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幻想怪異録  作者: 聖なる写真
5.鏡面の“雪”
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4:雪中の獣


 龍原リゾート三日目の早朝。 外は昨日と同じように周囲が見えなくなるほどの吹雪であった。

 ホテル内の雰囲気は少しずつだが、 荒れ始めていた。

 無理もない。 セレモニー中に突然死体が窓を割って入って来たと思ったら、 日付が変わるか変わらないかのうちに新たな事件が発生したのだ。 それも“獣人”なんていう化け物付きで、 である。 急に暴動に発展しないのは「平和ボケ」と揶揄される国民性のおかげか。

それはともかく、 恐怖のあまり興奮している客達の中にはスタッフに詰め寄って事情を聞こうとする者もいた。 しかし、当のスタッフもなぜこうなったのか全く分かっていないのだ。

適当なことを言うわけにもいかず、 ただ「調査中です」と繰り返すだけだった。 無論、 それで納得する人は少ないのだが。

 

「……そう思う? 父さん」

 

 他の野次馬達と同じように一階のロビーへとやって来た円は、 同じように降りてきた父親へと声をかける。

 若い頃よりも英知と経験、 そして脂肪を蓄えた中年男性、 桐島 晃は娘の問いにはぐらかすように答えた。

 

「クソガキの悪戯って言いたいところだが……あの血の量はとても悪戯とは思えねえ。 血の味を覚えた獣ってところだろうな……夜はしっかりと戸締りして出るんじゃねえぞ」

「警備員が見たっている獣人は? “人”って言うくらいなんだから四足歩行なんかじゃなくて二足歩行になると思うけれども」

 

 それに、 ただの獣ならあんなに怯えないとは思うけれども。

 

 そう言いながら、 円が指さす先はロビーに備え付けられているソファ。 そこには昨夜、 悪ガキどもを止めようとして獣人を目撃してしまった哀れな中年警備員が毛布を羽織り、 暖かいコーヒーを飲みながらなお震えていた。

 昨夜遅くに若者たちの手で開けられた玄関の自動ドアはすでに閉められていた。 扉の両脇には猟銃を構えた警備員二名が緊張した面持ちで外と中を警戒している。

 彼らが手にしている猟銃は形からして散弾銃だろう。 何という名前の銃なのかは円には分からなかったが、 猟銃の所持に関してはかなり面倒な手順を踏まなければならないことくらいは知っていた。

 たしか、 龍原リゾートではクレー射撃を遊べる場所があったはずだ。 そこから持ってきたのだろうか。

 銃という現代日本では見られない武器を構える警備員の姿はそれだけで異常事態であることを示していた。 恐怖を興奮が混在している一因に銃器存在があるのは否めないだろう。

 

「熊……なんかじゃないのか、 多分。 大きい奴だと、 かなりの威圧感がある。 それに、 アイツらその気になれば人一人食い殺すのなんて簡単だからな。 三毛別羆事件ってあっただろ」


 三毛別羆事件。

 大正四年十二月に北海道で発生した日本史上最悪の熊による獣害事件。 体長二・七メートル、 体重三八〇キログラムの巨大なエゾヒグマが数度にわたり民家を襲い、 一人の猟師に射殺されるまでに七人を食い殺し、 三人を負傷させたという。

 たしかに巨大な熊ならば人を殺傷するのは容易いだろう。 三毛別羆事件のエゾヒグマもその巨体さゆえに冬眠用の洞穴が見つけられなかったことが原因の一つとされている。 今回、 愚かで不幸な若者を襲ったのもそういった熊なのだろうと晃は断言した。

 その姿は娘へ何とかごまかそうとしているように見える。 その姿に違和感を覚えた円だったが、 そこについて特に触れようとは考えなかった。 それよりも今回の事件のことが気になっていたからだ。

 

「でも、 この辺りで熊の目撃証言なんてなかったと思うけれども」

「アナスタシアさん」

 

 親子の会話には割って入って、 円の疑問を代弁したのはアナスタシアだった。 雪の妖精と見間違うかのような美貌を持つ彼女は優し気な、 しかしどこか冷たい印象を与える微笑みを浮かべながら円達の方へと近づいてきた。

 

「もちろん、 熊だけじゃなく、 狼や猪の目撃情報もなかったはずよ。 といっても、 近年の話でずっと昔の事は分からないけれども」

「あー、 失礼ですが貴女は?」

「あぁ、 失礼しました。 私は Анастасия Александровна Маркова。 貴方方と同じ招待客の一人になります」

「……そういえば、 プレオープンセレモニーの際に娘と一緒におられましたね。 娘とはいつ?」

「昨日の朝、 可愛らしいお嬢さんと一緒に外の公園で遊んでいらしたところを偶々」

「なるほど。 ところで日本語がお上手ですね」

「ええ、 祖父が日本人でして、 その影響で……」

 

