7:愚王が築きしバベルの塔
風が吹く。 雪が視界を遮る。 最高品質の断熱材で造られた壁を無意味だとあざ笑うかのように、 冷気が室内を侵す。
一歩でも外に出れば、 そこに待つのは死の世界である。 しかし、 そんなものは子供には関係がない。 といっても、 今の龍原リゾートにいる子供はごく少数なのだが。
せっかくだからと、 ホテル内を歩き回る者。 元からの友人やこのリゾートで仲良くなった子と一緒に遊びまわる者。 何か食べるものはないかとレストランやカフェテリアのエリアをうろつく者。 子供達は様々な行動をとっていた。
そんなごく少数の子供の一人、 入谷 愛理は他の子供達と同じようにホテル内の廊下を歩きまわっていた。 暖房が効いているはずの廊下はなぜか寒々しく、 陰鬱とした雰囲気が感じられる。
まるで季節外れの肝試しのようだ。 と内々で考えながら、外の暗闇を打ち消すかのように煌々と照らされた廊下を歩いていく。
「―――」
「ん?」
ふと、 人の話し声のようなものが聞こえた気がして、 愛理は窓の外、 吹雪が吹き荒れる地に視線を移す。 相変わらず外は黒い空の中を白い雪が自由気儘とは言い難いスピードで行きかっている。 当然、 暴風による轟音が響き渡ってもいた。
常識で考えるならば、 人の声などどれだけ大声を出しても、 愛理に聞こえるはずがない。
しかし、 彼女は確かに聞いたのだ。 いや、 今もまだ聞こえている。 内容までは分からないが、 何かを呼ぼうとしているのが分かる。
何故分かるのか、 と聞かれても彼女にも分からないのだが。
だけれども、 内容が気になる。 吹雪の中にいるであろう謎の人物が一体何を唱えているのか、 何を呼ぼうとしているのか。
少しでも情報を得ようと声のする方、 窓の方へと体を寄せていく。 そのまま窓に耳をつける。 冷たい感触を顔の半分に感じるが、 それを気にもかけず、 少しでも内容を聞き取れないかと、 更に身を寄せていき―――
「何をしているんだ?」
「ひゃっ!?」
そんな背中にかけられる男の声。 恐る恐る振り向くと、 そこには警備員がいた。 警棒を手に愛理の方へと近づいてくる。
愛理を含む部屋を抜け出した子供達は頭からすっぽりと抜け落ちていたことだが、 現在、 この龍原ホテルは厳戒態勢に近い状態であった。 一階は怪物達の襲撃によって使い物にならなくなり、 外へと脱出する手段も連絡を取る方法も確保できていないのが現状だ。
そんな状態で、 気を付けるべきことは、 混乱や暴動による内部からの崩壊だろう。 それ故に、 警備員達は少ない人数ながら、 昼夜問わずの巡回を行うことにしたのだ。
「何をしているんだ。 危険だから部屋に戻りなさい」
「いや、 あの、 人の声が……」
「人の声……? そんなもの聞こえないな。 こんな吹雪じゃ人の声なんてここまで届かないだろう」
愛理が外を指さして、 言い訳にならない言い訳をしても、 警備員には聞こえなかったようで、 首をかしげている。 その後の発言に愛理自身も「それもそうか」と納得し、 大人しく警備員と一緒に自分達が泊まっている部屋へと戻ることにした。
なんとなく外に出たかっただけで、 別に必死になる必要を感じなかったためだ。
なおこの後、 愛理は自室に戻るためのカードキーを忘れてしまい、 両親を頼ることになる。 当然のことだが、 この緊急事態に勝手に外出したことでしっかりと怒られることになるのだが、 ここでは割愛させてもらう。
†
円は渡された古書を閉じると頭を抱えた。
昨日、 アナスタシアから渡された古書は、 かつて野吹を一瞬で鎮めたという高僧が記した“魔導書”と言うべきものであった。
より詳しく読み込まずとも、 民俗学的に重要な資料でありことが分かるが、 今の彼女にとってはそれほど重要なものではなかった。
この古書にはかつて村にあったという銅鏡についての覚書と言えるような部分があったのだ。 それだけではなく、 野吹や飢淀孤と名付けられた怪物についてもその古書には記されていた。
そして、 怪物どもが崇める神、 偉孝についても古書内に記述があった。
野吹、 ノフ=ケー。 飢淀孤、 ウェンディゴ。 偉孝、 イタクァ。 アナスタシアが語っていたことが少しずつ真実味を帯びて円に襲い掛かってくる。 しかし、 それ以上に彼女の目を引いたのは、 偉孝の召喚方法であった。
『天に近い場所で神鏡を掲げ、 次に示す真言を唱えよ。 その際、 足元に血が流れている方がより偉孝を呼びやすくなるだろう。
もし、 召喚に成功したのならば、 天より偉孝が降臨し、 その場にいる生贄をみな連れて行くだろう』
