6:雪が降る理由
一時は弱まっていたものの、 一時間もしないうちに吹雪は元の勢いをすっかり取り戻していた。
時刻は昼頃。 天気が良ければ青々とした空に輝く太陽が、 白銀の世界を美しく輝かせている頃だろう。 あるいは色とりどりのウェアに身を包んだ人々が散策やスキーを楽しむために出歩き、 虹色の奔流を白いキャンパスに描いている頃か。
しかし、 吹雪は止む様子はなく、 白銀の世界は人々の命を容易く奪う災害となって、 人々を逃がさない結界と化している。
「人に本探させといて、 自分は何ボーっとしてるんだ姉貴」
次に晴れた空を見ることができるようになるのは何時になるだろう。 そんなことをボンヤリ考えていた円に声をかけたのは弟である誠だった。 姉に頼まれて探していたであろう数冊の本を机の上へと乱雑に置いていく。
姉弟がいるのはホテルの一角にある図書室。 プレオープンセレモニーが行われる前に円が一度だけ立ち寄った場所である。
前に述べた通り、 娯楽小説が中心に置かれており、 郷土資料は数が少なかった。 しかし、 数がゼロというわけでもなかった。
さらに今回は龍原町全域の伝承について纏めた専門書から、 民話を子供達向けにアレンジした絵本なども手当たり次第に探し出していた。 主に誠が。
当の本人からすれば迷惑な話である。 自分の部屋で横になりながらゲームをしていたら、 いきなり姉に連れ出され 、 意味の分からない資料探しに連れ出されるという面倒なことに巻き込まれたのだ。
しかも巻き込んだ本人は資料探しをせずにボンヤリと椅子に座っているという。 怒られても仕方のない行いをしていた。
「あぁ、 ごめんね。 ちょっと考え事をしていたから」
そう言うと、 円は弟が見つけてくれた本に手を伸ばす。 弟の方はそれ以上手伝う気はないのか、 近くの椅子に座ると本には手を出さず、 姉の方を静かに見ていた。
そのまま少しの間緩やかな時間が流れる。 本来ならば常駐しているはずのスタッフもおらず、 図書室内は円がページをめくる音、 本を動かす音のみが響いていた。
姉が調べ物をしている姿をジッと見ていた誠だったが、 やがて退屈になったようで集中している姉に話しかける。
「結局、 姉貴は何を調べてるんだ? バス事故があったって聞いたがそれと関係するやつか?」
「この地方……というよりこの地域の伝承。 もしかしたらこの事態を何とかする方法があると思って」
「マジで言ってんのか?」
本から目を離さずに答えた姉の言葉を聞いて、 弟は姉の正気を疑った。
思わず出てしまった弟の声に、 姉は本から目を離して弟の方を見る。
「半分は冗談よ。 でも、 伝承ができるのには理由があるの。 雪女だって元々は出稼ぎ労働者を見た子供をごまかすための嘘って話もあるし」
「それにこれを見て」と呼んでいた本を弟に見せる。 そこには一枚の挿絵が載っていた。 そこには誠が見たことがない怪物が描かれている。 その下に書かれている説明文を信用するのならば、 元本となる絵は相当昔に描かれていることになる。
「ここに描かれているのはバスを横転させた“野吹”に違いないよ。 ほらそっくりでしょ」
そう言いながら、 円は挿絵の怪物を指し示す。 しかし、 誠にはその“野吹”が何なのかすら分からなかった。
「いや、 『そっくりでしょ』なんて言われても、 俺はその“野吹”どころかバス横転の現場なんて見てないだが……」
「あれ? そうだっけ? でも、 バス事故の事は知っていたよね?」
「『聞いた』って言っただろ。 あんなに周りが騒いでいたら情報が入ってくるわ。 ジュース買いに行ったらどこもその話題で持ちきりだぞ。 逃げようとしたシャトルバスが横転したって。 原因は知らねえけど」
恐らくその話は円と同じようにシャトルバスの事故を見た人が広めたのだろう。 ただ、 話した人も“野吹”についてはどう話せばいいのか分からなかったのだろう。 仮にありのままを話したとしても、 幻覚を見ただけだと考えられてしまうと予想できるからだ。
結局、 “野吹”の事について語られることはなく、 「シャトルバスが横転し、 中の乗客が全員死亡した」という事しか伝わらなかったようだ。 この調子ではこの話は中途半端な形のままホテル中に伝わっていることだろう。
「うん、 まあいいや。 じゃあ次はちょっとこっち読んで」
そのことがそう言った結果を生むのか、 考えることをやめた円。
「『まあいいや』ってあのな……んで、 これはこの地域での話か?」
開いたページの前後を確認しながら誠が尋ねる。 そこには以前、 プレオープンセレモニー開催前に円が見つけた伝説をより子供向けに編集されたものだった。
「うん、 よく分かったね」
「そりゃ、 姉貴が見たっていう“野吹”っていうのにそっくりな挿絵があるからなあ」
「ほれ、 これ」と弟が姉に見せたページには、 先程姉が見せた“野吹”を可愛らしくデフォルメさせた絵が載っていた。 可愛らしいデフォルメとはいっても、 主な特徴である額の角や六つの脚などはしっかりと描かれていたのだが。
