5:逃げ出す者達
前週はちょっと別の小説を書いていたのでお休みしてました。
すいません。
二階へと上がった三人を待ち受けていたのは、 名も知らない人々の安堵と恐怖が入り混じった視線だった。
人々の大半が一階での惨劇の場面に居合わせていたようだ。 あの惨劇の場面から遅れて、 なおかつ無傷で上がってきた三人。 しかも、 そのうち二人は警備員が持っていた散弾銃を手にしている。 恐れるなというのが無理な話というものだ。
「急いで閉めてくれ、 襲撃してきたやつらはなんとかしたが、 他にあの化け物どもがいないとは限らない」
そんな人々の視線を無視するように言い放った晃の言葉に、 一瞬訳が分からないといった風に戸惑う群衆。 ざわめきながら、 周囲の人々し視線を向ける。 その魂胆には「誰かがやってくれる」という薄っぺらい期待があるのだろう。
しかし、 「早くしろ!」と晃が一喝すれば、 一緒に逃げていたらしいスタッフが二人恐る恐る前に出てくる。 そのまま片方が壁に設置されている装置を操作すると同時にもう一人がインカムでどこかへと連絡を取る。 おそらく、 このまま全ての階段を閉鎖するつもりなのだろう。
インカムでの連絡が終わると同時に防災シャッターが音を立てて閉まっていく。 完全に閉まりきると周囲の張りつめていた雰囲気が少し緩んだ。
「……よし、 これでしばらくは大丈夫だろう」
晃のその言葉に円も体の力を抜く。 知らず知らずのうちに緊張していたようだ。 手の平を見れば自分でも気がつかないうちに大量の手汗をかいていた。
アナスタシアの方へ視線を向ければ、 まるで何でもないような表情をしていた。 彼女にとってあの怪物は恐怖するような相手ではないのだろうか。
アナスタシアに何とも言えない恐怖を感じながらも、 円は次にどうすればいいか考えを巡らす。
「……吹雪が止めば、 万事解決なんだろうけれども」
思わず小さな声で呟いてしまう。 昨夜より携帯を含むすべての通信機器による外部との連絡は不可能となっている。
その原因として考えられるのは、 外で荒れ狂う猛吹雪だ。 故に吹雪が止めば、 外部と連絡が取れるようになると考えるのは当然の事だった。
外部が龍原リゾートと連絡が取れないことに気が付いても、 猛吹雪の中を突っ切ってまで救出に来ようと考える者はいない。 仮にいたとしても、 ほとんど周囲が見えない状態では二次遭難になるのは目に見えている。 しかし、 それも吹雪が止めば話は別だ。
先ほど現れた獣人に対しても、 自衛隊や機動隊の力があれば討伐は可能だろう。 ただ、 数や状況次第では死傷者が出てしまうかもしれない。
それでも真正面からとはいえ、 徒手空拳の円と軍事訓練を受けたことのない晃の二人がかりでも勝てた相手だ。 より大人数かつ、 練度が優れている彼らならば、 多少数がいたところで殲滅は容易だろう。
つまるところ、 外の吹雪が止めば大体の問題は解決するのだ。
……後始末をする各機関の混乱と悲鳴を除けば、 だが。
それだけではなく、 プレオープンセレモニーで盛大に躓いた龍原リゾートの今後や新種の生命体についての詳しい生態調査などの問題は残ってはいるものの、 それは一介の大学生には関係の薄いものであり―――
「……いや、 待って」
生態調査云々のところまで考えていたところ、 一つの疑問に突き当たり、 思わず円は口走る。 声が聞こえたのだろう、 不思議そうな表情で振り向いた父親を含む数人に「ごめん、 何でもないよ」と伝えると、 円は先程抱いた疑問について考える。
すなわち、 あの獣人達は一体どこから来たのか? もしくは今までどこにいたのか? ということである。
以前、 敵対した下水道の獣人は昔からあの場所に存在していた。 そして人目に付かないように隠れてもいた。 円達が彼らの存在を知ったのもホームレスの行方不明を気にしていた刑事がいたという偶然からだった。
しかし、 今回の場合、 獣人はこの吹雪の中から突然現れ、 堂々と人を襲った。 そのような事をして、 なぜ今まで人間側にその存在が露呈しなかったのだろうか。 どうしても理解できない。
熊か何かと間違えられた? 仮にそうだとしても、 話題に何も上がらないというのはおかしい。 この現代日本で獣によって人に危害が加えられたという話があれば、 ニュースにならないはずがない。
周囲に見つからないところに隠れ潜んでいて、 今回の吹雪で現れた? 何度も言うがここは現代日本だ。 小型の動物や昆虫ならともかく、 大型の獣が隠れ潜む場所などあまりない。 そもそも、 龍原リゾートが建設された際、 ここ周辺は一通り調査されたはずだ。 それで見つからなかったというのはいささかご都合主義的すぎないか。
そして、 気になることがもう一つ。
