の回し蹴りを受けた鏡は、 ノフ=ケーの手を離れ、 グランドホテル屋上から吹雪の中へと消えていった。

 

 

 

 円が鏡を弾き飛ばしたことで、 儀式が完了する前に止めることはできた……はずである。

 鏡を弾き飛ばされて呆然とするノフ=ケーの背から跳び降りながら、 円はそう考える。

 事実、 吹雪の勢いは弱まり、 十秒もしないうちに先程までの勢いは何だったのかと言いたくなるほど、 あっさりと吹雪は止んだ。

 ……しかし、 吹雪が吹き荒れていた時よりも体は冷え、 震えは止まらない。

 戦闘が終わったことで、 アドレナリンが出なくなったから? いや、 違う。 よく見れば空中にキラキラと輝く物が浮かんでいた。

 この時、 この場にいたものは分からなかったのだが、 これは空気中の水分が瞬間的に凍結したダイヤモンドダストと呼ばれる現象であった。 そして、 その現象は龍原リゾートがある地域では起こりえない現象でもあった。

 

 「一体、 何が……」

 

 誰かが呟く。

 空を見上げれば、 渦巻く重々しい雲の一部が、 こちらへと急激に降下していく。 いや、 雲ではなく、 それは手だった。 細長い五本の指、 鋭利な鉤爪。 あり得ないほど青白い皮膚。 人間を鷲掴みできるような巨大な腕が幾本もこちらへと伸びてきていたのだ。

 

 誰もがその異様な光景に呆然と動けなくなっていると、 天から伸びてきたその手は鏡を掲げていたノフ=ケーと黒焦げになっていたウェンディゴをしっかりと掴んでは天高く連れ去っていく。 まるで儀式に失敗したことに対する罰を与えるかのように。

 しかし、 降りてきた手はそれだけではなく、 化け物どもを掴まなかった手は、 「ついでだ」と言わんばかりに屋上にいた人々にも伸びてきていた。

 その事実に気が付いた晃は叫ぶ。

 

「逃げろ―――!」

 

 その言葉をきっかけに、 我に返った人々は、 持っていた物を放りだして、 我先にと逃げ出す。 逃げる先は非常階段。

 怪我をしてへたり込んでいた警備員も、 どこにそんな力が残っていたのか必死の表情で転がり込むように階段を駆け下りていく。

 最後尾にいた円も、 脇目も降らずに走り出す。 途中、 手が後ろの雪をごっそり持っていく気配がした時は、 自身の心音以外の音が聞こえなくなるほどだった。

 

 誰もが必死になって階段を駆け下り、 オーナーの私室であった最上階まで降りてきたとき、 誰もが息を絶え絶えにその場にへたり込んでいた。

 そして、 最初に落ち着いたらしい怪我がない方の警備員が周囲を見渡すと、 呟いた。

 

 

 

「……あれ? オーナーとあの女性は?」

 

前作よりも変更点多め

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