 そのまま、 なんてことない世間話に話がずれていく。 晃は美女であるアナスタシアとの会話を楽しんでいるように見える。

 そんな父親の姿を後で母親にチクってやろうと考えながら、 円は近くにある一人用の椅子に腰掛ける。

 先程からスタッフや銃を持っていない警備員がしきりに部屋に戻ってしっかりと施錠することを大声で話している。 しかし、 それでこのロビーから去る人はあまりいなかった。 残った人々は不信感を隠そうともせずにスタッフや警備員に詰め寄っている。

 ソファで震えていた警備員もいつの間にか姿を消していた。 自分の持ち場に戻ったのだろうか。

 状況がよく分からなかったし、 一度戻った方がいいか。 それとも、 もう一度図書室で資料を漁った方が良いだろうか。 そう考えていた時だった。

 

 惨劇の第三幕が始まったのは。

 

 初めに響いたのは悲鳴だった。

 それも一つではなく複数。 玄関口ではなく、 奥の方で細々と営業していた喫茶店のさらに奥。 従業員用のバックヤードと思しき方向からその悲鳴は聞こえてきた。

 バックヤードを突き抜けてロビーにまで響き渡った悲鳴に散弾銃を持つ警備員や、 大声で客達を案内していたスタッフを含む、 その場にいた全員が気を取られた次の瞬間。

 

「―――がっあぁ……」

 

 強化ガラスがあっさりと割られる音と共に、 鋭い爪が散弾銃を持つ警備員の背中から胸へと突き抜ける。 苦痛の声を上げた後に警備員はゴポリと口から大量の血を吐いた。

 

「なっ!? ……」

 

 同僚が一撃で屠られたのを見たもう一人の警備員は慌てて散弾銃を下手人に向ける。 しかし、 引き金が引かれるよちも早く、 襲撃者はもう片方の手で警備員の喉を切り裂く。

 半ばまで断たれた喉から大量の鮮血をまき散らしながら倒れる警備員。 上がる悲鳴。 我先に逃げ出そうとする人々。

 パニックに陥る人々の波を潜り抜けながら、 入り口を見据えた円は襲撃者の姿を見た。 ……見てしまった。

 襲撃者は熊やヒグマなどではなかった。 ましてや狼や猪でさえなかった。 ただの動物であったならばどれだけよかったか。

 禍々しい猿のような怪物。 両手の鋭い爪は先程殺された警備員達の血で赤く染まっていた。 そして、 牙の生えそろった口からは黒ずんだ何かがこびりついていた。

 

 ―――! こいつが昨夜出たという獣人か!?

 

 黒ずんだ何かが肉片であると察した円は、 こみ上げてくる吐き気を抑えながら怪物と相対した。

 

 

 

 先手を取ったのは円だった。

 怪物の腹部目掛けて放たれた左の回し蹴り。碌な防御もされずに命中した一撃に怪物は驚いたように後ずさりする。 追撃として放たれた右のハイキック。 側頭部を狙った一撃は狙ったところに当たり、 怪物は大きく仰け反った。

 体勢を立て直した怪物の目には怒りと興奮が宿っているように感じられた。 実際にこの怪物に“怒り”なんていう感情があるのかは不明だが、 酷く興奮しているのは確かだった。

 爪の一撃を楽々とかわす円。 当たれば重傷なのは間違いないのだが、 隙だらけの大振りである攻撃などそうやすやすと当たるわけもない。 それでも、 その剛腕を振るうことによって発生した風は円を驚かすのには十分だった。

 再び襲い掛かって来た大振りの一閃を大きく飛びのくことで回避しながら、 円は目の前の怪物を注意深く観察した。

 

 ―――それにしても……攻撃は効いているの?