そして、 最初のページの挿絵にはやせ細った人々が枯れた田畑を前に絶望する姿がこれまたデフォルメに描かれていた。 現実に映せば相当ひどい状態だろうが、 上手くデフォルメされたそのイラストは絶望感が薄く見えた。
「それで気になったんだが、 これってここの話か?」
「そう、 多分元々は飢饉のときにできたおとぎ話だと思ったんだけど……」
野吹は奇形の熊か話が伝わっていくうちに次第に怪物化していったという説が一般的だったのだろう。 実際に存在していたことは、 すでに目撃した人たちならば信じられることなのだが。
次に円が見せたのは地支郡を中心とした気候を記した資料だった。 これも簡略化されたものでしかないが、 ホテル内の図書室で見つけた物ではこれが一番詳しいものだったりする。
「実は龍原町って雪や雨が降りにくい地形らしいの。 実際、 梅雨の時期にもほとんど雨は降らないらしくて……でも、 冬の降水量を見て」
「格段に増えているな」
円が開いたページの中には龍原町のここ数十年における平均降水量を示したグラフが全国平均の降水量と比較するように載っていた。
それによると、 龍原町は春から秋にかけての降水量が全国平均と比べて大きく下回っているのが分かる。 ただし、 十二月から二月にかけての降水量は全国平均を大きく上回っている。 これは良質な雪が吹くことが原因であることが分かっている。
「ただ、 日本って夏の雨は南から冬の雪や雨は北から来るの。 で、 地支郡は北部に山脈があって……」
「あぁ、 山で大体雲は止まってそこで雨や雪が降るって話を以前授業で聞いたことが……あ」
そこまで話して誠は気が付いた。 龍原リゾート、 というより龍原町は山脈半ばの盆地に存在している。 つまり、 周囲を山々に囲まれているのだ。 ついでに言うならば、 南側の山々は標高が低く、 北側は南側のものよりも標高が高い山々が連なっていた。
これがどういうことかというと、 先程円が述べたように龍原町は本来、 雨も雪も降りにくい地域なのだ。 むしろ、 雪の方が降りにくい。 実際、 龍原町と同じように山脈を北にしている町村は冬になっても雪が降るのは珍しかったりする。
だが、 龍原町では雪が降る。 それも良質とされる雪が。 それが意味するところはすなわち―――。
「……どういうことになるんだ?」
「……えっと」
文系姉弟は揃って首をかしげる。 天気予報、 気象予報を行うにあたっては、 大気の構造や力学、 観測成果の利用など様々な専門知識が要求される。
そのような知識を持ち合わせていない二人に現役の気象予報士が頭を悩ませている龍原町の天候など分かるはずもない。
「それはきっと超常的な事象が関わっているからよ」
必要な知識もないのに頭をひねる姉弟に声がかけられる。 声の主はアナスタシアだ。 その手には古びた書物があった。 装丁からして、 明治時代よりも前、 もしかしたら戦国時代に書かれたものかもしれない。
いきなり意味不明なことを言われて不審な目を向ける弟。 それに対して、 姉の円は彼女が持っている古書の方に注目した。 題目を読み取ろうとしたが、 表紙には汚れ以外に目立ったものはなかった。
不審者を見る目でアナスタシアを見ている誠に「アナスタシアよ」と簡単に自己紹介するアナスタシア。 それにつられて、 「あ、 桐島 誠です」と誠が自己紹介するのを見届けると、 アナスタシアは持っていた古書を円に手渡した。
「シベリアやアラスカといった極北の地ではある神を信仰している地域があるの。 その名は“イタクァ”。 彼の神は嵐を生み、 人を攫うと言われているわ。 イタクァを信仰する地域では自分達のコミュニティが襲われないように生贄を捧げているとか」
「怖いわねえ」と続けるアナスタシアを疑惑の目で見続ける誠。 円の方もなぜそんなことを知っているのか、 尋ねようとしたところで、 アナスタシアは言葉を続ける。
「イタクァの信仰は人だけに収まらないと言うわ。 ウェンディゴやノフ=ケーと呼ばれる怪物にも信仰されているとか」
「ノフ=ケー?」
ノフ=ケー、 野吹。 ただの偶然だろうか。 オウム返しのように呟いた円の言葉に優し気な笑みを浮かべながら、 アナスタシアは話を続ける。
「イタクァにさらわれた人は極寒の世界へ連れ回されるそうよ。 大体は寒さに耐えきれず死んでしまうそうだけれども、 まれに生き残るものもいるとか。 まあ、 仮に生き残れたとしても、 今度は寒さに体が慣れてしまって、 地上の気温に耐えられないとか」
「うへぇ」とつぶやく誠。 疑惑の目で見ていた彼もアナスタシアの迫真に迫った口調に引き込まれていた。 以前から様々な怪物と相対していた円も静かに話を聞いていた。
それにしても、 イタクァにさらわれた人の末路に何か既視感を感じる。 なぜだろうか?