二階に上がる前に比べた野吹の石像と、 襲撃してきた獣人の姿は大きく異なっていたという点だ。
まずは単純に大きさ。 あの石像は円の倍以上の大きさがあったが、 獣人は円よりも一回り大きい程度だった。
その姿も大きく違っていた。 石像は六つ脚で熊のような少しずんぐりした姿だった。 一方の獣人は二足歩行で腕は二つ。 その要旨もスラリとしたものだった。 石像にあった角も獣人にはなかった。
もしもあの獣人たちが野吹で、 長い口伝の中で変化していたとしても、 あの違いっぷりは違和感を覚える。
―――それはすなわち……
至った考えを打ち消すように、 反射的に頭を振る。 嫌な想像であり、 あってほしくないと考えるのはいささか楽観的過ぎる発想かもしれない。
それでも、 もしこの考えが正しかったならば、 どうすればいいだろうか。 頭を掻きながらそう考えていると、 前方の人混みから誰かが言い争いをしている声が聞こえてきた。
何事か、 と人混みの中に近づく円。 どうやら、 言い合っている一人は父親らしい。
この緊急事態に何をやっているんだ。 そう溜息をつきたい気持ちを押さえながら、 円は人混みの中をかき分けていった。
†
桐島 晃は目の前の男が気に喰わなかった。
元傭兵で今は軍事評論家だという目の前の男は名前を大門 純平と名乗った。 聞いたことがない名前だった。
いきなり晃の目の前に現れた男は「自分の方が銃の扱いがうまいから」と晃が持っている猟銃をよこすよう一方的に要求してきたのだ。 訳が分からない。
それでも、 晃は初めのうちは穏便に事を済まそうとしていた。 しかし、 「お前なんかが持っているよりも俺の方に任せてもらえれば下にいるという化け物どもを皆殺しにできる」だの「俺にはここから逃げ出す腹案がある」だの晃の話を聞かずに自分の事しか話さない大門に対して、 苛立ちを隠しきれずにいた。
吹雪で動けないホテル内に未知の怪物という常識では理解しがたい状態にさすがの彼も疲弊しているのだ。
最初の内は交渉と言えなくもなかった話し合いも次第に声が大きくなり、 暴言が増えてくる。 周囲の人々が不安そうに見ているのにも気が付かず、 人格否定の禁句まで出る始末だった。
「ちょっと何しているの、 父さん」
いがみ合っている晃に話しかけながら、 人の輪をかき分けてくるのは娘である円だ。 彼女の声に熱くなりすぎていた頭は冷え、 晃は冷静さを少し取り戻す。
しかし、 彼はまだ十分な冷静さを取り戻せておらず、 相手の大門はまだ頭に血が上っている状態だった。
散弾銃を肩に担いだ状態で後ろからやって来た娘に応えようとした次の瞬間、 相手の大門が銃を奪おうと襲い掛かって来た。
「いいからよこせ!」
後ろを振り向いたことで奪えると判断したのだろう。 大門は晃の手から無理矢理猟銃を奪おうと力を籠める。
しかし、 晃の方も大切な武器を怪しい人物に奪われまいと必死の抵抗を行う。
互いにマウントを取ろうと、 銃を中心に大の大人二人がそれなりの広さの廊下を転がりだす。 互いの位置がすぐに入れ替わるため、 円も父に助太刀ができず、 取っ組み合いの中に入れずにいた。
だが、 そんなことをしていると、 どちらかの指が引き金にかかってしまうのは時間の問題である。 周囲には円を含め、 少なくない人がいる。
そして散弾銃から放たれた轟音が二階廊下に響き渡った。
「……頭は冷えたかね?」
発砲音から数秒後、 完全に静まり返った廊下に老人の声のみが聞こえていた。
声の主はアナスタシアの祖父である“キリシマ”だった。 その隣ではアナスタシアが猟銃の銃口を上に向けながら、 秘書のように控えていた。
彼女の持っている散弾銃の先にある天井は小さな穴が無数についていた。 先程の発砲は彼女によるものだったらしい。
その証拠だと言わんばかりに、 彼女は人々の目の前で威圧するように、 ハンドグリップを往復させる。 空の弾薬が排出され、 音を立てて床へと落ちる。
ついさっきまで大人気ない取っ組み合いをしていた大人二人はまるで親に悪戯の現場を押さえられた子供のように固まっていた。 視線の先はアナスタシアではなく“キリシマ”の方を向いていた。
「頭は冷えたかね?」
手にした杖で地面を一度強くつき、 “キリシマ”が再度尋ねる。 先程よりも語尾を強めた言葉に、 取っ組み合い時の状態のまま、 二人は壊れたおもちゃのように何度も頷いた。
「よろしい」
まるで学校の教師のような振舞いに、 円は彼がロシアの大学で講師をしていたという話を思い出した。
同時に、 この事件が無事に解決したら、 どこの大学で何を教えていたのか聞いておこうと場違いの事を考えていた。
「では……大門君。 先程の話を聞かせてもらったが、 君にはこの状態を打破する腹案があるそうだね?」
「あ、 あぁ、 そうだ。 しかしそれには武器が、 銃がいる。 しかし……」
