Epilogue:鴉は見ていた
先週は休んでしまい申し訳ありません。
少しでも長くしようと思ったのですが……結局短いままですし。
子供の頃は、大人になれば強くなれると思っていたが、大人になるというのは弱さを受け入れることだ。人は生きている限り弱いものだから
When we were children, we used to think that when we grew up we would no longer be vulnerable. But to grow up is to accept vulnerability, to be alive is to be vulnerable.
マデレイン・レングル
Madeleine L'Engle
「そうだったのですか……そのようなことが」
上井 栄福と『滑る影』の襲撃から日が昇り、 その日が天高くまで昇りつつある時間帯。 穂村は聖鸞神社の客間で神主に昨夜の出来事を話していた。
自分と父に起こったこと、 その真実。 そして、 警察には話せなかった狂気的な真実。
神主はただ黙って話を聞いてくれた。 それが彼にとっての救いだった。
「……きっと彼は救われたのでしょう」
―――貴方のような勇気ある者に意志を継いでもらえて。
そう神主は呟いた。 穂村には聞こえないように小さな声で言ったつもりなのだろうが、 しっかりと聞こえていた。
神主の言う“彼”はきっと自分の父親のことなのだろうと、 簡単に推測できる。 すっかりぬるくなってしまったお茶をすすりながら、 昨夜まで自身に迫っていた冒涜的な危機を思い返す。
きっかけは自分の夢だった。 祖母の様子がおかしいことも含めて、 先輩と一緒に植酉町に帰ってこなければ、 自分はどうなっていただろうか。 父と同じように祖父に肉体を乗っ取られていたのかもしれない。
しかし、 全て終わったことだ。 祖父は自らの野望によって滅んだ。 あのような夢を見ることはないだろう……少なくとも今朝まではそうだった。
「そういえば、 もう帰られるのですか?」
「ええ、 祖母に挨拶してから帰ろうかと。 大学の授業もいくつかさぼってしまいましたし」
「そうですか。 たまには帰ってきて、 おばあさんに元気な顔を見せてあげてくださいね」
「ええ、 分かっています。 この世で残されたたった一人の家族ですから」
優し気に微笑む神主に、 少し寂し気に穂村がそう答える。 その姿を見た神主は「少し待ってください」と言うと、 背を向けて、 客間の奥にある神主の自室をと向かう。 少ししてから、 神主が客間に戻ってきたとき、 彼は手入れがされているものの、 少し古ぼけているお守りを持っていた。
「当神社に納められていた護符が中に入っています。 また似たように事件が起きないとも限りません。 是非持って行ってください」
そう言って手渡されたお守りはほんの少しだけ神主の体温とは違う温もりが感じられた。 昨夜の光景のような科学では証明できないような未知の力。 ただ、 昨夜のような冒涜的なモノとは違って、 どこか安心できる力のようなものが感じられた。
「いいんですか?」
そう尋ねれば、 「きっとあなたの方が必要になるでしょう」と優し気な笑顔で答えてくれた。
その言葉と表情に、 記憶にある父の面影を見た穂村は「分かりました。 ありがとうございます!」とお守りを強く握りしめると、 頭を深く下げる。
顔を上げた時、 神主はまるで自分の孫を見るような優し気な笑みを浮かべていた。
†
「あれ? 穂村君、 もういいの?」
上井 栄福の襲撃から二日。 いつも通りの日常を送る三塚大学のキャンパスで、 桐島 円は目の前を横切る穂村 暁大に声をかけた。
あの事件の後、 円は早々に帰ったが、 穂村は少しの間残ると言っていた。 彼自身を中心に起こった事件だったので、 しばらくは休むだろうと考えていた円はその予想が外れたことに少し驚いていた。
一方、 穂村の方は少し吹っ切れたような表情をしていた。 事件のことを気にしていないわけではないだろうが、 彼自身なりに受け入れているのだろう。
「えぇ、 もう大丈夫です。 ご心配をおかけしました」
「そっか、 でも、 また何かあったら気軽に相談してね」
「はい!」
元気な後輩の声を聞いて、 安心したように息をつく円。 精神医療や心理学の類に触れたことのない彼女は、 後輩の精神状態について詳しくは分からない。 しかし、 彼の様子を見るに大した不安はないように見えた。
安心していたところに、 油断をしていたのだろう。 背後から小さな駆け足の音が聞こえてくると同時に、 腰に軽い衝撃が走る。
「ぐえっ」
それと同時に、 蛙が潰れたような悲鳴が背後から聞こえる。 聞き覚えがあるその声に円が反応して振り向けば、 そこにいたのは自分の腰に抱き着くようにしてへたり込む友人、 泉 彩香だった。
状況から考えれば、 円の姿を見つけて駆け寄ったはいいが、 躓いて、 そのまま友人の腰にダイブしてしまった。 というところだろうか。 長身で鍛えている円と小柄で細身の彩香では体重も当然違う。 さらに言うならば、 彩香は運動があまり得意ではない。 こういう結果になったのは自明の理というべきか。
「大丈夫?」
「だ、 大丈夫……ところで」
一歩円が離れると、 彩香の方も抱き着いていた腕を解き、 打ったらしい鼻を押さえる。 「大丈夫」と本人は言っているが、 顔を下に向けて小刻みに震えているその姿はどう見ても大丈夫そうに見えない。
……が、 急に顔を上げる彩香。 勢いよく上げられた頭にぶつかりそうになって、 大慌てで一歩さがる円。 危うく、 衝突しそうになりかけたことなど気にもせずに、 彩香は目を輝かせながら、 円を問い詰める。
「円! その男の人誰!? 恋人!? 恋人!?」
「違うよ、 後輩。 如月喫茶店で知り合った穂村君だよ。 以前紹介したでしょ?」
呆れたような円の返事に、 納得しながら起き上がる彩香。
「あ〜、 あの後輩君か〜。 よく見れば円の好みからは離れているような……」
「えっ」
「ほら円以前話してたでしょ。 付き合うなら自分よりも背が高くて、 筋肉がある人がいいって」
「えっ」
ちなみに言っておくが円の身長は百七十四センチ、 穂村の身長は百七十センチ。 筋力差? 円の方が腕が太いと言えば大体分かるだろう。
絶望的な表情を浮かべる穂村に気が付かず、 話し始める女性二人。 それでも諦めきれないのか、 穂村は暗い表情をムリヤリ隠しながら、 先輩達の話に混ざろうとした。
頑張れ穂村。 円は君の表情を見て、 植酉町での事件をやっぱり引きずっているんじゃないかと勘違いしているぞ!
「……いや、 やっぱり思ったんだけど、 円って正直、 こういう恋愛事って疎いよね」
「……? ん〜まあ、 今までそういうことにはあんまり触れてこなかったわけだしねえ……やっぱり穂村君は申し越し休んだほうが……」
「違う、 そうじゃない」
†
大勢の人々が行きかう中、 楽しそうに談笑している大学生三人組。 それを校舎の屋上から見つめる一羽の大鴉がいた。
どこか、 狂人のような眼差しを持つその鴉は、 憎々し気に三人を、 いや、 正確には三人の中の一人、 穂村が首から下げているお守りを睨みつけている、 ような気がした。
しかし、 仮に鴉がどれだけ睨みつけていても、 お守りが超自然的な力で穂村から離れることなどありえない。
やがて、 諦めたように一声大きな声で鳴くと、 大鴉はどこかへと飛んで行ってしまった。
鴉の正体に気がつく存在はいない。 その目的も。 今は、 まだ。