この事件のきっかけとなったプレオープンセレモニーの事件。 その際に放り込まれた男が残した言葉とよく似ている文言だった。 違うのは流血によって儀式の成功率が高くなるといった部分くらいか。
そしてこの二つがほとんど一致することが指し示すもの。 それはプレオープンセレモニーで亡くなった二人がイタクァ、 いや、 偉孝の召喚に巻き込まれた物の末路だということだ。
ならば、 彼らの最期の言葉。 「生贄は皆、 この星を離れ、 黄衣の王の身元へと至らん」生贄とはいったい誰の事を指し示しているのか。 それも一人ではなく、 複数名である。
この段階で円は嫌な考えが頭をよぎる。 それは他人に話しても妄想の類であると断じられるような内容だった。 しかし、 様々な冒涜的事件に関わったことのある人物ならば間違いなく信用してくれるであろう内容だった。
だが、 彼らの目的が分かったとしても、 彼女にはそれを食い止める方法が思いつかなかった。 今、 自分達が置かれている現状を打破する方法も。
無理もない。 ロビーを襲ってきた飢淀孤はともかく、 走り出したバスを受け止め、 横転させた野吹に対して、 どう戦えばいいというのか。 誰か自衛隊を連れてきて、 と円は意味もなく考える。 エリート部隊である特殊作戦群ならばなお良し、 とも。
まあ、 仮に特殊作戦群が来たとしても、 今なお続いている猛吹雪の前に立ち往生してしまうだろうが。
閑話休題。
どうあがいても、 外の戦力に頼ることができない以上、 自分達で何とかするしかない。 しかし、 龍原リゾートにどれだけ武器として使えるものがあるのか分からない。 そんな今の円では対抗策など思いつきようがない。
ぐっと一度大きく背伸びをして、 更に詳しく読み込めば何か対抗策でも書いていたりしないかと、 改めてページをめくろうと、 古書に手を伸ばす。
「ん? 何の騒ぎ?」
その時だった。 廊下の方から、 誰かの悲鳴と走るような足音が彼女の耳に届いてきた。それも一人二人ではない。 十数人はいるだろうと分かるほど騒がしかった。
一体何が起こったのか。 本のページを開くのを止めて外へ顔を出してみれば、 我先にと逃げ出す人々がそこにいた。 どうやら先程の音は彼らが走っていく音だったようだ。
必死になって走って来たのだろう。 円の部屋の前で息を切らしてへたり込む小太りの中年男性を捕まえて話を聞く。
男性は円から声をかけられるやいなや大きな悲鳴を上げてこちらを振り向く。 円が自分と同じただの宿泊客だとすぐに気が付いたのだろう。 大きな安堵のため息をつくと、 何が起こったのかという円の問いに答えてくれた。
「いやあ、 実は僕にもよく分かっていないんだ。 ハハハ」
「ええ……」
予想していたものよりも能天気すぎる返答に呆れる円。 男性
「いや、 実はレストランで食事をとっていたら、 下で物凄い音がしてね。 なんだなんだと周りと騒いでいたら、 従業員から急いで避難するように言われてね」
「それは何時の事ですか?」
「ついさっきさ。 それで、 エレベーターを使おうと思ったら、 みんな同じこと考えていたみたいでさ……仕方がないから、 久々に階段を使ってゆっくり行こうとしたんだけど……下からやってきた人たちが凄い慌てていて……それにつられて思わず全力で走っちゃったよ……あぁ、 疲れた……」
そこまで話してへたり込んだまま一息つく中年男性。 話を聞いた円は嫌な予感がしてたまらなかった。
従業員からの避難命令? 下から逃げてきた? それも慌てて? そのような事をする理由は、 円には一つしか思い至らなかった。
考えすぎなのかもしれないが、 一応確認をしてみるべきか? そう考えた円はようやく立ち上がった男性と別れ、 自分の部屋へと戻る。
部屋に戻ると内線が鳴っていた。 相手は円が連絡を取ろうと考えていた相手、 父親の晃だった。
彼が話した内容は円が先程まで考えていた“最悪の考え”を肯定するような内容であった。
「二階のシャッターが破られた……!」
†
二階のシャッターを破ったのは、 円の嫌な予感の通り、 野吹だった。
だが、 奇妙なことに彼らは道を遮った、 もしくは遮ってしまった人以外に犠牲者は出ていなかった。
周囲を逃げ惑う人々だけではなく、 腰を抜かして受けなくなっている人も完全に無視して、 怪物たちは非常階段を駆け上がっているという。
他の人々にはなぜ襲わないか分からなかったが、 その理由に円は心当たりがあった。
“鏡”だ。
それがどこにあるのか、 どうやって見つけたのか、円には分からなかった。 しかし、 怪物どもは鏡がどこにあるのか分かったらしい。
目標を捉えた獣のように駆け上がるその姿は己が信じる神の姿を見た狂信者にどこか似ていた。
―――予想以上に速いな!