出来の悪い教え子に諭すように話しかける“キリシマ”。 話しかけられた大門はしどろもどろになりながらも晃を睨む。
睨まれた晃は「文句があるのか」と言わんばかりに睨み返す。 互いに睨み合い、 場が再び険呑になりかけたところで、 “キリシマ”が手を叩く。
「ではその腹案をここで語ってほしい。 幸いなことに今、 この場にはオーナーも来ていらっしゃる」
“キリシマ”が指し示す先には、 彼の言葉通り、 龍原リゾートのオーナー、 大森 勤造がいた。 どうやら一介の騒ぎを聞きつけて下りてきたようだった。
彼の姿を見た大門は、 まるで素晴らしいアイデアを客にお勧めする販売員のようなテンションで話し出した。
「分かった。 簡単に言えばここに、 この龍原リゾートに来るまでに使われたシャトルバス。 あれに乗ってこの吹雪を抜けるんだ!」
勿論、 吹雪が弱まった隙を見計らってだがな。 と付け加えつつ、 いとも簡単そうに細かい計画を話す大門を見て、 晃と円の桐島親子は思った。
―――ダメだコイツ……。
確かに龍原グランドホテルの地下駐車場には龍原リゾートと外とを繋ぐシャトルバスがある。 もし、 怪物や吹雪によって駄目になっていなければ、 動かすことも可能だろう。
しかし、 それは通常の天気の場合である。 いくら吹雪が弱まった隙を狙ったとしても、 吹雪の勢いがそのまま戻らないとは限らない。 もし、猛吹雪の中バスを動かせば遭難は確実だろうし、 動きを止めれば中の乗客は確実に凍死する。
桐島親子だけではなく、 オーナーや老紳士も同じ考えに至ったようで、 呆れ顔で彼の話を聞いている。 そんな考えに気が付かないのは、 声高々に演説している大門と彼の言葉に希望を見出した者達だけだった。
「……あら、 でもその必要はなさそうよ?」
そう呟いたのはアナスタシアだ。 何事かと周囲の視線を集める彼女が指さす先は窓の外、 先が見えなくなるほどの吹雪の中で僅かに見える光、 シャトルバスのテールランプだった。
「なっ……」
「いつの間に……」
「くそっ、 勝手に出やがって……!」
おそらく、 先程の襲撃の時に地下へと逃げ込んだグループがいたのだ。
彼らは地下駐車場で動ける状態のシャトルバスを見つけ、 大門と同じ考えに至った者が無理やりにでもバスを動かして脱出したということだろう。 しかし、 今もなお吹き荒れる吹雪の中を行くのは無謀な行為に他ならない。
しかし、 幸運にも吹雪はその勢いが弱まっていく。 僅かにテールランプの光しか見えない状態から、 バス全体が見える状態になっていた。
群衆の絶望の声と大門の悔しがる声が聞こえる中、 シャトルバスは少しずつ遠ざかっていく。
しかし、 シャトルバスは急にその走りを止める。 そしてその光景を見ていた人々が疑問に思う間もなく、 そのまま横転した。
「……え?」
信じられない光景を見た人々はバスに何が起こったのか少しでも情報を得ようと窓に張り付く。
そして見てしまった。
バスを横転させたものの正体を、
それは熊のような巨体だった。 しかし、 その巨体には六本の脚が備わっていた。 しかし今、 地についているのは四本だけで、 二本の脚はまるでバスを転がしたかのようなポーズをとっている。 そして、 その額には一本の角が生えていた。
それはこの世の存在とは考えられなかった。 ……獣人が襲ってきたり、 大型のシャトルバスが横転させられたりと、 常識ではありえない事件が発生している状態ではそんな言葉は空虚なものにしか感じないが。
しかし、 円はあの姿を知っていた。 バスを横転させたあの巨体は昨日公園で見た石像……“野吹”にそっくりであった。
「なんだよ……そりゃあ……」
青ざめた表情で大門が呟いた。 自身の考えていた作戦が一瞬にして崩れたことが信じられないのだろう。
しかし、 その後誰も何も喋ることはなかった。 横転したバスから何とか逃げ出した人々が、 野吹に虐殺されるときも、 最終的にバスが爆発炎上したときも、 何も喋らなかった。 いや、 何も喋ることができなかった。
新たな惨劇が終わった後、 かろうじてオーナーが力のない声で部屋に戻り、 鍵をしっかりをかけておくようにと、人々に告げる。 その言葉を受けた人々は一人二人と、 力ない足取りで自分達の部屋に戻っていった。
しかし、 彼らは内心で理解していたのだろう。
あの怪物、 野吹がその気になれば、 今人々を守っている防壁、 防災シャッターなど簡単に破れるだろうということを。 バスで逃げようとした乗客の運命は、 そのまま自分達に襲い掛かってくるだろうことを。
吹雪が吹き荒れてから二十時間が既に経過していた。
しかし、 状況が好転する様子はなく、 むしろ絶望と恐怖が高層ホテル内を埋め尽くそうとしていた。