「そういえばイタクァには別の名もあったわね……確か“風に乗りて歩むもの”“歩む死”だったかしら」
「……え?」
“風に乗りて歩むもの”“歩む死”。 円も誠もつい最近そんな単語を聞いた記憶がある。 どこだったか……。
「そうだ! 窓から放り込まれた奴が死ぬ前に言っていた! “風に乗りて歩むもの”って奴を崇拝するような言葉を!」
誠がその記憶にたどり着くと同時に声を上げる。 円もその叫びを聞いて思い出す。 確か、 あの男は極寒の世界にいたような凍傷にかかっていた。 彼女の言うイタクァにさらわれた人のように。
そして、 あの男は死ぬ前にこうも話していた。
『愚王が築きしバベルの塔の頂点で神鏡を掲げ、 真言を唱えよ。 風の神を崇拝する真言を、 歩む死を招く真言を。 さすれば、 生贄は皆この星を離れ黄衣の王の身元へ至らん』
今迄に遭遇した事件を思い出す。 植酉町では何を見た? 干からびた皺だらけの子供のような存在。 触れたものを一瞬で塵に還る恐ろしい存在。 何故現れた? 後輩が穂村 暁大が呪文を唱えたから。
呪文―――真言。 神鏡―――鏡。
鏡に関する逸話を最近見なかったか?
『ある日狩人の一人が山に埋もれていた古い銅鏡を拾う。 その美しさから山にいるという神の御神体と考え、 村の神社に納めたところ、 冬には雪が降るようになり、 良質な雪解け水によって村は豊かになったという』
次々と思い出される断片。 それらがパズルのピースのように組み合わさっていく。 自分でも分かるほど血の気が引いていく。
だとするならば、 あの男が言った意味は。 ホテルを襲撃した獣人達の本当の目的は―――!
「……ねき! 姉貴!」
次々と当てはまっていくピースに捕らわれていく思考が弟の声で鮮明になっていく。 慌てて周囲を見渡せば、 アナスタシアはすでに図書室にはいなかった。
「大丈夫か姉貴? 顔が真っ青だぜ、 なんかめっちゃ震えているぞ」
弟に言われて、 自分の手元に視線を移す。 そこには小刻みに震える自分の手があった。
一つ大きな深呼吸をして、 三秒ほど息を止める。 もう一度、 手元に視線を移せば、 震えは大分治まっていた。
「うん、 もう大丈夫。 大分落ち着いたよ」
「おう、でもあんまり無理すんなよ。 何に気付いたか知らないけど、 今日はもう仕舞いにして休んだ方が良いぞ」
そう言いながら、 姉が広げていた本を片付けていく誠。 円も手伝おうとして、 自分の近くにアナスタシアから渡された古書が置いてあるのに気が付く。
「あれ? そういえばアナスタシアさんは?」
「姉貴が青い顔で呆然としている間に帰ったよ。 後、 それ禁書庫から持ってきたらしいから、 早めに返してあげてほしいって言ってたぞ」
「禁書庫からどうやって持ってきたの!?」
「知らん。 そこに答えがあるとも言っていたが、 詳しいことは分からん」
そう言うと、 持っていた本を纏めて元の場所に戻していく誠。
それを目だけで追っていたが、 やがて、 目の前の古書に視線を落とす。
「そこに答えがある」
アナスタシアはそう言っていたが、 何故彼女はそんなことを知っていたのだろうか。
怪物達の目的の事、 鏡の事、 古書の事、 そしてアナスタシアの事。 様々な事柄が頭の中をよぎるが、 一方で彼女の頭は限界だった。
(もうすぐお昼だし、 食べたら少し休もう……)
思考することを放棄し始めた頭の中で、 円は今日の昼食が何になるかを考えていた。