怪物どもの後を追うように階段を駆け上がりながら、 円は場違いのことを考えていた。
父から電話を受けた後で、 大慌てで階段へ様子を見に行けば、 怪物どもが通過していたところだった。
円には目もくれず、 一心不乱に駆け上がっていくその姿に何とも言えない恐怖を感じたが、 怪物たちが駆け上がっていく後姿を見て、 大慌てで後を追う。
冷静を欠いた行動ではあるが、 他に何か手があるわけでもない。 わずかに見える怪物たちの後姿を必死になりながら追いかけていく。
一体どこまで行くつもりなのか。そう考えていたところで、 僅かに見えていた後姿を見失う。 それから数秒後に聞こえてくる大きな破砕音。 まるで、 鋼鉄製の扉を力任せにぶち抜いたような音だ。
―――遅かったか……?
そう考えながらも、 階段を駆け上がることは止めない。 最上階の打ち破られた扉の先へと向かうと、 そこではすべてが終わった後だった。
無理やりこじ開けられた扉。 一つ一つが数十万の価値があったであろう残骸。 そして、 こじ開けられた扉の先では怪物たちの姿はどこにもなかった。
ここで一体何があったのか、 息を切らしながらも調べようとする前に体が急速に冷えていくのを感じる。 窓の方を見てみれば、 そこにあったであろう強化耐熱ガラスは窓枠に僅かながら破片を残すだけだった。
内側に破片が少ないことから、 ここから逃げていったのか。 そういう感想を抱くと同時に、 スタッフ専用と思しきエレベーターの扉が開く。 そちらへと視線を向ければ、 そこにいたのは複数の人物たちだった。
龍原リゾートのオーナーである大森 勤造は荒らされた室内に呆然としていたが、 やがて、 何かに気付いたように部屋の奥へと走っていく。
ホテルの制服を着た女性は「どうしてここに」という視線を向けている。 彼女の姿に円は見覚えがあった。 初日にオーナーと言い争っていた女性である。
桐島 晃と大門 純平もいた。 彼らは二人とも手製の松明のようなものを持っている。 それだけではなく、 二人とも猟銃を背負ってもいた。
最後尾にはアナスタシアもいた。 小柄な彼女は小型の斧を大事そうに抱えている。
他には警備員が二人いたが、 彼らはなぜか一斗缶(十八リットル缶)を持っていた。 ラベルを見る限り料理用の油のようだ。
「なんでここにお前がいるんだ?」
「それはこっちのセリフだよ。 なんでこの人たちと一緒にいるの?」
父親の問いにそう返す円。 晃は娘の問いに答えることはなく、 溜息をつくと、 下がっているように命令しようとする。
しかし、 その前に野太い悲鳴が響く。
「ない! ない! “鏡”がない!」
声の主は大森 勤造だった。 ひどく悲痛な声のした方へ視線を向ける一行。 その最後尾でアナスタシアがボソリと呟く。
「間に会わなかったようね」
何を、 と聞き返す前に一同の耳にある声が届く。
その声は人のものであるとは思えなかった。
館内のスピーカーを使っているわけでもなく、 とてつもない大声でもないのに、 ホテル中のすべての人に聞こえていた。
動揺する人々。 そんな中、 アナスタシアは再びポツリと呟いた。
「儀式が始まったわ」
旧版と比べて一話分省略。対策会議は描写しません。
10/27 誤字訂正。