 

 二度放った蹴りは確かに命中したが、 蹴りつけた足から伝わってきたのは分厚い皮に阻まれたような感覚。 おそらくだが、 先程の二発の蹴りは大したダメージにはなっていないだろう。 会心の一撃ならばいけるのかもしれないが、 そう簡単に出せるものではない。

 そもそも、 円が怪物と戦うのはこれが初めてというわけではない。 敗れたことは一度もなかったが、 自身の実力だけで勝てたと言えるのは一度だけでしかない。

 

 頭がなく、 手の平に口がついた化け物は攻撃を当てることはできても、 ダメージを与えることはできなかった。 あの時は勝てた、 というよりも、 この場にいない友人、 泉 彩香が依り代とも言うべき物を破壊したから相手が消えた。 というべきであった。

 黒い液体の化け物も、 同じようにダメージを与えることはかなわなかった。 子供のミイラのような存在が黒幕ごと砂に変えていなければどうなっていたことか。

 目の前にいる“獣人”は以前であった黒ローブの“獣人”とは別の存在だろう。 あの時はあっさりと勝てたが、 それは相手の耐久力が乏しかったためだ。 爆竹という名の爆弾で弱っていたともいう。

 

 そこまで観察して、 円はあることに気がつく。 いや、 ある程度冷静さを取り戻せたからこそ気がついたというべきか。

 目の前の獣人は、 昨日見た“野吹”の石像とその姿かたちが大きく異なっているということに。 昔の人の考えや伝承に伝わる姿かたちが間違っているのならばいい。 だが、 もしも目の前の獣人が“野吹”と違う存在だったとするならば……。

 

 そこまで考えてしまい、 脳内によぎる嫌な予感。 それを振り払うように、 強く相手を睨みつけると、 乾いた発砲音が響き渡る。 二、 三秒後、 目の前の怪物が少しふらついたかと思えば、 急に彼女の方へと倒れてきた。

 攻撃するのではなく、 いきなり倒れてくる怪物の姿に驚いた円。 とっさに全力で後ろの跳ぶことで下敷きになることを避けたが、 着地に失敗してしまい尻もちをついてしまう。

 

 「わっと」

 「ったく、 大丈夫か? 武器も持たずにあんな怪物と戦おうとするなよ」

 

 そう言いながら倒れ伏した怪物を乗り越えつつ、 散弾銃を片手に、 もう片方の手を円に差し出したのは、 彼女の父である晃だった。 どうやら、 怪物の背後から散弾銃を撃ってとどめを刺したのは彼のようだ。

 

 「っと、 ありがとう」

 

 差し出された手を受け取り、 立ち上がる円。 周囲に人影はなく、 桐島家の二人と倒れ伏した怪物、 そして怪物の手によって殺された警備員の死体だけが広々としたロビーに存在していた。

 

 「……って待って、 銃は?」

 「そりゃあここにあったのを……ん!? もう一丁の事か!?」

 

 二人いた警備員は、 二人とも散弾銃を装備していた。 その警備員達が殺された今、 散弾銃の一丁は桐島 晃が持っていたが、 もう一丁の行方が分からなくなっていた。

 良識ある人が護身用に持って行ったのならばまだいい。 悪党や自己中心的な人が持って行ったのならば非常に危険だ。

 人は散弾銃で撃たれれば死ぬ。 当然の事である。 そうでなくても、 吹雪で周囲と連絡が取れなくなった以上、 重傷を負ってしまえば大した治療もできずに死んでしまいかねない。 人は血を流しすぎても死ぬのだ。 当然の事である。

 じゃあ、 どうするのかと親子が考えていると、 先程と同じような乾いた発砲音が二回、 いや三回奥の方から響いてくる。 どうやら、 バックヤードの方からのようだ。

 警備員が一度も発砲できずに殺された原因を思い出した二人は慌てて発砲音がした方向に視線を向ける。

 

 「あら、 大丈夫かしら二人とも」

 

 奥、 喫茶店の方からやって来たのは晃と話していた女性、 アナスタシアだった。 細身で小柄な彼女には似つかわしくない散弾銃を両手でしっかり持っている。

 散弾銃の行方が二丁とも判明したところで、 一安心した二人はガラスが突き破られた部分から送られてくる寒風に身を震わせる。 戦っている最中には感じなかった寒さが、 体の芯まで冷やしてくる。

 

 「とりあえず、 上に行こう。 ここよりはマシなはずだ」

 

 桐島 晃の言葉にアナスタシアを含む三人は一度二階に上がることにする。 さすがに一階は何かをしようにも寒すぎてどうしようもない。 もしかしたら、 ガラスが割れた際の対策も用意しているのかもしれなかったが、 ただの客にすぎない三人に分かるはずもなかった。

 二階への階段を上る前に、 円は一度だけロビーに視線を移す。 玄関近くの強化ガラスは割れ、 床には雪が積もり始めている。 先程まで戦っていた獣人も警備員の死体も少しずつ雪の中に消えつつあった。

 

 ―――これで、 終わりならいいんだけれども。

 

 昨日見た“野吹”の石像と先程まで戦っていた獣人の姿を比べながら、 不安と疑問が脳裏に浮かぶ。

 内心抱いた疑問に対する答えが出ないまま、 円は二階への階段を上がっていった。

 

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